December 2013

December 31, 2013

【ネタ記事】2013年のベスト5!!

今年も残すところあとわずかとなったので、一応毎年恒例の年間まとめ記事を更新しておこう今年は時間がないので、全記事リンクはなし。

ちなみに、去年の記事は以下。

今年は31作品(分冊になっているものは1冊としてカウント)しか読めなかったな。去年は38冊だった。

さて、今年ベスト5を挙げておこう。

第5位

夏ごろに読んだ青春小説。もっと早く読んでおけばよかったなと思った。思春期っていろいろあるよね、そのいろいろあるわだかまりが解けていくのがいいなと思った。第4位
都市と都市 (ハヤカワ文庫SF)
チャイナ・ミエヴィル
早川書房
2011-12-20

SF小説で、一見SFっぽくない緻密な架空の都市設定がスゴかった。ミステリー調から次第にSFっぽくなり、2つの都市とその監視組織が出てきて、警部補である主人公が殺人事件の謎を解いていくのが面白かった。第3位
密会 (新潮文庫)
安部 公房
新潮社
1983-05

これも主人公が翻弄されていくタイプの作品で、描写が他のどの作家よりも圧倒的にスゴい。不気味で異様な雰囲気なのだけど、リアルにその情景がイメージできてしまう。そして気づいたら主人公と一緒に物語に嵌まり込んでいる感じとなる。第2位
単純な物語の面白さだけを取り上げるなら、これが今年No.1に面白かった。エンタメ要素が強いが、巻数を重ねるたびにページがとまらなくなっていき、魅力的なキャラも豊富に出てきて、最後はラスボスと対決するような、RPG要素が強い作品。スゴ本オフ経由で知った作品。第1位
悪い娘の悪戯
マリオ・バルガス=リョサ
作品社
2011-12-23

さっき読了したのだけど、これは圧倒的だった!!壮大な世界観で面白くかつ最後には感動があった。一人の男が裏切られ、傷つけられながらも悪女に一生惚れ抜いていく話。なんというか、世界文学の圧倒的な力を体感した、そんな感じだった。また、一人の作家を追って作品を読むということはあまりしたことはないのだけど、バルガス=リョサの作品は全部読もうと決意した。これは年明け5日までに即効で読んでおくのもあり。

取り上げたのがすべて小説となったのは、意図的に読んだという部分もあるのだけど、どちらかというと仕事が忙しくて気分転換的に読んだという側面が強い。しかし、その結果当初今年の目的であった技術書をたくさん読むということはできなくなってしまった。そのトレードオフの関係が今後も付きまとって、どうしようかなぁと思うところで。

来年も読了冊数はそんなに変わらないかもしれないが、来年は技術書と小説をメインで読んでいこうかなと思う。本当は科学とか経済、歴史の本も読みたいのだけど、分散しすぎると理解がおぼつかないし、仕事に支障が出てしまうので。来年はより選択と集中で読んでいく予定です。

ということで、2013年の読んだ本振り返り記事でした
今年もお疲れ様でした。また来年

(・∀・)

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悪い娘の悪戯

キーワード:
 バルガス=リョサ、悪い娘、よい子、友情、愛
ペルー出身のノーベル文学賞作家による恋愛小説。あらすじの代わりに目次を示しておく。
  1. 第一章 チリからやってきた少女たち
  2. 第二章 孤高のゲリラ兵
  3. 第三章 スインギング・ロンドン、馬の肖像画家
  4. 第四章 シャトー・メグルのタルジュマン
  5. 第五章 声をなくした男の子
  6. 第六章 防波堤造りの名人、アルキメデス
  7. 第七章 ラバピエスのマルチェラ
(目次から抜粋)
先に結論を示しておこう。本当に面白くてかつ読後の心地よさは最高だった。稀有な作品で、今年読んだ中で断然No.1で、そして今まで読んだ小説の中でもベスト5には確実に入るだろう圧倒的なスゴ本だ!!

