September 02, 2015

鍵のかかった部屋

キーワード:
 ポール・オースター、ニューヨーク、失踪、作家、自己喪失
ニューヨーク3部作3作目。以下のようなあらすじとなっている。
美しい妻と傑作小説の原稿を残して失踪した友を追う「僕」の中で何かが壊れていく……。
緊張感あふれるストーリー展開と深い人間洞察が開く新しい小説世界。高橋源一郎氏が激賞する、現代アメリカで最もエキサイティングな作家オースターの<ニューヨーク三部作>をしめくくる傑作。
(カバーの裏から抜粋)
3連続でニューヨーク3部作を読んだ。

あらすじを補足すると、主人公の「僕」と友人のファンショーは子供のころから家が隣同士で友人関係であった。ファンショーはハーバード大学に進学するも中退し、その後タンカー船員などになって各地を放浪しながら作家になり、「僕」とも次第に疎遠になっていた。「僕」は新進気鋭の批評家になっていたところ、ファンショーの妻、ソフィーからファンショーが失踪したという手紙が届く。

表面上はやはり他のニューヨーク3部作の1作目『ガラスの街』,2作目『幽霊たち』のように探偵小説風になっている。ファンショーの生い立ちを振り返りながら、ファンショーの行方を追っていく過程が。しかし、主人公はファンショーの捨てたもの、妻子、作家としての名声などを引き継ぐように得ていくが、ファンショーについて追えば追うほどファンショーとは自分が考え出した幻影にすぎないのではないかと疑念さえ抱き始める。そして、自分自身が揺らいでいく。

そしてこの物語も主人公の視点は誰なんだ?と引っかかるところが出てくる。例えば以下の部分を読むと。
 しかし、その結末だけは僕にとってもはっきりしている。それは忘れていない。これは幸いなことだと思っている。なぜなら、この物語全体が、結末において起こったことに収斂しているからだ。その結末がもしも僕の内側に残っていなかったら、僕はこの本を書きはじめることもできなかっただろう。この本の前に出た二冊の本についても同じことが言える。『ガラスの街』、『幽霊たち』、そしてこの本、三つの物語は究極的にはみな同じ物語なのだ。
(pp.182)
ここはあとがきでもなく、作中の内面描写部分で、文脈上ここでの「僕」は主人公になる。しかし、どう考えてもここは神の視点でのポール・オースターのように突如口出ししているようにも思える。表面上通りに受け取れば、この作品の主人公が前作の『ガラスの街』、『幽霊たち』を書いたことになる。

また、ファンショーの妻が失踪した夫を捜索するために雇った私立探偵のクインという男が出てくるが、これは『ガラスの街』の主人公と同じ名前である。そして、『ガラスの街』でクインが依頼を受けた男、ピーター・スティルマンも出てきて、本作の主人公の「僕」がフランスで出会う。そんな何気ない演出もあって、ニューヨーク3部作のそれぞれの関係性にいろいろな想像の余地が与えられる。それぞれの作品の世界観が入れ子構造になっているのか?などなど。

3部作に一貫しているのは、表面の探偵小説風であることと、主人公が翻弄されて自身のアイデンティティーが揺らいでいくところだ。そして、時折著者の独白のように作家として物語を書くということはどういうことか?という描写もところどころにちりばめられている。さらに、結末直前まではどうなるんだ!?と盛り上がるのだけど、結末が分かったような分からないような、微妙な感じで置いていかれる側面も・・・。

ポール・オースターの作品を継続して読んでみたが、好きな作家というか、自分に合う作家であることを認識できた。ポール・オースターの作品は暇を見つけて全部読みたいと思った。また、アメリカ文学は多様性に満ちて奥が深いとも思った。




読むべき人:
  • 探偵小説が好きな人
  • アイデンティティーについて考えたい人
  • 物語を書くとはどういうことか考えたい人
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