December 01, 2009

難病東大生

難病東大生
難病東大生

キーワード:
 内藤佐和子、多発性硬化症、難病、できること、ラッキー
多発性硬化症を患っている著者によって、難病を患っていても、できることがたくさんあると教えてくれる良本。以下のような目次となっている。
  1. 1章 私、難病なんですか…?
  2. 2章 「できない」なんて言わない!
  3. 3章 難病でも、自分の足で前進できる
  4. 4章 私、これからも元気です。
(目次から抜粋)
編集者である友人、綿谷氏から頂いた本。基本的に献本は受け付けないが、この本は例外。古くからの友人であるからというのも理由の一つだが、一番の理由は、自分自身もわりと難病の腎臓病を患っているから。なので、この本はとても関心を持って読めたし、同時に著者の内藤さんはすごい人だなぁと思った。

この本を読んで、自分自身が難病を患っていて感じてきた気持ちと同じようなことが示されていて、とても共感できた。そして、病気に対する捉え方、考え方が今の自分と結構似ていると思った。それと同時に、自分も著者と同じようなプロセスを経て、難病とともに生きていく覚悟というか、自分自身の生き方の方向性を見出しつつある境地にあるということを再確認できた。

さて、本の内容について詳しく触れておこう。

著者である内藤さんは、タイトルにあるように東大生である。文科三類に一度入学するも、弁護士になりたいという夢をあきらめられず、文科一類に再入学を果たす。しかし、ゴールデンウィークを過ぎたあたりに、足がふらつき始めることに気づく。そのため、病院でCTなどの検査をするも、3ヶ月ほど病気の詳細はわからないという事態に。脳外科から神経内科に行った後、一生治らない病で、中枢神経系の脱髄疾患の一つである、『多発性硬化症』であると診断される。多発性硬化症を患うと、人によって出る症状がまったく違うが、ある日突然目が見えなくなったり、足がしびれたり、手が動かしづらくなったり、排尿障がいがでたりするらしい。著者の場合はすでに、手足がしびれたり、視野が狭くなったりしているようだ。

治療としては、MRI撮影をしたり、ステロイドを点滴したりするようだ。ステロイドは副作用も多く、不安があると示されているが、その通りだと思う。自分も毎日ステロイドを飲んでいるので、とてもよく分かる。

多発性硬化症と診断された著者は、以下のように感じられたようだ。
 「心身ともに健康な者」
 これまではただの「決まり文句」のようにしか目に映っていなかった言葉が、今では重くのしかかる。留学プログラムや海外渡航プログラム等、身体が健康でないとできないことは無限にあると知った。
 できないこと(もしくは医者にしないほうがいいといわれていること)なんてたくさんありすぎて、書き出すこともできないくらい。
 だけど、それを悲観して、「私、難病になっちゃったから、もうなんにもする気が起きない」と言うのも悲しいし、何よりも自分が自分を諦めるようでとてもつらかった。
(pp.43)
これは痛いほどよく分かる。自分自身に関して言えば、腎臓病を患うことによって、高たんぱく、高塩分の食事を摂取することができなくなった。残業制限もあって、そこまで激しく働けないし。医者に治らないとか宣告されると、やはり自分で自分を諦めてしまうようで、辛いことこの上ない。

しかし、著者は、こんな体験に対して、『ラッキー』だと思えたようだ。
 今の言う「ラッキー」は、世の中のことをこんなに真剣に考えさせてくれて、すごく成長できたという意味だ。本当にすごい経験をさせてもらった、その感謝の気持ちをこめて使っている。
 難病になってから「命」や「仕事」、そして「生き方」についても考えるようになった。
 弱い立場の人の気持ちをはじめて肌で感じることができたからこそ、社会的弱者を救うために目指していた弁護士を、本当に当事者は求めているのか、ということも考えることができた。
 もし、病気になっていなかったら、今よりもずっと自分勝手で傲慢な人間だったかもしれない。好きなように生きて、わがまま放題で、結婚もせず、気づいたら一人ぼっちの人生を送っていたかもしれない。
(pp.44)
ここまでの境地に至るまでは、相当大変だったと思われる。自分も少なからず著者のように感じられるようになってはきたが、この境地に至るまではそれなりに長い時間がかかった。自分は3年ほどかかった。自分も必死で、毎日自分の生き方を考えていた。それが、このブログの始まりから書評500冊目までの軌跡でもある。だから、著者のように『ラッキー』と考えられるのは、いくらポジティブ思考といえども、そう簡単には到達できない境地だと思う。そして、著者と自分が決定的に違うのは、思うだけにとどまらず、自分ができることを考え出し、行動に移し、それなりの成果を出していることだなと思った。

「難病だからできない」という思い込みを払拭し、著者はいろいろなことにチャレンジをする。学生時代には、学生ベンチャー企業の経営陣になったり、ビジネスプランコンテストで優勝したり、GREEでアクセス数No.1を獲得したり、ハリウッド映画にエキストラで出演したり、多発性硬化症の専門家である教授に会いに行ったり、難病患者支援のための基金を設立しようと奔走したり、と本当にすごく活動されていて、純粋にすごいと思った。そして、以下のように達成してきたことを振り返られている。
 そして思ったことを本当にやる気になれば、必ず道は開けると思う。右も左もわからない私が、「やる気」だけでビジネスプランコンテストで優勝したように。また、親友と一緒にヨーロッパ旅行ができたように。そして今こうして、本という形を通して、たくさんの方に難病のことを知ってもらうきっかけを作ることができたように。
 思ったことを願い続ければ、必ず道は開けると思う。

