May 2014

May 31, 2014

人生って、大人になってからがやたら長い

キーワード:
 きたみりゅうじ、コミックエッセイ、大人、仕事、人生
人生についてのコミックエッセイ。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 30歳ってすごく大人だと思ってた。
  2. 第2章 仕事をがんばることが大人だと思ってた。
  3. 第3章 正解を知ってることが大人だと思ってた。
  4. 第4章 自分はもう少し大人だと思ってた。
  5. 第5章 少しずつ、「大人であろう」と思っている。
(目次から抜粋)
著者はフリーのイラストレーターであるが、最初は普通に就職し、プログラマとして働いていたようだ。その間に1回転職し、その会社が清算されて別会社に入るということを経験されたらしい。会社員としてのかたわら、副業でイラストレーターとしての仕事もこなしていた29歳くらいのときに、まだ自分の道を決めかねていたが、30歳を迎えるときにイラストレーターとして生きていくことを決め、会社を辞められたようだ。

著者は29歳になった年に、『なんかぜんぜん大人になってないんだけど』と気づいたらしい。それが1章のタイトルになっている。そして、著者曰く、『30歳になるころには、もっといろんなものが見えていると思っていたけど』と。

本書は書店のIT技術書コーナーでたまたま目に入って、1章のタイトルに惹かれて買って読んでみた。30歳になったばかりのころだったので、その昔、たとえば中学生のころに思い描いていた30歳像と現状の自分にえらくギャップがあるなと改めて思った。そんで著者と同じように、『30歳ってすごく大人だと思ってた』と思っていたが、現状ではいまだに週刊少年ジャンプを買って読んでいるし、その他にも漫画も読みまくり(ゲームはやらなくなった)、精神年齢もあんまり大人になっていないなと。そんな自分の現状も重ねて読んだ。

本書で示されていることは、割とありふれた出来事かもしれない。結婚したり、家を買ったり、子供が生まれたり、家族のために保険に入ったり、妻の家族との死別など。唯一特殊なのは、会社などで雇われではない、フリーのイラストレーターで仕事をされているという部分。それ以外は、誰でも経験していきそうな、もしくは経験されているものだ。

しかし、そのありふれた出来事は、自分にとってすべて未経験なので、先を生きている先輩の経験談としてとても勉強になった。30歳になってから、どうやって生きていくべきか?と以前もよく考えていたが、最近特に考えるようになっていたので。

例えば、結婚して家庭を持つと、もはや自分だけの生活ではないし、家族のためにお金を稼がないといけないし、子が結婚して巣立つのを見届けるまで死ねない!!とか、なるほどなぁと思った。婚活婚活と言っていろいろと言動しているけれど、そういう具体的な将来像までまったく思い描けていないよなと。そんで、今までほとんど貯金もしてなかったし、家を買うとなるとローンとか頭金と考えないといけないが、そんな金ないしなと。なんというか、もっと現実的に考えなくてはダメじゃないか!?と思った。

あとは会社員ではなく、イラストレーターとしてのお仕事の状況も勉強になった。独立してフリーで仕事をすると、仕事がないとか予定が何もないと恐ろしい状況であるようだ。そんで、仕事をたくさん引き受けて、時間当たりの効率化をはかり、たくさん稼ごうと思っていたけど、だんだん仕事が嫌になってきたりして、頑張った結果が「壊れて終わり」だとダメだよなと気づかれたらしい。それが2章の『仕事をがんばることが大人だと思ってた。』になる。

独立してフリーで生きていくのは大変そうだなと思った。かといって、会社員は会社員でそれなりに大変なのだけど、きっとそれはベクトルの違いだ。

以前から人生ってなんだ?どうやって生きていくんだ?とずっと考えていた。このブログも結局はそれを考えるためのきっかけのためにあったりする。そうやってずっと10年近く考えてきたのだけど、考えているだけでもダメだよなと。もちろん何も考えないよりはいい。それでも現在進行形で生きているという現実に目を向けて、やるべきこと、やりたいことを淡々とこなしていくしかないのかなと思った。

