May 09, 2009

なぜ私だけが苦しむのか

なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)
なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

キーワード:
 H.S. クシュナー、信仰、神、苦悩、勇気
ユダヤ教の教師(ラビ)によって、不完全な世界を生き抜く勇気が示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 1章 なぜ、私に?
  2. 2章 ヨブという名の男の物語
  3. 3章 理由のないこともある
  4. 4章 新しい問いの発見
  5. 5章 人間であることの自由
  6. 6章 怒りをなににぶつけるか
  7. 7章 ほんとうの奇跡
  8. 8章 ほんとうの宗教
(目次から抜粋)
この本で498冊目。この本が500冊目でもよかった。それだけ自分が求めていた内容が示されており、過去取り上げた本のうち、間違いなく3本の指に入る本。殿堂入りどころではなく、本当に死ぬまでに何度も読み返す価値があるバイブル的な本。

簡単に概要を示しておこう。

著者にはアーロンという息子がいたが、アーロンは「早老症(プロゲリア)」に侵されており、14歳という短い一生を終えた。アーロンとの死別体験や、ラビとして葬式に幾度となく参加したり、著者に人生の苦悩について相談に来る様々な人の話を聞いた経験から、信仰を通して病害や死別などの苦しみの意義を考え、そこからどう対処していくべきか?ということが示されている。

この本の著者の想いの一部を抜粋。
私は、人の悲しみを体験した人間であり、根本的に神を信じる人間です。死や、病気やけが、そして拒絶や失望によって人生に傷ついた人のために、また、この世に正義があるなら、こんなことが自分に起こるのはまちがっていると考えている人に読んでもらいたくて、この本を書きました。
(pp.xxiii)
本書のタイトルである「なぜ私だけが苦しむのか」というように、自分自身も『なぜ自分がこんな目にあわなければならないのか!?』と、脳内カウンタがオーバーフローを起こすほど自問自答した。何度この問いを繰り返したか分からないほどに。なぜなら、自分もまた病害に苦しむ身だからだ。そういったこともあり、この本に示されている一文一文が自分の心に染み入ってくるもので、著者に語りかけてもらっているような境地だった。よって、本エントリでは、本当に救われる境地で線を引いた部分を多めに引用しておく。

まずは、『信仰の強さを試しているのか?』という著者の自問自答の部分から。
 私は、身体障害児をもつ親として、息子が死ぬまでの十四年間を暮らしました。しかし、神は私の内にある信仰の強さを見抜き、苦しみを乗り越えられると見抜いたので、ほかの人ではなくこの私を選んだのだという考え方によって、安らぎを覚えることはありませんでした。そんなふうに考えたところで、私は神に選ばれた者としての"特権意識"など感じませんでしたし、神はなぜ、毎年多くの障害児を、平和に暮らしている家庭に送り込むのかという疑問に対する答えとはなりませんでした。
(中略)
 もし神が私たちをテストしているのなら、私たちの多くは落第しているということぐらい、もう気づいてもいいはずです。耐え忍ぶことのできる範囲内の苦しみを与えているというのなら、神には計算違いが多すぎます。
(pp.33-35)
苦難に対する心の持ちようとして、『選ばれ者しか苦難は味わえない』とか、『その人が乗り越えられるだけの苦難しか与えられない』などと他の本で読んだりする。しかし、それらはそういう側面があるかもしれないが、現に苦しんでいる人にはあまり慰めにはならないものだ。もしそうであるなら、日本で年間3万人以上の自殺者が出るわけがない。乗り越えられるだけの苦しみを与えられているのなら、乗り越えられずにこの世界から自主退場した人たちは、一体なんだったのだろうか?ということになる。だから、自分自身も、乗り越えられるだけの人にしか苦難は訪れないといったような思い込みは止めようと思う。そのような不合理な思い込みをしたところで、苦しみが軽減されるわけではないのだし。

著者はラビという立場から、神そのものを信じないわけにはいかないが、サイコロを振るように人々に苦しみを与えるような神の存在は否定している。
 私には、どうしてある人が病気になり、他の人にはならないのかわかりませんが、私たちの理解を超えた自然の法則がはたらいているのだろうということは想像できます。私は、神が特定の人に特定の理由で病気を「与えた」とは信じられません。悪性腫瘍の週間割当て計画書をつくり、だれに配布するのがいちばんふさわしいか、だれがいちばん上手に対処できるか、などとコンピュータで調べている神を私は信じません。
 病人や苦痛にさいなまれている人が、「いったい私がどんな悪いことをしたというのだ?」と絶叫するのは理解できますが、ほんとうのことを言えば、これはまちがった問いかけです。病気であるとか健康であるとかいうのは、神が私たちの行いや態度にもとづいて決定していることがらではないのです。ですから、より良い問いかけは、「こうなってしまったのだから、私はいまなにをすべきなのか、そしてそうするためにだれが私の助けになってくれるだろうか?」ということなのです。
(pp.92-93)
つまり、不条理にも苦しむのは、特に明確な理由や因果があるわけでないということになる。
 痛みというのは、私たちが生きて存在するために支払う対価です。
(中略)
そのことがわかれば、私たちの質問は、「なぜ苦しまねばならないのか?」というものから、「ただ無意味でむなしいだけの苦痛に終わらせず、意味を与えるために、私はこの苦しみにどう対処したらいいのだろう?どうすれば、この苦しい体験が産みの苦しみ、成長の痛みになるのだろうか?」という問いかけに変わっていくことでしょう。
 なぜ私たちが苦しむのかは、けっしてわからないかもしれません。痛みの原因を克服することもできないかもしれませんが、苦痛が私たちにおよぼす影響や、それによって私たちがどのような人間になるかについては、かなりのことが考えられます。痛みのせいで敵意を抱き、ねたみ深くなる人がいます。痛みによって感受性を養い、愛情豊かになる人もいます。痛みや苦しみの体験を意味あるものにするか、むなしく害だけのものにしてしまうかを決めるのは、痛みの原因ではなく、結果なのです。
(pp.99-100)
病害や障害は天からのギフトである』、という考えに通じるものがあると思った。苦難の根本的な理由を問い続けたところで、答えが出るわけではない。自分自身もずっと考え続けてきたが、やはり確かな理由なんか分からない。だから、著者が示すように、この痛みの意味を見出していく必要があるのだということがよくわかった。