バルガス=リョサはペルー出身のノーベル文学賞作家で、今年『緑の家』を読んだ。『緑の家』は特殊な物語構造もあって、正直いまいち没頭できなかったし、わけが分からず消化不良に終わった。しかし、本作品は恋愛小説で、割と読みやすく、あらすじもそんなに難しくない。大雑把に単純化するなら、一人の男が15歳のときに出会った女に惚れて、一生その女を愛しながら裏切られ、苦しめられ、翻弄されていくというお話。ただそれだけの話なのだけど、圧倒的な物語の深さ、そして愛が描かれていた。

7章構成となっており、それぞれの時代と舞台が異なっている。1章は1950年代のペルー、主人公リカルドは15歳で、のちにニーニャ・マラ(スペイン語で『悪い娘』の意)の愛称を持つようになる少女、リリーと出会う。

2章は1960年代前半のパリで、カストロによるキューバ革命に触発されてペルーにも社会主義的な革命を起こそうとする友人が出てくる。そこで、かつて惚れた少女リリーが同志アルレッテと名前を変えた状態で主人公(30歳くらい)の前に現れる。

3章は1960年代の後半のロンドンで、主人公は35歳くらいとなっている。かつての同郷の友人がロンドンの競馬界で競走馬の画家として活躍するいっぽう、自分の元を離れ去ったあの女が上流階級の婦人の座に納まっている。また名前を変えて。

4章は1970年代の東京が舞台。またしても主人公リカルド(38歳)から去った女を追いかけて、通訳の仕事仲間を通して東京に向かう。4章のタイトルとなっているのは『シャトー・メグル』と呼ばれる名のラブホテルのことで、『タルジュマン』は古代アラブ語で”仲介者”という意味。かつての女は日本人になりすまし、ヤクザの愛人になっている。

5章は再びフランスはパリ。4章から約2年後。タイトルは、自分の家のアパートの隣人である、夫婦の養子がしゃべれない男の子を示す。もうかつての女を愛するのは辞めたと決意し、かかってくる電話も無視していたはずなのにまた出会ってしまう。偽造パスポートを持ち、身分が安定しない状態で。

6章は80年代初めのペルー。主人公は40代後半で、そこで魔術的な力で防波堤の設定場所を探り当てる老人と出会う。

7章は80年代半ばのスペインのラバピエスという都市で、主人公は54歳くらい。かつて愛した女は・・・・。

各章で何がどうなったかは、もちろん詳しくは書けない。各章で共通しているのは、主人公リカルドが一人の女に病気のように惚れているのだけど、『ニーニャ・マラ(スペイン語で「悪い女」の意)』という愛称で呼ばれるその女は決して主人公の愛の言葉にも本気で受け止めず、一度も主人公のことを『愛している』は言わず(しかし肉体関係は終始ある)、ある日突然主人公の目の前から姿を消して金のある上流階級の男に鞍替えしている。そのたびに主人公は深く傷つき、苦しみ、もう二度とあんな女など相手にするものか!!この対処法には通訳の仕事に没頭するしかないと忙しい日々を過ごす。そして忘れたころにまたふとそのニーニャ・マラに出会ってしまう。トラブルを引き連れて。

主人公はニーニャ・マラとは間逆で、夢はパリで平穏に暮らすことという、これといった野望もない平凡な男である。しかし、ニーニャ・マラへの愛は一生変わらず、一途で時折ニーニャ・マラに対してくさい愛の言葉をささやいてもいる。その言葉にまんざらでもないでもないニーニャ・マラは、主人公のことを『ニーニョ・ブエノ(スペイン語で「よい子ちゃん」)』の愛称で呼ぶ。何度もだまされて、裏切られるたびに、もう目を覚ませと自問自答し、愛情よりも憎しみが増していくが、それでも悪戯っぽい笑顔を持ち、濃いハチミツ色をしたからかうような瞳を持ち、東洋人の血が少し混じった、そして美しいニーニャ・マラを想い続ける主人公に胸を打たれる。