30歳という年齢は、自分のできること、できないこと、得意なこと、向いていること、やりたいことがなんとなく経験的にわかってくるころだろうなと。大学生くらいのころはそういう経験が圧倒的に足りないから客観視できなかったりするしね。そうやって経験してみて、ではこれからどうしようか?とやはり考える時期で。個人的には持病もあるし、ずっと今の仕事、会社員として働くのはしんどいから、なんとかそれ以外の方向で模索していくしかないのかなと思ったりもする。

そして、野望とか夢に良くも悪くも諦めも重要で、今まで保留にしてきたこと(どこで誰とどうやって生きていくかといったことなど)も少しずつ確定していかなくてはいけないんだろうなと。そうやって現実と理想の折り合いをつけていく頃が30歳なんだなと。

そんなことなどを、著者のコミックエッセイを読みながら考えた。今のままじゃダメじゃん、という側面もあれば、でも案外なんとかなるんじゃない!?とも思った。

コミカルに描かれている絵だし、ありふれた出来事なんだけど、著者の等身大の心情が描かれている気がする。きっと良い人なんだろうなと著者の人柄も感じさせられる。漫画として読んでも面白しい、何よりも自分のこれからの生き方について気軽に考えられたのがよかった。もちろん考えながら、地道に行動もしていかないとだけどね。




読むべき人:
  • 30歳くらいの人
  • フリーで生きていきたい人
  • 人生について考えたい人
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May 28, 2014

「思考」を育てる100の講義

キーワード:
 森博嗣、エッセイ、講義、人生論、持論
小説家による短編エッセイ集。以下のような目次となっている。
  1. 1限目 未来を考え、現在に生きる「人生」論
  2. 2限目 思考の盲点をつくらない「知識」論
  3. 3限目 なまった理性を研ぎすます「感情」論
  4. 4限目 疑問から本質に近づく「表現」論
  5. 5限目 客観的思考を手にする「社会」論
  6. 補論 思考に「遊び」をつくる森教授の視界
(目次から抜粋)
書店で大和書房フェアというのがあって、平積みになってたから買ってみた。たまには読みやすいエッセイで気分転換もかねて。

最初に1行のタイトルを100個考えて、それに対して2ページごとに著者の普段考えていること、過去の経験とか世の中のことに対しての持論を展開している。100個すべては挙げられないので、特に面白かったものをいくつかタイトルだけ列挙。
  • 6 ときどき、自分は何を作り出しているか、と考えてみよう。
  • 8 芸術家というのは、過去の仕事に価値が生じる職業だ。
  • 13 よく燃えるものは、早く消える。くすぶっているものは、長く燃えている。
  • 14 知識が災いすることは、知識が幸いを招くのとほぼ同じくらいの頻度。
  • 22 上手くいかないときには、必ず理由がある。それが現実というものだ。
  • 39 自信をみなぎらせる技術者は信頼できない。
  • 43 たとえば、今一番欲しいものは、三トンくらいの土である。
  • 49 なにごとも経験、というが、経験は効率が悪すぎる。
  • 73 小説を読むことが趣味だ、と言えるほど、文芸はマイナになった。
  • 84 仕事をしないことがいかに健康的かわかった。
  • 96 給料というのは、お小遣い感覚だった。
タイトルがそのままその章の結論のような内容となっている。もちろん、タイトルだけでは何のことかわからないものも多いけど。

著者の本、作品は過去に1つしか読んだことがない。ミステリー作品などもまったく読んだことはない。そんな感じなので、割とニュートラルに本書を読んだのだけど、著者の思考は割と人と変わった部分があるのかなと思った。それが普段考えたこともないような内容で、なかなか面白かった。

