May 2009

May 31, 2009

【セミナーレポート】第1回 人気ブロガー養成講座(入門コース)【ネタ記事】

昨日、今日は結構ハードスケジュールでした

【昨日】
午前中は新宿で英会話学校
 ↓
午後から水道橋でセミナー
 ↓
セミナー会場の近くのルノワールでプチ懇親会
 ↓
高田馬場で飲み会、ボウリング

【今日】
午前中は帝国ホテルで朝食会
 ↓
午後から亜細亜大学でTOEIC受験
 ↓
帰宅後セミナーレポート作成

ということで、昨日行われたセミナーのレポートです

第1回 人気ブロガー養成講座(入門コース)

今回はMr.M氏も講師として参加されたようです。
もちろん、ネタ記事もあるよ

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May 29, 2009

【雑感】いよいよ明日、『人気ブロガー養成講座(入門コース)』

いよいよ明日です。

09.05.30(土) 人気ブロガー養成講座(入門コース) - 「自己実現」や「起業・副業」の夢が叶う、超人気ブログの作り方を徹底公開!

どうやら満員御礼のようです

講師の鹿田さんは、以下の『Big tomorrow』にブログビジネスで取材されるような実績をお持ちのすごい方です!!自分も去年の夏ごろからお付き合いをさせていただいておりますが、今まで築き上げられたブログのノウハウが示されることとでしょう!!

BIG tomorrow (ビッグ・トゥモロウ) 2009年 07月号 [雑誌]BIG tomorrow (ビッグ・トゥモロウ) 2009年 07月号 [雑誌]
販売元:青春出版社
発売日:2009-05-25
クチコミを見る

もう1人、小川さんも最近テレビ朝日の『いいはなシーサー』に取材を受けるようなすごい方です

何よりも、参加者は自分のブログのプチコンサルを受けられるのが売りだと思います。

さて、もう1人、謎のMr.M氏ですが、、、どうやら以下のような内容を語るらしいです(笑)

  1. 自己紹介
  2. ブログ『オンライン書評図書館』概要
  3. なぜ書評ブログをはじめたか?
  4. 3年間更新し続ける3つのコツ
  5. ブログを継続することのメリット
(Mr.M氏のパワポ資料から抜粋)
どんな内容かはお楽しみに

ということで、明日参加される方、よろしくお願いします

さて、これから007のDVDでも見て明日に備えることにします(笑)

それはそうと、500冊目はまだかって?

やっと120ページくらい読んだよ
全体ページ数は、その10倍くらいあるのだけどね

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May 17, 2009

本当に生きるための哲学

本当に生きるための哲学 (岩波現代文庫)
本当に生きるための哲学 (岩波現代文庫)

キーワード:
 左近司祥子、哲学、ソクラテス、幸福、飛躍
哲学者によって、本当に生きるとはどういうことか?ということが示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第一章 複雑な人・ソクラテス
  2. 第二章 宗教と哲学・神の声
  3. 第三章 宗教と哲学・殉教
  4. 第四章 自然・移り行くもの
  5. 第五章 自然・よい生き方
  6. 第六章 私・大事なもの
  7. 第七章 私・重い実感
  8. 第八章 私・連続するもの
  9. 第九章 私・自由
  10. 第十章 私・本当の望み
  11. 第十一章 誤り・ディアレゲスタイ
  12. 第十二章 飛躍・「魔ざし」現象
(目次から抜粋)
この本は、1990年前期学習院講座での講演を元に書かれている。そのため、口語的で読みやすい。また、この本で499冊目の書評となる。

本書のテーマは、『本当に生きること』で、それは言い換えれば、『幸せであること』ということになるようだ。そのテーマに関して、古代ギリシャの哲人、ソクラテスを媒体に語られている。

全体像を示すのはかなり難しい本なので、特に印象に残った部分を引用しておく。

メロドラマに良くある設定として、好きな人がいたのに親の言うことを聞いて、嫌いな人と泣く泣く、あるいはいやいや結婚したというものがある。これは、著者によれば絶対に嘘ということになる。なぜならば、嫌いな人と一緒になりたくないという思いよりも、親に良く思われたいという願望が上回っていただけに過ぎないからであると。そして、結局親に良く思われたいというほうを選択したのだとあった。その部分に続いて、以下のように示されている。
 ここでサルトルの話との接点が出てくるのです。私たちは自分のいやなことを無理強いされたりすることはないのです。いつも、私の行動は私が選んでいるのです。私の未来は私が決めています。大きい問題にしろ小さい問題にしろ同じことです。でも、この見解を取るかぎり他人からの同情は期待できなくなります。メロドラマの主人公でいられなくなるからです。その上、あのときああしていたら今頃私は、という半分は甘い回想も不可能になります。ああしなかったのは私だからです。こういった具合に私の生き方の全責任が私にかかってきてしまうのです。
(pp.158)
厳しいようだが、この自己責任論が生きていく上で念頭においておかなければならないことのように思えてくる。

