May 20, 2008

私塾のすすめ


私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる

キーワード:
 齋藤孝 / 梅田望夫、私塾、鼎談、パッション、志
教育学者の齋藤氏とウェブの伝道師梅田氏の鼎談。以下のような内容となっている。
  1. 志向性の共同体
  2. 「あこがれ」と「習熟」
  3. 「ノー」と言われたくない日本人
  4. 幸福の条件
何が書いてあるのかを一言で示すのはちょっと難しい本。内容自体が難しいわけではないが。簡単にまとめると、これからのウェブ時代を学び生きていくために志を同じくした仲間と切磋琢磨する「私塾」願望が著者二人によって共有され、その二人の生き方、ライフスタイル、考え方が示されている。具体的に示されていることは結構広範囲になるので、自分なりに印象に残った部分を示しておく。鼎談なんで、どうしても引用が多くなるが。

『「寒中水泳」ではもぐってしまったほうが楽』という節の一部。齋藤氏の発言。
「この三年」「この五年」という限定した期間は、希望をもつというよりも、この期間は積極的な意味で「あきらめる」という感じです。この期間にお金が入らなくても、それはあきらめる。その期間、仕事が評価されなくてもあきらめる。人からの評価や金銭的な評価はあきらめて、自分自身で意味づけする。自分で背負う。
(pp.124)
寒中水泳というのは仕事で会社組織にどっぷりつかってしまったほうが、足だけ水に浸して不快になるよりもよいという意味。そして、3年、5年という区切りで自分なりに意味づけをしてアイデンティティを獲得するとよいとあった。なるほどと思った。

他には『「組織に与えているもの」と「組織から与えられているもの」』という節の梅田氏の主張。
一つのことを最低何年かはやらないとものにならないというところは確かにあります。ただどうにもこうにもとんでもないところは、早く逃げ出してもいいと僕は思っています。それなりにまともな場所であれば、三年くらいは続けてみるべきだと思う。よく僕は「三十代で三社移ってもいいんじゃないか」という言い方をします。二十代というのは未熟な時代なので、組織に属したら組織から得るもののほうがたいていは多い。特に、組織に勤めた人の場合は、大組織は社会そのものだから、未熟な二十代は学ぶことのほうが多い。「自分が組織から与えられるもの」と「自分が組織に対して与えているもの」の天秤が傾いたとき(「与えているもの」のほうが重くなったとき)に辞める、というのが、僕のロジックなんです。そうしていくと、ある時期に「辞める」という判断になると思うのだけれど、最初のうちは学ぶことが多いですね。
(pp.125)
ここはとても勉強になった。なんというか、漠然と会社を辞めようかなと脳裏をよぎるときがあるんだけど、客観的にそれなりにまともな組織なはずなんで、辞めるのはもったいないなと思ったりもする。まだ学ぶことはたくさんあると思うし。そして梅田氏が示すように、自分が会社から得ているものよりも与えているもののほうが多いときに辞めるべきなんだろうなと思った。自分はまだ間違いなく、会社から与えられているものの方が多い。むしろ何かValueを発揮していたっけ?と細かく振り返らないと何も無いような状況だし。この部分は会社をやめる時の判断基準としてとても参考になった。

『「好きな仕事」でいないとサバイバルできない』という部分。前著『ウェブ時代をゆく』にも主張されていたことに関連して梅田氏の発言。
 僕が「好きなことを貫く」ということを、最近、確信犯的に言っている理由というのは、「好きなことを貫くと幸せになれる」というような牧歌的な話じゃなくて、そういう競争環境の中で、自分の志向性というものに意識的にならないと、サバイバルできないのではないかという危機感があって、それを伝えたいと思うからです。
 僕はもともと理系だったのが、方向転換していろいろ模索をしながら今日に至るのですが、理系の大学院生だったときに、周りの人たちを見て、「この人たちほど対象のことを愛せない」と思いました。朝から晩までプログラムを書いたり電気回路の設計をしたりというように、その対象に没頭できる人しか、エンジニアリングの世界では大成しません。毎日、夜になるとどこかへ飲みにいきたくなったりとか、いつも友達と話しているほうが楽しいようでは、そこでもう「負け」なんです。
(pp.145-146)
この部分を読んで、自分もまたエンジニアリングの世界、特にプログラマーとして大成することはないのだなということを改めて再認識した。著者と同じように、そこまでプログラムにのめりこむことはなかった。没頭できなかった。大学時代もプログラムを書くよりも読書をして思索にふける時間のほうがどうしても多く、またそれが一番好きなことなんじゃないかと思い始めている。そうなると、自分自身のプログラマーとしてのキャリアに限界があり、インド、中国などの単価が安いところとのグローバル化の競争社会では生き残れないのだということになる。さて、自分はどう方向転換すべきかなということを考えなければいけないときかもしれない。オライリーを筆頭とする技術本を読むよりも、思想書を読むのが好きなのはそれはそれでしょうがない。そのような志向性をどのように活かすかが今後の一番の課題かなぁ。

