April 2013

April 29, 2013

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 [単行本]

キーワード:
 村上春樹、色、巡礼、冷たい海、駅
村上春樹の新刊。あらすじはあえて省略。読むなら何の予備知識なしで読んだほうがいい。でも、絶対面白い!!、読め!!と全面的にお勧めはできないタイプの作品。特に、村上春樹作品をあまり読んだことのない人にとっては。読みやすいタイプの作品だけどね。

このブログの熱心な読者にとって、僕が村上春樹の作品が好きなのは既知のことだと思われる。長編作品は一応すべて読んでいるけど、本書のように、割と発売直後に買って読んだのはこれが初めてだな。連休中に集中的に読んで、370ページもあるけれど、3日で読めた。それだけ没頭して読めたことは確か。

万人受けする作品ではないということは、Amazonのレビューにもいろいろと書かれている。超常現象的な存在、曖昧な結末、毎度完全に解き明かされない謎、いつの間にかいなくなってしまった登場人物のその後、過去の作品から繰り返し使われている夢と現実のモチーフなどなど。やれやれ、またその箪笥の引き出しの中身が使われるのか?と過去の作品を読んでいる読者はきっと思うだろう。デジャヴ感いっぱい。一ファンとして、そういう部分に関して新鮮味があまりなくて若干残念に思った。以下のような過去の作品ほど面白さはなかったし。しかし、この作品が僕にとって価値のない作品だったということではない。とても重要な作品だった。でもその前に、この作品に対して、自分が感じたことを示しておきたいと思う。

読んでいてとても気になったのは、過去の作品に比べて固有名詞がとても多く使われている気がしたこと。Google、facebook、Twitterとネットサービスやポルシェ、ベンツ、ゴルフ、レクサスなどの車(これは過去作品にもよく出てくるけど)、名古屋大学経済学部、愛知県立芸術大学工芸科、早稲田大学などの大学、スター・ウォーズ、ダイハードなどの映画などなど。過去の作品をすべてきっちり覚えているわけではないので、どれほど差があるかは正直完全に分からないけど、印象としては意図的に固有名詞が多く使われているような気がした。

しかし、色を持たないと思い込んでいる主人公の多崎つくるの勤め先は***鉄道株式会社とあり、出身大学も東京の工科大学とぼかされている。とても意図的に。自分自身の個性、色がないのだから、固定概念を持たせないようにぼかされているのだと思われる。たぶん。

あと、過去の作品と決定的に違うと思われるのは、主人公が『夜の冷たい海を一人で泳ぎ切れたかどうか』ではないのかなと思った。過去の作品の主人公は、泳いでいる途中のものが多かった気がする。でもこの作品は泳ぎ切った作品だ。夜の冷たい海の比喩は何なのかは読んで理解してほしいが、分かりやすく言い換えれば、主人公に救いがあったかどうか?かなと思う。過去の作品の主人公にはあまり救いがなかった気がする。でも、多崎つくるにはある気がする。確実にあったとは言えない結末だけど。

さらに、ある特定の読者を想定して書かれているような気がした。何の根拠もない感覚的なことなのだけど、個人的にそう感じた。そして、とりわけ面白い作品ではないのだけど、なんだか自分のために書かれているような物語のように思えた。そう感じる物語はそんなに多くはない。面白かった、すごく深い作品だと感じるものは多いけど、自分のこととしてとらえられる作品はほとんどない。だから、冒頭で自分にとって重要な作品と示した。以下思わず線を引いた部分を抜粋。
「そう。あなたは何かしらの問題を心に抱えている。それは自分で考えているより、もっと根の深いものかもしれない。でもあなたがその気になりさえすれば、きっと解決できる問題だと思うの。不具合が見つかった駅を修理するのと同じように。ただそのためには必要なデータを集め、正確な図面を引き、詳しい工程表を作らなくてはならない。なによりものごとの優先順位を明らかにしなくてはならない。」
(中略)
「あなたはナイーブな傷つきやすい少年としてではなく、一人の自立したプロフェッショナルとして、過去と正面から向き合わなくてはいけない。自分が見たいものを見るのではなく、見なくてはならないものを見るのよ。そうしないとあなたはその重い荷物を抱えたまま、これからの先の人生を送ることになる。」
(pp.106-107)
あなたはデバッグしなくてはいけないのよ』と言われたような気がした。なんとなく自分が漠然と考えていたことを物語の登場人物が示してくれるのは変な感じだなとも思ったけど、きっとこの部分が読めただけで本書を読んでよかったのだと思う。