自分自身に限っては、あとのとき、ああしていればよかった、と思うことは枚挙に暇がない。何度そのように思ったことか。けれど、結局は『今』の自分は、過去の自分の選択の結果なのだということになる。選べなかったことのように思えても、結局は自分で選択したのだ、ということになる。

この自己責任論を昨今の雇用情勢に当てはめてみると、派遣切りにあって苦境に立たされている人も、結局は派遣で生きることを選んでいたに過ぎない、ということになる。厳しいようだが、派遣労働が不安定な雇用情勢であるのに、その状態に甘んじていたか、そこから脱却しなかった、という選択をしたということになる。たとえ、派遣で働くしかなかったという理由があったとしても。
 サルトルの主張は、一度目のみ効く興奮剤なのでしょうか。たしかに、興奮剤としては、一度しか効きません。でも、この聞き手の心のなかには、こういった生き方しかできない人間ということを意識したことによって、落ち着いた覚悟が生まれているはずです。過去の出来事は、結局私の引き起こしたことだ。だから、未来の私の行為も私が決めるものだといった覚悟です。かのじょの心は、決して高揚していないでしょうが、落ち込みもしていないでしょう。こういった覚悟を持って、これからは自分で判断していくのです。そういうことになれば、意識せず、知らず知らずのうちに判断を下していたときと比べて、「今自分は自分に判断を下しているのだ」という意識をしっかり持って判断できるのです。意識しつつ判断しているということは、ある人たちの好んで使う表現によれば、本当の、目覚めた自分として判断を下しているということになります。
(pp.166)
この主張は、こういった成り行きのなかで生きているのだと意識させることで、その人のこれからの生き方を生きさせるのに役に立つと示されていて、なるほどと思った。毎日が些細な判断の積み重ねで、その判断によって未来がおのずと規定されていくのを意識していこうと思った。もっと言えば、毎日がターニングポイントの連続なのだ。

この本のキーワードとして『飛躍』がある。これは、先ほどの結婚の例を挙げると、今までの自分の生きかた、これからの未来を考えて親の薦める人と結婚しようと思っていたが、直前になって思わず「別の人と結婚します」と口走ることと示されている。つまりこの『魔ざし』によって、今まで準備してきたいろいろな考慮を超えて、飛躍していき、飛躍的に幸せになれるようだ。
人間の私たちはたとえ自分のことであっても、十分分かっていないからです。そして、それが、それまでの準備をすべて反故にするほど力強い欲求であるなら、そういった欲求を最後の瞬間に私が思わず持ち出してしまったとするのなら、どうしてそれが本当の私の欲求ではないはずがあるでしょう。本当の私が今目覚めたのです。この件をきっかけにして。そうだとしたら、この欲求に従うのこそ、私の正しい行為であり、私が本当に生きることなのであり、幸せになることなのです、とりあえずは。連続する私に、突然割り込んできた飛躍した私、それについての、いろいろな考察はあとのことです。あとでゆっくりすればいいのですし、するべきです。そして、実際私たちはそうしています。
(pp.211)
もしかしたら、自分にもこの飛躍が近々訪れるのじゃないか?という気がしないではない。とりあえずはIT技術者になろう、と準備をしているが、どこかでやっぱり違うことをやろうと直感的に思うのだと思う。そうなったら、その直感にしたがってそれをやればいいのかなと思った。細かい考察は後でいいんだとわかってよかった。

口語的な文章ではあるが、示されていることはかなり抽象的な部分が多い。古代ギリシャのソクラテスの無知の知から、プラトン、ゴルギアス、ヘラクレイトス、ギリシャ神話の神々、サルトル、デカルトなどなど、さまざまな哲学者が出てくる。そういう古代ギリシャ哲学に関心がある人は面白く読めると思う。

著者はネコ好きらしい。それが表紙のイラストの並木道にたたずむネコに現れている。

連続する自分の中に突然訪れる、飛躍に身を任せる。これが、自分が本質的に生きていく上で重要なのかなと思った。

さて、どのような飛躍が自分に起こるのだろうか?