例えば、『30 他人の感情的評価に影響されることで、大勢が自由を失っている。』では、Amazonなどのネットレビューに関しての内容で、買おうと思っていたものの評価を見てしまい、買えなくなってしまう場合がある。その場合は、それを買おうと思っていた人にとっては、買いたいものを買えなくなったので不幸なことだとある。そして、最後に以下のように示されている。
 僕の小説の書評で、「前作を読んでいないと面白さは半減だ」と書いている人がけっこういるが、その書評を読まずに作品を読んだら、楽しみは倍増だろう。これを書いた人は、自分が前作を読んでいたから面白かった、と分析しているようだが、前作を読んだために、もっと面白い部分を見逃している。他者との出会いだって、大人になってからいきなり相手を知るのだ。過去の履歴を知らなければ、人を好きになれないものだろうか?
(pp.077)
これは考えたこともなかったな。アニメとか映画、小説のシリーズものなどはたいていは順番通りに鑑賞したい派であって、いきなり途中の巻から読んだり見たりはしないな。もしくは、割と独立しているけど、前作の続編の位置づけというものなら読まなくてもいいかもしれない。そいうとき、前作に出てきたキャラとかエピソードが不明で、面白くないのではないか?と思ってしまうので。

しかし、作品の作り手側としては、そうならないように書いているのかもしれないし、知らないほうがもしかしたら先入観なく、違う部分に面白さを感じられるのかもしれないなと。それが人間関係にまで展開されていて、言われて納得だなと。好きになれば、その人の過去、生い立ちなどを知りたいと思うけど、好きになるきっかけとしての『過去』はあまり関係ないだろうなと。

また、反対に僕も同意だなと思う部分も示しておこう。『14 知識が災いすることは、知識が幸いを招くのとほぼ同じくらいの頻度。』から。
 どんな本を読んでも、僕はなにか得られる。本を読んで、何も得られないということはありえない。得られないのは、自分で耳を塞ぎ、心を閉ざしているからだろう。
(pp.043)
さらに、読む時間に見合った得られるものの多寡があるから、損をすることもあるが、それでも得をしたいから素直な気持ちで読みたいとあった。まぁ、そうだよねと。絵本でも漫画でも軽いビジネス書なども得られるものは何かしらある。駄本だって反面教師的に学ぶことはできる。ということをたまに忘れがちなので、僕も素直でありたいと思う。なので、よほどダメな本とか内容が明らかに間違っていると断言できない限りは、このブログで酷評するようなことはない。

他の小説作品も読みたいと思ったけど、それ以上に著者の変わった考えのエッセイをもっと読んでみたいなと思った。見開き2ページごとに話題が変わっていくので、電車通勤とか細切れ読書に向いていて、気分転換に気軽に読める本だった。




読むべき人:
  • 森博嗣のファンの人
  • モノづくりが好きな人
  • 小説家が何を考えているか知りたい人
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May 24, 2014

アメリカの鱒釣り

キーワード:
 リチャード ブローティガン、鱒、クリーク、アメリカ、幻想
リチャード・ブローティガンの小説。以下のようなあらすじとなっている。
二つの墓地のあいだを墓場クリークが流れていた。いい鱒がたくさんいて、夏の日の葬送行列のようにゆるやかに流れていた。――涼やかで苦みのある笑いと、 神話めいた深い静けさ。街に、自然に、そして歴史のただなかに、失われた〈アメリカの鱒釣り〉の姿を探す47の物語。大仰さを一切遠ざけた軽やかなことば で、まったく新しいアメリカ文学を打ちたてたブローティガンの最高傑作。
(カバーの裏から抜粋)
この小説は、例によって西新宿のブックファーストのフェアで見つけた。確か次に読みたい1冊というような題目で置かれており、リチャード・ブローティガンという名前が気になって買った。以前、『愛のゆくえ』を読んでなかなか面白いと思い、自分に合っているような気がしたからだ。本作品、〈アメリカの鱒釣り〉についてあらすじとか、テーマ性とか、登場人物が何をどうしたといったことを語るのは容易ではない。そもそも、これは小説と言っていいのかさえ、判断に困るような作品であるからだ。形式上47のタイトルが付いた章ごとに分けられている。しかし、一貫性もストーリーのようなものもないように思われる。それはドリアの表面が分厚いチーズで覆われているようなものだ。

