December 19, 2009

だから人は本を読む

だから人は本を読む
だから人は本を読む

キーワード:
 福原義春、読書、教養、古典、書友
資生堂の社長、会長を勤められた人による、読書論。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 私の読書体験
  2. 第2章 読書と教養
  3. 第3章 仕事は読書によって磨かれる
  4. 第4章 私が影響を受けてきた本
  5. 第5章 読書と日本人
  6. 第6章 出版・活字文化の大いなる課題
(目次から抜粋)
著者は資生堂に入社し、そこから米国法人社長、代表取締役社長、会長、名誉会長、さらには東京都写真美術館の館長まで勤められた人である。そんな人によって、これまで影響を受けてきた本、読んできた本、読書の必要性などがエッセイ調に示されている。

このような読書論はもうそれなりに読んできたので、特に新しいことを期待していなかった。読んでみると、まぁ、大体予想したとおりの内容が示されていた。それでもなぜこの本を読んだかというと、一つの仮説として、大企業のトップに立つ人たちの共通認識として持つ読書経験があるのではないか?ということを確認するためである。

この本の主張を簡潔に示すならば、『よりよく生きるためには先人の知恵をうまく取り入れましょう、そのためには本を読みましょう、そして表層的なノウハウ本だけを読むのではなく、古典も読みましょう』、ということになる。

特に共感できた部分を引用しておく。

最初に『社長という重責の下で』という節タイトルのところから、資生堂の社長に就任し、責任を果たさないといけないと感じられたところを引用。
 そうなると、気を抜くことのできない毎日の中で本を読む時間はいよいよ貴重に思えるようになった。しかしそれはそれで、出張の機会も多くなり、列車や飛行機やホテルで本を読む時間を作れるようにもなった。そこで読む本の中心は人生やリーダーに関するものに興味がわいてきた。今でも『―の仕方』とか『―で成功する方法』というようないわゆるハウツーものはあまり読んでこなかったし、それはそれで正解だったと思うのだが、このたびも『リーダーはかくあるべし』というような本よりは人間学とか人生論とか世界観のような、もっと本質的なものを読まなければ根本的に解決にはならないと考えていたからである。
(pp.33-34)
これが組織のトップに立つ人の読書観なんじゃないかと思う。大企業のトップとなると、大局観を養っていなければとてもつとまらない、ということなんだと思う。だから、そういうものを養える本を読みましょうということになる。

著者の読書観が端的に示されている部分を以下に抜粋。2章の『本を読むということ』から。
 しかし、実際にはその経験や思想の一部が文字になって残り、そしてまた活字、本になって残っている。われわれの先祖である膨大な数の人たちが考えたり、人生体験をしたり、冒険をしたり、あるいは一生かかって思想を作ったりしたのだから、本を読むということは何かと突き詰めて考えていくと、数多くの先人たちの体験や考えかたなどを、私たちが比較的容易にいくらでも吸収することが可能であるということである。ソクラテスが何十年もかけてようやく到達した思想が、本を読むだけでわかるのだから、読まないのは何ともったいないことか。自由に使える知の金庫があって「さぁ、お入りなさい」と扉が開いているのに面倒くさがって入らないのと同じことで、そう思うと読まずにいられなくならないだろうか。
(pp.46)
やはり、読書とはこういうことだと思う。これはもう全面的に同意。だから、この読書ブログのヘッダー部分にも『道に迷ったら、先人の智慧を借りればいいと思うよ。』と示している。

著者が示す『自由に使える知の金庫』は、図書館のことだと思う。本屋じゃなくて、図書館。しかも、最近はやりのベストセラーがおいてあるような街の公立図書館、ではなく、大学にあるような図書館。そういう知の金庫に入って、自分はいつまでたっても出られなくなっている状況だったり(笑)むしろ自分専用の知の金庫である図書館を作りたいと思ったりもする。

そして、古典について、以下のように示されている。『知は古典によって得られる』から。
 古い書物には、われわれの先輩が到達した人生観、思想、あるいは世界観、そういうものが述べられているし、さまざまな人生体験、未踏の地に行ったり、あるいは事件に巻き込まれたりしてどうなったかということがすべて書かれている。であれば、それを図書館に積んだままにしておいてひもとくことをせず、私たちがまた自分であらたに一つひとつの体験に取り込んでいくのは、無意味で非効率なことなのではないだろうか。
(中略)
 繰り返しになるが、要は、今いる私たちがどのように生き、どのように死んでいくのかということ。そしてそのために、本を書いた著者と向き合って、あなたがどのように生きて、どのように亡くなったのか、そして、あなたが人生でいちばん愛したものというのはどんな価値であったのか、何であったのかを著者と対話するということ。それが、古典を読むことの意味になってくると思う。
(pp.48-49)
古典を読むのはとんでもなく骨の折れる行為だったりする。漢字が読めないし、書かれたときの歴史的背景がよく分からなかったりするし、1ページの文字量が半端なく多く、読むのに時間かかりすぎなど、読まない理由はいくらでもあげられる。しかし、ハウツー本を多読するよりも、古典をじっくり紐解いたほうが、結果的に効率がよいというか、得られるものが多い気がする。

古典には直接的に役に立つことなんかあまり書いてないけど、その物語であったり教訓であったり世界観であったりを時間をかけて追体験することで、必然的により多く考えることにつながり、運がよければ開眼するような人生観が変わるようなものに出会えるのだと思う。というようなことを今年一年割と考えていた。

4章で著者が影響を受けてきた本として、以下のようなものが挙げられている。
  1. ラ・ロシュフコー・・・ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫)
  2. カエサル・・・ガリア戦記 (岩波文庫)
  3. 鴨長明・・・方丈記 (岩波文庫)
  4. リチャード・ファイマン・・・ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)
  5. 寺田寅彦・・・『電車の混雑について』寺田寅彦全集 第二巻 随筆
  6. 司馬遷・・・史記〈1〉覇者の条件 (徳間文庫)
  7. アゴタ・クリストフ・・・悪童日記 (ハヤカワepi文庫)
  8. 川喜田二郎・・・パーティー学 (現代教養文庫 495)
  9. ジャン=ポール・サルトル・・・嘔吐
  10. 萩原朔太郎・・・猫町
  11. 谷崎潤一郎・・・陰翳礼讃 (中公文庫)
  12. 宮沢賢治・・・新編銀河鉄道の夜 (新潮文庫)
  13. アルチュール・ランボー・・・地獄の季節 (岩波文庫)
  14. ウンベルト・エーコ・・・薔薇の名前〈上〉
読んだことのあるのは、サルトルくらいか。内容はまったく覚えてないけど・・・。

やはり大企業のトップに立つ人は古典を読む傾向があることがわかった。たぶん、出世したから古典を読み始めたのではなく、若いころから読んでいたからトップにまで上り詰めたんだと思う。ということで、『組織のトップに立ちたければ、若いときから古典を読め!!』と言えるんだと思う。たぶん。

似たような主張、本は以下の2冊かな。特に上2つは、同じような経営者による読書観が示されている。

来年は読む本のレベルを上げようと思う。つまり、古典を多めに読むことにする。



だから人は本を読む
だから人は本を読む
著者:福原 義春
販売元:東洋経済新報社
発売日:2009-09-11
おすすめ度:4.0

読むべき人:
  • 読みたい本を探している人
  • ノウハウ本ばかりを読んでいる人
  • 将来組織のトップに立つような経営者になりたい人
Amazon.co.jpで『福原義春』の他の本を見る

bana1 教養主義的読書クリック☆ にほんブログ村 本ブログへ



トラックバックURL

コメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価:  顔   星