この作品のすごさはもちろんその主人公の一途な恋愛的な部分なのだけど、やはり各章の舞台と時代の描写がスゴいに尽きる。大体の都市は著者が実際に暮らしたことのある都市らしく、その時代の背景がリアルに描き出されている。特に著者の出身地のペルーに対する憂いのようなものは終始主人公のおじさんの視点を通して描かれているような気がした。この時代背景の描写の部分だけでも本当に秀逸で、勉強になる。実在の文化人、著名人、政治家の名前、文学作品や哲学書も随所にリアリティを伴って出てくる。

また、本作品のテーマは『愛』であることは間違いなく、同時に『友情』も描かれている。各章が独立した短編小説のような構成で、主人公とニーニャ・マラは変わらず出てくるが、それ以外の登場人物は主人公の友人として章ごとに異なって出現する。その友人たちは主人公を翻弄するニーニャ・マラとは違い、主人公の助けになってくれたりする。そういう視点を通して、各章が上質な短編小説のようにも読める。

政治不安定で軍部が政治を掌握しつつあるペルーから脱出するようにパリに移り住み、通訳、翻訳家として近隣諸国を飛びまわりつつ仕事をするが、どこかで自分はよそ者に過ぎないと思っており、友人とニーニャ・マラと出会いと別れを繰り返しながら15歳から60歳くらいまで年をとっていく。どこか孤独な根無し草のようで、狂った愛に走る主人公は果たして愚か者だろうか?それでも、一人の女を心底惚れぬいた男の一生は、ある意味幸せだったのではなかろうか?と思った。この作品には一人の男の愛の一生が描かれていた。

本書は誰かにお勧めされたものではなかった。たまたま今年の秋ごろに西新宿のブックファーストでラテンアメリカ文学フェアをやっているところで発見した。そのときに『緑の家』は読了済みで、バルガス=リョサの作品が他にも何冊か置いてあった。カバーの絵は『ユリシーズに杯を差し出すキルケ』という作品らしく、ハードカバーで400ページ超の分厚い作品だ。値段をみると2,800円で、買うのはかなり躊躇した。『緑の家』が分かりにくかったというのもあったので。

Amazonでの評価を確認し、タイトルと帯にあった『壮大なラブストーリー』の文句に惹かれて、背伸びし、自分を鼓舞するように買って積んでおいた。そして、年末年始の読書として世界観が広がるもの、人生を考えられるものを読みたいと思って、なんとなくこの作品を読み始めたら、当たりだった。いや、『当たり』という表現は的を射ていない。『僕は、本屋で光り輝く黄金を掘り当てたのだ』と。

Amazonの在庫は現在では残り2冊らしい。大型書店に行ってもこの作品は置いてある可能性は低い。初版は2012年と去年なのだけど、よほど海外文学、とりわけラテン文学に注力を入れている本棚を持つ書店に行かないと手に入らないかもしれない。もし見つけたら(もちろんAmazon経由でもいいのだけど)、すぐに買って積読することなく以下の一文から始まる物語を読んでほしい。
 今振り返っても、あんなにいかした極上の夏はなかったな。
(pp.6)
読み始めたらページがとまらなくなるだろう。そして徹夜するかもしれない。ラストシーンで感動のあまり涙を流す人もいるかもしれない(カフェで読んでいてからこらえたけど)。主人公ニーニョ・ブエノに自分を投射するもよし、ニーニャ・マラの悪女っぷりに翻弄されるもよし、とにかくこの本を読んでくれ!!と声高に勧めたい圧倒的なスゴ本だった。



悪い娘の悪戯
マリオ・バルガス=リョサ
作品社
2011-12-23

読むべき人:
  • 壮大な恋愛小説を読みたい人
  • 悪女の自覚のある人
  • 一人の女を思い続けている人
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December 26, 2013

