学術系

October 29, 2015

多読術

キーワード:
 松岡正剛、読書、多読、編集、フラジャイル
博覧強記の著者による読書本。以下のような目次となっている。
  1. 第一章 多読・少読・広読・狭読
  2. 第二章 多様性を育てていく
  3. 第三章 読書の方法を探る
  4. 第四章 読書することは編集すること
  5. 第五章 自分に合った読書スタイル
  6. 第六章 キーブックを選ぶ
  7. 第七章 読書の未来
  8. あとがき
(目次から抜粋)
本書は2009年に出版で、買ってから5年くらいは積んでおり、積読消化ということもあるし、また今何をどのように読むべきか?とふと思ったので、読んでみたわけだ。

松岡正剛氏は千夜千冊の本のラインナップを見ていると、博覧強記でもはや雲の上のような本読みな人であり、どこか近寄りがたく高尚なイメージがあった。しかし、本書を読んでみると松岡正剛氏の生い立ちや家庭環境からどのように読書にはまっていたのか、どうやって本を選んで読んでいくかなどがインタビュー形式ということもあり、わかりやすく、良い意味でもっと自由に読書してよいのだ一押ししてくれたような本だった。 ちなみに、千夜千冊は書評や批評ではなく、批判したりケチをつけたりしないというポリシーらしい。ほかにも土日は更新せずに一人の著者から一冊、同じジャンルのものを続けないなどの縛りがあるようだ。ほとんどはかつて読んだ本を読み直してから書かれているらしく、そこから「本は二度以上読まないと読書じゃない」と思われるようになったらしい。再読せず、二度以上読むことはあまりないので、これはちょっと反省というか、考え直そうか。

再読しないのは、ほとんどの本は特に記憶に定着しておきたいと思うことはないし、理解できないところがあってもいいかと思ったりするからかな。小説なども読み直す時間がおしくてその分ほかの本を読みたいと思ったりもする。特にこんな読書ブログをやっていると次の本を読んで更新しなくては!!と思ったりもするので。とはいっても、資格勉強本とか技術本などは最低3回繰り返さないとものにならないと経験的にわかっているから、なるべくそうしている。

読み方として、理解できるかどうかわからなくてもどんどん読む、読むペースはどんどん変えていく、マーキングしながら読むなど割とほかの読書本にあるようなことも示されている。他にも多読術としては、ジャンルにこだわらずに好きにいろいろ読んで本に浸かるとよいとあった。また、特に本書で一番良かった部分は以下。
 だから、人にはそれぞれの本の読み方があり、好きに読めばいいんです。ベストセラーは読む、経済小説は欠かさない、新書は月に一冊は買う、SFは極める、推理小説はベストテン上位三冊を追う、古典に親しみたい、子供のために良書をさがす。いろいろあってオーケーです。
(pp.131)
やはり著者への先入観から高尚で難解な本を読まなくてはいけないのではないかと思っていたけど、著者も示すように読書は神聖なものとか有意義とか特別なものとか思わずにもっとカジュアルなものでいいと示されて、意外に思うと同時に、今の読み方でよいのだなと後押しされたような気がしてよかった。

千夜千冊と同じように、このブログは書評ではなく、個人的な読書記録、備忘録、感想みたいなものなので、よほどのことがない限りケチをつけたりはしない。何をいつどのようなタイミングで読んで、そこから何を考えたか?を書ける範囲で綴っている感じ。まともに本の内容で評価できるのは自分の専門技術書や資格試験本などで、それらが使えるか使えないかくらいかな。それらが一番このブログで売れるジャンルなのだけど、そればかりだと飽きるし勉強だけの読書はつまらないし、もっと小説とか他の本も楽しんで読みたいので。ということで、今まで通り、好きな本を読んで好きに書き続けよう。

どうすれば自分の「好み」の本に出合えるか?という問いに著者は誰かのおススメに従ってみる、特に自分よりも深くて大きそうな人の推薦に従ってみるとたくさんのものに出会えると答えている。これはそうだよねと最近実感している。昔はおススメされていても自分の好みとちょっと違っていると、合わないと思ったりして読まなかったのだけど、最近は素直に従って読んでみると良かった確率が高いとわかってきたので、従うようにしている。あとは、自分と似た嗜好(志向)性の人の読書ブログをチェックする、スゴ本オフに行って自分が全く読まなかっただろう本、もしくは知らなかった本と出合うのも面白いし、幅がどんどん広がるのを実感している。

それなりにたくさん読んでも本の読み方、選び方はいつだって現状でいいのか?と迷ったりするので、定期的に読書本について読んで、適宜読み方を微調整していきたい。本書はかなり読みやすい本なので、気軽に読んで多読、読書について考えられるのでとてもよい。



多読術 (ちくまプリマー新書)
松岡 正剛
筑摩書房
2009-04-08

読むべき人:
  • 本の読み方を見直したい人
  • 役に立つ読書ばかり求めている人
  • 読書を楽しみたい人
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September 11, 2015

はじめての文学講義

キーワード:
 中村邦生、文学、小説、読む、書く
中高生向けの文学講義がまとめられた本。以下のような概要となっている。
読むことを楽しむにはどんな方法がある?魅力的な文章を書くにはどうしたらいい?その両面から文学の面白さ、深さを構造的に探っていく。太宰治をはじめ多種多様な文学作品をテキストにしながら、読むコツ、書くコツ、味わうコツを具体的に指南する。「文学大好き!」な現役の中学・高校生を対象にした「文学講義」をまとめた一冊。
(カラーの裏から抜粋)
なんとなく書店の新刊コーナーで見かけたので買った。岩波ジュニア新書は分かりやすくて、読みやすいものが多いので。

「文学作品」と示すといかにも明治、大正の文豪が書くような、教科書的なものをイメージしがちだけど、もっと単純に小説ととらえるとよいだろう。しかし、文学作品、小説を好んで読む人は勝手に読むが、読まない人は実用書だけでまったく読まないという人も多い。そういう人が大抵考えることは「文学は実生活では役に立たない」である。

著者曰く、単純な役に立つ/立たないという二項対立そのものの有効性を疑い、問題の前提そのものを突き崩し、文学は虚構の言語によって新たな現実を突きつけるとある。そして、世の中に流通している価値観への疑念を提示する役割があると。例えば善と悪に関してならば、本当に分かりやすい勧善懲悪なのかと問いただし、その単純な対立の構図を超えた向こう側を示すものとある(文学作品ではないけど、分かりやすい作品例で言えば、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の自ら救世主と名乗っていたイモータン・ジョーは本当に悪か?とかね)。文学はそういうものが丸ごと面白いのだと示されていた。

個人的な考えていえば、役に立つ/立たないという面では、表面上役に立たせることはできる。初対面の人との話のネタ(合コンとかでw)になったりして、意外な側面を演出することもできるし、他にも会社とかで上司がやたら文学好きだったら飲みの席でその話に合わせれば気に入られて仕事がしやすくなるかもしれないし。あとは、齋藤孝氏が小説を読むことによってあらゆる人物への接し方のシュミレーションになるとかなんかの本で示しており、その通りだなと思った。

あとは、やり直しがきかず一回性の人生を生きる上で、自分以外の生き方はできないが、小説を読むことで他人の人生を間接的になぞったりすることができ、不要な失敗や選択ミス、こう生きたくない、この方向性で生きたいと教訓を得ることができ、結果的に即効性はないがより良く生きるために役にたつだろう。まぁ、これは実際に読んで実感してみないことにはなかなかわからない感覚かもしれないけどね。

単純に読んでも面白いものが多いし(もちろん途中で投げるのもあるけど)、あぁ、読んでよかったと心の底から思える文学作品に出会うと、望外の喜びを得ることもごくまれにある。そういう経験を一度でもすると、文学作品を読まないで生きるという選択はもうできないだろう。上記の作品は本当に読んでよかった。また今が転換期だから読み返してみるか。

あとは、物語の構図に関してや比喩の楽しみ方などが各作品を引用しながらわかりやすく示されている。また、読むだけではなく、実際に小説を書いてみることも読むことの一方法であるなどなど示されており、参考になる部分が多い。

書評を利用し、ファイルを作る』という節では、新聞の書評欄を読む習慣をつけ、印象に残ったものに実際にメモを書いてみるとよいと示されている。また、好きな書店を持ち、その書店を定点観測するのがよいと示されている。これは僕もやっている。そして以下のように示されている。
 私は若い人たちにもよく言うのですが、新刊本というのは生鮮食品なんですよ。だから、書店に足を運ぶか運ばないかで、思考力と感性への栄養に違いが生まれます。そういう習慣さえもてば、自分が読むべき本、いずれ役に立つ本、人に薦めたい本が自然とわかってくるようになります。読むべき本を自分がすぐれたソムリエになって選択していく能力をつけていくと、日々の生活に深度が増してくることは間違いありません。
 本というものは、最高の対話の相手であり、頼りがいのある味方です。問いかければ、いつも何かを語りかけてくれます。
(pp.102-103)
生活の深度がどれだけ増したかは自分ではわからないけど、自分が読むべき本、いずれ役に立つ本、人に薦めたい本はさすがにわかってきたかな。

中高生向けに講義している内容なので、とてもわかりやすくさくっと読めて、小説や文学作品に対する向き合い方が変わると思う。お勧めのブックリストもそれなりに示されているので、そこからまた文学の世界にダイブすることもできる。

中高生でこれを読める人は羨ましく思う。もちろん、大人になってあまり文学作品を読まない人が読んでも、文学作品を読みたいと思う気にはなれるだろう。そしてよりよい人生を。




読むべき人:
  • 中高生の人
  • 実用書しか読まない人
  • よりよく生きるヒントを得たい人
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December 08, 2013

日本語の練習問題

キーワード:
 出口汪、日本語、論理力、感性、訓練
受験界のカリスマ現代文講師による日本語の練習問題本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 敬語で誰にでも好かれる人になる
  2. 第2章 主語と述語を「正しく」把握する
  3. 第3章 接続語で文脈力を鍛える
  4. 第4章 感情や意思を伝える表現を身につける
  5. 第5章 五感を言葉に取り入れて表現する
  6. 第6章 擬音語や比喩を使いこなす練習問題
  7. 第7章 総合問題
(目次から抜粋)
著者である出口氏は、大学受験の現代文カリスマ講師として有名で、参考書などでお世話になった人も多いと思います。僕も中学時代の高校受験のころに、初めて著者の読解トレーニングの問題集を買ってやりました。そのときに論理的に読解する基礎の基礎を身につけられたと思います。

著者によれば正しい日本語を使えない人が増加傾向にあり、そして日本語の乱れはそのまま国力の低下を招き、政治の乱れ、果ては日本の危機に陥ると危惧されております。そのため、それぞれ個人が論理力や感性を磨き、正しい日本語、そして美しい日本語を身につけ、より充実した輝く人生を送ってほしいという願いからこの日本語の練習問題が書かれているようです。

