July 25, 2006

カラマーゾフの兄弟


カラマーゾフの兄弟(上)
カラマーゾフの兄弟(中)
カラマーゾフの兄弟(下)

キーワード:
 ドストエフスキー、名作、古典、ロシア、キリスト教、愛憎、人間関係
書評80冊目は、世界文学の最高傑作と名高い、カラマーゾフの兄弟。新潮文庫のほうで読了。まずは、上、中、下巻のあらすじを紹介。それぞれカバーより抜粋。上巻。
物欲の権化のような父フョードル・カラマーゾフの血を、それぞれ相異なりながらも色濃く引いた三人の兄弟。放蕩無頼な情熱漢ドミートリイ、冷徹な知性人イワン、敬虔な修道者で物語の主人公であるアリョーシャ。そして、フョードルの私生児と噂されるスメルジャコフ。これらの人物の交錯が作り出す愛憎の地獄図絵の中に、神と人間という根本問題を据え置いた世界文学屈指の名作。
(カバーより抜粋)
中巻。
19世紀中期、価値観の変動が激しく、無神論が横行する混乱期のロシア社会の中で、アリョーシャの精神的支柱となっていたゾシマ長老が死去する。その直後、遺産相続と、共通の愛人グルーシェニカをめぐる父フョードルと長兄ドミートリイとの醜悪な争いのうちに、謎のフョードル殺害事件が発生し、ドミートリイは、父親殺しの嫌疑で尋問され、容疑者として連行される。
(カバーより抜粋)
最後に下巻。
父親殺しの嫌疑をかけられたドミートリイの裁判がはじまる。公判の進展をつうじて、ロシア社会の現実が明らかにされてゆくとともに、イワンの暗躍と、私生児スメルジャコフの登場によって、事件は意外な方向に発展し、緊迫のうちに結末を迎える。ドストエフスキーの没する直前まで書き続けられた本書は、有名な「大審問官」の章をはじめ、著者の世界観を集大成した巨編である。
(カバーより抜粋)
今まで読んだことがないほどの長編なので、書評もそれに影響を受け、長めに綴ってみる。

読了までおよそ1ヶ月かかった。長い・・・。今まで読んだ文学作品の中で過去最高の長さだ。作品部分のページ数は1962。また、過去2番目は『魔の山』だ。しかし、それに比べて、ページが進まないということはなかった。『魔の山』は一日30ページが限界だったが、『カラマーゾフの兄弟』は一日200ページくらい進むときがあった。それだけ、物語に引き込まれていったような気がする。

どこから書評するべきか。自分がこの作品を書評するに値するかどうかと迷い、恐れ多いが、あえて挑戦してみる。そのため、一つの意見だと思って読んでもらいたい。

深く書評する前に、『「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』で話題が挙がっているように、この作品を映画化したらどのような配役がよいか?ということを自分なりに考えてみた。主要人物のみ。かなり隔たった配役だな・・・。物語中の年齢と俳優の実年齢が合っていないし・・・。まぁそこは別にいいか。なんとなくこういうイメージだろうという配役だし。簡単に解説すれば、父フョードルは少し太めでそれほど醜くないだろうという感じで、ドミートリイはごつい感じ、イワンはどこか頭がよさそうな雰囲気をかもし出し、アリョーシャは純情無垢で天使のような感じ。さらに、カテリーナは貴族の服がよく似合い、圧倒的な美貌を持つキーラ・ナイトレイしか思い浮かばなかった。あとは娼婦グルーシェニカは、アンジェリーナ・ジョリーのあの唇しかない。また、スメルジャコフは演技派のエドワード・ノートン、ゾシマ長老は、初期のハリー・ポッターのダンブルドア校長先生だった故リチャード・ハリス、リーザはなんとなく同じくハリー・ポッターのハーマイオニー役のエマ・ワトソン。自分好みの配役・・・。自信を持ってこれははずせないという役は、カテリーナとグルーシェニカのみ。キーラ・ナイトレイとアンジェリーナ・ジョリーがコリン・ファレルをめぐって言い争うシーンが見たい。