ぼくは猟師になった

キーワード:
 千松信也、猟師、山、命、生きる
猟師となった著者による猟師を始めてみました、というような本。概要は以下となる。
木についた傷や足跡からシカやイノシシの気配を探る。網をしかけ、カモやスズメをとる。手製のワナをつくる。かかった獲物にとどめをさし、自らさばき、余すところなく食べ尽くす――。33歳ワナ猟師の日常は、生命への驚きと生きることの発見に満ちている。猟の仕方、獲物のさばき方から、日々自然と向き合う中で考えたことまで。京都の山から生を見つめた若者猟師の等身大の記録。
(カバーの裏から抜粋)
著者の本業は運送会社の仕事ではあるが、京都の山のふもとのアトリエのような家に住みながら、山に行ってはワナを仕掛けてイノシシやシカを獲って自分でさばいて食べたりする。そんな著者によって、具体的な動物の捕獲方法、猟師になったきっかけ、なり方、さばきかた、調理法まで写真、図解付きで示されている。

著者はプロの猟師ではなく、獲った獣肉をどこかに卸して販売しているわけではない。「自分で食べる肉は自分で責任をもって調達する」ために猟をされているので、本業の運送会社の仕事の合間にワナを仕掛けに行って猟をしているようだ。ではなんでそもそも猟師になろうと思ったのか?そこが一番個人的には気になるところだった。

著者は子どものころから虫や小動物を飼っており、将来は獣医になろうと思っていたらしい。しかし、大学受験の直前に車にはねられた猫を見かけてから、獣医は向いてないと進路を変更する。そのときに柳田國男の『妖怪談義』で自然とのかかわり方に興味を持ち、京都大学の文学部に進学することになる。

そこからすぐに猟師になるわけではなく、大学を4年休学して世界を放浪して帰ってきた後に生活費を稼ぐために運送会社のアルバイトを始める。そこの従業員で現役の猟師の人がいて、中学のころから猟にも興味があったので、話を聞くうちに関心が増し、実際に狩猟免許を取得し、山の近くの家に住んで猟を始められたようだ。

プロの猟師ではないと自認していることもあり、趣味みたいなものかなと思った。なので、本書を読んでいると狩猟そのものやイノシシ、シカの解体などに論点、考えが行きがちなのだけど、個人的には本業とは別に好きなことをされていて、なんだかとてもうらやましいなぁと思ったのが一番大きい。なんだかとても楽しそうだなと。もちろん、イノシシに襲われて怪我をしたりする危険性もあるし、さばくのも一苦労らしいのだけどね。

散弾銃ではなく、ワナをしかけて獲物をとるワナ猟が著者の専門で、山での獲物はシカ、イノシイがメインで、水田では鴨やスズメを獲る。休猟期の春先には山でワラビやフキノトウなどの山菜を取り、桜やクワなどの実を使って果実酒を作ったり、夏には渓流でアユ、イワナを獲り、琵琶湖ではコアユを獲り、別の川でウナギを獲って食べたりする。なんとも贅沢な食生活だなぁと思った。もちろん、自分で獲るという仕事、労力が発生するのだけど、自分で獲って自分で食べる醍醐味がふんだんに示されている。

写真付きでシカとイノシイの解体の様子が示されている。逆さにつるされて、体を裂かれて内臓が飛び出していたり、頭部などをノコギリで切ったり。ナイフが刺さっている状態の写真もあって、やはり少しは残酷だなと思う。しかし、それが小分けに解体された肉塊になっていく写真を見ると、自然と残酷さは消えて、おいしそうという感覚が勝っているのに気づく。イノシシの牡丹鍋やばら肉のベーコンの写真は本当においしそうで、食べたくなってくる。

