July 10, 2007

正しく生きるとはどういうことか


正しく生きるとはどういうことか

キーワード:
 池田清彦、社会学、リバタリアニズム、自由、恣意性
構造主義生物学が専門の著者による自由で平等な生き方ができるような社会システムを論じた本。表紙のキリンとは裏腹に結構極端な主張が多い。かといって、それに納得できないわけではない。なるほどなと思うことが多かった。

第一部は『善く生きるとはどういうことか』という内容で、第二部は『正しく生きるとはどういうことか』について。善く生きることとは、恣意的なフィクションとしての規範を勝手に選んでいるに過ぎないとある。なるほどなと思った。

各部の中に章がいくつかある。それらの中で気になったものを列挙。
  • 才能がない人、美人でない人、不治の病の人はどうすればよいのか
  • 平等というフィクション
  • 人はどこまで自由なのか
  • 自分のものとは何か
  • 富は再配分すべきなのか
  • あなたの命と他人の命
特になるほどなと思った不治の病の人についての部分を抜粋。
 人が生きているのはいつもただ一瞬の現在である。いつだって未来は不確定であり、一寸先は何が起こるかわからないのである。その意味では普通の人も不治の病の人も同じである。だから普通の人が楽しいのと同じ位不治の病の人も、人生を楽しめるはずである。
 もちろん、これは理屈である。世の中は理屈どおりにはいかない、そうあなたあはおっしゃるかも知れない。まさにその通りである。すべての人に通用するマニュアルはない。だから自分で考える他はないのである。余命いくばくもない人は、考えている間に人生が終わってしまうかも知れない。それもまた人生である。かけがえない、とはそういうことを言うのである。
(pp.116)
ここが一番印象に残った。その続きに人が生きるのは理由があるわけではなく自然にそうなっているからでしかないとある。著者の考えは無為自然的な部分が多くあり、よく言えば泰然としているが、ニヒリスティックにも聞こえる。

富の再配分の部分では、過度の経済的な不平等が人々の恣意性の権利を侵害するところに問題があるとある。極貧の家庭に生まれた子供は、他人の恣意性の権利を侵害しない限り何をしても自由であるという権利を行使することができず、労働で生きることを選ばない限り餓死するしかない。そうなってしまうと自由で平等な社会ではないので、ある程度結果不平等を許容範囲以下にするべきだとある。そのためには相続税をかなり高い割合に設定するべきだとある。そんなものかねと思う。結局は運でしかないと思うが。

他にも自分の命や体は自分と独立に存在するものではなく、自分の所有物のように譲渡や交換ができないことから、自分の命は自分のものにあらず、天に任されているとしか言いようがないと示されている。なんだそりゃ?と思うが、よく読んでみると、一応理屈は通っている。実際自分がそれを納得できるかどうかは微妙だが。

文庫版のあとがきの後に、解説の意味を含めて著者と養老孟司氏との対談が載っている。著者曰くこの本の内容は極論だと批判されたけど、その極論は最終的にこんな社会システムが想定されるよという例として意味があると述べている。そう考えれば、このような一連の主張も一つの考え方として面白いし、参考になった。

結局、完全な自由追求型ではだめで平等という観点も必要だという主張らしい。

読むべき人:
  • 自由に生きたいと思う人
  • 世の中の社会システムに疑問がある人
  • 正しく生きたい人
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1. 『正しく生きるとはどういうことか』池田清彦  [ あれこれ随想記  ]   July 11, 2007 21:45

池田清彦著『正しく生きるとはどういうことか』新潮文庫、を読みました。 正しく生きるということは、道徳的に生きることではない、これが著者の基本にあります。 いろいろな観点から掘り下げて、脱線しながらも、持論を展開していきます。 著者の意見をまともに受け取ると...

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