April 2014

April 29, 2014

仕事に必要なことはすべて映画で学べる

キーワード:
 押井守、映画、仕事、勝敗、教養
映画監督である押井守による映画論と仕事論。以下のような目次となっている。
  1. 【プロローグ】映画は会社員が見るべき最良の教科書
  2. 【1】飛べ! フェニックス
    聞かれていないことには答えるな! ――美しい敗北は無意味
  3. 【2】マネーボール
    経験と勘で語る人間は信用するな ――ブラッド・ピットの優先順位
  4. 【3】頭上の敵機
    部下を殺すか、自分が毀れるか ――中間管理職残酷物語
  5. 【4】機動警察パトレイバー2 the Movie
    使えない部下を働かせる究極の手 ――選択肢は与えない
  6. 【5】裏切りのサーカス
    「やりたいこと」は「飽きないこと」 ――ナンバー2ほど心地よい
  7. 【6】プライベート・ライアン
    サボタージュこそサラリーマンの最終兵器 ――スピルバーグの詐術
  8. 【7】田園に死す
    できる大人ほど自分の過去をねつ造している ――気合いが入ったデタラメ
  9. 【8】007 スカイフォール
    「親父に一生ついて行く」は使い捨てへの第一歩 ――“お母さん"に愛されたい
  10. 【9】ロンゲスト・ヤード
    囚人が問う「勝てるチーム」の絶対条件 ――魂の自由を獲得せよ
  11. 【対談】押井守×梅澤高明(A・T・カーニー日本代表)
    自己実現は社会との関わりでしか達成できない
  12. 【エピローグ】教養の幅は「虚構」でこそ広がる
(目次から抜粋)
映画監督である著者は、会社員として組織で働いたことはないのだけど、映画監督として組織マネジメントについて考えてきており、そこから独自の「勝敗論」を見出すにいたったようだ。そして、軍隊でも映画つくりでも企業における組織にでも、勝敗論やそこでのふるまい方の本質は変わらず、映画を通してそれを示そうという本。
 この本では、勝敗についての持論を踏まえつつ、実際の映画を通してビジネスパーソンが企業社会を生き抜くうえで参考になる考え方や振る舞いを紹介していこうと思います。優れた映画ほど人間や社会の本質に迫る教訓がある。それを紐解いていこうということです。
(pp.011)
本書では映画監督として何を意識して作っているのか、そしてどのように他の映画作品を見ているのかがとても興味深く示されている。また、挙げられている映画は、目次の通りで、自身の監督作である『機動警察パトレイバー2 the Movie』なども含まれているが、どちらかというと古い映画が取り上げられており、そこで組織の中でいかに自己実現をするか?なども示されている。ちなみに、目次に挙げられている作品で、僕が見たことあるのは『007 スカイフォール』のみだ。押井守の作品では、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』、『イノセンス』、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』、『アヴァロン』などだ。

たとえば、『機動警察パトレイバー2 the Movie』は、中間管理職の映画であると示している。隊長である後藤は、特に何も期待されていない課に所属しており、それは高校の世界と同じだとしている。そして、その高校の教師のような隊長として後藤を位置づけ、ダメな部下(生徒)たちを先導していかに自分のテーマ、『警察官としての正義を実現する』をやるかを描いているようだ。

著者によれば、中間管理職というのは、「自分のテーマの実現のために他人を動かす」、それを体現する存在と示されている。そして、後藤は部下に命令をしないが、退路を断ったうえで選択の自由を提示している。そしたら部下はやる気になるらしい。さらに、黒澤明の「生きる」とパトレイバー2の本質的なテーマは同じらしい。へーと思った。

また『007 スカイフォール』はカインとアベルの物語であり、Mはボンドたちエージェントにとっての母親であって、敵のシルヴァはかつてエージェントとして働いていたのだけど、自分が捨てられてしまうが、ボンドは受け入れられた、畜生!!という母親と兄弟の話らしい。もう少し文芸的に示すと、母親に受け入れられなかった息子と受け入れられた息子の話らしい。

さらにジェーム・ボンドというのは、身分は契約社員なのに自分から抜けられず、一方的に切り捨てられる可能性もあり、命の危険性ももちろんあるので世界一理不尽な仕打ちをうけている社員であり、冷静に考えたら、007というはブラック企業そのものだと示されているwなるほどと思った。

映画を見る意義としてなるほどと特に思った部分を以下に抜粋しておく。
 気の利いた映画というのは、こういうふうに、シチュエーションやエピソード、セリフなどにさまざまなピースがはめ込まれています。それをもれなくすくい取って見るには、映画の相当な経験値が必要でしょう。それに対応するだけの引き出しが自分の中にないと、無関心に通り過ぎるだけですから。
(中略)
 単に感動して終わるだけであれば、映画の値打ちなんてたいしたものじゃありません。感動以上のものが、映画にはある。それが、人生の判断の引き出しを増やしてくれるということです。ひとりの人生の総量はたかが知れていますから、フィクションを含めなければ自分の人生の引き出しは増えません。
(pp.080-081)
だから、フィクションには現実以上に価値がある、とも示されている。さらにあとがきにも以下のように示されている。
 人間がその生涯を通じて獲得できる「経験」など、所詮は限られたものに過ぎません。人生は短く、経験することも出会うことも、それを通じて獲得できる「人間に関する教養」も限られています。だからこそ他人の経験を自分の「経験」として繰り込んでいくことが必要なのであり、そしてそのためにこそ「虚構」という形式は存在します。
(pp.291)
組織を動かすための必要十分条件はこの「人間に関する教養」であり、そのために映画を見るべきだと。そして、この「人間に関する教養」を効率よく獲得するには、クラシックな映画を見るとよいらしい。