狩猟は残酷か?』という節に著者の考えが示されているので、一部抜粋。
 動物の肉を食べるということは、かなりの労力を費やす一大事です。ありきたりな意見ですが、スーパーでパック詰めの肉が売られているのを当然と思い、その肉にかけられた労力を想像しなくなっている状況はおかしいと思います。誰かが育てて、誰かがその命を奪い、解体して肉にしているのです。狩猟は残酷だと言う人がよくいますが、その動物に思いをはせず、お金だけを払い買って食べることも、僕からしたら残酷だと思います。
 自分で命を奪った以上、なるべく無駄なくおいしくその肉を食べることがその動物に対する礼儀であり、供養になると僕は考えています。だからこそ、解体も手を抜かず、丁寧にやります。獲れた肉をなるべくおいしく食べられるように工夫もします。
 なにより自分でこれだけ手をかけた肉は本当においしいです。こんなにうまい肉が一晩でこんなに大量に手に入るなんて、狩猟以外ではあり得ないことです。ちなみにイノシシの肉は買えば100グラム千円以上する場合もあります。
(pp.107,112)
無駄なく使えるものはすべて使うというのは終始一貫されており、動物の皮をなめしてバッグまで自作されていたりする。残酷かどうかは、実際に自分で獲ってさばいてみるということをやってみないと何とも言えないものだなと思った。いつか機会があれば、僕も実際に獲ってさばいて食べてみるという経験をしてみたいと思った。そしたら本質的に食べて生きていくとはどういうことか?がより経験的に腑に落ちるのかもしれない。

本書はスゴ本オフの『山』のテーマの時に頂いた。読む前は狩猟については漫画とかテレビの世界でしか知らずに、残酷なイメージが多かったのだけど、残酷さだけが狩猟の本質ではないのだなということがよく分かった。

また、本書は様々な観点から興味深く読める。例えば、動物そのものの命、食べること(グルメ)、山(自然)、仕事、生き方、豊かさとは?などなど。個人的にはやはり『食べる』、『生き方』という観点から興味深くかつ面白く読めた。




読むべき人:
  • 狩猟に関心がある人
  • 好きなことをして生きたい人
  • 食べること、生きることを考えたい人
Amazon.co.jpで『千松信也』の他の本を見る

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December 23, 2013

なんのための仕事?

キーワード:
 西村佳哲、仕事、デザイン、対話、出会い
働き方研究家による仕事についての考えやインタビューが示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 自分は
  2. 第2章 なんのために働くのか
  3. 第3章 出会いを形に
(目次から抜粋)
この目次だけでは本書の全体像が把握できないので、概要を補足しておこう。本書の執筆当初は副題として「デザインを通じて考える”仕事”のあり方」だったようだ。デザインは著者の専門分野で、大学でデザイン教育もやっており、「デザインってこんな仕事なんですよ」という紹介をしようとされていたらしい。しかし、執筆開始後に3.11の東日本大震災が起こった。

仕事を通して自分の居場所を感じられるようになりたいと思う人が多いが、実際には行政や企業には意味が感じられない仕事も少なからずあったりする。そこで、デザインを一つのモチーフに仕事のあり方をめぐって一種の告発をしたい気持ちがあったらしい。しかし、震災以後にそういう憤りの気持ちもなくなって、”デザイン”ではなく、自分自身のことを示さなくてはいけないと思い、著者がどんな仕事をしてきたか?、その中でいったい何を大切にしてきたのか?を自分自身に問いかけることから本書は始まっている。

今年は自分の仕事について考えるということを一つのテーマとしてきた。なので、今年は同著者の本を何冊か読んできた。著者が自分自身に問いかけた二つのことは、奈良県立図書館で開催された「『自分の仕事』を考える3日間」というフォーラムでの問いと同じとなる。よって、第1章は著者自身の話ではあるが、2章以降は以前取り上げた上記3冊と似た構成で、著者の知り合いのインタビューがメインとなっている。前作と違うのは、インタビューで取り上げられている人はみなモノづくりやデザイン系の人ばかりだということだ。そこは本書の当初のコンセプトに従っているのかもしれない。

インタビューされている人は、デザインスクールを作った人、元アップル本社のデザイナーだったが、京都でカフェを自作した人、ソニーなどのメーカーでプロダクトデザインをしていたが、保育園のスタッフとなり、保育園の本棚、ベンチから保育園全体をデザインする人だったり、新潟を拠点として友人同士でデザイン会社を作った人など。