日本語の乱れの原因は日本語の構造を理解していないことと日本語の練習問題を行っていないことによるようです。そのため、日本語の構造を理解するには、「正しい日本語(論理語)」と「感性」の二つが重要となり、さらに美しい日本語で書かれた「名文」を読み、日本語の「練習問題」を解く訓練を行えばよいという主張から、問題集形式の本となっております。

僕はそれなりに読書量があるほうなので、正しい日本語を理解している、そして書けていると思っておりましたが、本書を読んでみた結果、それは思い込みに過ぎないと痛感しました。実際に敬語や主語述語、接続詞や助動詞などの問題を解いてみると、案外間違えるものがありました。正しい日本語を文法と言い換えてもよいと思いますが、正しい文法を身につけていないと、正確に読むことはできないということを、以前TOEICのトレーニングで実感しました。

TOEICなどの英語のリーディング問題は、文法が正確に理解できていないと文章問題がさっぱり分からないということになります。逆に文法が分かってくると、速く正確に読めるようになっていくのを実感しました。翻って日本語は、日本人にとっては母国語なので、一見読むことはそんなに難しくないかもしれません。しかし、実際に問題形式で自分の論理力と感性を試してみると、案外自分勝手に読んでいたのだなということに気付かされました。よって、本書のように問題形式である、というのはとてもよかったと思いました。

本書の前半はどちらかというと論理力、文脈力を鍛える問題となっており、後半は感性を磨くための詩や俳句、短歌、オノマトペを用いられた短編作品からの出題がありました。感性問題は論理力問題よりもさらに間違えているものが多く、まだまだ自分の感性も磨く余地がたくさん残されているなと思いました。

なぜ感性を磨くことが重要なのかが端的に示されている部分があるので、引用したいと思います。
 感性を磨くことは、人間や自然、社会に対して、深い洞察力を抱くことに他なりません。ものを見る深さ、鋭さが異なってくるのです。それはその人の人間力、魅力と密接に関わります。表面的な捉え方しかできず、手垢にまみれた言葉で通り一遍の感情を露わにするだけの人間に、私たちはどうしても人間としての深みを感じることはできません。
 豊かな感性は、凡庸な世界を絶えず瑞々しいものへと再構成します。そうした感性を抱いた人間が魅力的でないはずがありません。
(pp.115)
感性を磨く問題として石川啄木の短歌や中原中也の詩、梶井基次郎の短編などが多く取り上げられておりました。最近は翻訳された海外の文学作品、SF小説ばかりを読んでいたので、瑞々しい日本語が自分の中に逆輸入されたような、そんな新鮮さを実感しました。このような感性を磨くような詩、俳句、短歌などにはあまり触れてこなかったので、もう少し美しい日本語で書かれた、名文と評されるような日本文学も読んでいきたいと思いました。

あと、個人的な持論で何度かこのブログで書いたことがありますが、論理力と感性をしっかり持つ、日本語運用能力の高さがそのままプログラミング能力にも正の相関があると思っております。論理力はそのまま条件分岐、ループ処理によって構成された関数、メソッドの理解につながり、まはたクラス、インタフェース、オブジェクト間のやりとり、フレームワークを駆使した設計の全体像の把握の基礎となるのは間違いないでしょう。

感性に関しては、コードの見た目の美しさ、冗長な記述にならないような、つまり保守性につながるはずです。それらの影響はきっとITの分野だけにとどまらないはずです。よって、自分の仕事の能力の基礎の向上を目指して、正しい日本語、美しい日本語の習得が必要なのではないかと思います。

もっと日本語の練習問題を解いて訓練したいと思いましたので、これを機にシリーズ化してくれると嬉しいです。Amazonを見ると『教科書では教えてくれない日本の名作』、『「太宰」で鍛える日本語力』などもあるので、こちらも読んでみたいと思います。

最後になりますが、本書のあとがきを読んで、なぜこの本が書かれたのかがよく分かりました。本書で示されている問題そのものはそこまで難しくはありませんが、そこには出口氏の強い願いがあったからのようです。その願いのために、一切の手抜きも妥協もなく、全身全霊をかけて仕上げたとあり、胸を打たれました。その部分は買って読んでみることをお勧めします。

正しい日本語、美しい日本語を身につけて充実した人生を送りたい人は、ぜひ読んでみてください。



日本語の練習問題
出口 汪
サンマーク出版
2013-11-19

読むべき人:
  • 論理力と感性を試してみたい人
  • 仕事ができるようになりたい人
  • 充実した人生を送りたい人
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January 04, 2013

銃・病原菌・鉄

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

キーワード:
 ジャレド・ダイアモンド、人類史、銃、病原菌、鉄
必読の教養書としていろんなところでお勧めされている人類史の本。目次は長いので省略。本書は、進化生物学者、生理学者である著者が、ニューギニアの政治家からの「あながた白人は、たくさんのものを発達させてニューにギアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」という問いを発端に、それから25年の著者の科学的な観点からの研究によって、以下の疑問への解答が示されている。
 したがって、現代世界における各社会間の不均衡についての疑問は、つぎのようにいいかえられる。世界の富や権力は、なぜ現在あるような形で分配されてしまったのか?なぜほかの形で分配されなかったのか?たとえば、南北アメリカ大陸の先住民、アフリカ大陸の人びと、そしてオーストラリア大陸のアボリジニが、ヨーロッパ系やアジア系の人びとを殺戮したり、征服したり、絶滅させるようなことが、なぜ起こらなかったのだろうか。
(pp.19-20)
その解を端的にあらわしているのが、タイトルにもなっている「」と「病原菌」と「」となる。そして、それらは各人種の生物学的な差などによるものではなく、完全に各大陸の地理的要因、環境要因であるということが示されている。詳しい概要はスゴ本のDainさんの以下の記事がとても分かりやすい。ハードカバー版をだいぶ前に買っていたのだけど、途中まで読んでしばらく積読状態だった。そしたら去年文庫版が発売されてしまって若干涙目になりつつ、年末年始に集中的に読んだ。このタイミングで読まないとずっと読む機会がなさそうだったので。

去年、上野公園で開催されていた『インカ帝国展(TBS インカ帝国展 マチュピチュ「発見」100年)』でピサロ率いるスペイン軍のインカ帝国への侵略の様子を思い出しながら読めた。本書では約160人ほどのスペイン軍が約数万人のインカ帝国人を全滅させた直接の原因として、鉄製の鎧を装備した騎馬兵がいたことと、銃を所持していたことが挙げられていた。また、間接的な要因は、スペイン軍がもたらした疫病が各地で発生しており、インカ帝国の人々には免疫がなくて、そのせいで死んだ人が多かったり、インカ帝国付近の内政不安のときにスペイン軍がそこに付け込んだからと示されていた。

さらに、去年ニューカレドニアに行ったときに訪れたニューカレドニア博物館の内容も思い出した。

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そこではニューカレドニアをはじめ、ソロモン諸島、ニューギニアの人々の生活様式がいろいろと展示されていたので、本書で示されている人々の生活様式が漠然だがイメージできた。ちなみに、ニューギニアはヨーロッパ人が大挙して完全に植民地支配されなかったのは、原住民がすでに食料生産をおこなっていて生活していたことや、土地固有の病気に抵抗力を持っていなかったかららしい。逆にニューカレドニアは赤道からも離れていて、気候もヨーロッパに似た温帯気候に近いので、ヨーロッパ人(フランス人)が植民地化できた経緯があるようだ。

あと、原書の2005年度版では、追加になった章があるようだが、去年発売の文庫版にも収録されていないらしい。その章をまるごと山形浩生氏が訳して公開されているので、未読の人は以下を参照。脚注に山形氏の突っ込みも載っていて、面白いなぁと。

本書は教養書としても読めるし、企業が発展する要因は環境によるものであるのか?とビジネスに照らし合わせて読むこともできる。ビジネスとしての観点では、考えるきっかけにはなるが、必ずしも完全にそのようには言えないだろうなとも思うし、その点は山形氏のリンク先にも少し言及されている。

本書を読めば、人類史の大局観を養えるし、博物館に行ったり、海外旅行に行ったときに一味違った知見を得られるのは間違いないだろうなと思った。文庫本のほうが安いし、読みやすいと思うので、買うなら文庫版のほうをどうぞ(Amazonのリンク先はハードカバー)。

ということで、2013年の1冊目はこのような教養書となった。今年は自分の専門分野であるIT系技術書をメインで読み込んでいく予定ですが、今年もよろしくお願いします



銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
著者:ジャレド ダイアモンド
販売元:草思社
(2000-10-02)
販売元:Amazon.co.jp

銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
著者:ジャレド ダイアモンド
販売元:草思社
(2000-10-02)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 人類史が好きな人
  • ビジネスの成功要因を考えてみたい人
  • 世界の大局観を養いたい人
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December 06, 2012

街場の文体論

街場の文体論
街場の文体論

キーワード:
 内田樹、文学、言語、敬意、学問
フランス現代思想が専門の先生による文体論。以下のような目次となっている。
  1. 第1講 言語にとって愛とは何か?
  2. 第2講 「言葉の檻」から「鉱脈」へ
  3. 第3講 電子書籍と少女マンガリテラシー
  4. 第4講 ソシュールとアナグラム
  5. 第5講 ストカスティックなプロセス
  6. 第6講 世界性と翻訳について
  7. 第7講 エクリチュールと文化資本
  8. 第8講 エクリチュールと自由
  9. 第9講 「宛て先」について
  10. 第10講 「生き延びるためのリテラシー」とテクスト
  11. 第11講 鏡像と共-身体形成
  12. 第12講 意味と身体
  13. 第13講 クリシェと転がる檻
  14. 第14講 リーダビリティと地下室
(目次から抜粋)
本書は神戸女学院大学での最終講義「クリエイティブ・ライティング」で話したことを基に作成された本らしい。文学と言語についてこれまで著者が言ってきたこの総まとめ的な本ということになるようだ。これはすごく面白かったね。小説を読むのとはまた違った、知的刺激を一気に受ける、そういうドライブ感というか疾走感のある面白さ。そしてたくさん線を引いた。

最初は書くこと、文体についての講義から始まるのだけど、そこから村上春樹や世界文学論になったり、映画の話になったり、電子書籍が出ても紙の本がなくなるわけがないといったことや、少女マンガの読み方とか、専門のロラン・バルトのエクリチュール論へ、そして外国語を学ぶということ、そして学問とは?ということまで話題は多岐にわたる。話がいろんな方向に飛ぶのだけど、それらのつながりとか、普段得られない視点、考えないことがたくさん出てきて、脳内を一気に有機的に刺激される。