新宿駅をいつも利用する人や鉄道全般が好きな人は興味深く読めるかもしれない。ただ、面白く読めるかどうかは、人それぞれ。どう感じるかも。



色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 [単行本]
著者:村上 春樹
出版:文藝春秋
(2013-04-12)

読むべき人:
  • 鉄道好きな人
  • 自分自身に個性がなく、からっぽだと思っている人
  • 何かしら内面に問題を抱えている人
Amazon.co.jpで『村上春樹』の他の作品を見る

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考える生き方

考える生き方
考える生き方 [単行本(ソフトカバー)]

キーワード:
 finalvent、仕事、家族、沖縄、人生
いわゆるアルファブロガーと称されるfinalvent氏の人生観が示されている本。以下のような目次となっている。
    はじめに
  1. 第1章 社会に出て考えたこと
  2. 第2章 家族をもって考えたこと
  3. 第3章 沖縄で考えたこと
  4. 第4章 病気になって考えたこと
  5. 第5章 勉強して考えたこと
  6. 第6章 年をとって考えたこと
(目次から抜粋)
finalvent氏は極東ブログで政治のニュースや歴史の話、書評やたまに料理などの記事を精力的に更新されている。僕も読んでいるけど、ときどき政治の話とか難しくてよく分からないときがある。しかし、この本はそんなことはなかった。読みやすかった。書いてあることは目次にある通りで、一言で言えば著者のこれまでの55年の人生について。からっぽで失敗の人生だったと自ら評してはいるけど、考えていけば何とかなるというようなことが示されており、気軽に読める本だった。
 他者の評価なんてどうでもいいとまで超然とすることはないが、自分の人生はこういうものだったんだなという、人生の意味の組み替えは自分なりに考えていけばなんとかなる。
 人生は、成功はしないかもしれないけど、考えていけばなんとかなるんじゃないか。
 なんとかなって、日々、それなりに生きている実感みたいなものを考えて見つけていけたら、それでいいんじゃないか。そうした思いを書いてみたい。
(pp.6)
そんな著者のこれまでの人生に起こった挫折と失敗体験、難病を患ったり、結婚したり、沖縄に移住したり、禿てきたことにたいする辛さなどの経験が興味深く示されていた。

いろいろと線を引いた。それらをすべて示したいけど、それも無理なので、ほんの少しだけ示しておきたいと思う。でもその前に全体的に感じたことを示しておく。

なんとなく、読んでいる途中からデジャヴ感が沸き起こっていた。なんだか自分と性質が似ているのかもしれないなぁと。自分自身の人生は空っぽだったとか、空虚感が常に付きまとっていたり、意外にもプログラマーとして働いていたこともあったり、多発性硬化症という難病を患ったりなどなど、もちろん著者と自分はベクトル値は全然違うのだけど、方向性は似たものを感じた。

