December 27, 2009

自分探しの哲学

自分探しの哲学―「ほんとうの自分」と「生きる意味」
自分探しの哲学―「ほんとうの自分」と「生きる意味」

キーワード:
 竹田青嗣、哲学、自分探し、本質、人生論
哲学者によって、哲学を媒体とした人生論エッセイが示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 少し長めのまえがき 哲学を知れば、人生はうまくいくのか?
  2. 第1章 子どもの哲学
    1. いたずら
    2. 自己愛
    3. なぜ学校へ行くのか
    4. 親子関係のねじれ
  3. 第2章 若者の哲学
    1. 自己意識の自由
    2. 自己意識の三類型
    3. ほんとうの自分
    4. 自己ルール
    5. 人間関係
    6. 三枚の世界像
    7. ほんとうのこと
    8. 初恋
    9. 恋愛術はあるか
  4. 第3章 大人の哲学
    1. 失恋
    2. 本当に絶望すること
    3. ルサンチマン
    4. 愚かな人賢い人
    5. 死の恐怖とどう向き合うか
    6. 芸術とはなにか
    7. 床屋政談の愉快
    8. 幸福と不幸
    9. ニヒリズム
    10. 人生の目的
  5. 少し長めのあとがき
(目次から抜粋)
著者によれば、哲学とは、ものごとの「本質」を捉える方法であり、この本の目的は、難解な哲学を解読することと、哲学の考え方から人間の生活を考えてみようとする人間学を示すこととある。

主に近代哲学を主題に、さまざまな哲学者の考え方を引用し、人が生きる意味や本当の自分など存在するのか?といったことや、恋愛すること、幸福や不幸について、人が生きていく上で直面することなどが解説されている。

すべての項目を網羅的には示せないので、特に自分がなるほどと思った部分を引用しておく。

ほんとうの自分』という節では、なぜ人は「ほんとうの自分」を探したりするのか?ということに関して、ニーチェのルサンチマン(恨み)から説明がされている。
 人が「ほんとうの自分」がどこかにあるのではないか、と考えたくなるのは、このような事情で、生きていることの不遇感や不幸の感じがたまってくるときです。しかしニーチェが看破したように、「ほんとうの自分」とは「ほんとうの世界」=(真の世界)という観念と同じで、どこにも存在しません。「ほんとうの自分」がどこかにあるはずだ、という推論に力を与えるのは「苦悩」なのです。
(pp.69-70)
ついこの間まで、ずっと自分も今の自分は、本当の自分ではないと思っていた。そのときは、生きていることそのものが苦痛で、毎日が苦行のように感じられた。

しかし、本書によれば、「ほんとうの自分」とは、自分の内側にも外側にも存在せず、そういうものを探し始めると必ず徒労に終わり、それどころか、ルサンチマン(恨み)をいっそうためることになるとあるようだ。

ここでいうルサンチマンは、なぜ自分だけがとか、回りをひがんだり、羨んだり、さらには恨んだりするというような態度らしい。さすがに自分はそこまでルサンチマンを抱かなかったけど、他にあるべき自分があったのではないか?と考えてばかりだった。

さらに、「ほんとうの自分」について、以下のように示されている。
「ほんとうの自分」という観念はその本質を「ほんとうの世界」と同じくしています。「この世は苦しい。だからほんとうの世界(自分)が存在するはずだ」。これが問題の推論ですが、ニーチェはこう書いています。
 「こうした推論をなすような霊感をあたえるのは苦悩である。すなわち、根本においてそれは、そのような世界があればとの願望である」(『権力への意志』)
 つまり、「ほんとうの自分」とは、苦悩からの逃亡であり現実の否認の結果です。必要なのは「ほんとうの自分」を見いだすことではなく、「自分を捨てること」でもなく、ただ時間をかけて「自分を作り上げること」です。
(pp.74)
哲学書ではないエッセイなどの他の本でも、「ほんとうの自分」といったものは存在せず、自分で自分を作り上げることだ、ということが示されていたりする。やはりそうなのかなと思った。

まだまだ完全に苦悩していない状態である、とは言えないけど、現実を受け入れて、理想とする自分と現状の自分のギャップを認識し、そのギャップを埋めるようにしていけばいいのかなと思った。それまでに、どれほど時間がかかるかはわからないけど。

