December 23, 2016

聲の形

キーワード:
 大今良時、障害、贖罪、青春、コミュニケーション
聴覚障害を持つ少女、西宮硝子とその子をいじめていた石田将也の関係性が描かれている作品。漫画は漫画喫茶で読んでいて、そして9月ごろに京アニで映画化されたので見てきて、そしてやはり原作も買ってもう一度読むべきだと思って読んだ。このエントリは漫画単独というわけでもなく、映画も含めた作品評、感想となる。

まず、映画については、これは本当にすごかったというか、いろんな感情を喚起させられて、感動してボロ泣きしてしまうほどの作品だった。映画はそれなりに多く見ているけど、そこまでになるようなものは本当に300本ほど見て1つあるかどうかなのだけど、これはその1作だった。

京アニによって本当に綺麗に映像化されているなぁと思ったし(まぁ、美化されすぎという側面もあるし、客観的にいじめていた人間に好意を抱くことができるのか?と思ったりもするのだけど)、aikoのエンディングテーマ曲もよかったし、漫画原作7巻を130分ほどによくまとめたなぁと感嘆した。必要なシーン、そぎ落とすシーンをうまく取捨選択し、映画だけで完結して映画独自のテーマを提示していたように思える。

ボロ泣きしたのは、もちろんこの作品特有の泣かせようという意図があるという要因も大きい。特にそれは西宮硝子の境遇に対する同情心のようなもので、漫画と同じく独特の魅せる表情で泣かれていると、こっちまでつられて泣いてしまう。しかし、どうしてもボロ泣きした理由がそれだけでは説明できない部分があった。

感動して泣いた理由の内訳は大体以下のようなものだと思う。
  • 辛い、痛々しい、憐憫のような感情・・・5割
  • 結末に対するよかったねというさわやかな気持ち・・・3割
  • 自分でもよくわからない心の内奥をかき乱される気持ち・・・2割
やはり感動といってもいじめのシーンは漫画よりも見ていて辛いものがあるし、半分くらいはそんな気持ちであって、結末は石田が最後にみんなと和解して学園祭を回って、よかったねで終われる。でもそれだけでは普通は泣いたりはしない。もっと描写的には辛い実写映画とか、さわやかに終わる映画を見たりしているが、泣くほどではない。最後の2割はいったい何だったんだろうか?というのが見終わってからもいまいち確信が持てなかった。

そういうのもあって、漫画を速攻で買って読み返した。そしたらそれはコミュニケーション不全を起こしていた主人公たちに自分のことのように感情移入していたんじゃないか?となんとなくわかってきた。それは、伝えたくても伝えられない感情があって、それが心のうちに渦巻いており、そしてそれをどう表現していいかわからない、伝える手段がなくて苦悩して、自分の精神がずっと牢獄に捕らわれて外に出れないようなもので。それがこの作品で聴覚障害と手話、いじめなどによって表現されている、コミュニケーションをテーマとした作品なんだとなんとなく思っていた。

そして、映画公開後に発売された著者インタビューなどが載っている公式ハンドブックを読んで見ると、まさにその通りだった。その部分をほんの少しだけ引用する。
「人と人とが互いに気持ちを伝えることの難しさ」を描こうとした作品です。
(公式ハンドブック pp.170)
なので、『聲の形』というタイトルでかつコミュニケーションがテーマとなっていると語られていた。この部分を読んで、やっといろいろなことが腑に落ちたと思った。自分のこの作品への感じ方は間違っていなかったのだなと安心した(もちろん、作者の意図通りに受け取ることだけが絶対的に正しいということではないし、いろいろな感じ方、受け取り方があってよい)。

おそらく普通の人よりもそれなりに多く映画を見ているけど、これほどに感情を動かされた映画は稀有だなと思った。なので、今年は他にもいろいろな邦画の当たり年であったけど、この作品が今年一番の映画である。

さて、次は漫画について。漫画はやはりいじめのシーンがしんどいというのはあると思う(でも改めて漫画、映画両方見てみると映画のほうがしんどい描写のように思えた)。しかし、いじめそのものは小学生の頃の回想として入っており、1巻がメインで終わる。2巻以降は主に高校3年生になった石田と西宮たちの人間関係の軋轢と修復で進む。なので、1巻を読み終えられたらきっと最後まで読み終えることはできるはずだ。