なんとなく重厚な作品を読むのに疲れていたというのもあって、本書を読むことにした。数ページ読んだ時点で、変な本だなと思った。しかし、20ページほど読み進めたあたりで、この本が感覚的に自分に合っている、好きだなという判断を早計にも下すことになった。若干品のない部分ではあるが、その部分を引用しておく。鱒釣りに出かけようとヒッチハイクの車を待っているところ。
 掘立小屋からちょっとのぼったところに屋外便所があった。扉がもぎとられそうな格好で開いていた。便所の内部が人間の顔のように露わになっていた。便所はこういっているようだった――「おれを建ててくれたやつはここで九千七百四十五回糞をしたが、もう死んでしまった。おれとしては、いまはもうだれにも使ってほしくないよ。いいやつだったぜ。ずいぶんと気を使って、おれを建ててくれたんだ。おれはいまは亡きおケツの記念碑さ。この便所には匿さなくちゃならんような秘密などないよ。だからこそ扉があいてるんじゃないか。糞をしたけりゃ、鹿みたいに、そこいらの茂みでやってくれよな」
「くたばりやがれ」と、わたしは便所にいってやった。
(pp.22)
我ながらずいぶんと品がないところに惹かれてしまったなと思った。
 便器は重ねられて、棚の上にあった。五基ずつ重ねて置いてあった。便器の上は天窓で、便器はそこからの光を受けて、『南海の禁断の真珠』とかいう映画にでも出てきそうな様子で輝いていた。
(pp.204)
というような、もう少し上品な部分に惹かれて好きだと確信できればよかったのだけど、いささかこの部分が出てくるのが遅すぎたのだ。

半分くらいは釣りをしていないような内容なのだが、〈アメリカの鱒釣り〉のタイトルのように、ちゃんと鱒を釣っている内容のものもある。『アロンゾ・ヘイゲンの鱒釣り日誌』という内容では、7年の間に22回鱒釣りに出かけているが、釣り旅1回につき釣りそこねた鱒平均数が10.8とあり、結局1度も釣れず〈アメリカの鱒釣り墓標銘〉として次のように書き記されている。『もうたくさんだ。釣りをはじめて はや七年 一度も鱒を釣りあげていない。 針にかかった鱒は残らず釣りそこねた。』とある。この『』の部分を変数として他の値を思い思いに代入したところを想像してみてほしい。ずいぶん悲惨な内容だと思わないかい!?と妙に共感を覚えるのであった。実に〈アメリカの鱒釣り〉的な内容である。

さて、内容とは関係ない、どうでもいい逸話ではあるのだが、本書をショルダーバックの中に入れて電車中で読んでいたりした。あるとき、一緒にバックに入れていたペットボトルの蓋がしっかりとしまっていなかったので、〈アメリカの鱒釣り〉は濡れてふやけてしまった。しかし、そのふやけ具合が、まさに水を得た魚のような感じだなと妙に納得していた。濡らしたものがコーラなど色付き飲料ではなく、フランス産のミネラルウォーター、『ボルヴィック』であったのが幸いでもあるが、〈アメリカの鱒釣り〉だったら『クリスタルガイザーなら完璧だったな』と言いそうだなと想像してみた。

〈アメリカの鱒釣り〉はきっと象徴でもあるのだけど、それをうまく説明するのは難しいし、それは文芸評論家とかアメリカ文学研究者の仕事であるから、何も僕がここでやることではない。そうそう、それでも、以下の部分がとても参考になるよ。
 ここで、わたしの人間的欲求を表現すれば、――わたしは、ずっと、マヨネーズという言葉でおわる本を書きたいと思っていた。
(pp.215)
まぁ、そういうことだ。

その他の重厚な文学っぽい作品が絵画でいうルノワールとかセザンヌ、モネなどの印象派みたいなものであれば、〈アメリカの鱒釣り〉は、マグリットやダリなどのシュルレアリスム絵画のようで、感覚的に見て楽しむような作品なんだ。考えずに感じて、独特の表現を楽しむというような作品だ。

そうそう、これだけは断言できることであるが、翻訳がまれにみるほど秀逸であり、それは数十ページ読めばおのずと分かる。解説の柴田元幸氏によれば、藤本和子の翻訳は、『翻訳史上の革命的事件』であり、この翻訳がなければ、村上春樹の翻訳、さらには作家村上春樹の作品でさえ考えられないとまで言わしめている。それほどの作品だ。