なので全体的なことをうまく書くこともできないので、恣意的にへーっと思った部分などを取り上げておくことにする。

やはり「文体論」とタイトルにあるのだから、最初は文体論に近いところ、「読み手に対する敬意」という節から。

受験生などは小論文の書き方などを学ぶ機会があったりするが、それらは点数を獲得するためだけの技術であって、自分が「本当にいいたいこと」にどうやって出会うか、自分に固有の文体をどうやって発見するかを教わるわけではない。そして、テストの解答のように問題を見たら、こういうことを書いたら採点者は喜ぶだろうという、読み手の知性を見下して書くというようなことほど不毛なことはない、そこには敬意がないと示されている。以下、ちょっと長いけど、敬意と文体の創造性に関する部分を引用。
 敬意というのは「読み手との間に遠い距離がある」という感覚から生まれます。自分がふだん友だちと話しているような、ふつうの口調では言葉が届かない。教師に対して失礼であるとかないとかいう以前に、そういう「身内の語法」では話が通じない。自分のふだん使い慣れた語彙やストックフレーズを使い回すだけではコミュニケーションが成り立たない。そういう「遠い」という感覚があると、自分の「ふだんの言葉づかい」から一歩外に踏み出すことになります。
(中略)
 情理を尽くして語る。僕はこの「情理を尽くして」という態度が読み手に対する敬意の表現であり、同時に、言語における創造性の実質だと思うんです。
 創造というのは、「何か突拍子もなく新しいこと」を言葉で表現するということではありません。そんなふうに勘違いしている人がいるかもしれませんけれど、違います。言語における創造性は読み手に対する懇請の強度の関数です。どれくらい強く読み手に言葉が届くことを願っているか。その願いの強さが、言語表現における創造を駆動している。
(pp.15-16)
大げさな表現ではあるけれど、これはもう自分の中でパラダイムシフトが起きたような感覚!!そういうことか!!っと感じた。そして著者が数十年に渡りたくさん読み書きしてきた結果、書くということの本質は「読み手に対する敬意」に帰着するという結論に達したらしい。なるほどなぁと思った。

現在は大学のレポートや仕事での報告書などに限らず、ブログ、Twitter、facebookなどなど、いろんなところで書くことができる。特にネット上で表現することはとても容易なのだけど、そこにどれだけ読み手に対する敬意があるのか?ということを考えるきっかけになった。

よくはてブでブクマ数を稼ぐ記事や炎上記事などは、なんだかディスリ合いであったり、そんなことも知らないのm9(^Д^)プギャーみたいなものが多かったりする。もしくは、いかに自分がいろいろと知っているか、どうだすごいだろ!!という自己顕示欲がとても強い記事もあったりする。そういうのは傍観している分には面白いこともあるけど、まったく読み手に対する敬意がないよね!?ということになる。アクセス数など瞬間最大風速的に記録をたたき出せるかもだけど、継続して読み続けたいかというとやっぱり違うよねって思うしね。

逆にRSSリーダーに登録して自分がコンスタントにウォッチし続けたいと思えるブログやネット記事などは、「お願いです。私の言いたいことをわかってください」という懇請の気持ちが強く表れていると思う。翻って、僕もこんな読書ブログを6年以上継続してきたけど、そこにちゃんと「情理を尽くして語る」ということや「読み手に対する敬意」を払ってきただろうか?と振り替えざるを得なかった。あんまり意識したこともなかったからね。書きたいことをいくらでも書ける時代に生きるのだから、こういうネットリテラシーのさらに上の次元の観点も持ち合わせたほうがいいね、と思った。

あとちょっと軽めの話題に目を向けると、著者と別の先生の対談で、その先生は少女マンガが全然読めないという話があって、それは少女マンガはセリフの層が多層的だかららしい。つまり、口には出さなかったセリフ、さらには「自分がそんなこと心に思っているとは知らない無意識」まで手書きの文字で吹き出しの外に書き込まれているのが特徴らしい。このナレーションの多層性が少女マンガを読みなれていない人にはハードルになるんだって。これはなるほど!!!そういうことだったのか!!とパラダイムシフトを起こさない程度に(笑)、地味に感嘆した。

漫画が大好きで、また昨日も朝から漫画喫茶で20冊くらい読んでいて(今はVacation中だよ!!)、青年誌系は連続して同じ作品を読み続けられるのだけど、少女マンガだけは1巻読むともう疲れて読めない。なんというか全部の文字を読み込んでいくと精神的に疲労するというか、グダグダといろいろと考えすぎだろ!!と思ったりして、女性心理が自分には分からないのではないかと思ってしまうほどでw。

なので、著者曰く、少女マンガは熟読してはいけない、ざっと読むといいらしい。半分意識を飛ばして、目を半眼にさせて、その代り繰り返し読まないと少女マンガは分からないとあった。なるほどね。熟読しないで読めばいろいろとまた新しい世界が開けてくるようだ。

ほかにもいろいろとたくさん線を引いたのだけど、最後に学問の本質的なことが示されている部分があるので、そこを引用。
 学問というのは、そういうものだと僕は思っています。どの専門分野でも、先駆者は前人未踏の地に踏み込んで、道を切り拓き、道標を立て、階段を刻み、危険な個所に鎖を通して、あとから来る人が安全に、道を間違えずに進めるように配慮する。そのような気づかいの集積が専門領域での集合的な叡智をかたちづくる。だから、どの領域でも、フロントラインに立つ人の責務は「道なき道に分け入る」ことだと思うんです。
(pp.271)
先人の分け入っていった業績などに敬意を払いつつ、これからの後進のために自分が何をできるか?ということを考えることが重要なんだなと思った。これは学問に限らず、お仕事でも大事なことだね。そして、僕がこのような読書ブログをやっているのも、ネットワーク越しの見知らぬ誰かに対して、自分と同じ轍を踏まないように道標を立てること、なのかなと思った。まだまだ専門領域の集合的な叡智とは程遠いのだけど。

この本は著者の30年に渡る研究や思索、読み書きの成果が凝縮されているような本だと思った。これが1,600円で得られるのはとても安すぎる!!というほどに。

講義録が基になっているので、臨場感あふれる講義を聞いているような感覚になる。そして、その疾走感は半端なく、変な例えだけど、競馬で最後の直線で先頭を走る2頭が並走してデッドヒートを繰り広げる!!みたいな感覚になる。なので、この本は1章ずつ読んでいくというようなことはせずに、抽象的でわかりづらい部分があっても、一気に読み込んでいくというのがいいと思う。

街場シリーズは他にもあるようなので、それらも読もうと思った。他には読書論とか中国論とか教育論があるようだ。ついでに、以前読んだ内田先生の本は以下。本書は、すべての書く人、学問をやっている人にぜひおススメの素晴らしい本だった。



街場の文体論
街場の文体論
著者:内田樹
販売元:ミシマ社
(2012-07-14)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 知的刺激を受けたい大学生の人
  • ブログや本を書いている人
  • 学問について考えてみたい人
Amazon.co.jpで『内田樹』の他の本を見る

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October 02, 2011

達人のサイエンス

達人のサイエンス―真の自己成長のために
達人のサイエンス―真の自己成長のために

キーワード:
 ジョージ・レナード、達人、マスタリー、修行、旅
達人になるための指南書。以下のような目次となっている。
  1. 第1部 達人の旅 The Master's Journey
    1. 第1章 「マスタリー」とは何か?
    2. 第2章 ダブラー、オブセッシブ、ハッカー―マスタリーに到達できない三つの典型的なタイプ
    3. 第3章 マスタリーの道とアメリカとの戦い
    4. 第4章 プラトーを好きになるには
  2. 第2部 達人への五つのキーポイント The Five Master Keys
    1. 第5章 キー1・指導
    2. 第6章 キー2・練習と実践
    3. 第7章 キー3・自己を明け渡すこと
    4. 第8章 キー4・思いの力
    5. 第9章 キー5・限界でのプレイ
  3. 第3部 マスタリーへの旅じたく Tools for Masstery
    1. 第10章 決意がくじける理由―
    2. 第11章 マスタリーのエネルギーを得るために
    3. 第12章 マスタリーの道での落とし穴
    4. 第13章 平凡なことをマスターする
    5. 第14章 旅の準備
(目次から抜粋)
達人というキーワードから、ジャンプとともに育った自分としては、ドラゴンボールの初期に出てくる亀仙人クラスの武術の達人であったり、ハンター×ハンターに出てくるネテロ会長をイメージしたりする。そのようなイメージの達人クラスに至るまでに必要なことが、合気道の指導者である著者によって示されている。

本書はこのブログでのハンドルネームが「Master」である自分に絶対必要な本だと思った。

内容の網羅性に関しては、83年会の同志、hiro氏の以下の記事をご参考に。自分なりにこの本がどうして必要であったのかを実体験とともに示しておこう。

本書の重要なキーワードとして「マスタリー(MASTERY)」というものがある。これは以下のように示されている。
マスタリーとは、「初めに困難であったことが、練習や実践を重ねるにしたがい、しだいに簡単で楽しいものに変わっていく不思議なプロセス」である。
(pp.2)
著者は合気道の指導者でもあり、「エクスファイア」誌でこのテーマについて記事を書いたところ、多くの反響があったようだ。そして、著者によるさまざまなインタビューから、このマスタリーという特性は合気道だけではなく、会社の管理職、芸術家、パイロット、学校の生徒、大学生、大工、スポーツ選手、子供を持つ親、宗教的献身者、さらには発展途上の文化全体に至るまでの広範囲でみられるようだ。

そして、本書全体で示されていることは、てっとり早く安直な成果を求めてしまう世間の打算的な考え方に対して注意を喚起するとともに、達人といわれるようなレベルに達するまでに必要なことが奥義書のように示されている。

達人に至る道は険しい。2,3ヶ月修行したからといってマスターしたとはなかなか言えないものでもある。そして、それは著者によれば、マスタリーへの道は終わりのない旅をするようなもので、最終的な目的地に到達することはありえないとある。その理由は、最終的に完全にマスターできるような技能は、たいした技能ではないからとあるようだ。

マスタリーに至るまで独特の成長曲線があると示されている。そのときのキーワードになるのが「プラトー(plateau)」となる。これは、学習高原の意味で、学習が伸び悩んでいる時期で、学習曲線が水平になっている状態となる。これがマスタリー型の典型的な学習曲線で、以下のように示されている。
 実際は、これ以外の道などありえない。初めての技能を学習する場合はいつでも、短期間の上達のスパートがあり、その直後はだいたい直前のプラトーより少し高めのプラトーに向かってゆっくりと下降する。上の曲線は、分かりやすくするために理想的に表現したものだ。実際の学習経験では、進捗はもっと不規則で、上達のスパートの仕方もいろいろあるし、それぞれのプラトーにも固有の上り下りがある。しかし、全体的な進み方はこのようになる。
 マスタリーの旅をするには、自己の技能を磨き上げ、次の段階の能力を得ようと勤勉に練習しなければならない。そしてかなりの時間をプラトーで過ごし、その間はたとえ先が見えなくても、練習を続けなくてはならない。これはマスタリーの旅の厳粛な事実なのだ。
(pp.21)
この説明とモデル学習曲線が示されているが、その図を示せない代わりに、自分の体感したTOEICでの事例を示しておく。