著者がなぜデザインの仕事をするに至ったのかという部分が参考になった。高校生くらいから個人やサークルが作った映画上映会に通い、次第にそこの仕事を手伝ったりするようになる。そこで出会った「自分で考えたことをやる」、「好き好んで働いている人」たちに触発されて、美大のデザイン科に進学する。そして、就職してから30歳くらいに独立され、今では本などを書く仕事、大学で教える仕事、ワークショップ的な場づくり、デザインやモノづくりの仕事を手掛けられているようだ。前作までこの著者の経緯があまり示されていなかったので、分かってよかった。

著者の仕事観が示されている部分がある。著者の奥さんと二人で独立して3年たったころに友人に語ったこととして、以下のように示されている。
「仕事っていうのは興味があることに取り組めて、一緒に働いてみたい人と経験を共有出来て、上手くいけばお金ももらえる。自分のためのプレゼントのようなものだと思う」
(pp.021)
へーと思った。プレゼントなんだって。プレゼントというものはもらってうれしいものだったりするからね。仕事はそういうポジティブな面が多いという捉えられ方だなぁと。自分の興味があることではないと、こうは考えられないだろうなぁと思った。嫌な仕事、興味がない仕事だときっと苦行になってしまうだろうね。

本書のようなデザイン業界に限らず、世の中にどういう仕事があって、その仕事になぜ就いたのか?そして何を意識して仕事をされているのだろうか?ということに関心があったりする。別に隣の芝は青い、羨ましいということではなく、単なる好奇心と自分の仕事にも共通する部分はあるのかということや、自分の仕事にも活かせることはないかなと期待して読んだりする。本書はデザイン、モノづくりという観点から割と似た部分もあったし、全く違うなぁと思ったりする部分もあった。

何というか、自分の日々の仕事に追われていると、職業上の慣習、会社風土、自分の今までの経験などにとらわれすぎて、視野が狭くなったりする。そういうときにふと仕事ってなんだ?と考えたりして、堂々巡りをしたりして、嫌になったり苦しくなっていくこともある。そういう時に一歩引いて、視野を広げて他の業界、人、働き方を参考にすると、そんなに気負わなくてもいいし、いざとなったらその仕事を辞めて他のこともできるんじゃないかと思えるし、仕事をしていくうえでのヒントが得られたりもするんじゃないかなと思った。



なんのための仕事?
西村 佳哲
河出書房新社
2012-04-24

読むべき人:
  • デザインの仕事をしている人
  • デザイン系の仕事をしたい就活中の人
  • 自分の働き方を考えたい人
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December 19, 2013

塵に訊け!

キーワード:
 ジョン・ファンテ、作家、青春、熱量、黄金
アメリカ人作家、ジョン・ファンテの小説。

舞台はロサンジェルスで、主人公アルトゥーロ・パンディーニはイタリア系のアメリカ人でコロラド州からやってきて安ホテルに滞在して小説を書いている。パンディーニは20歳の女も知らない駆け出しの作家で、過去に一度短編「子犬が笑った」という犬が出てこない作品が文芸誌に載ったことがある。金もあまりない状態で、近くのカフェバーで出会ったメキシコ人のカミラという女に惚れるが、反発し合ったりする中で途中でカリフォルニアの大震災が起こったり、年上の老いはじめた女から見染められたりしつつもなんとか小説を書いて生計を立てているというお話。

主人公のパンディーニは惚れた女に電報で詩のラブレターを送ってみたり、そうかと思えば履いている靴をダメだししたり、自分の作品が載った雑誌を渡してみても破られたり、海で一緒に泳いだあと、うまくできなかったのだけど、あのときやろうと思えばやれたんだ!!と後悔とともに毒づいてみたりしているw

