April 23, 2014

奔馬

キーワード:
 三島由紀夫、思想、革命、陛下、幻想
豊饒の海シリーズ第二巻。以下のようなあらすじとなっている。
今や控訴院判事となった本多繁邦の前に、松枝清顕の生まれ変わりである飯沼勲があらわれる。「新風連史話」に心酔し、昭和の新風連を志す彼は、腐敗した政治・疲弊した社会を改革せんと蹶起を計画する。しかしその企ては密告によってあえなく潰える……。彼が目指し、青春の情熱を滾らせたものは幻に過ぎなかったのか?―若者の純粋な<行動>を描く『豊饒の海』第二巻。
(カバーの裏のあらすじから抜粋)
第一巻は『春の雪』で、大正期の貴族の若者たちの悲恋の物語であった。第二巻の『奔馬』の主人公は、飯沼勲という19歳ほどの剣道をやる少年である。父は『春の雪』の主人公、松枝清顕の教育係であった飯沼茂之である。松枝清顕の友であった本多は、清顕の最後の言葉『今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で』の通り、清顕の生まれ変わりである飯沼勲に出会う。しかし、勲は自分自身が清顕の転生の結果であることは知らず、昭和初期の日本の現状を憂い、同士を募り、革命を起こそうと企てる、というお話。

『春の雪』は、どちらかというと清顕の精神的な未熟さが要因で悲恋に向かうような、そんな印象を受けた。自分の確固たる信条というようなものもあまりなく、自分で自分の内面があまりよく分かっておらず、気づいた時には聡子は仏門に下り、二度と会うことなく清顕は病死する。そんなはかない物語。

しかし、清顕の生まれ変わりである勲は確固たる自分の信条、自分がやるべきことが19歳にして明確に分かっていて、ブレのない人物像として描かれている。日本の農村の凄惨な状況、政治の腐敗、財閥の亡国的行為を目の当たりにしているときに読んだ明治初期に刀で蹶起した若者たちが描かれている「新風連史話」に影響を受け、それを昭和初期でも再現しようとする。最後は、海の向こうに上ってくる日輪を臨み、松の木の下で自刃して自分の人生を締めくくることが理想として決心している。

そして、勲が清顕の生まれ変わりであることを確信した38歳になった清顕の友人であった本多は、たびたび勲の言動に戦慄しながらも、救えなかった清顕を投射しながら助力して見守っていく。

豊饒の海シリーズは、雑誌連載だったようだ。第二巻である『奔馬』の主人公は、事件後だからこそ自然と推測されるのだけど、主人公勲の日本を憂い、天皇を崇拝する姿勢、そして最後は自刃して自分の生涯を理想的に終えることは三島由紀夫自身の願望の表れであり、それを小説として描き落としたのだろか?と思わざるを得ない。この連載をリアルタイムで読んでいて、最後に三島自身の自刃を目の当たりにした人たちは、まさか本当に蹶起するとは!!と思ったのか、それとも、あぁ、やはりと思ったのだろうか?

勲の純粋さとは裏腹に父、茂之の経営する道場の成り立ち、勲に思いを寄せる鬼頭槇子などの勲を想い抜いた結果、勲に対する思惑が対照的に描かれている。終盤に差し掛かるにつれて、それぞれの行動理念が紐解かれ、それに魅了される。

不思議なもので、一見三島由紀夫の文体は読みづらい印象を受けるが、凡庸で退屈な小説にありがちな、物語の進捗を確かめるためにページ数をやたらと気にするということはなかった。確かに普段読まない日本語が描写に使われており、読み進めるのに時間がかかる。それでも、一文一文を自分の中に紡いでいくと、文章の心地よさと時折訪れる琴線に触れるような、戦慄にも似た感嘆の心境が得られるときがあった。

僕が語るまでもなく、三島由紀夫というのは天才だったのだなと思った。




読むべき人:
  • 日本を憂いている人
  • 日本を変えたいと思う若い人
  • 理想的な死に方のイメージがある人
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