最後の引用箇所は『「いかに生くべきか」を考えることは無駄か?』という部分。両者の発言を引用。
齋藤 人生観をつきつめて考える時期が、青年期といわれる時代に、かつてはあったんですね。「生きるとは何か」という問いを問い詰めた時間というのが、その後の活動にとってどういう影響を与えたかというのは、はっきりとは計れないし、無駄にも思える時間だけれど、今の時代は、そんなに濃縮した人生観をつきつめる時間が少なくなってきているのかもしれません。たとえば、実存主義がはやっていたころは、人生の意味を問うことが当たり前でしたよね。梅田さんは、つきつめきらないタイプと、つきつめたタイプの違いみたいなものを感じますか。
梅田 感じますね。そこをつきつめた人からは、ある種の強さを感じます。僕自身、どう生きるべきかみたいなことばかり考えていました、昔は。それを考えた量だけは誰にも負けない、みたいに思っています。専門の深堀はあまりやらなかったけれど、自分がどういうふうに生きたらいいかということは、誰よりも考えたという自負があります。
齋藤 それは二十歳前後ですか?
梅田 十代から二十代の、十年間から十五年間です。
齋藤 十五年間くらい、いかに生くべきかを考えるというのは、実務的な人間からすると、無駄といえば無駄に思えるかも(笑)。僕も同じタイプだと思います。僕も、人生観をひたすら養うという一見不毛な活動に没頭して十数年間を費やしましたから。それが日常生活でたいへん足をひっぱっていたんですね。いかに生くべきかばかり考えて、現実には進展がない。
(中略)
あえて不毛な人生観をつきつめていく。それは人から教わってやるものじゃないかもしれないけど、でも、現に僕ら二人の間では、その時間が石油作りみたいなことになっていた。
(pp.169-171)
なるほどなぁと思った。自分もまた、毎日脳内で無限ループするかのごとく『いかに生くべきか』ということを考えている。そしてその考えの足跡やヒント、記録になるのがこの書評ブログということになる。だから普通の人が読まないような本も読んでいるほうだと思う。かといって、自分はつきつめられていない。まだまだ考えがまとまっていない。せいぜい考え始めてから7年くらいしかたっていないし。この一見無駄に思える思索が将来実を結ぶのかなと思ってなんだか安心した。齋藤氏と同じようにまったく現実に進展がない状態だからね・・・。両氏がどのように20代をつきつめて過ごしていたかが他の書籍などからよくわかる。梅田氏は前著『ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか』で、齋藤氏は『孤独のチカラ』でそれぞれ示されている。

引用がかなり多くなってしまったが、それだけ印象に残った部分だったので。他にもいろいろ勉強になるところが多い。両氏の本はよく読んでいるので、なんというか、考え方、志の部分が似ているんだなということがよくわかる。二人ともパッションがあるなぁということが伝わってきたような気がした。

二人の座右の書やロールモデルなども示されていて参考になった。また、鼎談なのでそこまで難しい内容ではない。けれど、いろいろなところから引用が出てくるなぁと思った。あと、事前に『ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか』を読んでいたほうがより文脈の意図がわかると思う。

二人の考え方がわかって面白かったし、とても勉強になったなと思った。なんというか、いろいろなことを考えるきっかけになった。なんというか、人によって読んでいて印象に残る部分はだいぶ違ってくるんじゃないかなとも思った。

読むべき人:
  • 私塾に関心がある人
  • 志を同じくした人と学びたいと思っている人
  • 自分の人生について考えてみたい人
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