以下は2009年5月のTOEIC初回受験、565点から今年、2011年1月の955点にいたるまでの得点推移となる。

graph_955

800点を越えたあたりで、みごとに著者の示すようなプラトーに陥ったのがわかる。800点に到達したのが2010年の1月で、ほぼ2010年は800点前半の壁を越えられずにいた。その間は本当にしんどくて、毎月コンスタントに100時間以上のペースで学習していても、全然点数上昇につながらず、得点結果が出るたびにもう無理じゃないかと何度も諦めそうになった。

それでもずっと諦めずにコンスタントに学習(1日平均4時間半の学習なので、本当にほぼ修行みたいな境地(笑))していったら、本書で言うところのスパート期間として今年の1月に一気に130点ほどアップして955点まで到達できた。それまでに費やしたトータル学習時間は1年半で約1,300時間となる。

これがマスタリーに至るプロセスなのだ!!と今改めて本書を読むと分かった。TOEIC900点以上の点数そのものは、英語力としてはあまり価値がないが、それでも上位1%の領域にたどり着くまでのこのしんどいプラトーを含めた学習プロセスを体感できたのは本当によかった。もうこれは一生の財産になるといっても過言ではないくらい。

なぜなら、上達に至るまでのプラトーを含めた成功体験があるかどうかで、新しく何かを習得しようと思った時に、自分にはできないかもしれない、途中で挫折するかもしれないという不安が大分軽減されるから。一度この成功体験があると、次もきっと同じように回せるだろという自信につながるんだよね。

マスタリー、達人になれずに挫折する人の多くはこのプラトーでやられる。だだっ広い草原で自分がどこにいるかも、そしてどれくらいスタート地点から進んでいるかも分からず、先が全く見えないところにいるような感じ。これが本当につらい。これを超えられるかどうかが達人になれるかどうかの分かれ道となる。

第2部の「達人への五つのキーポイント」で特に重要なのは、キー2・練習と実践となる。それが端的に示されている部分を以下に引用。
 昔の武道には次のような言い伝えがある。「達人とは誰よりも、毎日五分でも長く畳の上にいる者だ。」
(中略)
 どんな競技の場合でも、達人はたいてい練習の達人である。
(pp.83-84)
結局最後はこれだ。武道でもスポーツでも芸術、仕事でも最後にものを言うのは、絶対量をこなしているかどうかだ。誰よりも練習したり訓練したり、修練を積んでいるものが最後には達人になり、その道の超一流の存在になるのだと分かった。

最後に第11章から、マスタリーのエネルギーを得る七つの法則を示しておく。
  1. 肉体の健康(フィットネス)を維持する
  2. マイナス要素を知った上での積極思考
  3. 努めてありのままを話す
  4. 素直であれ、ただし自己の暗い部分に振り回されるな
  5. するべきことの優先順位を決める
  6. 公言し、そして実行
  7. マスタリーの道を歩み続ける
細かいことは本書で確認してほしいが、この中で一番重要なのは「すべきことの優先順を決める」であると思う。これは以下のように示されている。
 自己の潜在エネルギーが使えるようになる前に、それを使っていったい何をするのかをはっきりさせておく必要がある。そしてどういう選択をするにせよ、あなたはある途方もない事実に直面するだろう。―一定の方向を目指すには、それ以外のすべてを諦めねばならないという事実に。
 一つの目標を選ぶとは、多くの選択可能な他の目標を諦めることである。私の友達の一人は二九歳の今も人生の理由や目的を探求しているのだが、その彼がこう私に言った。「われわれの世代は、自分の選択の幅は広げたままにしておくべきだという考えで育ってきました。だけど自分の選択の幅を本当に広げたままにしていたら、結局何もできないですね。」
 すなわちこれは、どれか一つの目標を選択することが、どうすればそれ以外のすべての選択や目標に含まれた可能性を補って余りあるものになるか、という問題なのである。
(pp.140-141)
TOEIC900点突破までのトレーニングで実感したことは、選択と集中が何よりも大事だということだ。英語以外の分野の読書をしたり、ブログを更新したり、映画も見たり、飲み会も行ったり、遊びに行ったりということを並行していては、月平均120時間の勉強は決してできなかった。そして、これくらいのペースでトレーニング積んでいかないとまったくものにならないということも体感した。一部の超天才以外は、絞っていかないと結局何者にもなれない。30歳が迫っている自分は何を目指すべきか?を割と真剣に考えてきた。このブログで何度も書いているが、そろそろ絞り始めなければいけない時期だと実感している。

著者自身が合気道の指導者でもあるので、本書を読んでいるとなんだか武道の師匠から指導を受けているような気になってくる。よくわからないけど、正座して読んだほうがいいような気もしてくる(笑)。そして、武道の思想とともに名言のようなものも多く示されているので、もっともっと修行しなくてはと思わせてくれるし、やる気がわいてくる。

また、達人、マスタリーは終わりのない旅のようにも例えられている。
 旅を始める方法?それは最初の一歩を踏み出せばよいのだ。いつから旅を始めるか?その時はいつだって「今」なのだ。
(pp.189)
いろいろと考えて、僕は達人プログラマーになろうと思う。そのためには、TOEIC900点突破トレーニングの何倍も修行しなければいけないけど、本書をバイブルとして修練を続ければきっとなれると楽観的に考えている。なってみせるさ!!

そして、名前負けしない、真の意味での Master になるためにもね。



達人のサイエンス―真の自己成長のために
達人のサイエンス―真の自己成長のために
著者:ジョージ レナード
販売元:日本教文社
(1994-03)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 達人になりたい人
  • 武道、スポーツをやっている人
  • 終わりなきマスタリーの道を楽しみたい人
Amazon.co.jpで『達人』に関する他の本を見る

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August 17, 2011

物語が生きる力を育てる

物語が生きる力を育てる
物語が生きる力を育てる

キーワード:
 脇明子、物語、絵本、児童文学、生きる力
比較文学が専門の著者によって、子どもたちにとって物語がなぜ重要か?が示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 昔話の不思議な力
  2. 第2章 昔話のメッセージ
  3. 第3章 昔話から物語へ
  4. 第4章 感情体験の大切さ
  5. 第5章 物語で味わう自然
  6. 第6章 ゆっくりと、心にしみこむように
  7. 第7章 願いがかなうことと成長すること
  8. 第8章 鳥の目と虫の心
(目次から抜粋)
この本は松丸本舗の『本人(ほんびと)』コーナーで発見した。本の読み方とか読書論が置かれている本棚。最近自分自身は物語に引き寄せられるのはなぜか?そして、それは生きていく上でどういう意義があるのか?と考えていたので、内容をあまり確認せずにタイトル買いした。本書は、小説ではなく、神話や伝記、御伽噺といった物語に焦点が当てられている。物語には良質なものからダメなもの、毒になるものまであるので、子どもの読書は、何でも与えればよいというのではなく、適切に提供することが重要と示されている。そして、古今東西の絵本、児童文学が多く挙げられており、それらに対する子どもへの影響が解説されている。

内容をよく見ないで買ったので、示されている内容はどちらかというと学校の先生や子どもを持つ親向けなのではないかなと思った。まぁ、そこは大人になった自分自身に照らし合わせながら読んだ。

良質な絵本で得られるものがいろいろと示されている。例えば、『不快感情の体験と物語の役割』では、怒り、憎しみ、妬み、悲しみといった感情を増幅したり破壊的な行動に走ってしまわないようにするには、幼いうちから年長者相手にうまく手助けしながらそのような不快感情を処理するべきとある。そして、優れた物語でそのような不快感情を追体験することでその方法を学べるとある。以下その部分を抜粋。
優れた児童文学のなかには、子どもの心のなかで起こっていることがいきいきと描かれていて、感情移入しながらそれを読んでいると、自然にさまざまな不快感情を味わうことになるものがたくさんあります。もちろん物語での体験は実体験には及びませんが、不快感情の体験にかぎっては、物語で味わうほうがいい部分も多いことがわかってきました。まず言えるのは、子どもにいろんな不快感情をわざわざ体験させるわけにはいかないけれど、物語なら多様な体験ができる、ということです。大切な人を亡くした悲しみなどは、現実に体験しないですめばそれに越したことはありませんが、物語のなかでならそういうことにだって出あえます。もうひとつ言えるのは、現実につらい状況に陥ってしまうと、そこからいい形で抜け出せるとはかぎらないけれども、ちゃんとした物語なら納得できる形で抜け出せて、しかもその体験が意味のあることだったと感じることもできる、ということです。そんな物語に出あっていれば、現実に似たような出来事にぶつかったとき、たとえ対処の仕方の参考にはならないとしても、「いつかは抜け出せる」という希望を持つ助けくらいにはなるはずです。
(pp.84-85)
そして、そのような不快感情の体験をさせてくれるよい作品としていくつか挙げられている。それらを恣意的に一部以下に列挙。読んだことのあると思われるのは、「あーんあん」と「ぐるんぱのようちえん」くらいか。内容はさっぱり覚えてないけど、確か読んだ気がする。「ラチとらいおん」はよく本屋で見かけるので気にはなっている。

先ほど引用した部分は、子どもだけに限らず、大人が物語を読むべき理由にもなる。自分の内面が消化しきれない感情に覆われていると、どうにもならなくなってくることがある。そういうとき、優れた物語に没頭し、主人公に共感し、それなりに長い時間をかけて紐解き、結末を迎えてカタルシスを得る必要がある。このような過程で、やりきれない感情がちゃんと消化(もしくは昇華)される。

他にも現実に襲い掛かってくる不条理に備えるために、物語で疑似体験しておくというのもよい。もしくは、すでにそれが身に降りかかってきたのなら、そこから抜け出すためのヒントを得たり、精神的に強くなったり、自分の未来に希望を抱くことができる。だから生きていく上で、大人になってからも物語が必要で。

あと「速読という落とし穴」に物語を速読することの弊害が以下のように示されていた。
 そんなふうに筋だけを追う読書では、情景や心情を想像してみる暇などありませんから、想像力は育ちません。出来事のつながりを意識して、なるほどと納得したり、先を予想してみたりする余裕もありませんから、思考力も育ちません。なるべく短時間で読み終え、終わったらさっさと忘れて次の本を読むわけですから、記憶力も育ちません。想像力を働かさなければ、感情体験や五感体験はできませんし、ましてや「心の居場所」が見つかるはずはありません。さらに問題なのは、「何がどうしてどうなった」という大筋だけを拾っていたら、細部までしっかりと書かれ、ちゃんと読めば深い感情体験や五感体験ができるような作品も、矛盾だらけの薄っぺらな作品も、区別がつきにくいということです。それどころか、たとえ矛盾だらけでも、出来事のめりはりがはっきりしているほうが、筋が拾いやすくていい、ということにもなりかねません。
(pp.124)
対象は児童なのだけど、これは大人になっても言えることかなと思う。もちろん、ビジネス書とか他の分野の本であれば、必要に応じて速読して拾い読みするとよいときもある。けれど、小説などの物語に関しては速読すべきではないかなと思う。

