December 29, 2008

ノルウェイの森

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

キーワード:
 村上春樹、死生観、喪失、成長物語、恩書
日本人作家の中でノーベル文学賞に一番近いと言われている、村上春樹のベストセラー作品。カバーの裏からあらすじを抜粋。まずは上巻から。
暗く重たい雨雲をくぐり抜け、飛行機がハンブルク空港に着陸すると、天井のスピーカーから小さな音でビートルズの『ノルウェイの森』が流れ出した。僕は一九六九年、もうすぐ二十歳になろうとする秋のできごとを思い出し、激しく混乱し、動揺していた。限りない喪失と再生を描き新境地を拓いた長編小説。
(カバーの裏から抜粋)
下巻は以下のようなあらすじ。
あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置くこと―。あたらしい僕の大学生活はこうしてはじまった。自殺した親友キズキ、その恋人の直子、同じ学部の緑。等身大の人物を登場させ、心の震えや感動、そして哀しみを淡々とせつないまでに描いた作品。
(カバーの裏から抜粋)

この作品は、近々映画化されるようだ。どうなるんだろうか。

小説などの文学作品を読むときには、基本的にビジネス書と違って線を引いたりはしない。しかし、この作品は例外だ。以下、強烈に自分がひきつけられた箇所をいくつか抜粋しておく。
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。
(上巻 pp.54)
このフレーズがこの作品の全てを物語っている。
 東京について寮に入り新しい生活を始めたとき、僕のやるべきことはひとつしかなかった。あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置くこと――それだけだった。
(上巻 pp.53)
寮暮らしを始めた『僕』の決意表明。
たぶん僕の心には固い殻のようなものがあって、そこを突き抜けて中に入ってくるものはとても限られているんだと思う、と僕は言った。だからうまく人を愛することができないんじゃないかな、と。
(上巻 pp.61)
『僕』の直子への発言。
彼は僕なんかはるかに及ばないくらいの読書家だったが、死後三十年を経てない作家の本は原則として手にとろうとはしなかった。そういう本しか俺は信用しない、と彼は言った。
「現代文学を信用しないというわけじゃないよ。ただ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費やしたくないんだ。人生は短い。」
(上巻 pp.66)
『僕』の寮にいる、外務省を目指す東大法学部の先輩の読書論。
「この曲聴くと私ときどきすごく哀しくなることがあるの。どうしてだかはわからないけど、自分が深い森の中で迷っているような気になるの」と直子はいった。「一人ぼっちで寒くて、そして暗くって、誰も助けに来てくれなくて。だから私がリクエストしない限り、彼女はこの曲を弾かないの」
(上巻 pp.224-225)
『ノルウェイの森』についての直子の発言。
「いちばん大事なことはね、焦らないことよ」とレイコさんは僕に言った。「これが私のもうひとつの忠告ね。焦らないこと。物事が手に負えないくらい入りくんで絡みあっていても絶望的な気持ちになったり、短期を起こして無理にひっぱりだしちゃ駄目なのよ、時間をかけてやるつもりで、ひとつひとつゆっくりとほぐしていかなかきゃいけないのよ。できる?」
(上巻 pp.238)
『僕』に対するレイコさんの忠告。
「でもワタナベだって殆んど同じだよ、俺と。親切でやさしい男だけど、心の底から誰かを愛することはできない。いつもどこか覚めていて、そしてただ渇きがあるだけなんだ。俺にはそれがわかるんだ」
(下巻 pp.130)
東大法学部の永沢さんの『僕(ワタナベ君)』に対する見解。
「すごく可愛いよ、ミドリ」と僕は言いなおした。
「すごくってどれくらい?」
「山が崩れて海が干上がるくらい可愛い」
(中略)
「もっと素敵なこと言って」
「君が大好きだよ、ミドリ」
「どれくらい好き?」
「春の熊くらい好きだよ」
(下巻 pp.172)
緑と『僕』の会話。
俺はこれまでできることなら十七や十八のままでいたいと思っていた。でも今はそうは思わない。俺はもう十代の少年じゃないんだよ。俺は責任というものを感じるんだ。なあキズキ、俺はもうお前と一緒にいた頃の俺じゃないんだよ。俺はもう二十歳になったんだよ。そして俺は生きつづけるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ。
(下巻 pp.204)
『僕』の内面描写。