次で500冊目の大台。500冊目が一つの節目。500冊目は、もしかしたら5月中には無理かも。気長にお待ちを。



本当に生きるための哲学 (岩波現代文庫)
本当に生きるための哲学 (岩波現代文庫)

読むべき人:
  • 古代ギリシャ思想に関心がある人
  • ネコが好きな人
  • 本質的に生きることを考えたい人
Amazon.co.jpで『左近司祥子』の他の本を見る

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May 13, 2009

【お知らせ】人気ブロガー養成講座(入門コース)

直近で参加するセミナーのお知らせです

鹿田尚樹の「読むが価値」【人気ブロガー養成講座】: 【5/30開講】人気ブロガー養成講座(入門コース)

【講座名称】
・人気ブロガー養成講座(入門コース)
【「自己実現」や「起業・副業」の夢が叶う、超人気ブログの作り方を徹底公開!】

【日時】
2009年5月30日(土)14:00〜17:00 (開場13:30)
場所;水道橋(徒歩3分)飯田橋(徒歩5分)

【講師】
・小川晶子氏(さむらいコピーライティング道
・鹿田尚樹(鹿田尚樹の「読むが価値」【人気ブロガー養成講座】
自分もブログをやり始めて結構な年数になりますが、人気ブログに仕立て上げる、というのは経験上かなり難しいと感じます。アクセス数やPVが思ったようには伸びないし、アマゾンのアフィリエイトもまったく売れませんし

しかし、鹿田さん、小川さんというすでにブログで実績を出されているお2人によるお話、となればきっと人気ブログに仕立て上げるのは難しくはないでしょう

その根拠は、以下の講演トピック内容を見れば分かります。
■講演トピック(構成案)
  • ブログを1から学ぶ「ブログの作り方」
  • 「面白い!」と言われる記事の書き方のコツ
  • 中身よりも見た目が重要?ブログデザインの簡単なポイント
  • 読まれる記事と、読まれない記事の「ココが違う!」のポイント
  • 読者を増やす嫌われない「リンク」と「コメント」大作戦
  • アクセス解析の「ココをチェック!」
  • アクセスランキング、簡単な1位の取り方!
  • ブログで人生を加速させる方法
  • 人気ブロガーになるための「必要条件」とは?
    • 「自分の強み」を知る
    • 「自分らしさ」を知る
    • 自分のアイデア(考え)を「言葉にする」技術
    • 「ブロガーネットワーク」の築き方
    • 著名ブロガーに取り上げられる方法
    • 自分マーケティング
    • ブログを「継続」させるコツ
  • 人気ブロガーたちの共通点
  • 人気ブログの作り方(ABCから)
  • 面白い記事の書き方のコツ
  • 書くネタがなくなったときの対処法
  • ブログで仕事を獲得する
  • だれでもなれる「人気ブロガー」のステップ

正直、自分はここまでブログを戦略的に意識して続けてきておりませんでしたね・・・。これをもっと早く知っていれば今頃は、アフィリエイトでもっと売れていたり(笑)、カリスマ書評ブロガーとか言われていたかもしれません

このブログも3年続き、4年目突入ですので、今一度ブログの方向性を考え直すためにも、お2人のお話をぜひ聞いてみたいと思います

参加申し込みは以下からです。どうしようかなと迷っている方そんな方は、小川さんが作成された、「人気ブログの作り方」無料レポート&音声だけでもご覧になったほうが良いですそこんとこもっとkwsk!!と思う人はぜひ、セミナーに参加したほうが良いです



【おまけネタ】

さてさて、鹿田さんのセミナー告知記事の下の方を見ると、以下のような記述が。
【追記】
…媛奪殴好塙峪佞箸靴董屮潺好拭M」登場です
 (お楽しみに)
【ミスターM】

はて、誰だろう・・・

もしや、あの人

ここだけの極秘ネタですが、ミスターM氏の写真を入手しました

Mr.M

(・∀・)ニヤニヤ

ということで、カリスマ書評ブロガーである鹿田さんと美人ライター小川さんによる超人気ブログのお話を聞きたい方、ミスターM氏に会いたい方はぜひ、5月30日(土)に水道橋へGo