物語に没入して、それを自分のものとするにはある程度の時間が必要じゃないかと思う。筋を追うだけならもちろん速読すればいいのだけど、情景を想像して、セリフ一つ一つに共感しながら読むと、時間がどうしてもかかる。しかし、そのかかった時間分だけ、主人公の体験を疑似体験し、それだけその物語を通して長く考えた、と言えるのではないかと思う。その積み重ねが自分の内面的なものを耕していってくれて、自分にとっての特別な物語になるのだと思う。

もちろん、推理小説とか面白い作品だとどんどん引き込まれてページが一気に進んで、結果的に速く読み終えてしまった!!ということはときどきある。なので、情景描写が難しい、古典文学作品とか良いかと思う。じっくり時間をかけて主人公を通して長く考えたい場合には。とはいえ、作品によっては、1ページ読むのに5分かかる場合もあって、挫折しやすいのだけど・・・。

本書は、教育者や子どもを持つ親である人にとってとてもよい本なのではないかと思う。子どもに何を読ませるべきかというのがこの本を読めば分かる。いろんな絵本とか物語のタイトルが列挙されているので、とても参考になると思う。

今は、夏休み中なので、物語、小説を読むようにしている。
今の自分に必要なのは、復活と栄光の物語。



物語が生きる力を育てる
物語が生きる力を育てる
著者:脇 明子
販売元:岩波書店
(2008-01-29)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 幼稚園、小学校の先生の人
  • 小さい子どもを持つ親の人
  • 物語の力を確認したい人
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May 28, 2011

美の構成学

美の構成学―バウハウスからフラクタルまで (中公新書)
美の構成学―バウハウスからフラクタルまで (中公新書)

キーワード:
 三井秀樹、構成学、センス、フラクタル、基準
大学教授によって構成学について解説されている本。以下のような目次となっている。
  1. 序章 構成学の背景
  2. 第1章 構成学とデザイン
  3. 第2章 構成学と造形
  4. 第3章 造形の秩序
  5. 第4章 くらしの中の構成学
  6. 第5章 新しい構成学
(目次から抜粋)
Amazonの評価は高いので、良書のはずなのだけど、眠気を伴った通勤時間で毎日10分くらいしか読み続けられなかったので、本書全体の理解が飛び飛びになってしまった。よって、漠然とした理解となってしまったので、特に気になった部分を作為的に示しておくことにする。

まずは構成学って何?という部分を示しておく。
 構成学は氾濫する情報メディアから、自己のライフスタイルにあったよい形と色を選び出す的確な基準をつくりだし、モノを見る目を養い感性豊かな知的生活をエンジョイするための実用術なのである。
(pp.5)
基準であるというのが本書のポイントだったりする。例えば、ネクタイや洋服を選ぶときのファッションセンス、家具、カーテンをそろえて食器を選ぶときのインテリアコーディネイトなどの生活の中の美の基準を説く研究領域でもあることを広く知ってもらいたくて、著者は本書を書かれたようだ。

いろいろと構成学の時代的背景、材料、色彩といったデザインの構成などが分かりやすく解説されていると思う。ただ、10分間のぶつ切りの読書だとどうしても頭に入ってこなかったので、一気に読み込んでいくのがよいかなと思う。

自分が本書を読む前に期待していたのは、美の基準、センスはどうやって磨くことができるか?だった。その部分についてはそこまで突っ込んだ内容が示されているわけではなかった。とはいえ、一応日常生活で構成的センスを身につけるための方法が以下のように示されている。
  • よいものをみる
  • ブランドものを身につける
  • センスのよさを分析する
よいものをみる」や「センスのよさを分析する」は何となく分かるけど、「ブランドものを身につける」というのは結構以外だった。ちょっとその部分を引用しておく。
 とかく避難されがちな日本人のブランド好きであるが、私は大いに結構なことであると思っている。ブランドへの憧れはよいデザインへの欲求であり、欧米の有名ブランドはそれなりの歴史と品質の高さを誇っており、そしてまずデザイン性がきわめて優れている。形・色ともにパターンや素材のテクスチャ、機能性、耐久性すべてが優れているからブランド品として認知されるのである。
 ただブランドものさえ手に入れてしまえば安心といわんばかりに、全体のコーディネーションがまったくちぐはぐの人があまりに多いのもまた事実である。
 ブランドものをもつ自負とデザインへの気配りをもって生活する心意気をもてば、必ずやセンスは磨かれ、感性豊かな知的生活が送れると信じることである。
(pp.166)
なるほど、これで伊勢丹とかで高いブランド品を買うときに、自分へのご褒美、以外に口実ができるわけだ(笑)。確かにブランド品はただデザイン料が上乗せされていて高いだけではないのは実感する。本当に品質がよいものは見栄えとか耐久性が全然違うんだよね。

社会人1年目のときに大枚はたいてAquascutumのベーシックなトレンチコートを買ったけど、安いのと比べて着た時のシルエットが全然違うし、耐久性はもちろん抜群で最低でも10年は軽く使えるものだしね。そういうのを実感すると、なるほどねぇと思う。感性が磨かれているかは正直よくわからないけど・・・。

でもまぁ、男の場合はセンスがあるかどうかはスーツスタイルを見れば分かると思うね。首周りから靴まで配色バランスとサイジングの調和が取れているかどうかとかね。通勤時間中にすれ違う人を観察していると、その差が顕著に分かる。きっちり着こなしている人はセンス抜群で、そういう人とすれ違っときにはバトル漫画にありがちな『こいつできる!!』っていうのを実感するwww

まぁ、構成学的なセンス、美的センスを身につけるのはプログラマとかSE、はてはコンサルまで結構重要なことじゃないかと思っている。美的センス的なものがあるかどうかで、アウトプット品質が全然違ってくるのではないかと仮説を立てている。芸術的素養がなぜ必要かは、ダニエル・ピンクの以下の本に示されている。なので、構成的センスを磨くために意識して美術館で本物、一流のものを見るようにしている。そういう地道な積み重ねが、コーディングにおける構造的な美しさ、または設計書、パワポの提案資料の見栄えに反映されるのではないかと思っている。(もちろん、見栄えだけじゃなくて中身も重要なのは言うまでもなく。)

特に芸術系の仕事をしている人は本書を読んでみたらよいかもしれない。自分はまた後で一気に読み返して理解を深めておきたい。



美の構成学―バウハウスからフラクタルまで (中公新書)
美の構成学―バウハウスからフラクタルまで (中公新書)
著者:三井 秀樹
中央公論社(1996-04)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 芸術系のデザイナーの人
  • プログラマーなどのIT技術者の人
  • センスを磨きたい人
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January 09, 2010

日本人の英語

日本人の英語 (岩波新書)
日本人の英語 (岩波新書)

キーワード:
 マーク・ピーターセン、英語、ライティング、論文、頭脳環境
アメリカ人大学教授によって、日本人が陥りやすい英語の間違いについて示されている本。以下のような目次となっている。
  1. メイド・イン・ジャパン はじめに
  2. 鶏を一羽食べてしまった 不定冠詞
  3. あの人ってだれ? 定冠詞
  4. 間違いの喜劇 単数と複数
  5. 思いやりがなさすぎる 純粋不可算名詞
  6. 文脈がすべて 冠詞と複数
  7. 慣用の思し召し さまざまな前置詞
  8. 意識の上での距離 on と in
  9. 「かつら」と「かもじ」 off と out
  10. 明治な大学 名詞 + of + 名詞
  11. もっと英語らしく 動詞 + 副詞
  12. 点と線 完了形と進行形
  13. 泣きつづける彼女 未来形
  14. 去年受賞したノーベル賞 関係詞の二つの用法
  15. アダルトな表現をめざして 先行詞と関係詞
  16. 慎重とひねくれ 受動態と能動態
  17. 知識から応用へ 副詞
  18. したがってそれに応じる 副詞と論理構造
  19. 「だから」と「だからさ」の間 接続詞
  20. 自然な流れを大切に おわりに
(目次から抜粋)
この本は、アメリカ人の大学教授で、日本で教鞭をとっておられた著者によって、日本人が間違えやすい英語の例を取り上げ、それがなぜ間違っているか、そしてどのように表現すればよいかが明確に示されている。

そもそもこの本はどこで知ったかというと、去年一番はてブがつけられた以下の増田記事からだった。ここでおススメされており、さらに以下の本でもおススメされていたので、買って読んでみた。今年の目標は去年に引き続き、英語習得なので、英語の勉強をしているが、英語の文法の微妙な違いがここまで明確に説明されるものはそうはないと思った。今までの学校教育や独学で英語を学習してきたが、この本に示されているような内容は一度も教わったことがないというくらい目からうろこな内容だった。

この本は、著者が1986年から1987年の間に、雑誌「科学」で連載していたものが新書となったものらしい。本書の目的を以下に抜粋。
 本書では,英文に内在する論理がいかに構造的に支えられているか,英語のいろいろな構成がどのような意味をどのように表しているかを考え,英語と日本語の構成と論理の違いからくる日本人の冒しやすい間違いを例として吟味する.そしてどうすればthe mental world of Japanese logic から,英語の「頭脳環境」に入っていけるかを考えたいと思う.
(pp.7)
本書の内容のすべてを網羅的に説明するのは難しい。それはもうこの本を買って読めばいい。よって、概念的な部分を多めに示すことにする。
  • a は名詞につくアクセサリーではなく、「共通単位性をもつもののグループから,一つの」という意味
  • I ate a chicken. は、『鶏を丸ごと一羽食べた』という意味になり、『鶏肉を食べた』という文脈では間違い
  • 名詞につく the もアクセサリーではなく、名詞をより具体化させるためのもの
  • 一般的な現象であるのに、余分な the のために具体的に特定された現象であるかのように表現されてしまう間違いが多い
  • 電子レンジを1台しか持っていない場合は、 she put it in her microwave.
  • 電子レンジを2台以上持っている場合は、 she put it in one of the microwaves. というような数意識がある
  • 冠詞の使用不使用は文脈がすべて
  • 慣用表現のほとんどの場合は論理的根拠も明確にできている
  • Get in the car! Get on the train!の違いは、on はバスの上に乗って「運ばれている」という意識で、in は「運ばれている」というよりも運転により近くなるので、in となる
  • out というのは三次元関係を表し、動詞に「立体感のあるものの中から外へ」という意味を与える
  • off というのは二次元関係を表し、動詞に「あるものの表面から離れて」という意味を与える
  • おなじ日本語の「〜している」でも、英語で表現すると、慣習的行動であったら「現在形」に、継続的状態であったら「現在進行形」にすればよい
  • 英文は、受動態が少ないほどよい文である
それぞれについて、例文とともになぜダメなのか、どう直せばよいのかが示されている。どれもなるほど!!そう考えればよかったんだ!!と思うことばかり。