最後にもう一箇所、上記に引用した部分と同じような主張ではあるが、とても重要な部分を引用。
 私たちにふりかかってくる不幸な出来事は、その発生時においてはなんの意味も持っていないのだと考えたらどうでしょう。それらはべつに、納得できるような道理などなしにやってくるのです。しかし、私たちのほうで意味を与えることはできます。私たちのほうで、それら無意味な悲劇に意味を持たせればよいのです。
 私たちが問うべきなのは、「どうして、この私にこんなことが起こるのだ?私がいったい、どんなことをしたというのか?」という質問ではないのです。それは実際のところ、答えることのできない問いだし、無意味な問いなのです。より良い問いは、「すでに、こうなってしまった今、私はどうすればいいのだろうか?」というものでしょう。
(pp.218)
ずっと叫び続けていてもしょうがないのだと思う。もう叫び続ける必要もないのかもしれない。そろそろ、では、自分はこれからどうすべきか?ということを真剣に考えなければいけないときが来ているのかもしれない。すぐに意味づけや自分なりの答えが出せるわけではないけど。

最終的には、宗教、言い換えれば神は、私たちに不条理な苦難を与えたり、そのような苦難を私たちが祈ることによって取り除いてくれる存在でもなく、不幸を乗り越えるための勇気と忍耐力を与えてくれる存在であると示されている。著者の信仰に対する想いの変遷が良く現れていると思った。

この不完全な世界を生きていると、誰にでも叫びたくなるような境地に陥ることがある。単純に自分自身の病害や事故などによる障害であったり、肉親や友人、親しい人の死別であったりもする。そういうときに、本書のタイトルのごとく苦しくて叫びたくてしょうがないとき、きっとこの本が救いになってくれると思う。少なくとも、自分はこの本を読んで、本当に救われた境地になった。自分は基本的に無神論者であり、唯一信じる宗教があるとしたらそれは仏教であるが、ユダヤ教を母体とした著者の神に対する考え方、苦しみの捉え方にとても共感できた。だから、そういう宗教くさい部分を忌避しないで受け入れてほしいと思う。

この本は、自分の書評ブログのロールモデルであるDainさんのブログで知った。この本に出逢えてよかったと思う。なんとなくではあるが、これで明日を恐れずに生きていけると思う。自分も本当にDainさんに感謝します。ありがとうございました。

読むのに3日かけたが、本当はもっとゆっくり読むべきだったかもしれない。少なくとも、この本は速読とかフォトリーディングをすべきものではない。ラビである著者の言葉をしっかりとかみ締めて、自分の心に染み渡らせるように読んだほうがいい。そして、何度も何度も読み返したい1冊だと思う。

自分の身の回りの人、親しい人、友人で、苦しみが原因で叫んでいる人がいたら、じっくりと話を聞いてあげて、そのあとでそっとこの本を贈ることに決めた。



なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)
なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

読むべき人:
  • 重度の病気を患っている人
  • 身近な人を失って悲しみに暮れている人
  • 苦しみから逃れるために自殺を考えている人
Amazon.co.jpで『H.S. クシュナー』の他の本を見る

bana1 私は明日を恐れない  にほんブログ村 本ブログへ



トラックバックURL

トラックバック一覧

1. ■書評■葛藤の末の深い気づき 「なぜ私だけが苦しむのか」H.S. クシュナー  [ 書評ブログ=行動読書=by月間100冊超 多読書評ブロガー石井 ??人生の可能性を切り拓く?? パワーブロガーへの道 ]   June 13, 2009 00:52

多読書評ブロガーの石井です。 人は悩み・葛藤があるから成長していくことができます。 セミナーや本を読んで分かったつもりになっている人っていませんか? はい、私です。。。 簡単に分かってしまうことって実は心に残らなかったりします。 葛藤して悩んで...

コメント一覧

1. Posted by 一般法則論者   May 09, 2009 01:38

一般法則論のブログを読んでください。
  一つ、答えが見つかるかも知れません。
  一般法則論者

  

2. Posted by あp   May 09, 2009 21:20

宗教家のイメージとして、何でも「神様のおぼしめし」
ってしてる感じがあって現実的な視点から
あまり物事を語ってないようなところがあるような感じがあるけど、

「耐え忍ぶことのできる範囲内の苦しみを与えているというのなら、神には計算違いが多すぎます。」
とか、
「すでに、こうなってしまった今、私はどうすればいいのだろうか?」
とか

この本では物事を現実的な視点から見ているようで
すごく納得して読めそうな気がする。

まだ読んでないけど、祈ってれば困難がなくなる
わけではないこの世界で必要なことを悟れそう。

3. Posted by Master@ブログの中の人   May 09, 2009 23:49

>>一般法則論者さん

一般法則論、チェックしてみます。

>>あpさん

宗教家の本ですが、より現実的な視点から物事を考えられておりますので、納得して読めます。

また、相談を受ける立場としても、この本がとても勉強になります。

コメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価:  顔   星