〈アメリカの鱒釣り〉というのは、ふと渋谷の交差点あたりでどこかで見たことがある人とすれ違い、あれはテレビに出ている人ではなかったか?と余韻と静かな反芻を起こさせるような、しかし確信をいまいち持てないでいる類のスゴ本なのだ。

世界中で200万部のベストセラーになったくらいだし、うっかり20冊くらいアマゾったところで何の支障もないだろう。そう、〈アメリカの鱒釣り〉ならね。



アメリカの鱒釣り (新潮文庫)
リチャード ブローティガン
新潮社
2005-07-28

読むべき人:
  • 鱒釣りが好きな人
  • 村上春樹作品が好きな人
  • 〈アメリカの鱒釣り〉を感じたい人
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May 18, 2014

申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。

キーワード:
 カレン・フェラン、コンサル、戦略系、ビジネス、人
経営コンサルタントによる懺悔録のようなコンサルティングビジネスの実情を暴いた本。以下のような目次となっている。
  1. はじめに 御社をつぶしたのは私です
  2. Introduction 大手ファームは無意味なことばかりさせている
  3. 第1章 「戦略計画」は何の役にも立たない
  4. 第2章 「最適化プロセス」は机上の空論
  5. 第3章 「数値目標」が組織を振り回す
  6. 第4章 「業績管理システム」で士気はガタ落ち
  7. 第5章 「マネジメントモデル」なんていらない
  8. 第6章 「人材開発プログラム」には絶対に参加するな
  9. 第7章 「リーダーシップ開発」で食べている人たち
  10. 第8章 「ベストプラクティス」は“奇跡"のダイエット食品
(目次から抜粋)
著者は米国で戦略系と言われるようなコンサルティングファームや事業会社を経て、30年のコンサルティング経験がある人で、その過去のコンサルティングで、結果的に会社をつぶしてしまうようなこともあったとある。要約すると、大体は以下のようなエピソードになる。

いわゆる優秀な大学を卒業した入社1,2年目で何もビジネス経験やクライアント先の業務知識、実務経験のないコンサルタントがビジネスプロセスリエンジニアリングのために派遣されたとしよう。そのコンサルタントがやることは現場の分析ではなく、過去誰かが開発したフレームワークや経営理論、ベストプラクティスなどを上司から使うように命令され、それに沿って改善案の提案をしたりする。しかし、実際はその提案では何の効果もなく、結果的にクライアントの業績は悪化し、買収されたりつぶれたりしてしまった!!というようなことが著者の経験からもあったようだ。

だからそういう定規杓子なフレームワークなどを使ったり、スプレッドシート上の数値を弄繰り回して分析したような気になっていたり、誰も後で読まないようなドキュメントを量産したり、難しいカタカナのコンサル用語を駆使してないで、ビジネスの本質は人材、つまり人そのものなのだから、もっと人に向き合って行きましょうと著者は示している。以下その部分が端的に示されている部分を抜粋。
 さて、ここで目的をはっきりさせておきたい。本書の要点は従来のビジネスの常識の誤りを暴くことであり、まちがっても与するものではない。私の提案は、役に立たない経営理論に頼るのはもうやめて、代わりにどうするかということだ。ともかく大事なのは、モデルや理論などは捨て置いて、みんなで腹を割って話し合うことに尽きる。対話や人間関係の改善がビジネスに利益をもたらすことを研究によって証明したわけではないが、真偽の判断は読者に委ねよう。
(pp.28)
僕は一応ファームと言われるような組織に身を置いている。とはいっても、ロール(役職)としてはコンサルタントではなく、技術者よりのITコンサルタントでもないSEである。それでも、今までMgrなど組織の上の人たちはどちらかというとコンサルタントが多かったし、企業文化などからなんとなくコンサルタントの仕事は経験則的に分かっている(それでもいわゆる戦略系の仕事はそこまで分からないけれど)。