ちなみに、どの程度のレベルの英文が例として挙げられているかというと、大体以下のようなものである。
That publisher already pays far less than the industry standard per manuscript page, and I therefore find any discussion of further cuts in payment to be totally unacceptable.
(pp.169)
上記の文は、therefore の正しい使い方となる。「Therefore, 」は大げさすぎる表現なので、文中に使うとよいらしい。

もともと論文添削が主な目的なので、取り上げられている英文は若干難しめだと思われる。また、文法の基礎的な知識がないと、なるほど!!と感じることは難しいかもしれない。TOEIC600点未満で読むと、ようわからん、ってなる可能性があるので、それ以上の人が英語の感覚を養うときに良いと思う。

自分も1回読んだだけでは完全に理解していないし、これは暗記するほど読むべき本だと思う。それだけ納得感のある説明がされている。

特に英文ライティングが必要な人は絶対買って読むべき本だと思う。これを手元においておけば、The と a どっちを使うべきか?とか、結論を導くとき accordingly と consequently のどちらを使うべきか?ということに迷ったりしないと思う。

自分の説明ではうまくこの本のよさを伝えられないので、Amazonのレビューを参照して欲しい。9割型が五つ星をつけている良書なので、英語の感覚的な文法理解を明確にしたい人はぜひ読んだほうがよい。

今年1冊目は、英語本となった。本当は別の本を1冊目にしようかと思っていたけど、読了できなかった。まぁ、今年は言語習得がメインテーマなので、別に問題ないけど。



日本人の英語 (岩波新書)
日本人の英語 (岩波新書)
著者:マーク ピーターセン
販売元:岩波書店
発売日:1988-04
おすすめ度:5.0

読むべき人:
  • 英語の文法の微妙な差が分からない人
  • 英語で文章を書く必要がある人
  • ネイティブの英語の感覚を身につけたい人
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December 27, 2009

自分探しの哲学

自分探しの哲学―「ほんとうの自分」と「生きる意味」
自分探しの哲学―「ほんとうの自分」と「生きる意味」

キーワード:
 竹田青嗣、哲学、自分探し、本質、人生論
哲学者によって、哲学を媒体とした人生論エッセイが示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 少し長めのまえがき 哲学を知れば、人生はうまくいくのか?
  2. 第1章 子どもの哲学
    1. いたずら
    2. 自己愛
    3. なぜ学校へ行くのか
    4. 親子関係のねじれ
  3. 第2章 若者の哲学
    1. 自己意識の自由
    2. 自己意識の三類型
    3. ほんとうの自分
    4. 自己ルール
    5. 人間関係
    6. 三枚の世界像
    7. ほんとうのこと
    8. 初恋
    9. 恋愛術はあるか
  4. 第3章 大人の哲学
    1. 失恋
    2. 本当に絶望すること
    3. ルサンチマン
    4. 愚かな人賢い人
    5. 死の恐怖とどう向き合うか
    6. 芸術とはなにか
    7. 床屋政談の愉快
    8. 幸福と不幸
    9. ニヒリズム
    10. 人生の目的
  5. 少し長めのあとがき
(目次から抜粋)
著者によれば、哲学とは、ものごとの「本質」を捉える方法であり、この本の目的は、難解な哲学を解読することと、哲学の考え方から人間の生活を考えてみようとする人間学を示すこととある。

主に近代哲学を主題に、さまざまな哲学者の考え方を引用し、人が生きる意味や本当の自分など存在するのか?といったことや、恋愛すること、幸福や不幸について、人が生きていく上で直面することなどが解説されている。

すべての項目を網羅的には示せないので、特に自分がなるほどと思った部分を引用しておく。

ほんとうの自分』という節では、なぜ人は「ほんとうの自分」を探したりするのか?ということに関して、ニーチェのルサンチマン(恨み)から説明がされている。
 人が「ほんとうの自分」がどこかにあるのではないか、と考えたくなるのは、このような事情で、生きていることの不遇感や不幸の感じがたまってくるときです。しかしニーチェが看破したように、「ほんとうの自分」とは「ほんとうの世界」=(真の世界)という観念と同じで、どこにも存在しません。「ほんとうの自分」がどこかにあるはずだ、という推論に力を与えるのは「苦悩」なのです。
(pp.69-70)
ついこの間まで、ずっと自分も今の自分は、本当の自分ではないと思っていた。そのときは、生きていることそのものが苦痛で、毎日が苦行のように感じられた。

しかし、本書によれば、「ほんとうの自分」とは、自分の内側にも外側にも存在せず、そういうものを探し始めると必ず徒労に終わり、それどころか、ルサンチマン(恨み)をいっそうためることになるとあるようだ。

ここでいうルサンチマンは、なぜ自分だけがとか、回りをひがんだり、羨んだり、さらには恨んだりするというような態度らしい。さすがに自分はそこまでルサンチマンを抱かなかったけど、他にあるべき自分があったのではないか?と考えてばかりだった。

さらに、「ほんとうの自分」について、以下のように示されている。
「ほんとうの自分」という観念はその本質を「ほんとうの世界」と同じくしています。「この世は苦しい。だからほんとうの世界(自分)が存在するはずだ」。これが問題の推論ですが、ニーチェはこう書いています。
 「こうした推論をなすような霊感をあたえるのは苦悩である。すなわち、根本においてそれは、そのような世界があればとの願望である」(『権力への意志』)
 つまり、「ほんとうの自分」とは、苦悩からの逃亡であり現実の否認の結果です。必要なのは「ほんとうの自分」を見いだすことではなく、「自分を捨てること」でもなく、ただ時間をかけて「自分を作り上げること」です。
(pp.74)
哲学書ではないエッセイなどの他の本でも、「ほんとうの自分」といったものは存在せず、自分で自分を作り上げることだ、ということが示されていたりする。やはりそうなのかなと思った。

まだまだ完全に苦悩していない状態である、とは言えないけど、現実を受け入れて、理想とする自分と現状の自分のギャップを認識し、そのギャップを埋めるようにしていけばいいのかなと思った。それまでに、どれほど時間がかかるかはわからないけど。

ただ、「本来あるべき自分になる」とか「自分を探す」ということは、もうすべきときじゃないんだなと思った。

もう一箇所、特になるほどと思った部分を『恋愛術はあるか』という部分から抜粋。
 恋愛の秘術というのはありません。一握りの好運に恵まれた人以外は、みな自分の乏しい持ち物と能力の範囲内で、自分の相手を見つけるべく努力するほかない。みなそれぞれデコボコがあって、ステキな、美しい関係というのはつねに稀です。挫折と後悔と切なさが恋愛の思いの一般型なのです。しかし、哲学的な原理として言えば、ほとんどの人がそういう条件のうちにあるということは、より多くの人がいまよりももっと愛したり愛されたりできるようになる、という可能性を孕んでいます。なぜ多くの人が愛し愛されるということを望んでいるのに、ごく僅かな人々しか十分に愛しあえないのか。その「すれちがい」が何に由来するのかをよく理解すること、これがつねに恋愛の最善手なのです。
 愛しあったり気遣いあったりすることは、人生においてどうしても必要な種類の欲求です。ここでは、余りに「ほんとう」や「理想」を求めすぎると生の必要を壊してしまうことがある。誰かとやっていくとき、これは自分の「ほんとう」のものではなかったのにという気持ちが、互いに思いあうことを決定的に傷つけにくることがあるのです。
(pp.139-140)
男女の恋愛関係は、最初は「カワイイ」とか「カッコイイ」とか性欲に結びつくようなエロス性から始まったりする。しかし、このエロス的な男女の関係には、恋愛と性欲に関して「幻想と欲望のズレ」が存在するのが常である。そのため、そのズレをうまく調整しあいながら、お互いを尊敬しあい、あるいは許しあえたりすることが重要になるらしい。

そのためには、2人で何度も話しあったり確かめ合ったりして調整してゆく中で、相手の人間性を理解していくことが重要らしい。このよな関係が、共生関係となるらしい。

恋愛がうまくいかない理由を知るには、「すれちがい」を理解することと示されているが、その通りかなと思った。今まで、その「すれちがい」が何なのかさっぱりわからなかった。でも、今年、いろんなことを考えたりした中で、その「すれちがい」の要因が自分の内面にあるのではないか?ということがわかった。

今年は、ジョブウェブ(就職活動サイト ジョブウェブ)の自分未来塾で『自分学』というセミナーを受講していた。それは、自分を哲学するというテーマで、自分自身を知るという内容であった。

そのセミナーや今年500冊レビュー達成を通して、自分自身についていろんなことを考えた。自分の今までの過去、そして現状で不治の病を患っているということ、自分の生きている意味、そしてこれからの生き方といったものを過去ないくらいに考えたと思う。そういう思索が多かったのが今年の傾向だったと思う。

そして、そのような自分を哲学するということから、自分自身の生き方がようやく地に足が着いてきたのかなと感じられるようになったと思う。その集大成として、この本を読み、改めて自分のことをより考えることができて、良かったと思う。

古今東西のいろいろな哲学者の引用が多いが、扱われているテーマは、誰しも一度は少し考えたことがあるような内容だと思う。それらの内容に対して、著者がわかりやすくエッセイ調に解説しているので、もちろんすぐには読了できないが、時間をかけて読みながら思索をする価値は十分にあると思う。

年末年始の休暇中に、これまでの生き方やこれからの生き方、自分自身について、自分の人生について、ゆっくり思索してみるのも一興だと思う。



自分探しの哲学―「ほんとうの自分」と「生きる意味」
自分探しの哲学―「ほんとうの自分」と「生きる意味」
著者:竹田 青嗣
販売元:主婦の友インフォス情報社
発売日:2007-04
おすすめ度:5.0

読むべき人:
  • 人生に疲れている人
  • 自分自身について深く考えたい人
  • 自分の人生に意味があるのか?と考えたことがある人
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September 16, 2009

じぶん・この不思議な存在

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書「ジュネス」)
じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書「ジュネス」)

キーワード:
 鷲田清一、哲学、存在、自分学、相互関係
哲学が専門の教授によって、自分を問うということはどういうことか?が示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 爆弾のような問い
  2. じぶんの内とじぶんの外
  3. じぶんに揺さぶりをかける
  4. 他者の他者であるということ
  5. 「顔」を差しだすということ
  6. 死にものとしての「わたし」
(目次から抜粋)
時代背景の変遷によって、「わたしはだれ?」という問いの内容も変わってきている。しかし、その問いそのものは、多くの人がより深く考えるようになったのか、また、その問いはそもそもどういうものなのか、そして、どのように問うべきなのか、さらにこの問いには答えというものがあるのか…。このような「わたしはだれ?」という問いそのものを問い直す内容となっている。