例えば、著者がICUの大学院生を辞めるころ、離人症のようになって精神的におかしくなってしまったというときに、カウンセリングに通ったらしい。そして、以下のように考えていたらしい。
 私の存在について誰も意味も感じていなかったと思う。こう言うことはつらいが、親や恋人ですらそうだった。世の中そういうものだろうと諦めていた。
 だから、しかたなく、本をよく読んでいたのかもしれない。本の作者や主人公が何を考えているか、一生懸命、読みながら理解しようと、彼らに傾聴していくことで、自分に与えられなかったこと、つまり自分を理解するといことを補っていた。
(pp.23-24)
僕の場合は別に誰も自分の理解者がいないとまでは思わなかったけど、それでも自分で自分がよく分からなくなって見失ってしまうから、必死で読書してきたというものがある。大学生のころからそうで、社会人になって余計に訳が分からなくなって、だからこんな読書ブログを始めて、結果的に今まで継続することにもなった。

また、著者は4人目の子供が生まれるころに、多発性硬化症を患ったらしい。この病気は難病指定で、治ることなく、治療法もないらしく、発覚当初、人生、終わったなという感じがしたらしい。そして難病になって、心が豊かになったということも、人間的な成長も特に感じなかったけど、難病者という視点から世界や人間関係を見られるようになったという部分などもなるほどと思った。こういう部分も割と自分と似ているなぁと思った。もちろん、程度の差はあるのだけど。

本書で示されていることがすべてが手放しで共感できるということはない。結婚して、子供も4人いて、アルファブロガーとしてネット界に認知されていて、さらに難病発症時に支ええてくれる家族がいて幸せだと明記しているのに、自分の人生はからっぽで失敗だった、と「はじめに」に書いてしまう部分などは、それはどうかと思ったり。きっと読んだ人の大部分はそこに突っ込みたくはなるだろう。でもこれらは客観的に他人がどうこう言える部分でもないんだろうなと思う。そういう主観的なものは、きっと本人にしか分からない領域があるのだと思う。それは僕も同じ。

他には著者の勉強観などが参考になった。ICU卒という背景から、英語の学習法とかリベラルアーツの重要性などなど。著者が何に興味関心を持って勉強してきたのかがよく分かり、そしてそれが極東ブログの記事に色濃く反映されているのだなと思った。リベラルアーツ教育の一つの要素として、文学を学ぶ重要性が以下のように示されていた。
 恋愛などをうたいあげる文学はえてして若い人のように思われているが、文学が本当の意味をもつのは、むしろ仕事に脂がのる30代、40代からだ。仕事もできて世の中のお金も動かせるようになり、性的にも成熟したとき、若い日とは違う恋愛に出会うこともある。きれい事ばかりではすまない人生のなかで、ふと悪に手を染めることもある。友だちを裏切り、死に追い詰めることもあるかもしれない。人間が生きているかぎり、どうしようもない問題と、その背後に潜む妖しいほどの美がある。それに真正面からぶつかっていくには、文学を深く理解する力が必要になる。安っぽい道徳や単純に信仰だけを強いるような宗教では乗り越えられはしない人生に残るのは、人間の学たる人文学である。
(pp.250-251)
なるほどねと思った。結局、自分自身、家族とか地域のコミュニティ、会社、国家と枠を広げていっても、それらを構成するのは人なのだから、人に対する理解が重要なんだなとも思った。でもそこまで気負って文学作品を読まなくてはならないということもないけどね。

人生って何だろうと昔から考え続けてきたから、自分より長く生きてきた人の人生観はとても参考になる。ただ、現在29歳という年齢で著者ほど長く考え続けてきたわけではないけど、自分なりに言えることは、人生は考えるため「だけ」にあるわけじゃないということ。もちろん随時考えることはとても大切だけど、それだけではなく、ちゃんと日々を生きるということが大切なんだなと思った。つまり、考えているだけで、過去に思いを巡らせて後悔したり、未来をいかに生きるべきかということだけを考えすぎて、今を生きていないのはよろしくないなということ。とても抽象的な話ではあるけれど。

自分の人生って何だろう?と考えたい人にはいろいろとヒントになる部分が多い。ただ、答えはどこにも書いてない。当たり前だけど。



考える生き方
考える生き方 [単行本(ソフトカバー)]
著者:finalvent
出版:ダイヤモンド社
(2013-02-21)