なので、本書で示されている部分にあるあるある!!!!!!禿同!!!!!wwwと思うような部分がかなり多くて、共感できた。例えば、コンサルタントがいろいろと分析して戦略をクライアントに提示し、そのあと実働はやらずに去っていくと、残るのは75ページなど長くて誰も読まないパワーポイントの報告書だけが残っていたり(しかもあとから振り替ってみるとどう見ても絵に描いた餅だよなと思うようなものもあったり・・・)。

他にもコンサル企業の社員は上位何%からAとかランク付けされ、しかも評価の要因はその人の能力によるものよりもプロジェクトの環境(またはその人の得意分野かどうか)や景気の影響であったりするのに、上司の偏見に左右もされたりし、正しい評価とはなっていないと示されている。そして一度ダメなやつのレッテルを貼られるとそれを覆すのは難しくなるともある。これもあぁ、そうだよね・・・とかなり実感する。(しかし、半分は上司に恵まれるとか、儲かっているプロジェクトであるとか、自分の得意分野、やりたいことができるといった環境要因、つまり『運』であるかもしれないけど、もう半分はちゃんと自分の実力の反映の結果であったりするからね。自戒を込めて。)

共感できる部分もあるけど、やはりファームなど中の人の経験があると、本当に本書で示されていることがすべて真か?と言われると、違和感を覚える部分はやはりある。一番気になるのは、そんなにみんなコンサルタントは杓子定規に教科書通りの戦略を立案し、お客さんと対話していないのか?という部分かな。もちろんすべてのコンサルタントがそうだとは示されていない。けれど、著者の経験上、そういうことが多かったとある。でも僕の知る限りで言えば、みんなちゃんとお客さんに向き合って対話しているような気もする。日本に複数拠点ある工場を一人で歩き回って、そこの人たちの話を聞いてきて、最適な改善案をまとめ上げたとかいう伝説的な人!?もいたとか酒の席などで聞かされたりもしたので。

もちろん、結果的に絵に描いた餅で、赤字になって火を噴くプロジェクトも中にはある(いわゆる案件をとってくるような提案書をプロジェクトの中盤あたりで見てみたりすると、こんな机上の空論なスケジュール間でできるわけねぇだろ( ゚Д゚)ゴルァ!!と憤りたくなることもときには無きにしも非ずw)。

あとは、過去20世紀のアメリカでのコンサルティングビジネスではこういう傾向があったかもしれないけど、現在進行形の日本ではどうだろうか?とも思う。アメリカと日本での商習慣や企業文化も違うし、現状はもうそんなことはあまりないのではないかなと。もし、コンサルタントが入ることで会社がつぶれまくっていたら、コンサル企業自体も自然と淘汰されるはずだし(もちろん、吸収合併などはよくある)。

もうさすがにクライアントになるような大企業は、コンサルタントが入ればすぐに業績が上がったりするようなことは経験則的にないということは分かってきているので、盲信はしていないだろうとも思うし。結局自分たちのビジネスなのだから、自分たちで回していかなくてはというのも肌身て感じているはず(そして、コンサルタントたちの中には、提案だけして実働はやらないことにもどかしさや違和感を覚えて、事業会社に転職していく人も周りを見ていて多いと感じる)。

そして、本書を読んで一番感じたのは、われわれコンサル会社の存在意義は何だろうか!?と突きつけられたような気がした。それはSEでも同じ。単純に人月いくらでシステムを作って売ることが最終目標なのか?いや、そうではなく、お客様の業績向上になるようなものを提供しなくてはいけないなと、改めて考えさせられた。

本書は過去アメリカのコンサルティングビジネスの失敗事例集として読み、こうならないためにはどうするべきか?を意識して読むのがいいなと思った。あとは、巻末のコンサルタントが役に立つとき、役に立たないときの表や危険なコンサルタントの見抜き方も役に立つ。また、翻訳書としても違和感もなくとても読みやすいし、あまり難しい専門用語は使われていないので、気軽に読める。

コンサルを使うような事業会社の人は、コンサルに頼り切らずに自分たちのビジネスなんだから最後は自分たちで考え抜いていくという視点が役に立つし、コンサル会社の中の人たちにとっては、ちゃんとお客様と対話して企業価値を高めることを意識しているか?を考えるよいきっかけになる本だなと思った。