この作品が僕の読書ライフのすべての始まりだった。そしてこの作品は、過去にも読んだことがあり、再読したものを取り上げることになる。


この作品を始めて読んだのは、高校を卒業して1週間ほど経ったときだった。2002年の3月の半ばごろ、自分の中に存在する恋愛感情に耐えられなくて、救いを求めるように近所の本屋の読書スペースで一気に読んだ。そのときは、いろいろな想いが自分の中に渦巻いていた。どうにかそれらの想いを何とかしたいと思っていて、確か倫理の資料集にこの作品のことが書いてあって、そこでこれを読まなければならないと思って読んでみたのを覚えている。

普段からそこまで読書をする習慣があまりなかった。しかし、まったく本を読まないようなほうでもなかったと思う。ただ言えることは、小説を読むということはあまりなかったと思う。そして小説を読んで、何か衝撃を受けるということもなかった。

本屋で6時間くらいかけて一気に読了したとき、なんとも言えないカタルシスを得たのを覚えている。たぶん、ほんの一時的だが、救われたような気がした。けれど、大学時代に入ってからも結構思い悩み、ひたすら読書をすることとなった。そのため、この作品が自分の読書ライフの原点的な作品と言える。

最初に読了したときから、6年近くたった今、一つ自分の内面に抱いている感情に区切りをつける必要があり、再びこれを読まなければいけない気がしていた。僕は、この作品を18歳のときに読んでいてよかったのだと思った。来年の1月に25歳になってしまい、約6年の歳月を経て、いろいろなことを体験してからこの作品を再読してみると、この作品に対する感じ方が全然違うことに気づいた。

最初に読んだときは、これはただの恋愛小説なのだと思っていた。事実、出版から21年経ち、累計900万部近くも売れ、『100パーセントの恋愛小説』とキャッチコピーがつけられたりもしていた。また、上下巻で赤と緑の装丁から、クリスマスプレゼントとして贈られる本の代名詞的な存在にもなっている。けれど、本質はもっともっと深いものだと思った。これは恋愛小説ではなく、『僕(ワタナベ君)』の成長物語なのではないかと思った。

それが端的に現れているのが、精神病患者の特殊療養施設に直子がいるところへ、ワタナベ君が初めて訪れるときに持っていっている本の部分になる。その本は、『魔の山書評記事)』だった。レイコさんにも『なんでこんなところにわざわざそんな本もってくるのよ (上巻 pp.216)』、とすこしあきれられている。魔の山も、主人公、ハンス・カストルプが療養のためにサナトリウムに3週間滞在するつもりでいたが、結局長く居座ることになり、そこでいろいろな人と出会い、ハンスの成長物語が進むというもの。『魔の山』は通称、ビルドゥングスロマンと言われる教養小説(教養小説 - Wikipedia)で、ワタナベ君がそれを直子のいる療養施設に持って行くという設定は、意図的だと思った。

つまり、この作品は、直子、キズキ、レイコ、永沢さんなどの人間関係を通して、18歳から20歳になるまでのワタナベ君の成長物語なのではないかと思った。もちろん、この作品の解説や研究の本はたくさんあるので、それを読めばいいんだけど。ただ、『魔の山』を読んでいなかったら、こういう部分には気づけなかったと思う。そして、性描写の多い、ただの気取った官能小説的な作品だと評価を下していた恐れがあった。しかし、本質はもっと深いと思う。

料理をするために肉の固まりを切り崩すように、この作品をさらに解体して分析することもできるが、それではワタナベ君に『やれやれ、と僕は思った』と言われそうなので、それはよすことにしよう。ここで示しておきたいのは、自分が6年ぶりに再読したときの純粋な感情だ。