全体像を示すのは若干困難な内容なので、気になった部分を取り上げていくことにする。

いきなり結論。「わたしはだれ?」という問いの答えはないらしい。
 さて、わたしがこの本のなかで伝えたかったことはただ一つ、<わたしはだれ?>という問いに答えはないということだ。とりわけ、その問いをじぶんの内部に向け、そこになにかじぶんだけに固有なものをもとめる場合には。そんなものはどこにもない。じぶんが所有しているものとしてのじぶんの属性のうちにではなくて、だれかある他者にとっての他者のひとりでありえているという、そうしたありかたのなかに、ひとはかろうじてじぶんの存在を見いだすことができるだけだ。問題なのはつねに具体的な「だれか」としての他者、つまりわたしの他者であり、したがって<わたしはだれ?>という問いには一般的な解は存在しないということである。ひとはそれぞれ、じぶんの道で特定の他者に出会うしかない。
(pp.176)
ここを読んだときに、自分を問うということの幅がぐっと広がった気がした。

今年の4月からジョブウェブ主催の自分未来塾(ジョブウェブ 自分未来塾 激動の時代に流されないリーダーの育成のために)で自分学というものを受講していた。ちょうど昨日、全6回の最終講義を終えたわけだが、自分学では自分を哲学するということ、つまり自分を知るということを実践してきた。

自分学を通して考えてきたことは、自分の過去の事象に意味づけをし、そこから自分を深堀していくというものであった。そのプロセスでは、単一の自分のみしか考慮に入れていなかった。講義を終えてそれなりに自分の問いに満足していた矢先に本書を読了してみると、自分学とは違うプロセスが示されていて、新鮮だった。自分自身というものは、他者との関係性の中で規定されるという考えは、今までの自分にはないものであった。

わたしってだれ?や自分自身のことを考えるときに、たいていはその人の属性、たとえば、顔、身長などの身体的特徴、優しさ、気配りなどの性格、はては所属組織といったものに注目しがちである。しかし、それらは誰もが多かれ少なかれ持つ特性であるので、それらの組み合わせによって自分が唯一無二の個性があるという主張は、貧弱な論理であると誰もが気づいている。
 そうだとすると、結局わたしたちにとって、じぶんだけに固有のものとはいったいなんだのだろう。とてもおぼつかなくなってくる。じぶんにはじぶんが特別な存在であるということを確認できるようなものがなにもないと、つい否定的な気分になってくる。
 そのおぼつかなさを感じるからこそ、ひとは「じぶんらしさ」などというあいまいなことばでじぶんを探求しているふりをするのではないだろうか。すくなくとも「じぶん」を探求しつつあるそのじぶんはいるという、デカルトの「われ思う、ゆえにわれ在り」の論理に似たような理屈をこねるのではないだろうか。
 じぶんはだれと問うて、じぶんのなかを探しまわる。そこに困難の理由があるということはないだろうか。
(pp.32)
自分の中に答えはないんだ、ということになる。そこで、他者の他者という視点が重要になってくるようだ。

他者の他者というのは、自分の行為を他者を通して見るということになり、自分と他者との相互関係によって、自分を知るということらしい。そして、最初に示した結論へとたどり着くようだ。

この本は、大学入試などの現代文の問題に出てきそうな内容だと思った。高校生のときにこれを読んでも、きっとさっぱり分からなかった思う。たぶん、問題として出てきても点数を取れなかったと思う。今では、それなりに理解できるようになった。それだけ読解力がついたのだと思う。さすがに何百冊も読んでいて、論理を追えなかったらどうかと思うけどね。

とはいえ、まだ完全に理解していないので、後でもう一回読み返す必要がありそうだ。少なくとも、自分の中には解はないようなので。

自分と他者の関係についてあまり考えたことがなかったので、これからは他者との相互関係を考慮に入れて自分を哲学する必要がありそうだ。

自分未来塾の自分学を通して、自分を知る方法を学んできたが、他にも方法があるのだと分かってよかった。自分を哲学する、というのが今年のテーマであるので、もっと自分を深堀しておきたい。



じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書「ジュネス」)
じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書「ジュネス」)

読むべき人:
  • わたしってだれ?と考えたことがある人
  • 読解力を身につけたい人
  • 自分を哲学したい人
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August 27, 2009

若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!?

若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!? (ディスカヴァー携書)
若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!? (ディスカヴァー携書)

キーワード:
 森川友義、選挙、政治リテラシー、仕組み、投票
政治学者によって、日本の政治の仕組みが分かりやすく解説されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 若者は政治によって損をしている!?
  2. 第2章 主役は、「有権者」のはずだけど……
  3. 第3章 実は「国会議員」の力は弱い!?
  4. 第4章 「特別利益団体」を知らずして政治は見えない
  5. 第5章 「官僚組織」の「官僚組織」による「官僚組織」のための政治?
  6. 第6章 政治を変えるのは、あなた!
(目次から抜粋)
著者は、政治学者の立場から、日本の政治の仕組みを分かりやすく解説し、選挙権を持つ20歳から35歳くらいまでの人にむけて、政治リテラシーを高めるためにこの本を書いたようだ。そして、20歳から35歳の読者に得をしてもらうため、という思いがこめられている。

投票日が後数日に迫っている状況で、何も政治の理解がないまま適当に投票するのはどうかと思い、テスト前の一夜漬けのような境地で読んでみた。内容は、とても分かりやすく、やはり投票に行かなければダメだと思った。

タイトルにある4000万円の損失を簡単に説明すると、世代間受益格差が、現在24歳から35歳までの人と70歳以上の人と比較すると、4000万円も差があるということらしい。年寄りが1500万円のプラス、若者が2500万円のマイナスという状況のようだ。

この状況は、若い人が投票に行かないので、政治家は自分、故郷の利益のために自分に投票して当選させてくれる人が多く存在する老人たちに優遇する政策を掲げるから、ということになるようだ。だから著者は、若者がもっと政治に関する知識(政治リテラシー)を獲得し、いかに若者が損をしているかに気づき、そして日本を変えるために鉛筆を転がして候補者を選択してでも投票に行け!!と示している。

今まで知らなかったことが多く示されていた。以下、本書で太字で強調されていた部分をいくつか恣意的に抜粋。
  • われわれ有権者は、選挙にあたっては棄権もするし、政治リテラシーもあまりない、でも他力本願的に、誰か世の中をよくしてくれないかなと願う動物である (pp.35)
  • 頭のよい人ほど、政治には関心がない、政治リテラシーはゼロに近づく (pp.47)
  • わたしたち有権者は、棄権せず投票に行った場合も、間違った政党や政治家を選んでいる確率がかなり高い (pp.48)
  • 選挙時に誰を選ぶかは二の次、政治の知識を持っていようといまいと関係なし。とにかく投票所に行く。 (pp.53)
  • 国会議員は、各々の選挙区において、自分を当選させてくれる有権者のために働いている (pp.79)
  • 自民党のマニュフェストについては、新しいマニュフェストではなく、前回の選挙時のマニュフェストなら読む価値はあります。 (pp.91)
  • 自分は、政権交代を望むのか、望まないのか? 望まないのだったら与党に投票し、望むのだったら野党に投票すればよい (pp.94)
  • 投票所に行こう。政治リテラシーを上げて、自分が最良と思う候補者を選出しよう (pp.186)
本当はもっとたくさんあるのだけど、さすがに列挙しすぎても冗長なので、この辺で割愛。

頭のよい人ほど、政治には関心がない、政治リテラシーはゼロに近づくというものに関して、『合理的無知仮説』というものが示されていた。以下にその要旨を抜粋。
 「有権者が情報を得ようとする場合、金銭や時間、労力などのコストがかかる。もし有権者が合理的であるならば、情報の獲得によって得られる効用がそれらのコストよりも大きい場合のみ情報を得ようとする。
 しかし、有権者が民主主義国家において政治と関わるのは、一般的に選挙における投票時のみであることを考えると、数年に1回程度しか行われないということに対してわざわざ知識を得るのはばかげている、持たないほうが合理的であるため、政治リテラシーは低くなる」
(pp.48)
なんとなく自分が政治リテラシーがそこまで高くない理由が分かった気がする。なぜ自分が政治に無関心であったのかというと、自分の抱えている課題や、やりたいことに対する情報収集や勉強に優先度を高く設定せざるを得ず、政治のニュースを見たり読んだりするほど余裕がなかったから、ということになる。

はっきり言って、学びたいこと、考えなくてはいけないことが多すぎて常に時間の欠乏を感じているのに、自分のこととして捉えられない世の中の事象に関心など持てなかった。世の中の問題よりも、まずは自分の問題、と思っていた。

しかし、自分自身を含めて身の回りのミクロ的な問題だけを見ていてもダメで、マクロ的に見なくては、結果的に自分自身に大きな不利益、問題が降りかかってくる、ということがこの本を読んで分かった。

また、ドラゴン桜的に言えば、ルールを作ったやつが利益を多く享受できる仕組みとなっているということだろう。だから、世の中の仕組みを知らないと、自分の気づかないところで常に搾取される側に陥ってしまう。そうならないためにも、政治リテラシーが必要なようだ。

政治リテラシーがなくとも、とりあえず鉛筆を転がしてでも候補者を選んで投票に行くのには、それなりに意義があると示されていた。それは、若者の投票率が上がることになれば、政治家は自分を当選させてくれるかもしれない若者の存在を無視できなくなるから、ということになり、なるほどと思った。

そして、政治リテラシーを持つ人は、日本の将来を託すことの出来る政党はどこなのかを考えて投票すべきとあった。今回、自分は一夜漬け的に政治リテラシーを獲得した気になって投票に行く。そして、それは間違った選択になる確率が高い。しかし、自分が若者世代の投票率をほんの少し上げた、ということに意義があると思う。

最後に一番重要な部分を抜粋。
選挙における投票は、有権者1億人の一票と考えれば、ちっぽけな力ですが、その一票が日本を動かすことができるパワーなのです。
(pp.189)
ということで、土曜日にでも期日前投票に行って、日本を動かしてこよう。

この本は、200ページくらいなので、がんばれば2時間程度で読める。分かりやすい内容だし、自分の政治リテラシーがどれほどなのかをチェックするのにもよい。選挙までまだ間に合うので、買って読んだほうがよい。

