June 23, 2013

月と六ペンス

月と六ペンス (新潮文庫)
月と六ペンス (新潮文庫) [文庫]

キーワード:
 サマセット・モーム、ゴーギャン、情熱、芸術家、故郷
サマセット・モームの画家ポール・ゴーギャンをモデルとした小説。以下のような目次となっている。
平凡な中年の株屋ストリックランドは、妻子を捨ててパリへ出、芸術的創造欲のために友人の愛妻を奪ったあげく、女を自殺させ、タヒチに逃れる。ここで彼は土地の女と同棲し、宿病と戦いながら人間の魂を根底からゆすぶる壮麗な大壁画を完成したのち、火を放つ。ゴーギャンの伝記に暗示を得て、芸術にとりつかれた天才の苦悩を描き、人間の通俗性の奥にある不可解性を追究した力作。
(カバーの裏から抜粋)
どういうわけか、割と絵が好きで美術館に行ったりする。単に東京で生活していると、有名な画家の作品展が開催されていたりするので、たびたび東京で生活し始めた当初から絵を見に行った。ポール・ゴーギャン展も2009年に開催されて、それにも行った。なので、ポール・ゴーギャンをモデルとしたこの作品は気になっていた。あとモームという作家でもあったので。

あらすじはwikipediaを参照したほうがはやいかもしれない。ポール・ゴーギャンをモデルとはしているけど、完全にゴーギャンの一生をそのままトレースしているわけでもないようだ。物語は作家である28歳くらいの『僕』によって語られる。イギリスで証券会社に勤めていたストリックランドという男が、絵が無性に描きたいのだと言って、妻子を捨てて絵を描き始める。ストリックランドは常に貧乏で食うものも困っており、仕事も長続きせず、周りには無関心で『僕』に対しても皮肉ったりしているが、絵だけを描ければ他には何もいらないというようである。そして3流画家のストルーヴの妻を結果的に自殺させることになり、タヒチに行って絵を描き続けて最後に大作を完成させて病死するいうお話。

すごく面白い!!というような作品でもないのだけど、それでも芸術に取りつかれた男の人生を通して、芸術とは?、芸術に一生を費やすということがどういうことなのか?が少しは分かったような気がする。そしてまた、人というものは予想外の行動に出たり、人間の本質的なものを理解するのはなかなか難しいのだなという『僕』の視点を通しても何となくわかった。

普通は小説の文中に線を引いたりはしないのだけど、これはと思うところがいくつかあったので、そこを紹介しておこう。一つは3流画家で自身の描く絵は全然よくはなく、人物像をとっても周りから嘲笑の的になりつつあるが、本物の作品を見ぬく目はだけは確かなストルーヴの芸術観。
「いいがい、美という、およそ世にも貴いものがだよ、まるで砂浜の石塊みたいに、ほんの通りすがりの誰彼にでも無造作に拾えるように、ころころ転がっているとでも思うのかい?美というものは、すばらしい、不思議なものなんだ。芸術家が、己の魂の苦しみを通して、世界の混沌の中から創り出すものんだな。だが、それで美が創り出されたからといって、それを知るということは、人間、誰にでもできるもんじゃない。美を認識するためには、芸術家の経験を、めいめい自分で繰返さなければならない。いわば芸術家が、一つのメロディーを歌って聞かせてくれる。それをもう一度僕らの心で聞こうというには、僕らに知識と感受性と想像力とが必要なんだ」
(pp.140-141)
特に最後の一文が腑に落ちたというか、なるほどなぁと思った。知識だけだと感覚的に感じることはできないし、その他の画家からどういう影響を受けてきたのかという経緯が分かったほうがより深く鑑賞できるし、さらに現物の絵を見ながら画家が何を思ってこの作品を描いていたのか?と想像するのも大事だということかなと。東京ライフを始めてたぶん4,000点ほどは絵を見てきたけど、最近やっと絵の見方が何となく分かってきたかなと思う。それでも、まだ自分の知識も感受性も想像力も完成されてはいないと思う。

あと一つは、ストリックランドがなぜ絵を描き続けてきたのかという根源的な部分となるところ。
「ちょうど僕がね、甲板洗いをやっているときだった。誰だか突然、ほうら、あれだと言ったやつがある。ふと顔を上げて見ると、この島影さ。僕は即座に思ったねえ、これだ、ここだ、僕が一生訪ね歩いていた場所は、とね。そのうちに近づいてみると、なんだか僕にははじめての場所だという気がどうしてもしない。僕はね、今でもこの島を歩いていると、故郷のような親しみを感じてくることがある。そうだ、たしかに僕は前にもこの島にいたことがあると、そう言いたくなるのだ」
(pp.354-355)
そういう原風景のような場所を求めてずっとストリックランドは描いていたのかもしれない。自分の生まれた場所とは違う、そういう魂の故郷みたいなものを感じたことはまだないのだけど、世界を旅するうちにそういう風景に出会うのかもしれない。でもなんとなく自分にとってのそういう場所はヨーロッパの中世的な街並みのような場所かもしれないなぁとテレビとかネット画像を見ているとそう感じる。実際には行ったことがないのだけどね。

あとは余談ではあるけど、ゴーギャン展で見た絵で感じたのは、単純な絵の技巧的なものよりも、赤や黄色、橙色などの独特の色使いによるエネルギーだなと思った。特にタヒチを舞台とした絵からは『情熱』という言葉がぴったりのものを感じた。単純に綺麗だなと感じるものとは別のものだなと思った。それは本書の最後に出てくるストリックランドの家の壁一面に描かれた絵のモデルになったと思われる『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』にも強く感じた。とても大きな絵で、畏怖とともに圧倒されるようなものだったね。

『月と六ペンス』というタイトルは作中には何も出てこないので、何のことか分からなかったけど、解説の最後にちゃんと以下のように説明があった。
 最後に、『月と六ペンス』という題名は、スタンダールの『赤と黒』のごとき象徴的意味を持つもので、「月」は、人間をある意味での狂気に導く芸術的創造情熱を指すものであり、「六ペンス」は、ストリックランドが弊履のごとくかなぐり捨てた、くだらない世俗的因襲、絆等を指したものであるらしい。
(pp.439-440)
これは勉強になった。月はいろいろと昔から人を魅了するらしいからね(あと今日はたまたまスーパームーンの日だね。雨で見れないけど・・・)。

読んでいるとタヒチに行きたくなってくる。そんで、こんなクルーズ船プランがあるっぽい。いつかこれに乗って『月と六ペンス』を読みつつタヒチ行きたいなぁ〜。たぶん50万円くらいかかると思うけど・・・。

この作品は、あまりゴーギャンの絵の先入観に縛られずに読んだほうがいいかもしれない。それでも、読み終わったら、機会があればタヒチには行けなくとも、ゴーギャンの絵は見たほうがいいかなと思った。

芸術家を突き動かす情念や、人は何をやっているときが一番幸せなのか?ということを考えさせられる作品だった。そしてなぜ人は絵を描くのか?という一つの側面を垣間見れた気がする。

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月と六ペンス (新潮文庫)
月と六ペンス (新潮文庫) [文庫]
著者:サマセット・モーム
出版:新潮社
(1959-09-29)

読むべき人:
  • タヒチに旅行に行く人
  • 原風景を求めて旅をしている人
  • 昔、絵を描きたかった人
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