この虚構を取り込むというのは、何も映画だけではなく、小説、漫画などでも同じだなと言える。人が集まって出来上がる組織で仕事をするうえで、この「人間に関する教養」は必須だなと思う。ある程度の職位以上に出世しようと思ったら、特に。能力があって仕事だけができても、人徳やこういう処世術のような教養がなければ上がれないのだろうなと思う。なので、これからも地道に映画をたくさん見ていこうと思った。

社会人になってから8年くらいで約300本は映画を見ているのだけど、まだまだ著者の示すような「人間に関する教養」としての見方が確立できていないなと思った。大学生くらいまでのころは、単に派手なアクションとか爆発シーンがあって興奮していれば面白い映画だと思っていたのだけど、ある程度の年齢を重ねて、さらに人の心情の機敏が描かれたものを見ていくうちに、だんだん映画の鑑賞の仕方も変わってきたなとは思う。

ちなみに、今年映画館で観た映画で一番は、『アナと雪の女王』もよかったけど、『LIFE!』かな。

また、押井守の著作は以下もお勧め。本書は押井守作品が好きな人に限らず、映画好きな人はぜひ読んだほうがいい。映画の見方も分かってくるから。




読むべき人:
  • 押井守監督作品が好きな人
  • 映画の見方を勉強したい人
  • 中間管理職で働く意義を見失っている人
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April 23, 2014

奔馬

キーワード:
 三島由紀夫、思想、革命、陛下、幻想
豊饒の海シリーズ第二巻。以下のようなあらすじとなっている。
今や控訴院判事となった本多繁邦の前に、松枝清顕の生まれ変わりである飯沼勲があらわれる。「新風連史話」に心酔し、昭和の新風連を志す彼は、腐敗した政治・疲弊した社会を改革せんと蹶起を計画する。しかしその企ては密告によってあえなく潰える……。彼が目指し、青春の情熱を滾らせたものは幻に過ぎなかったのか?―若者の純粋な<行動>を描く『豊饒の海』第二巻。
(カバーの裏のあらすじから抜粋)
第一巻は『春の雪』で、大正期の貴族の若者たちの悲恋の物語であった。第二巻の『奔馬』の主人公は、飯沼勲という19歳ほどの剣道をやる少年である。父は『春の雪』の主人公、松枝清顕の教育係であった飯沼茂之である。松枝清顕の友であった本多は、清顕の最後の言葉『今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で』の通り、清顕の生まれ変わりである飯沼勲に出会う。しかし、勲は自分自身が清顕の転生の結果であることは知らず、昭和初期の日本の現状を憂い、同士を募り、革命を起こそうと企てる、というお話。

『春の雪』は、どちらかというと清顕の精神的な未熟さが要因で悲恋に向かうような、そんな印象を受けた。自分の確固たる信条というようなものもあまりなく、自分で自分の内面があまりよく分かっておらず、気づいた時には聡子は仏門に下り、二度と会うことなく清顕は病死する。そんなはかない物語。

しかし、清顕の生まれ変わりである勲は確固たる自分の信条、自分がやるべきことが19歳にして明確に分かっていて、ブレのない人物像として描かれている。日本の農村の凄惨な状況、政治の腐敗、財閥の亡国的行為を目の当たりにしているときに読んだ明治初期に刀で蹶起した若者たちが描かれている「新風連史話」に影響を受け、それを昭和初期でも再現しようとする。最後は、海の向こうに上ってくる日輪を臨み、松の木の下で自刃して自分の人生を締めくくることが理想として決心している。

そして、勲が清顕の生まれ変わりであることを確信した38歳になった清顕の友人であった本多は、たびたび勲の言動に戦慄しながらも、救えなかった清顕を投射しながら助力して見守っていく。

豊饒の海シリーズは、雑誌連載だったようだ。第二巻である『奔馬』の主人公は、事件後だからこそ自然と推測されるのだけど、主人公勲の日本を憂い、天皇を崇拝する姿勢、そして最後は自刃して自分の生涯を理想的に終えることは三島由紀夫自身の願望の表れであり、それを小説として描き落としたのだろか?と思わざるを得ない。この連載をリアルタイムで読んでいて、最後に三島自身の自刃を目の当たりにした人たちは、まさか本当に蹶起するとは!!と思ったのか、それとも、あぁ、やはりと思ったのだろうか?

勲の純粋さとは裏腹に父、茂之の経営する道場の成り立ち、勲に思いを寄せる鬼頭槇子などの勲を想い抜いた結果、勲に対する思惑が対照的に描かれている。終盤に差し掛かるにつれて、それぞれの行動理念が紐解かれ、それに魅了される。

不思議なもので、一見三島由紀夫の文体は読みづらい印象を受けるが、凡庸で退屈な小説にありがちな、物語の進捗を確かめるためにページ数をやたらと気にするということはなかった。確かに普段読まない日本語が描写に使われており、読み進めるのに時間がかかる。それでも、一文一文を自分の中に紡いでいくと、文章の心地よさと時折訪れる琴線に触れるような、戦慄にも似た感嘆の心境が得られるときがあった。

僕が語るまでもなく、三島由紀夫というのは天才だったのだなと思った。




読むべき人:
  • 日本を憂いている人
  • 日本を変えたいと思う若い人
  • 理想的な死に方のイメージがある人
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