March 08, 2009

人生に生きる価値はない

人生に生きる価値はない
人生に生きる価値はない

キーワード:
 中島義道、哲学、ニーチェ、永遠回帰、ニヒリズム
哲学博士による、哲学的エッセイ。以下のような目次となっている。
  1.  道徳の暴力
  2.  あれも嫌い、これも嫌い
  3.  哲学的に生きるには
  4.  この世界が「ある」ということ
(目次から抜粋)
著者はカントが専門の哲学博士であり、つい最近まで電気通信大学で教授を勤められていたが、最近退職されたようだ。そして、この本は、雑誌『新潮45(新潮45|新潮社)』に2007年1月号から2008年12月号まで連載された哲学的エッセイがまとめられたものとなっている。内容的には、その時の社会ニュースに沿ったものや、カント哲学やニーチェを引き合いにし、いかに人生は無意味であるかが全編を通して示されている。

興味をそそられたエッセイのタイトルをいくつか列挙しておこう。
  • 哲学と心の病
  • 死を「克服」する?
  • 哲学塾・カント
  • 知的エリート主義
  • 人間嫌い
  • キレるおやじ
  • ニーチェの季節
  • 明るいニヒリズム
  • オリンピックとノーベル賞
まぁ、このタイトルだけでは中身が想像できないだろう。著者は、とても変わった人で、この本に限らず、その他の著者の本を読むと、大抵の人はまともに受け入れられないものだろう。極度の人間嫌いで、街中のスピーカーから出てくる騒音にひたすら抗議しているし、若いときに自殺未遂もあるし、10歳のころからどうせ自分は死んでしまうのに、なぜこの世界を生きているのか?と問い続け、そして著者が生きる道は哲学しかないと悟り、哲学を専門にしているというような人。そんな人が主張する哲学的エッセイは、強烈で、普通の人、著者によれば『善人』である人がこれを読めば、間違いなく毒になりえる。しかし、自分は著者の本に強烈に惹かれてしまう。なぜなら、自分もまた、著者のような特性を少なからず持っているからだ。

全体的な内容を網羅することはできないので、特にこれは、と思ったものを引用しておく。まずは『知的エリート主義』という節タイトルから。著者は、『善人』、いわば『普通の人』がものすごく嫌いなようだ。どういう人か、以下のように示されている。
 こういう人は、私の周りにも掃いて捨てるほど居るが、彼らと重なりながらもやっぱり違う一群の人々が、やはりとても嫌いである。それは、知的でない人、知的向上心のない人と言っていい。知的でない人とは、人類の膨大な知的遺産を知りたいという情熱を抱かない人。具体的に言うと、大学の文学部や理学部などで扱っている古典教養としての哲学・文学・芸術・科学に対して、飽くなき知識を求めようとしない人。それを知らないことを全身で恥じない人。限られた人生において、そのひと滴しか知ることができないことに絶望しない人。未来に地上に生息し、自分の知らない膨大なことを知りうる人間に対して嫉妬を感じない人・・・・・・である。
(pp.48-49)
ここにかなり惹かれた。惹かれたといっても、自分もまた『普通の人』が嫌いであるということではない。自分はそこまで人間嫌いじゃない。だた、著者のような知的好奇心が自分の中にもあり、それこそが自分が読書をしている根本原理なのだということが改めて分かった。

なぜ本を読むのか?それは成功者になって金持ちになるためだけではなく、書評ブログのためでもなく、純粋に自分に内在する知的好奇心を満たしていきたいからである。著者のように、書店や図書館に行くたびに、そこに存在する膨大な量の先人の知恵は、自分が一生をかけてどれだけがんばって習得しようとしても、極小の部分集合しか知ることはできないといつも途方に暮れる。そして、自分よりも碩学な存在を目の当たりにすると、多少嫉妬心を抱く。だから、この主張に強烈に惹かれた。だからと言って、著者のように知的向上心のない人を嫌ったり馬鹿にしたりはない。それはそれで、生き方のひとつの選択である。それは、尊重しておきたい。

もう一箇所、同じ節タイトルで、教養についての部分。
 逆説的に響くかもしれないが、本物の教養人とは、教養があることをまったく誇っておらず、幾分恥じていることすらある。彼らにとって、教養を積み重ねることは自然的欲望なのであって、古今東西の知的遺産を渉猟するのが面白くてたまらず、そこに何の見返りも求めないのだ。だから、自らの教養を誇る人(だいたい、大した教養もない人である)が嫌いなのであり、彼らの教養に擦り寄る人が嫌いなのである。とすると、もちろん、彼らは教養のない人も嫌いなのだから、彼らが「許せる」のは、自分と同様、自然な形で貪欲に教養を求め、それを楽しんでいる人、しかもしっかりしが鑑識眼を具えている人のみとなる。
(pp.52)
教養を身に付けようと思ったとき、この主張はとても参考になる。ただ、別に教養のない人を嫌う必要はないと思うが。また、本を読んでひとつ自分の知らない世界を知ることが、とても楽しいという部分は、かなり自分にもある。