読むべき人:
  • 自分には何もないと思っている人
  • 難病を患っている人
  • 自分の人生について考えてみたい人
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April 21, 2013

自分の仕事を考える3日間 I

自分の仕事を考える3日間 ・I
自分の仕事を考える3日間 ・I [単行本(ソフトカバー)]

キーワード:
 西村佳哲、仕事、働く、生き方、自分
2009年に奈良県立図書情報館で開催された「自分の仕事を考える3日間」という名前のフォーラムの内容が書籍になったもの。目次は省略し、詳細については過去のイベントのページを参照。まえがきで著者の仕事観とこのフォーラムのきっかけになった部分が示されているので、その部分を抜粋。
 仕事とは特定の職業や職能ではなく、自分の中心から生まれてくる力を「働き」にして社会化する、ひとつのつながりの営みだ。
 その仕事を、ただお金を得たり、人から与えられたり、周囲の期待に応えることだと考えている人もいると思う。書店へ行くと、それを少しでも創造的かつ主体的にやりましょうとハッパをかける、ビジネス系の自己啓発本が山のように積まれている(ように見える)。よりよく働きたいという気持ちを悪くいうつもりはないが、上手くやりたいとか賢くやりたいという気持ちは、向上心のようで、裏を返せばコンプレックスや強迫観念とも紙一重だ。それにどんなに上手く働けるようになったところで、自分の中心と繋がっている感覚が得られない限り、人は心からは満足しないし、「なんか違う」とか「もっとよくしたい」という飢えもなくならないんじゃないか。
 「よりよく働きたい」ということより、「より自分でありたい」とか「もっと自分になりたい」という気持ちの方が、わたしたちの願いの中心に近いんじゃないかな…ということを思う。どうでしょう?
(pp.006-007)
ということで、集まった人が互いに考え合えるような場としてフォーラムが開催されたようだ。また、ゲストには仕事や働き方について「論」ではなく、以下のことを話として伺ったらしい。
  1. 自分にとって<自分の仕事>とは?
  2. 自分は何を大切にしてきたか/してゆきたいか?
ゲストは農業をやっている人やお寺の住職、飲食店経営者、作家やアート系の人など様々で、読んでいていろんな仕事観があるのだなぁと思った。内容についてはあんまり示さず、<自分の仕事>というテーマから、僕の個人的な考えを簡単に示しておくことにする。

本書のテーマのように、ただの『仕事』ではなく、『自分の』という形容詞がキーとなる。僕の職業はSEであるのだけど、それはきっと自分の仕事を表していることにはならない。客観的な言葉で、職種を説明するには分かりやすい。しかし、そこにはやはり、自分のこととして表面的な職業以上のものが内包されているわけではない。

僕はコーチングを月一で受けているのだけど、最近は自分の仕事、働くことについて考えるようにしている。それと同時に、やはりこういう他の人の仕事観の参考になるような本を読んだりして考えるのだけど、まだはっきりとしたこれが「自分の仕事」だと自信を持って言える状態ではないなと。まだ不安定で漠然としているような状態。まったくないわけではないのだけど、輪郭も大きさもぼやけているイメージ像が頭の中にあるような感じ。

実質もう就職してからSEとして8年目くらいになって、会社も基本的に変わることはなく、職業も大きく変わっていることはない。それでも今は6つ目のプロジェクトで、それぞれのお客様の業界、そこでの自分のロール、技術領域などはそれぞれ異なっていた。しかし、振り返ってみて、そこに一貫した【自分の】仕事はあったのだろうか?何を持って【自分の】仕事と言えるのだろうか?という疑問が残る。

【自分の】というからには、自分が当事者である必要があって、それが僕には少し欠如しているような気がする。もっと分かりやすく言い換えれば、受動的に仕事をしていたのか、それとも主体的に仕事をしていたのかの違いだろうなと。間違いなく今までの自分の仕事は前者に近いだろうと。