【注】:ミスターM氏は講師お2人に比べれば、本当におまけみたいなものですが、3年間ブログを継続できたコツやネタ記事について語るそうです(笑)

さて、このブログは、そろそろ500冊目前ですが、499冊目がまだ半分くらいのペースです・・・。

こんなんじゃ、超人気ブログになるには遠い道のりだ・・・。

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May 09, 2009

なぜ私だけが苦しむのか

なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)
なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

キーワード:
 H.S. クシュナー、信仰、神、苦悩、勇気
ユダヤ教の教師(ラビ)によって、不完全な世界を生き抜く勇気が示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 1章 なぜ、私に?
  2. 2章 ヨブという名の男の物語
  3. 3章 理由のないこともある
  4. 4章 新しい問いの発見
  5. 5章 人間であることの自由
  6. 6章 怒りをなににぶつけるか
  7. 7章 ほんとうの奇跡
  8. 8章 ほんとうの宗教
(目次から抜粋)
この本で498冊目。この本が500冊目でもよかった。それだけ自分が求めていた内容が示されており、過去取り上げた本のうち、間違いなく3本の指に入る本。殿堂入りどころではなく、本当に死ぬまでに何度も読み返す価値があるバイブル的な本。

簡単に概要を示しておこう。

著者にはアーロンという息子がいたが、アーロンは「早老症(プロゲリア)」に侵されており、14歳という短い一生を終えた。アーロンとの死別体験や、ラビとして葬式に幾度となく参加したり、著者に人生の苦悩について相談に来る様々な人の話を聞いた経験から、信仰を通して病害や死別などの苦しみの意義を考え、そこからどう対処していくべきか?ということが示されている。

この本の著者の想いの一部を抜粋。
私は、人の悲しみを体験した人間であり、根本的に神を信じる人間です。死や、病気やけが、そして拒絶や失望によって人生に傷ついた人のために、また、この世に正義があるなら、こんなことが自分に起こるのはまちがっていると考えている人に読んでもらいたくて、この本を書きました。
(pp.xxiii)
本書のタイトルである「なぜ私だけが苦しむのか」というように、自分自身も『なぜ自分がこんな目にあわなければならないのか!?』と、脳内カウンタがオーバーフローを起こすほど自問自答した。何度この問いを繰り返したか分からないほどに。なぜなら、自分もまた病害に苦しむ身だからだ。そういったこともあり、この本に示されている一文一文が自分の心に染み入ってくるもので、著者に語りかけてもらっているような境地だった。よって、本エントリでは、本当に救われる境地で線を引いた部分を多めに引用しておく。

まずは、『信仰の強さを試しているのか?』という著者の自問自答の部分から。
 私は、身体障害児をもつ親として、息子が死ぬまでの十四年間を暮らしました。しかし、神は私の内にある信仰の強さを見抜き、苦しみを乗り越えられると見抜いたので、ほかの人ではなくこの私を選んだのだという考え方によって、安らぎを覚えることはありませんでした。そんなふうに考えたところで、私は神に選ばれた者としての"特権意識"など感じませんでしたし、神はなぜ、毎年多くの障害児を、平和に暮らしている家庭に送り込むのかという疑問に対する答えとはなりませんでした。
(中略)
 もし神が私たちをテストしているのなら、私たちの多くは落第しているということぐらい、もう気づいてもいいはずです。耐え忍ぶことのできる範囲内の苦しみを与えているというのなら、神には計算違いが多すぎます。
(pp.33-35)
苦難に対する心の持ちようとして、『選ばれ者しか苦難は味わえない』とか、『その人が乗り越えられるだけの苦難しか与えられない』などと他の本で読んだりする。しかし、それらはそういう側面があるかもしれないが、現に苦しんでいる人にはあまり慰めにはならないものだ。もしそうであるなら、日本で年間3万人以上の自殺者が出るわけがない。乗り越えられるだけの苦しみを与えられているのなら、乗り越えられずにこの世界から自主退場した人たちは、一体なんだったのだろうか?ということになる。だから、自分自身も、乗り越えられるだけの人にしか苦難は訪れないといったような思い込みは止めようと思う。そのような不合理な思い込みをしたところで、苦しみが軽減されるわけではないのだし。