申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。
カレン・フェラン
大和書房
2014-03-26

読むべき人:
  • コンサルタントになろうと思っている人
  • 事業会社でコンサルを使おうかと思っている人
  • ビジネスの本質は人だと思っている人
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May 04, 2014

暁の寺

キーワード:
 三島由紀夫、タイ、インド、阿頼耶識、思想
豊饒の海シリーズ第三巻。以下のようなあらすじとなっている。
<悲恋>と<自刃>に立ち会ってきた本多には、もはや若き力も無垢の情念も残されてはいなかった。彼はタイで、自分は日本人の生れ変りだ、自分の本当の故郷は日本だと訴える幼い姫に出会った……。認識の不毛に疲れた男と、純粋な肉体としての女との間に架けられた壮麗な猥雑の世界への橋――神秘思想とエロティシズムの迷宮で生の源泉を大胆に探る『豊饒の海』第三巻。
(カバーの裏から抜粋)
第三巻は第一部と二部に分かれている。一部は1941年から1945年という戦争まっただ中で、本多がタイで8歳になる月光姫、ジン・ジャンと出会う。ジン・ジャンは、勲の生まれ変わりであることを自覚しており、本多にお礼も言わずに自刃してしまったことに謝罪の気持ちも持ち合わせている。その幼いジン・ジャンの謁見の間に、インドのベレナスに旅行に行き、輪廻思想の見識を深める。

第二部は1947年で、本多は明治期に成立した法律に則り、土地所有権の弁護により30億円ほどの成功報酬を手に入れ、別荘を建てるまでの富裕層になる。18歳になったジン・ジャンと再開するが、ジン・ジャンは転生の記憶はすっかり失っており、本多はジン・ジャンに転生のあかしである清顕、勲の左の脇腹にあった三つのほくろがあるかどうかを確かめるために、別荘にプールを作り、さらには自分の書斎から隣室を覗けるようにのぞき穴まで準備している・・・。

第三巻の主人公は、間違いなく本多である。それまでは、清顕、勲の友人、助力する弁護人であったりし、転生する主人公を傍観するしかなかった存在だった。しかし、第三巻では、本多には妻もいるが、タイで見た神話の女神の彫像のような容貌になったジン・ジャンに魅了されていき、次第に恋慕の情がわき始める。純粋な恋愛感情とは異なった、耽溺するような感情。そういう初老の男の少女に対する思惑がエロティシズムとして描かれている反面、どこか理解できない部分があった。

また、第一部で本多の輪廻転生をめぐる思索が、仏教思想からギリシャ神話までにわたり、途中でよく分からなくなっていった。特に阿頼耶識などの唯識思想が数ページにわたって展開されている。詳細は、本作品についても触れられているので、以下を参照。『春の雪』、『奔馬』は若い主人公の純粋さと行動、それを取り巻く登場人物の思惑に魅了されたのだが、第三巻はそれらがあまりなく、よさがいまいち分からないまま読了した。前二巻は魅力的で鍵になる登場人物が多く出てきたが、本作品ではどこか軽薄な人物が多く、本多とジン・ジャン以外の人物が特に際立っているようなこともなかった。

また、初老の男にでもなると、少女に特別な(もちろん本多はジン・ジャンが清顕、勲の転生の結果であることを知っているから、特別視するのだけど)、純粋な恋愛感情とも異なるものを抱くのだろうか?と思った。

カバーの裏にある『エロティシズム』とあるが、そこまでのものは描かれていなかったようではあるが、以下の部分に出くわしたとき、思わず蛍光ペンで線を引いた。
知らないということが、そもそもエロティシズムの第一条件であるならば、エロティシズムの極致は、永遠の不可知にしかない筈だ。すなわち「死」に。
(pp.264)
僕は、この部分に三島由紀夫の思想の収斂を見た。

第三巻は、もう少し年齢を重ねてから読むと本質がわかるのかも知れないなと思った。




読むべき人:
  • タイ、インドに行ったことがある人
  • 仏教思想に関心がある人
  • 60歳くらいの初老の男
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