6年ぶりに再読して、一番感じたことは、やはり僕もまたワタナベ君のような生き方をしてきてしまったのかなということだろう。かといって、誰か友人や恋人が自殺したということではないけど、どこか覚めていて他人を本質的に愛せず、物事にしかるべき距離を置いていて、自分で自分を普通の存在だと思っているのだけど、人からは変わっていると言われるような生き方。18歳のときに読んでいたので、それを無意識のうちに実行していたというわけではないけど、結果的にワタナベ君のようになってしまっている。だから、ワタナベ君の心情描写にひどく共感しすぎて、6年前はただ通り過ぎていった箇所に躓きながら読んだ。ワンシーンが終わるたびに、あぁ、自分と同じだとか、そういえば自分の場合はどうだったのだろう?と深く考え込んで、とても上下巻を一気には読めなかった。

また、ワタナベ君を取り巻く周りの人たちのエピソードがなんだか精神的なグロテスクさを内包していて、それを読んでいくのが辛く感じてしまった。ある程度年齢を重ねてみないと、それはリアリティを帯びていないように感じられるが、生きているといろんなことが起こるので、そういう部分に痛く共感してしまったので、うまく読み進められないところがあった。レイコさんの人生や緑の父、永沢さんの恋人のハツミさん、そして直子のエピソードなど。

けれどそのように感じたのは、何もうまくできず、またいろんなことが分からなかった10代の少年から、ある程度世の中の仕組みが分かり、いろいろな不条理な出来事、行き場のない想い、情感にうまく対処していける大人になれたという成長の証でもあるのかなと思った。

レイコさんは、ワタナベ君や直子に忠告やアドバイスを多くしている。それらがとても僕にも身にしみて、僕のために言ってくれているような気がした。それはたぶん、レイコさんが村上春樹自身の投影であり、若い頃の自分、つまり『僕』に向けて語っているのではないかと思った。だから、この作品は、10代後半、20歳前後のときに最初に読めるのが一番良いのだと思う。そして、その時に感じたものを自分の中のどこかにしまいこんでおいて、何年か経ってまた何かのきっかけで読んでみると、感じ方も違うし、自分自身の成長が実感できるのだと思う。あと10年齢を重ねて読んでみると、きっとレイコさんに共感できるようになるのかなと思った。

今までこの書評ブログ以外にもそれなりの数の本を読んできたけど、再読する本は少ない。しかし、この本は、間違いなく生涯で何度も読み返す作品だと断言できる。自分に大きく影響を与えた本を一冊だけ挙げろと言われたら、自信を持ってこれだと言える。そういう本、作品は、本当に500冊に1冊くらいの割合でしか出逢えない。この本に出逢えてよかったのだと思う。

約6年ぶりに再読してみて、やっと僕の中にあるずっとくすぶり続けていた想いが浄化されたのだと思った。また、再読までの6年という期間は、自分にとって必要な期間だったのだと思う。

この作品は、自分の魂を激しく揺さぶり、人生を変える本というよりも、静かにいろいろなことに気づかせてくれる恩書だと思った。

この作品を通して、自分を読むことができた。



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ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
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読むべき人:
  • 青年期の成長物語を読みたい人
  • 親しい人がこの世界からいなくなってしまった人
  • 消化しきれない恋愛感情を内に抱いている人
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コメント一覧

1. Posted by 鹿田尚樹   December 29, 2008 14:27

読書ライフのきっかけの1冊ってありますよね。

鹿田は中谷彰宏さん本でしたが・・・

「ノルウェイの森」のMasterさんとは・・・・

やっぱり「奥の深さ」が違います(汗)

さすがです!

2. Posted by Master@ブログの中の人   December 29, 2008 20:52

>>鹿田さん

コメントありがとうございます!!

中谷彰宏さんの本は自分もかなり影響を受けてます!!

なんとなく原点回帰をしてみたくて、ノルウェイの森を取り上げてみました。

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