まだ自分は教養があるとは客観的に言えないし、今後も自分が教養溢れる存在だと主張することはない。

そして、この本の核である、『人生に生きる価値がない』という主張が、『ニーチェの季節』に示されている。ニーチェの永劫回帰が以下のように示されている。
 私のニーチェとの「出会い」は、「永遠回帰」の思想があるときはっとわかったからである。それは、単純この上ない真理であって、この世の何ものもいかなる意味(目的)もない、ということ。すべては偶然である、いや偶然とは必然との関係においてある用語だから、すべてはただ生ずるだけなのだ。
 だが、ほとんどの人はこのことを承認しようとしない。打ち消そうとしても、気がつくと人生に何かしらの意味=目的を求めてしまっている。そうした弱さを完全に拒否すること、それをニーチェは延々と言い続けているだけである。
 もし目的があるなら、時間は無限なのだから、とっくの昔にそのすべては実現されているはずである。だが、どう見てもいかなる目的も実現されないのだから、目的など始めからなかったのであり、いかなる目的もなくただ無限の時間が経過しただけなのである。
 それをニーチェは「永遠回帰」という詩的なイメージで語ったのだ。
(pp.160)
一般的には『永劫回帰』と示されることが多いが、著者は『永遠回帰』のほうがしっくりくるということで、『永遠』を使っているようだ。まじめに自分の人生の意味、意義はあるのか?と自問自答することがある。割と苦しみながら生きている部分もあるので、この人生に何の価値があるのか?と。そう考えたとき、やはり意味などない、という結論は、納得がいく。納得がいったとしても、そこに絶望的な諦観があるわけではない。そして、『明るいニヒリズム』へと向かう。
 キリスト教とプラトニズムへの怨念をニーチェと共有していない私の体感にそった理解は、ニヒリズムとは、ただこの世で生起することはすべて何の意味(目的)もないこと、このことをとことん「味わい尽くす」ことだけである。
(中略)
 人が生まれるのも死ぬのも、苦しむもの、楽しむのも、何の意味もないと小学生のころから思っていたのだが、ここ十年ほど、他人の顰蹙をも省みず、そもそも人生は生きるに値しないこと、何をどうしてもどうせ死んでしまうこと、その限り不幸であること、それから眼を離して生きていることが最も不幸であることなど、繰り返し書き散らしているうちに、奇妙に「明るい」気分が私の体内に育っていった。
 こういうことを語ることが厳しく禁じられていたころ、私は生きるのが辛かった。こんな「あたりまえ」のことを語ってはいけないという周囲の空気が、私を窒息させていた。しかし、いったん語りだしてみると、人生は瞬時も生きるに値しないことはますます確かになるのに、―自他の流す血を吸って(?)―なぜか私は明るくなっていったのである。「自由になっていった」と言い換えてもいい。そんなころ、私の中で「明るいニヒリズム」という言葉が煌き出した(ニヒリズムの第五形態)。
(pp.167)
あえて自分も宣言しよう。自分の人生も一切は無意味だと。この部分を読んで、もうこれ以上、深く自分の人生の意義を考えることを止めようと思った。しかし、だからといって、絶望的な境地に陥って自分の人生を投げ出すということではなく、全ては無意味であるという、ニヒリズムを自分に内在させ、それをよりどころとして生きていけばいいのではないかと思った。

自分の人生の無意味さに眼を背けたまま生きていくと、あるときどうしようもない絶望が襲いかかったとき、それに耐えられなくて、自殺してしまう可能性は否定できない。自分の今までの人生はなんだったのか?と。そうならないためにも、一切は無意味であるというスタートから自分の人生を生きていけば、そんなに苦しんだり思い悩んだりしないのではないかと思った。そして、著者の言うような『明るいニヒリズム』の境地に至れるのだと思う。そういう境地に至ったとき、人生の無意味さをより深く味わえて、それが楽しみにもなるのかもしれない。また、楽しみも無意味かもしれないが、生きていくうえで、日々の楽しみは必要だ。

この本だけでは、自分が引用した部分の強烈さは分からないかもしれない。著者の他の本をそれなりに読んでおけば、この本を深く味わえる。まぁ、なにも日曜日の深夜にこの本を読んだり、書評を書いたりする必要はないことは確かだが・・・・。

ひとつのエッセイは、大体8ページほどである。そのため、細切れで読みやすく、長く時間をかけて読んでもいいと思う。

また、この本は、万人にはお薦めはできない。『普通の人』がこの本を読むと、嫌悪感すら抱くだろう。自分の人生の無意味さを知ることになるのだから。しかし、少しでも自分の人生の意義を考えたりして自問自答している人や、苦しみながら生きている人は読んだほうがいい。

この本を読んで、やはり自分は、ニヒリズムでいいのだと思った。

この本で490冊目となる。この本が、記念すべき500冊目でもよかった。ただ、タイミング的にあわなかったし、500冊目はすでに他に確定している。



人生に生きる価値はない
人生に生きる価値はない

読むべき人:
  • 哲学的なエッセイが好きな人
  • ニーチェに傾倒したことがある人
  • 自分の人生に価値があると思い込んでいる人
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コメント一覧

1. Posted by 生きる価値はある   November 01, 2010 14:26

これは誤解を招くタイトルですね。

私に生きる価値はない、すべきですよね。

2. Posted by 私には生きる価値はある   November 01, 2010 14:28

>自分の人生の無意味さを知ることになるのだから。

ならないならない(笑)

それは負け犬だけでしょう(笑)

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