また、パンディーニの一人称によって、パンディーニの大げさなくらいの喜怒哀楽がよく分かる。書いている初めての小説が永遠の名作になるかもしれないと思い込んでいたり、契約が決まった後に鏡の前で拳をふって、諸君、偉大な作家を見てみろ!と言っていたりする。現実にそういう人が身近にいたら若干アレな人かと思われるのだけど、パンディーニ視点を通した間接的な経験から、不思議とそういう自分を信じぬいていくエネルギーのようなものを得た気がする。

まえがきに本作品の著者であるジョン・ファンテを敬愛するチャールズ・ブコウスキーという作家が『あとはこの本を読んでくれ!』と示している。特にその想いが語られている部分を引用しておこう。チャールズ・ブコウスキーが若いころ、作家になろうとして図書館で本を読み漁っていた時の部分。
 俺は大部屋を歩き回り、書架から本を引っ張り出して数行読み、数ページ読み、また戻した。
 そしてある日、俺はある本を取り出して開き、これは、と思った。立ったまましばらく読み続けた。それから、まるでゴミ溜めで黄金を見つけたように、その本を机まで持っていった。文章はページの上を軽快にうねり、流れていた。力のある行が次々と続いた。文章の中身そのものが、ページに形を与えていた。まるで、何かがそこに刻み出されているという感じだった。とうとう目の前に、感情を恐れない男が表れた。ユーモアと痛みが、素晴らしい簡潔さで表現されていた。俺にとって、この本の出だしは野蛮で強烈な奇跡だった。
(pp.4-5)
読みたくなったでしょう?僕は、読んでよかったよ。割と好きな作品だなと思った。また、主人公と同じ20歳くらいの人が読むともっと共感できると思う。

凄く面白いというタイプの作品ではないのだけど、どこか若さゆえの自分自身の過大評価と現実に置かれた状況のギャップに悩みつつも自分を誇示して何かになろうとする、そんなエネルギーが満ち溢れているような感じだった。

ジョン・ファンテの作品では、同じ主人公の『春まで待て、パンディーニ』というものがあるらしいが、まだ翻訳されていないようだ。これも気になるので、そのうち翻訳されるのを気長に待とう。



塵に訊け!
ジョン ファンテ
DHC
2002-10

読むべき人:
  • 20歳くらいの人
  • 精神的な若さを取り戻したい人
  • 小説家になりたい人
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December 08, 2013

日本語の練習問題

キーワード:
 出口汪、日本語、論理力、感性、訓練
受験界のカリスマ現代文講師による日本語の練習問題本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 敬語で誰にでも好かれる人になる
  2. 第2章 主語と述語を「正しく」把握する
  3. 第3章 接続語で文脈力を鍛える
  4. 第4章 感情や意思を伝える表現を身につける
  5. 第5章 五感を言葉に取り入れて表現する
  6. 第6章 擬音語や比喩を使いこなす練習問題
  7. 第7章 総合問題
(目次から抜粋)
著者である出口氏は、大学受験の現代文カリスマ講師として有名で、参考書などでお世話になった人も多いと思います。僕も中学時代の高校受験のころに、初めて著者の読解トレーニングの問題集を買ってやりました。そのときに論理的に読解する基礎の基礎を身につけられたと思います。

著者によれば正しい日本語を使えない人が増加傾向にあり、そして日本語の乱れはそのまま国力の低下を招き、政治の乱れ、果ては日本の危機に陥ると危惧されております。そのため、それぞれ個人が論理力や感性を磨き、正しい日本語、そして美しい日本語を身につけ、より充実した輝く人生を送ってほしいという願いからこの日本語の練習問題が書かれているようです。

日本語の乱れの原因は日本語の構造を理解していないことと日本語の練習問題を行っていないことによるようです。そのため、日本語の構造を理解するには、「正しい日本語(論理語)」と「感性」の二つが重要となり、さらに美しい日本語で書かれた「名文」を読み、日本語の「練習問題」を解く訓練を行えばよいという主張から、問題集形式の本となっております。