著者はラビという立場から、神そのものを信じないわけにはいかないが、サイコロを振るように人々に苦しみを与えるような神の存在は否定している。
 私には、どうしてある人が病気になり、他の人にはならないのかわかりませんが、私たちの理解を超えた自然の法則がはたらいているのだろうということは想像できます。私は、神が特定の人に特定の理由で病気を「与えた」とは信じられません。悪性腫瘍の週間割当て計画書をつくり、だれに配布するのがいちばんふさわしいか、だれがいちばん上手に対処できるか、などとコンピュータで調べている神を私は信じません。
 病人や苦痛にさいなまれている人が、「いったい私がどんな悪いことをしたというのだ?」と絶叫するのは理解できますが、ほんとうのことを言えば、これはまちがった問いかけです。病気であるとか健康であるとかいうのは、神が私たちの行いや態度にもとづいて決定していることがらではないのです。ですから、より良い問いかけは、「こうなってしまったのだから、私はいまなにをすべきなのか、そしてそうするためにだれが私の助けになってくれるだろうか?」ということなのです。
(pp.92-93)
つまり、不条理にも苦しむのは、特に明確な理由や因果があるわけでないということになる。
 痛みというのは、私たちが生きて存在するために支払う対価です。
(中略)
そのことがわかれば、私たちの質問は、「なぜ苦しまねばならないのか?」というものから、「ただ無意味でむなしいだけの苦痛に終わらせず、意味を与えるために、私はこの苦しみにどう対処したらいいのだろう?どうすれば、この苦しい体験が産みの苦しみ、成長の痛みになるのだろうか?」という問いかけに変わっていくことでしょう。
 なぜ私たちが苦しむのかは、けっしてわからないかもしれません。痛みの原因を克服することもできないかもしれませんが、苦痛が私たちにおよぼす影響や、それによって私たちがどのような人間になるかについては、かなりのことが考えられます。痛みのせいで敵意を抱き、ねたみ深くなる人がいます。痛みによって感受性を養い、愛情豊かになる人もいます。痛みや苦しみの体験を意味あるものにするか、むなしく害だけのものにしてしまうかを決めるのは、痛みの原因ではなく、結果なのです。
(pp.99-100)
病害や障害は天からのギフトである』、という考えに通じるものがあると思った。苦難の根本的な理由を問い続けたところで、答えが出るわけではない。自分自身もずっと考え続けてきたが、やはり確かな理由なんか分からない。だから、著者が示すように、この痛みの意味を見出していく必要があるのだということがよくわかった。

最後にもう一箇所、上記に引用した部分と同じような主張ではあるが、とても重要な部分を引用。
 私たちにふりかかってくる不幸な出来事は、その発生時においてはなんの意味も持っていないのだと考えたらどうでしょう。それらはべつに、納得できるような道理などなしにやってくるのです。しかし、私たちのほうで意味を与えることはできます。私たちのほうで、それら無意味な悲劇に意味を持たせればよいのです。
 私たちが問うべきなのは、「どうして、この私にこんなことが起こるのだ?私がいったい、どんなことをしたというのか?」という質問ではないのです。それは実際のところ、答えることのできない問いだし、無意味な問いなのです。より良い問いは、「すでに、こうなってしまった今、私はどうすればいいのだろうか?」というものでしょう。
(pp.218)
ずっと叫び続けていてもしょうがないのだと思う。もう叫び続ける必要もないのかもしれない。そろそろ、では、自分はこれからどうすべきか?ということを真剣に考えなければいけないときが来ているのかもしれない。すぐに意味づけや自分なりの答えが出せるわけではないけど。

最終的には、宗教、言い換えれば神は、私たちに不条理な苦難を与えたり、そのような苦難を私たちが祈ることによって取り除いてくれる存在でもなく、不幸を乗り越えるための勇気と忍耐力を与えてくれる存在であると示されている。著者の信仰に対する想いの変遷が良く現れていると思った。

この不完全な世界を生きていると、誰にでも叫びたくなるような境地に陥ることがある。単純に自分自身の病害や事故などによる障害であったり、肉親や友人、親しい人の死別であったりもする。そういうときに、本書のタイトルのごとく苦しくて叫びたくてしょうがないとき、きっとこの本が救いになってくれると思う。少なくとも、自分はこの本を読んで、本当に救われた境地になった。自分は基本的に無神論者であり、唯一信じる宗教があるとしたらそれは仏教であるが、ユダヤ教を母体とした著者の神に対する考え方、苦しみの捉え方にとても共感できた。だから、そういう宗教くさい部分を忌避しないで受け入れてほしいと思う。