もちろん、職種と会社まで受動的に決められたわけではないけど、それでも実際に働き始めてみると、プロジェクト先のアサインは自分の希望とは関係なく決められ、そこでの目の前のタスクをこなすので精いっぱいで、スケジュール間がきつくて残業もするのは嫌だから余計な仕事はしたくないとか今でも思っていたりするし。最近はそれではあまりよろしくないのだろうなとは思うのだけどね。

主体的に働くのは、案外難しというか、どういう状態になれば自分は主体的に【自分の】仕事として働けるのかの具体像がきっとまだ確立されていないのだなぁと思った。これが確立できたとき、【自分の】仕事として自信を持って語れるようになる気がする。

また、【自分の】という所有格的な意味合いから、自分がやり遂げた成果、実績も重要な要素である気がする。他の人の貢献があまりにも大きく、自分が関わった部分が少ないと、【自分の】とは言えないでしょう。今までの仕事を振り返って、これが自分の貢献度、成果であると自信を持って言えた部分はあったのだろうか?全くないわけでもなく、例えばひとつ前のプロジェクトである計算ロジック機能はまるまる自分が担当した。でもまだ、自分の生き方も含めた仕事観を体現しているとは言い難い。

うむ、考えてみるとなかなか難しいものだね。とはいえ、『自分はXXの専門家です!!』と自信を持って言えるようになりたい。XXの部分は例えば、データベースとかネットワークとか、C#とか金融業務の知識とかCRMとかERPとかいろいろ当てはまる。それらが自分の仕事につながるかは分からないけど、少なくとも今以上にぼやけた輪郭がはっきりするはず。

あと、もう一つのテーマである、『自分は何を大切にしてきたか/してゆきたいか?』はどうだろうか。細かい部分で言うと、設計書やコードは分かりやすくする、なるべく自分だけではなくチームの補助になるような成果物を作成するなどかな。でもそれが自分の仕事であることとどうリンクするのかはまだよく分からない。

いろいろと考えてみるけれど、まぁ、そんな簡単には分かったら苦労しないわなと思った。もっと継続して考えなくてはだな。

本書は3冊シリーズ化されている。あと2冊積読状態なので、そのうち読んでまたいろいろと考えたい。

著者の本は独特の空気感があって、問いは示すけど、明確な答えなどは示さず、そしてあまり説教臭くなく、自分はどうだろうと?考えさせてくれるような本。そういうのが割と好きかもしれない。以下同じ著者の読んだ本。来年30歳を迎えるにあたって、今年1年もまた【自分の仕事】をテーマに考えていきたいところなので、しばらく同じようなテーマの本が続くかも。



自分の仕事を考える3日間 ・I
自分の仕事を考える3日間 ・I [単行本(ソフトカバー)]
著者:西村 佳哲
出版:弘文堂
(2009-12-22)

読むべき人:
  • 仕事について考えてたい人
  • 就職活動中の学生の人
  • 自分の生き方まで考えたい人
Amazon.co.jpで『西村佳哲』の他の本を見る

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April 15, 2013

【祝】ブログ7周年雑感

今日、4月15日はちょうど2006年のブログ開始から丸7年経過した日となります。7周年というやつです。

始めた当初はこんなに続くとは思っておりませんでしたが、結果的に続いた感じになります。

読者歴の長い方はすでにご存知かと思われますが、このブログの始まりのきっかけそのものは全然ポジティブなものではなく、8年前、22歳の時、社会人になりたてのときに父親との急な死別と自分自身の腎臓病発覚という状況からのスタートで、最初の記事はすがるように書いておりました。