実際にこの作品は過去に何度か映画化されたらしいが、あまり評判はよくないようだ。映画の時間内に収まるとはとても思えないし・・・・。そうなると連続ドラマがよいと思う。このさい50話くらいに引き伸ばして、かなり忠実にドラマ化すればいいんじゃないかと思う。もちろん、配役は上記のもので。

さて、ここから書評。最初に思うことは、とんでもない数の登場人物が出てくるなと思った。カラマーゾフ家を筆頭にそれらをとりまく主要人物からちょっとした脇役までかなり多い。どうしても誰が誰か、そしてそれらがどのような関係になっているのかということが分かりにくくなる。もちろんこの作品の重要な点は、その人間関係の複雑さにある。それが分からないと、この作品の面白さは分からないだろう。

特に、純情無垢な主人公アリョーシャが鍵となる人物だろう。ゾシマ長老から俗世に戻って父と兄を取り巻く関係の顛末を見届けろというような使命を受けて、いろんな人のところに行ったり来たりしている。そこで会う人には誰からも好かれ、そしていろいろなことを相談される。アリョーシャを中心にした人間関係図が描けそうだ。そうはいっても、人物の相関関係図はかなり複雑になりそうだ。

父フョードルは自らを道化と称し、自堕落な感じで、ドミートリイはドミートリイでかなり思い込みの激しい感じがする。父親殺しの濡れ衣を着せられ、カテリーナの金を返さない泥棒などではなく、かといってカテリーナを貶めてしまったと思い込んでいる。また、カテリーナのほうも、ドミートリイを憎んでいるのか、愛しているのか、またイワンを愛しているのかよく分かっていないような状態になる。このへんが、なんともいえない人間関係だなと思う。特にそのあたりが会話によく現れていると思う。やたら長いし、みなヒステリーを起こして『!』が頻発するほど言い合ったりする。結局みな自分の心境に自信がなく、些細な相手の言動に揺れ動いていく。

かといって、スメルジャコフやラキーチンのようにイワンやドミートリイに侮辱されていても冷静に物事を語るキャラもいる。これはこれで、対立的な役割を果たしているのだと思う。個性的な登場人物が多く、世の中の人物像の縮図を見ているような気になってくる。

解説を読むと、上巻の最後の『大審問官』がこの作品の核になるらしい。この部分は、アリョーシャとイワンがレストランで会っているところで、イワンがキリストを題材にした叙事詩的な創作をアリョーシャに披露している部分である。そこにはドストエフスキーのキリスト教の解釈現れているらしいが、この部分が一番読みづらかった。ここばっかり、もう一度読み返さないと理解できない。一番肝心なところだけに。

結局、誰も幸せになんかなっていなく、みな苦悩したりしてどこか精神に異常をきたしたり、病んだりしていく。カラマーゾフという血筋がもたらした不幸というか、因果がよく描かれていた。

ドストエフスキーはすごいよなとつくづく思う。どうやったらこんな物語を書けるのだろうか?と思う。読んでいるうちにどんどん引き込まれていく。そこまで気取った表現はなく、分かりやすい。そこは訳がうまいからかもしれない。新潮文庫で読めてよかったと思う。改訂されて、表紙はインパクトが強いものになり、字も大きくなっている。岩波文庫で読むときっと内容を全て把握できなかったかもしれない。

読了しただけで、なんだかものすごい達成感があった。読む前は、表紙のドストエフスキーからなんとも言えない威圧感があり、買ってからしばらく読めなかった。覚悟ができていなかった。まだ読みこなす気力がないと。しかし、読んでみると『魔の山』ほど苦痛ではなく、むしろすらすら進んだ。

この作品は確かにかなり面白い作品だと思った。しかし、自分としては『罪と罰』を読了したときの衝撃度はそこまでなかった。もう一度読み返してみたら、面白さがよく分かるのかもしれない。そのため、何年後かにまた読み返したい作品だと思った。

これでまた一つ古典大作を自分のものにしたという気がする。きっと自分の中の何かが影響を受けたのだろう。

読むべき人:
  • ドストエフスキーの作品は抑えておきたい人
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