この本は、自分の書評ブログのロールモデルであるDainさんのブログで知った。この本に出逢えてよかったと思う。なんとなくではあるが、これで明日を恐れずに生きていけると思う。自分も本当にDainさんに感謝します。ありがとうございました。

読むのに3日かけたが、本当はもっとゆっくり読むべきだったかもしれない。少なくとも、この本は速読とかフォトリーディングをすべきものではない。ラビである著者の言葉をしっかりとかみ締めて、自分の心に染み渡らせるように読んだほうがいい。そして、何度も何度も読み返したい1冊だと思う。

自分の身の回りの人、親しい人、友人で、苦しみが原因で叫んでいる人がいたら、じっくりと話を聞いてあげて、そのあとでそっとこの本を贈ることに決めた。



なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)
なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

読むべき人:
  • 重度の病気を患っている人
  • 身近な人を失って悲しみに暮れている人
  • 苦しみから逃れるために自殺を考えている人
Amazon.co.jpで『H.S. クシュナー』の他の本を見る

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May 06, 2009

【雑感】読書スピードと黄金週間

現在498冊目を読んでおりますが、当初予定していた500冊達成が黄金週間中には無理そうです。完全に見積もりをしくじりました・・・

読みながらあーだこーだといつもよりも思索にふけってしまっており、いつもよりも極端に読書スピードが下がっております。

先日83年会の飲み会もあったことで、今後自分のキャリアをどうしようかなとか、この書評ブログの方向性もどうしようかなとか考えておりました。

黄金週間中は、暇といえば暇でしたが、ボーっとすることが多く、まったくページが進まなかったです。

498冊目は明日中には更新しますが、500冊目は今月中が目標になりそうです。

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May 03, 2009

書きたがる脳 言語と創造性の科学

書きたがる脳 言語と創造性の科学
書きたがる脳 言語と創造性の科学

キーワード:
 アリス・W・フラハティ、脳科学、書く、ハイパーグラフィア、文学論
脳科学者によって、書くことの本質が示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 ハイパーグラフィア―書きたいという病
  2. 第2章 文学的創造力と衝動
  3. 第3章 精神状態としてのライターズ・ブロック
  4. 第4章 脳の状態としてのライターズ・ブロック
  5. 第5章 どうやって書くのか―皮質
  6. 第6章 なぜ書くのか―辺縁系
  7. 第7章 暗喩、内なる声、詩神
(目次から抜粋)
この本は2年前くらいに新宿の紀伊国屋で発見し、それからずっと積読状態だった。そろそろ500冊書評到達ということもあり、なぜ自分がここまで書き続けられたのか?ということを探ってみたくて、このようなタイミングで読んでみた。そしてこの本が、497冊目となる。

黄金週間中なので、いつもよりも書く時間は豊富にある。よって、かなり長文傾向になる。

簡単にこの本の概要を示しておこう。プロの作家に限らず、学生やブロガーなども同じように書きたい、書かねばならないという欲求に取り付かれたりする。そういう書きたいという衝動と、書きたいのに書けないという状態について、脳科学者の視点から示されている。以下に本書の概要が示されている部分を抜粋。
 だが、それは研究不可能なほど複雑ではない。神経学者はハイパーグラフィア(書かずにはいられない病)を生み出す脳の特定領域の変化を発見している。何が文学的創造を促し停滞させるのかを、直感的に頼らない神経学的方法で調べると、ハイパーグラフィアよりもっとありふれた、だがつらい対極である書きたくても書けない状態、つまりライターズ・ブロックの新しい治療法がわかるかもしれない。どちらの状態も、コミュニケーションをしたいという基本的な生物学的欲求に複雑な異常が生じることによって起こる。言語学者と科学者の大半は主として作家の認知の側面に注目してきたが、本書では書くことと感情とのもっと入り組んだ関係を探ろうと思う。例となるのは文学作品やわたしの患者、そしてわたし自身の体験である。
(pp.10-11)
著者は、医者でもあり、神経科学者でもあり、そしてまたハイパーグラフィア、産後の鬱状態に陥った患者でもある。そのため、ハイパーグラフィアなどについては厳密な脳の構造からも解説されるが、著者の叙情的な体験、文学作品、哲学書の引用も多く見受けられる。そういう部分が、若干冗長なような気がするが、ハイパーグラフィアの実体験者の示す内容として面白いと思った。