最初の1ヵ月くらいは病院のベットの上から更新していたのは懐かしく思います。

7年以上続けることを目的に更新してきたわけではありませんでした。しかし、更新し続けなくては健全に生きられないという危機感というか切羽詰まったものが常にどこかにあったと思います。22歳の4月、希望ともに新生活がスタートすると思っていたら、人生のどん底に落とされたような状況でした。強烈な死生観を自分自身に植え付けられ、さらに病という制約条件を背負うことになり、学生時代に思い描いていた未来をどうやら生きられそうにないと悟り、そこから必死でどうやって生きていくべきか?ということを考えてきた軌跡として、本を読んで考えて、自分の思考(志向/嗜好)をこのブログに整理して書いてきたのだと思います。

なので、このブログは一般的なネット上に渦巻く書評ブログとは趣向が異なっていると思われます。どこがどう違うのかは自分自身よりも定点観測していただいている読者の方がよくご存知かと思われます。僕は別にこのブログで何か大きなことをやろうとはあまり思っていないし、どちらかというと私的なままで書きたいように書ければよいかなとも思います。それが続いたコツなのかもしれません。

社会人になってから丸7年で読んだ本はほぼ9割9分このブログに反映されていると思われます。右のサイドバーの書評総数は683冊とそれなりの数になったなぁと思います。もちろん、もっと更新頻度の高い書評ブログもありますが、誰かと勝負しているわけでもないし、更新のための更新はしないというポリシーもあるので、結果的にこのような数になったという感じです。なので、更新頻度も気まぐれになりますが、それが継続のコツだったのかなとも思います。

あと、余談で去年も同じことを書いてましたが、このブログのタイトルに『賢者』と仰々しいものをつけておりますが、これはドラクエ的な職業に憧れたということでもなく(もちろん上級職としては好きだけど)、ちゃんとした由来があって、それは単純に自分の実名が『賢(さとし)』だからでもあります。だから、リアルで知っている人などは全然賢者じゃなくね!?と思われるかもしれませんが、まぁ、大目に見ておいてくださいw

たまに自分の過去の記事を読み返してみますが、これは本当に自分が書いたのか?と思ったりします。妙に気取っているなとか、とても過去の自分が書いたとは思えないほど自分でもまともに書けているなというものや、今から振り返ると恥ずかしい記事もあったりします。それでも社会人になってからずっと書いていたので、自分の成長過程がとてもよく分かって書いておいてよかったなぁと思います。これはある意味かなり練った自己分析のようなものでもあります。(さらに余談ですが、今年社会人になった人や転職したばかりの人は、facebookとか投稿が流れて行ってしまうようなSNSよりも蓄積できるブログを書いておくとあとでいいことあるかもです。)

最近はちょっと仕事が忙しくて読書すらあんまりできていないので、2ヶ月ほど放置気味なのですが、そろそろまた更新リズムを取り戻したいなと思います。(しかも今日は朝出社したはいいけど、10時半ごろから急に頭痛と吐き気があって早退して寝込んでましたが何か?w)

僕にとっては読書というのは好きという以上のものがきっとあり、そして書くことも好きという以上に執着があるほうなので、よほどのことがない限り、このブログを辞めるということはないと思います。忙しかったり、書く気力がなかったりする場合は、どうしても更新頻度が下がったりすることはありますが。

また、どういう人がこのブログの読者なのかなという単純な興味関心があって、リアルに読者の方との対面の場としての7周年記念パーティーみたいなのをやったら面白いかなぁ〜と数か月前から考えておりましたが、このようなパーティー!?に参加したいという人はおりますかね?まぁ、パーティーと言っても、どっかの飲み屋で10人程度の人数で本を基本に好きなことを語り合う会みたいな感じです。実際にやるかどうかは分かりませんが。結局参加者が誰もいなくて一人で行きつけのBarで粛々と飲むだけのような気もしますがwそれでも参加したい!!という方がいればコメ欄などにどうぞ。

このブログがどうなっていくのかは自分でもわかりません。それでも自分自身が読んで考えるということを放棄しない限り、そして健全に生きている限りは続くのだろうなと思います。

ということで、定点観測して更新を楽しみにしていただいている読者諸氏におかれましては、今後ともよろしくお願いします

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