この漫画が特にスゴいと感じている部分は主に2つある。
  1. 絵柄というか、キャラの表情の描写
  2. 主要キャラのほぼ全員に共感と嫌悪感を抱かせられること
もちろん、いじめや手話、贖罪、青春の物語の側面からもいろいろと示すことができるのだけど、特にこの作品に対して秀逸だなと思ったのはこの2点だ。

まずキャラの表情については、これは作者の前作(原作は冲方丁氏だけど)の『マルドゥック・スクランブル』の主人公、ルーン・バロットの喜怒哀楽がとても豊かに描写されていてよいと感じていた。『聲の形』では、画力が向上しており、よりキャラの表情に磨きがかかっているなと思った。特に声を発することができない西宮の戸惑っている表情、辛そうな泣き顔、照れている顔、嬉しそうな笑顔など、セリフのないコマでとても引き付けられる。個人的にはセリフのないコマが効果的にかつキャラの表情を魅せられることが漫画の良作の基準だと思っている。これが本当に同情心を誘ったり、本能的に感情移入してしまう。ちなみに他の漫画作品で特にキャラの表情がよいなと思うのは『ヴィンランド・サガ』。

そして、次は主要キャラの共感と嫌悪について。これはこれでまたよくキャラを描いているなと思う。石田そのものは小学生時代にいじめていた部分にたいしてひどい奴だという嫌悪と同時に、高校3年生になったときの贖罪の気持ちと、学校で他人が×に見える部分とかに共感した。西宮に対しては、一見憐憫の情だけが占めているようでもあるけど、よく冷静になってみると、意外に意地っ張りで思い込みが激しく植野が指摘するような部分に同族嫌悪のようなものを感じさせられる。

さらには植野のように西宮に対して敵愾心を抱いているところは表面的にはとても嫌な女だなと思ってしまうけど、時折石田に対するかなわない気持ち、切ない表情を見せたりするところにあぁ、わかると共感してしまう。あとは特に西宮の母親の立場も、硝子に対して強く当たりすぎだろと思うけど、父親がいなくなる背景や親としての立場上、そうなってしまうのもわかる、と思えるし。さらには川井は、当事者意識がなく他人事で自分がかわいいと思っている感じで、地味に嫌なタイプだなぁと思うし(作者的には作っているのではなく常時素であるらしい)、かといってそう保身になってしまうのもわかる、と思うし。

石田と西宮をとりまく群像劇で、そのキャラたちの表情や行動それぞれに感情移入や嫌悪を抱かされて、著者自身の何気ない日常生活でよく観察されているのだなとも思った。

映画だけ、漫画だけ鑑賞しても本質的なことはなかなかわかりにくいというのはあると思う。また、いじめや聴覚障害というところで受け入れられる、好き嫌いがはっきり分かれる作品でもあるので、万人受けするものでもないし、絶対見ろとも言い切れないところがある。

なので、できれば、もしこの作品を鑑賞するのなら、映画を見て、漫画もすべて読み、さらに公式ハンドブックまでぜひ読むべきだと思う。公式ハンドブックは著者インタビューやキャラの裏設定やあのシーンはこういう意図があったといったことが示されているので、ある意味作品解釈に対する模範解答的なものになってしまう。それでも、よりこの作品を深く理解するには、作者の意図をくみ取ったほうがよりよいと思った。



この作品を通して自分自身の抱えていたわだかまりが消化(昇華)されたような、そんな感じがした。別にいじめ当事者であったり、聴覚障害があるわけではないから、そういう観点からの共感はそこまでないのだけどね。そして、主人公たちと同じような高校3年生くらいのときに読みたかったと思った。そしたら、もっと違う高校生活を送れていたのかもしれない。

ということで、映画と漫画、両方含めて、『聲の形』はかなりの良作だ。




読むべき人:
  • 高校生くらいの人
  • 贖罪の気持ちがある人
  • コミュニケーション不全を起こしている人
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