まず、この本のキーワードとなる『ハイパーグラフィア』の傾向を示しておこう。
  1. ハイパーグラフィアの人は大量の文章を書く
  2. ハイパーグラフィアは外部の影響よりも強い意識的、内的衝動(喜びと言ってもいい)から生まれる
  3. 書かれたものが当人にとって非常に高い哲学的、宗教的、あるいは自伝的意味をもっている
  4. 少なくとも当人にとっては意味があるという緩やかな基準はべつとして、文章が優れている必要はない(感傷的な日記を書き綴る人はハイパーグラフィアの可能性がある)
    (pp.41)
そして、ハイパーグラフィアに陥る原因として、以下が示されている。
  • 側頭葉てんかん
  • 躁うつ病
  • 統合失調症
  • 上記の病状はなく、正常な人で、愛する者との死別、病気、亡命、異郷の暮らし、自己愛的な自尊心の傷み、青春などの苦しみを感じている人
このように、ハイパーグラフィアという症状を分類するときには、脳の機能障害を引き起こしているような、てんかん、躁うつ病、統合失調症の患者たちと、正常だが内面で苦しみを抱えている人と分けることができる。

そして、どうやらというか、やはりというか、自分もハイパーグラフィアの傾向にぴったり当てはまる。まず、相当大量の文章を書く傾向がある。この書評ブログに関して言えば、普通の書評ブログよりも長文傾向だと思う。最近は大体平均文字数が4,000字であり、原稿用紙換算だと10枚くらいになっている(初期の頃はその半分も書いていないが)。他にも、もう一つのぐだぐだ日記ブログに書きたい衝動をひたすら満たし続けるように書いている。

そして、第2の傾向のように、誰かに依頼されて書いているわけでもないし、報酬を受け取っているわけでもない(Amazonのアフィリエイトは、ほとんど売れなくて微々たるものだし、アフィリエイトが書くことの動機にはまったくなっていない)。本当に内面から湧き出てくる書きたい衝動によって書いている。うまく書けたら自画自賛して何度もその記事を読み返したりもする。

第3の傾向、これは本当にその通りだと思う。この書評ブログの内容は、客観的に見て高い哲学的、宗教的、自伝的意味を持っているかは微妙だが、主観的にみると、自分自身のために書いてきたことから、深い自伝的意味を内包していると思う。そういう意図もあって、この書評を媒体とした記事を書き続けてきたという側面もかなりある。

第4の傾向もぴったり当てはまる。固定読者が少なからず存在するこの書評ブログでも、自分にとっては大きな価値があるが、他の人には無価値な文章だと思う部分がかなりある。さらに括弧内の記述のごとく、別ブログで感傷的な日記もぐだぐだと書き綴っている。それは本当に散漫で、文章として体をなしていない言葉の羅列で、他の人が読んでもまったく価値がないと断言できるような代物。しかし、やはりそれも自分自身にとっては意味がある。
ほかの面では正常でも、上記の四つの基準に該当する人々は、ハイパーグラフィアとしてまとめてよさそうだ。そもそもハイパーグラフィアを取り上げる主な理由は、こうした人々の存在にある。
(pp.41)
ということで、自分もハイパーグラフィアなんだろう。幸いにも、過去にてんかんや躁うつ病、統合失調症と診断されたことはないから、正常な部類のハイパーグラフィアに入るのだろうけど。

では、なぜ書くのか?という原因を紐解いてみよう。

まずは以下の部分が参考になる。
 囚人は何をするか?もちろん、書く。たとえばサド侯爵のように血をインク代わりにしなければならなくても、彼らが書く理由は極端な自由の制約であり、誰も叫びを聞いてくれないという事実であり、同じことが精神を病んだ人たちや多くの正常な人々にとっても書く理由になる。わたしたちは自分の監獄から逃げるために書く。
(pp.56)
著者は、産後に躁うつ病を発症したことから、精神病院に入院したようだ。そのときの精神病院に閉じ込められていると感じた経験から、上記のように導かれている。そしてこの『叫び』は、芸術にも同じことが言えるんだなと思った。芸術も文章も、『叫び』と『コミュニケーション』がキーワードになるようだ。