ただ、「本来あるべき自分になる」とか「自分を探す」ということは、もうすべきときじゃないんだなと思った。

もう一箇所、特になるほどと思った部分を『恋愛術はあるか』という部分から抜粋。
 恋愛の秘術というのはありません。一握りの好運に恵まれた人以外は、みな自分の乏しい持ち物と能力の範囲内で、自分の相手を見つけるべく努力するほかない。みなそれぞれデコボコがあって、ステキな、美しい関係というのはつねに稀です。挫折と後悔と切なさが恋愛の思いの一般型なのです。しかし、哲学的な原理として言えば、ほとんどの人がそういう条件のうちにあるということは、より多くの人がいまよりももっと愛したり愛されたりできるようになる、という可能性を孕んでいます。なぜ多くの人が愛し愛されるということを望んでいるのに、ごく僅かな人々しか十分に愛しあえないのか。その「すれちがい」が何に由来するのかをよく理解すること、これがつねに恋愛の最善手なのです。
 愛しあったり気遣いあったりすることは、人生においてどうしても必要な種類の欲求です。ここでは、余りに「ほんとう」や「理想」を求めすぎると生の必要を壊してしまうことがある。誰かとやっていくとき、これは自分の「ほんとう」のものではなかったのにという気持ちが、互いに思いあうことを決定的に傷つけにくることがあるのです。
(pp.139-140)
男女の恋愛関係は、最初は「カワイイ」とか「カッコイイ」とか性欲に結びつくようなエロス性から始まったりする。しかし、このエロス的な男女の関係には、恋愛と性欲に関して「幻想と欲望のズレ」が存在するのが常である。そのため、そのズレをうまく調整しあいながら、お互いを尊敬しあい、あるいは許しあえたりすることが重要になるらしい。

そのためには、2人で何度も話しあったり確かめ合ったりして調整してゆく中で、相手の人間性を理解していくことが重要らしい。このよな関係が、共生関係となるらしい。

恋愛がうまくいかない理由を知るには、「すれちがい」を理解することと示されているが、その通りかなと思った。今まで、その「すれちがい」が何なのかさっぱりわからなかった。でも、今年、いろんなことを考えたりした中で、その「すれちがい」の要因が自分の内面にあるのではないか?ということがわかった。

今年は、ジョブウェブ(就職活動サイト ジョブウェブ)の自分未来塾で『自分学』というセミナーを受講していた。それは、自分を哲学するというテーマで、自分自身を知るという内容であった。

そのセミナーや今年500冊レビュー達成を通して、自分自身についていろんなことを考えた。自分の今までの過去、そして現状で不治の病を患っているということ、自分の生きている意味、そしてこれからの生き方といったものを過去ないくらいに考えたと思う。そういう思索が多かったのが今年の傾向だったと思う。

そして、そのような自分を哲学するということから、自分自身の生き方がようやく地に足が着いてきたのかなと感じられるようになったと思う。その集大成として、この本を読み、改めて自分のことをより考えることができて、良かったと思う。

古今東西のいろいろな哲学者の引用が多いが、扱われているテーマは、誰しも一度は少し考えたことがあるような内容だと思う。それらの内容に対して、著者がわかりやすくエッセイ調に解説しているので、もちろんすぐには読了できないが、時間をかけて読みながら思索をする価値は十分にあると思う。

年末年始の休暇中に、これまでの生き方やこれからの生き方、自分自身について、自分の人生について、ゆっくり思索してみるのも一興だと思う。



自分探しの哲学―「ほんとうの自分」と「生きる意味」
自分探しの哲学―「ほんとうの自分」と「生きる意味」
著者:竹田 青嗣
販売元:主婦の友インフォス情報社
発売日:2007-04
おすすめ度:5.0

読むべき人:
  • 人生に疲れている人
  • 自分自身について深く考えたい人
  • 自分の人生に意味があるのか?と考えたことがある人
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コメント一覧

1. Posted by 村石太マンR18   June 20, 2010 20:53

恋愛と性欲で 検索しました。
人はそれぞれ 個性があって 違うのだけれど
どれくらい違うのであろう。性欲も違うのかなぁ
性欲とは精神からくるのだろうか 誰かが 仮定を立てたけれど 性欲は ストレスだと
真実の愛が あって 性欲が 生まれる。
つづく

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