僕はそれなりに読書量があるほうなので、正しい日本語を理解している、そして書けていると思っておりましたが、本書を読んでみた結果、それは思い込みに過ぎないと痛感しました。実際に敬語や主語述語、接続詞や助動詞などの問題を解いてみると、案外間違えるものがありました。正しい日本語を文法と言い換えてもよいと思いますが、正しい文法を身につけていないと、正確に読むことはできないということを、以前TOEICのトレーニングで実感しました。

TOEICなどの英語のリーディング問題は、文法が正確に理解できていないと文章問題がさっぱり分からないということになります。逆に文法が分かってくると、速く正確に読めるようになっていくのを実感しました。翻って日本語は、日本人にとっては母国語なので、一見読むことはそんなに難しくないかもしれません。しかし、実際に問題形式で自分の論理力と感性を試してみると、案外自分勝手に読んでいたのだなということに気付かされました。よって、本書のように問題形式である、というのはとてもよかったと思いました。

本書の前半はどちらかというと論理力、文脈力を鍛える問題となっており、後半は感性を磨くための詩や俳句、短歌、オノマトペを用いられた短編作品からの出題がありました。感性問題は論理力問題よりもさらに間違えているものが多く、まだまだ自分の感性も磨く余地がたくさん残されているなと思いました。

なぜ感性を磨くことが重要なのかが端的に示されている部分があるので、引用したいと思います。
 感性を磨くことは、人間や自然、社会に対して、深い洞察力を抱くことに他なりません。ものを見る深さ、鋭さが異なってくるのです。それはその人の人間力、魅力と密接に関わります。表面的な捉え方しかできず、手垢にまみれた言葉で通り一遍の感情を露わにするだけの人間に、私たちはどうしても人間としての深みを感じることはできません。
 豊かな感性は、凡庸な世界を絶えず瑞々しいものへと再構成します。そうした感性を抱いた人間が魅力的でないはずがありません。
(pp.115)
感性を磨く問題として石川啄木の短歌や中原中也の詩、梶井基次郎の短編などが多く取り上げられておりました。最近は翻訳された海外の文学作品、SF小説ばかりを読んでいたので、瑞々しい日本語が自分の中に逆輸入されたような、そんな新鮮さを実感しました。このような感性を磨くような詩、俳句、短歌などにはあまり触れてこなかったので、もう少し美しい日本語で書かれた、名文と評されるような日本文学も読んでいきたいと思いました。

あと、個人的な持論で何度かこのブログで書いたことがありますが、論理力と感性をしっかり持つ、日本語運用能力の高さがそのままプログラミング能力にも正の相関があると思っております。論理力はそのまま条件分岐、ループ処理によって構成された関数、メソッドの理解につながり、まはたクラス、インタフェース、オブジェクト間のやりとり、フレームワークを駆使した設計の全体像の把握の基礎となるのは間違いないでしょう。

感性に関しては、コードの見た目の美しさ、冗長な記述にならないような、つまり保守性につながるはずです。それらの影響はきっとITの分野だけにとどまらないはずです。よって、自分の仕事の能力の基礎の向上を目指して、正しい日本語、美しい日本語の習得が必要なのではないかと思います。

もっと日本語の練習問題を解いて訓練したいと思いましたので、これを機にシリーズ化してくれると嬉しいです。Amazonを見ると『教科書では教えてくれない日本の名作』、『「太宰」で鍛える日本語力』などもあるので、こちらも読んでみたいと思います。

最後になりますが、本書のあとがきを読んで、なぜこの本が書かれたのかがよく分かりました。本書で示されている問題そのものはそこまで難しくはありませんが、そこには出口氏の強い願いがあったからのようです。その願いのために、一切の手抜きも妥協もなく、全身全霊をかけて仕上げたとあり、胸を打たれました。その部分は買って読んでみることをお勧めします。

正しい日本語、美しい日本語を身につけて充実した人生を送りたい人は、ぜひ読んでみてください。



日本語の練習問題
出口 汪
サンマーク出版
2013-11-19

読むべき人:
  • 論理力と感性を試してみたい人
  • 仕事ができるようになりたい人
  • 充実した人生を送りたい人
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