さらに第6章の『なぜ書くのか―辺縁系』を紐解いていくと、以下のような理由が示されている。
  • コミュニケーションしたいという衝動から
  • 本心から(ときには勘違いでも)自分の幸福を分かち与えたいから
  • 悲しみや怒りに叫ぶのと同じ生物学的な衝動から
  • 自己表現によって、書くことで喜びや解放感を得られるから
  • 社会的な人とのつながりが得られるから
  • 作家、ジョージ・オーウェルよれば、美的な情熱(美を広めたいという欲求)、歴史的衝動(真実を見分けて、それを後世に残したいという衝動)、政治的衝動(世界を特定の方向に動かしたいという欲求)から
  • 著者の死産の経験から、罪の意識を告白したいという衝動から
  • 自分あるいは自分以外の世界が本物だと証明するため、つまり、孤独を満たすため
上記は、文学的な側面から、著者の叙情的な側面から、そして脳科学的な側面から示されている。それぞれのレベル間が合っていないが、それぞれの事象が書く理由として、どれも納得がいった。また、普通の人が書きたくてたまらなくなる原因が以下のように示されている。
 病気以外に、ふつうの人が書きたくてたまらなくなる原因は何だろう?大きな原因は病気ではないが、それに近いもの、愛、それも不幸な愛だ。社会的な変動や、(ある意味ではすべての人々が経験する)青春を過ごした土地との別れ、戦争など、ほかのかたちの苦しみも執筆の引き金になるだろう。しかし、少なくともアメリカでは愛ほどではない。たぶん、こういう外部的な脅威には行動が要求され、行動すれば書いている時間がなくなるためだろう。だが誰かへの愛、とりわけ報われない愛は自尊心への脅威だ―わたしたちは自尊心を言葉で癒せると考えている。とくに愛する者の不在に苦しんでいると、耳を傾けてくれている人なら誰にでもかまわず書いたり語ったりしたくなる。愛する女性についてわたしたちが書く言葉、自分に語る物語は、ピグマリオンが作ったガラテアのように、恋人が戻るまでの慰めになってくれる。その不在が死別ならば、この語りたい思いは耐えがたいほどになるかもしれない。
(pp.66)
なぜ自分がここまで書評を辞めたいとも思わずに書き続けてきたのか?その原因は、上記に示したどれも部分的に当てはまるが、一番の要因は『苦しみ』なのだな、ということがよくわかった。

この本は、脳科学的な側面からだけでなく、文学的側面、著者の実体験の叙情的な側面からも示されており、一味変わった本だと思う。そのため、多くの作家、哲学者、例えば、ドストエフスキー、ミラン・クンデラ、ジョージ・オーウェル、アイザック・アシモフ、プルースト、カフカ、スティーブン・キング、ニーチェ、プラトン、ソクラテス、マーク・トウェインなどなどが引き合いに出されている。なので、文学好きな人にはとても面白く読めると思う。

本書の解説が、脳科学者で文学や芸術にも造詣が深い茂木健一郎氏であるのも、得心が行く。茂木氏は、本書を『ロマンティック・サイエンス』と評している。

小説や物語、エッセイ、ビジネス文書、手紙、日記的なブログ、書評、果てはプログラム、絵画までいろいろと書く(描く)ことを職業や趣味にしている人はぜひ読んだほうがいい。なぜ書くのか?という根源的な理由が分かると思う。

今回の記事では書きたい衝動のハイパーグラフィアを焦点に当てた。書くことがあるのに書けない状態の、ライターズ・ブロックのほうは、読んで確かめて欲しい。書くことを仕事(趣味)としている人なら一度は味わったことのある状態だと思われるので。

自分がここまで書き続けてきた理由がよくわかった。書かなくてはいけない理由がたくさんあったんだなぁと。また、この本を読んでいると、何だかプログラマやIT技術者ではなく、作家になったほうがよいような気がしてきた。家に帰ってきてもハイパーグラフィアのごとくプログラミングをしたいとはあんまり思わなかったし、逆に、ハイパーグラフィアに陥りながら、書評を媒体として自分の思索をここまで書き続けてきてしまったし。どうなるかは分からないけど、選択肢の一つとしてありえる。



書きたがる脳 言語と創造性の科学
書きたがる脳 言語と創造性の科学

読むべき人:
  • ブログ、小説など書くことを生業としている人
  • 常に書きたい衝動が途切れない人
  • 作家になりたいと思っている人
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