 「病気だからできない」と思っていたけれど、「病気だからこそできる」と今では考えるようになってきた。目の向け方、気持ちのもち方で私の人生の景色が見違えるように変わってきた。
(pp.134)
一度病んでしまうと、どうしてもできないことばかりに目が行ってしまう。こればかりはしょうがないことで。自分もあれもこれもできない、これからどうしようか?と途方に暮れていた。しかし、ほんの少しずつ、自分自身の現状を受け入れる過程で、病んでいてもできることは何か?、むしろ病んでいる自分だからこそできることは何か? と考えられるようになりつつある。そう考えられるようになると、本当に人生の景色が違ってきて見える。ほんの少しずつで、著者ほどではないにしても。

著者は、多発性硬化症をはじめとする難病について、世間であまり認知されていないことに憂いている。そのため、『東大生』という肩書きを、戦略的に使っておられる。
 とくに、メディアに取り上げられなくては私の「多発性硬化症」なんて病気、一生知らないかもしれない。そういう意味では、東大生というブランドはすごく価値があるように思えた。東大の入学式にはメディアが来る。東大はよくも悪くも日本の中である種のブランドを形成しているはずだ。
 だから私は隠さない。
 もしかしたら、東大に入った人が難病になったと言ったところで、「東大」のネームが邪魔をして共感を呼んでくれないかもしれない。実際に反感を買って、心ないことを言われることも少なくない。
 だけど私が本を出して声を張り上げて言うのは、どんな形で取り上げられようとも、それで難病のことが少しでも表にでてくればと願うから。
 私が貢献できるのは、難病の人がこんなに近くにいることを知ってもらうことだと思っている。難病でも、たくさん勉強をしたり、たくさん遊んだり、そしていっぱい恋愛をしたり。生命の営みはみんな同じで変わらない。

 すぐにこんなことを考えられるようになったわけではない。
 それどころか私は、病気になってから「カミングアウト」するまでに、二年以上かかっている。
(pp.141-142)
やはり『東大』と肩書きにあると、東大出身でもない自分は身構えてしまう部分は少なからずある。もし自分が病気になりたてのころ、現状を受け入れられないときにこの本を読むと、著者がそこまでできたのは、東大生だからじゃないか、とかひがんだりしてしまう部分があったと思う。でも、それは違うと思えるような境地に至りつつある。著者がそこまで活動的になれたのは、『難病のことをもっと知ってほしい』という本当に強い思いがあったからだと思う。そういう思いが、本書全体を通してしっかりと伝わってくる。

そして、自分もまた完治しない病気を患っている身として、自分にできることは何か?と考えたとき、病んでいる人や生きにくさを感じている人たちに、このような良書の存在を広く知ってもらうことではないかと思ったりする。病んでないとわからないこと、見えてこない側面ってかなりある。普通とは違う生き方をせざるを得なくて、どうしても人との違いを意識させられる。そういう自分だからこそ、選出できる本があるのではないか?と思うようになり、このブログを続けている。

自分も病気を「カミングアウト」できるようになるまでは長い時間がかかった。自分の場合は、3年半くらいはかかった。そして、自分の使命に目覚めつつある境地に至るのも、それくらい時間がかかった。

最後に一箇所引用。
 今まで出会った人の中に、障がいや病気を抱えた人がきっといる。
 もし、そんな人が近くに一人でもいたのなら、同情ではなく、ただ声をかけてあげてほしい。
 みんな友だちがほしいのに黙っている「寂しがり屋」さんだから。そして人に傷つけられるのが怖くて自分から話しかけられない「怖がり屋」さんだから。
 私たちは難病になったとたん、これまでの「普通の生活」とは別の生活を余儀なくされてきた。今まで生きてきた世界の中にいるはずなのに、まるで「別世界」を生きているかのような感覚に陥ってしまう。
 難病になってもみんなと同じ居場所にいたかった。
 「心のバリアフリー」がほしかった。
 病気が悪化したとき、私はどんどん自分で自分に壁を作ってしまったことを今ではとても後悔している。友だちに対しても社会に対しても壁を作ってしまった。
 もちろん私に責任があったんだけど、そんな壁を作らせないような、本当のバリアフリーがある世の中になればいいのにな・・・・・・。
 わがままな願いなのかもしれない。
 だけど、「見えない障がい」をもつ人への、「見えない病気」をもつ人への、「見えない何か」を持つ人への、「特別視」ではなく、普通に存在を認めてあげられる「心のバリアフリー」の世界に生きたい。
(pp.48-49)
自分も切に「心のバリアフリー」の世界に生きたいと思う。

著者は自分と同じ84年の早生まれらしい。つまり同学年。本書を読みつつ、ここまで活動されているのに、自分はあまり何もしていないのではないかと思ったりした。この差はいったいなんだろうな?とも思ってしまった。本当に著者も本書で示していたように、「泣いている時間がもったいない」と思えてくる。自分も何かしなくては、と思わせてくれる。まずは自分ができることを少しずつやっていきたい。

自分の場合は、このブログの運営であったりする。将来的には、再生医療に投資したり、腎臓病患者のためのレストランを作れたらなぁと思ったりもする。後は、この読書ブログの具現化とかね。

もし、難病を患ってしまったら、自暴自棄にならずに以下の本も読んだほうがいい。本当にお薦め。そして、『難病東大生』は、病んでしまったときに読むべき本の御三家目という位置づけとしておきたい。それほどの良書だと思った。

病んでいる人、もしくは周りに難病を患っている人がいたらぜひ読んでみて欲しい。きっと、病気とともに生きていく勇気を感じられるから。



難病東大生
難病東大生
著者:内藤 佐和子
販売元:サンマーク出版
発売日:2009-10-09
おすすめ度:5.0

読むべき人:
  • 不治の病を患っている人
  • 普通と違う生き方をせざるを得ない人
  • 「できない」という思い込みを払拭したい人
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