以下は私見だが、自民党が政権を維持するデメリットよりも、民主党に政権交代するデメリットの方が大きいと思う。10年、20年という長期的な視点で日本のことを考えるとね。そして、「Yahoo!みんなの政治」でマニュフェストチェックをやったら、みんなの党が浮上してきた。さて、どこに投票しようかね?鉛筆を転がして決めようかしら(笑)まぁ、今回は投票することに意義があると思っておこう。そして、次の選挙までには、政治リテラシーをもっと身に着けて投票に行きたい。



若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!? (ディスカヴァー携書)
若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!? (ディスカヴァー携書)

読むべき人:
  • 24歳〜35歳までの若者の人
  • 政治などの世の中の仕組みを知りたい人
  • 世の中のルールを作る側に回りたい人
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August 21, 2009

政治のことよくわからないまま社会人になってしまった人へ

政治のことよくわからないまま社会人になってしまった人へ―ひとめでわかる図解入り
政治のことよくわからないまま社会人になってしまった人へ―ひとめでわかる図解入り

キーワード:
 池上彰、政治、選挙、図解、権利
元「週刊こどもニュース」のお父さんによって、政治の仕組みが分かりやすく示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 「政治」とは何か?
    1. 「政治」とは何か?
    2. 「民主主義」とは何か?
    3. 朝鮮民主主義人民共和国は「民主主義国家」なのか?
    4. 日本の政治のしくみ
  2. 第2章 「選挙」とは何か?
    1. 選挙は社会において、どんな役割があるのか?
    2. 「普通選挙」はいつ、どのように始まったのか?
    3. 選挙制度はどのようになっているのか?
    4. 「一票の重み」はすべて同じなのか?
    5. 政治家が選挙を嫌がるのは。なぜか?
    6. 投票日に予定が入ってしまったら、どうするか?
  3. 第3章 「国会」とは何か?
    1. 衆議院と参議院はどう違うのか?
    2. いろいろある「国会」。それぞれどう違うのか?
    3. 法律はどのように作られるのか?
    4. 「族議員」とは何か?
    5. 国会議員の仕事とは、どんなものなのか?
    6. 国会議員の給料は?議員宿舎は本当に必要?
    7. 議員の後援会や、政治資金パーティーは何のためにあるのか?
    8. なぜ二世議員ばかりが増えるのか?政治家に必要なものは?
    9. 派閥とは何だろう?
    10. 「党首討論」「証人喚問」とは何か?
  4. 第4章 「内閣」とは何か?
    1. 総理大臣は、毎日どんな仕事をしているのか?
    2. 総理大臣はどうやって選ばれるのか?
    3. 総理大臣と大統領はどう違うのか?
    4. 内閣とは何か?政府とは何を指すのか?
    5. 「官僚制」とは、どんなものか?
    6. 幹事長とはどんな人か?副大臣、政務官とは?
    7. 内閣官房とは何か?内閣官房長官の役割は?
    8. 五五年体制とは何か?連立政権とは、どういうものか?
  5. 第5章 「憲法」「裁判所」「地方自治」とは何か?
    1. 「憲法」とは何か?
    2. 日本国憲法、その内容は?憲法で何が問題なのか?
    3. 裁判所とは何か?
    4. 裁判官に必要なものは?裁判員制度とは何か?
    5. 地方自治とはどういうものか?地方公共団体のしくみ
    6. 地方自治の問題は?
(目次から抜粋)
この本は、NHKで記者としての経験を活かし、そこから「週刊こどもニュース」のお父さん役をやっていた著者によって、社会人として知っておいてほしい政治の基本中の基本が、分かりすく図解を含めて示されているものとなっている。内容自体は、中学生の公民の教科書レベルだと思われる。来る今月末の衆院選に向けて、もう一度政治、選挙の仕組みの基本の基本を復習しておきたいと思って読んだ。特に抑えておきたいポイントを以下に列挙。
  • 人々を代表してそのお金を預かり、よりよい使い道を考えるのが政治家
  • 国民の代表として選ばれた政治家は、国民の声を聞き、税金の使い道を考えたり、国の方針を決めたりする。これが「政治」となる
  • 民主主義とは、政治家を信用していないシステム。政治家を信用していないので、ダメならすぐに辞めさせることができる仕組みとなっている
  • 選挙という仕組みがあることによって、世の中が悪化するのを防ぐことができる。いわば、社会の安全装置の役割を果たしてる
  • 国民主権により、政治の主人公は、政治家ではなく、私たち国民
  • 小選挙区制は、一つの選挙区から、一人の議員を選ぶもの
  • 政権交代があると、政治に緊張感が出て、政治腐敗が起きにくくなるといわれている
  • 比例代表制は、政党の名前を投票用紙に書いて投票し、政党ごとの投票数に応じて各政党に議席を配分する仕組み
  • 衆議院選挙は、4年の任期満了か、途中の解散のときに、衆議院全員を選びなおすので、総選挙ともいう
  • 一票の格差とは、議員一人当たりの有権者数の格差のこと
  • 「不在者投票」から「期日前投票」に呼び名が変わったのは、不在者投票は当日不在になる理由を明らかにしなければならなかったが、期日前投票は、投票日当日に投票に行けない理由を聞かないので、期日前でも投票してもらいたから
  • 海外に住む日本人は、日本大使館や領事館に「在留届け」を出してあれば、「在外選挙人名簿」に登録され、投票できる
  • 投票日当日、投票所に朝一番乗りした人には、選挙管理委員会から投票箱がカラであることの確認をお願いされる
  • 衆議院選挙が行われた後に開かれる特別国会で、総理大臣が選ばれる
  • 総理大臣が国会議員の投票で選ばれるということは、国会の中で議員数が一番多い政党から選ばれることになる
ちょっと多いが、多目に列挙した。主に2章の『「選挙」とは何か?』からポイントを絞った。こうしてみると、選挙の仕組みはあまり理解していなかったなぁと思った。中学の公民や高校の政治経済で学んだことから、特に知識が深まっていないと思った。まぁ、新聞は読んでないし、政治のニュースにも無関心だったからそれはしょうがない・・・。

国ごとの選挙の違いについての比較で、日本は他の国よりも選挙にお金がかなりかかると示されていた。それは、アメリカやイギリスは、「この人を私たちの代表として出したい」といって、周りの人たちが自主的に資金を提供したり、みんなでボランティア活動をして手作りでパンフレットを作ったり、ポスターを貼って回ったりするので、候補者本人にはほとんど負担がかからないらしい。

しかし、日本の選挙では、選挙には出たい人しかおらず、そのため、回りの人がボランティアで候補者を助けるということはないので、供託金やその他の選挙費用を含めて最低でも数百万円も必要になってくるようだ。そのような状況では、日本の政治はよくならない、と著者は以下のように示している。
 政治をよくするために、自分たちの中から代表を出そう。その人にお金がないなら、みんなで応援をしよう。政治資金が出せないなら、休日にポスターを貼るなど、体を動かしましょう。これが、政治に対して責任のある国民の姿だと思います。
 その点、日本国民の政治に対する意識はまだまだ未熟だと、言わざるを得ません。
 選挙にはお金がかかる、というのは事実です。ただ「お金がかかってけしからん!」というのは見当違いの批判なのではないでしょうか。
 私たちが出したい人の応援をしないから、結果的に日本の選挙はお金がかかる。こういうことなのです。
(pp.066-067)
なるほどと思った。しかし、回りの人からこの人を候補に!!と言ってもらうには、相当密に地域コミュニティが発達している必要があると思った。マンションの隣人が誰だかわらないような状況では、このような状況は難しいと思える。でも、社会参加するということは、著者の示すようなことなんだろうなと思った。

文章も分かりやすく、図もそれなりに入っているので、中学生くらいからでも読めると思う。出版されたのが、2008年4月と、比較的最近なので、数年前ニュースで話題になったこともなども出てくる。

選挙の仕組みなどが示されているが、各政党の特徴などの比較はほとんど示されていない。選挙の歴史をなぞっている部分もあるので、与党の自民党の記述が多いと感じられるくらいだった。

また、各政党のマニュフェストの比較などは、以下が参考になる。また、あんまり政治や選挙に関心が持てないという人は、島耕作の著者である、弘兼憲史による以下の漫画がおもしろいし、勉強になるのでお薦め。加治隆介の議 (1) (講談社漫画文庫)加治隆介の議 (1) (講談社漫画文庫)
著者:弘兼 憲史
販売元:講談社
発売日:2000-02
おすすめ度:4.5
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ちょっと長いので、満喫で一気に読んだほうがよいかも(笑)

社会人になって数年がたち、自分で税金を払うようにもなった。ニュースを読んだりしていると、日本はこのままじゃダメだ、とか少しは思ったりもする。企業や国を当てにせずに生きようといった、自己責任論がはびこっていたりもするが、選挙に行って投票するということも一つの自己責任なのではないかと思う。本書の『はじめに』で、『なぜ、選挙に行かなくてはいけないのか?』で、以下のように示されている。
 選挙が行われるたびに、報道される投票率。このところ投票率は下がるばかりです。「いちいち選挙に行くのはめんどくさい」「政治なんて、よくわからないから政治家に任せておけばいい」「国会議員も誰かが選んでくれればいい」……。
 果たして、本当にそれでいいのでしょうか。投票しないということは、有権者としての自分の権利を放棄したことになります。私は、こういう人は、政治に関することに文句を言う資格はないのではないかと思えるのですが、あなたはいかがですか。
 え?政治について文句など言ったことない?本当にそうでしょうか。消費税や年金問題について不平を言ったことはありませんか。これも政治の問題なのですよ。「政治」は実はあなたの生活にも密接にかかわっているのです。
(pp.002)
給料日のたびに何度、所得税、住民税が高いと思ったことか(笑)こういうふうに文句を言えるようになるためにも、選挙に行くべきだと思う。

期日前投票があるのだから、「選挙に行く時間が無い」とか「選挙など興味がない」、と言うのは、自分自身の生活環境がどうなろうと知ったことではないと宣言するようなもので、さらに自分の将来、日本の未来を放棄することに等しい、と自戒をこめつつ、投票日まで各党のマニュフェストを読み込んだり、当日はしっかりと選挙に行って投票しようと思った。

特に自分と同じくらいの世代の人は、この様な本を読んだりして、選挙や政治に関心を持つべきかなと思った。この本は、すぐに読めるので、衆院選までに2,3,4章のみを読んでおいたらいいかもしれない。

結局、誰かが日本を変えてくれるわけではない。自分で変えるのだ。一票を投じることによって。



政治のことよくわからないまま社会人になってしまった人へ―ひとめでわかる図解入り
政治のことよくわからないまま社会人になってしまった人へ―ひとめでわかる図解入り

読むべき人:
  • 政治のことがよく分からない社会人の人
  • 衆院選まで軽く選挙の仕組みを抑えておきたい人
  • 自分の権利をしっかり行使したい人
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May 17, 2009

本当に生きるための哲学

本当に生きるための哲学 (岩波現代文庫)
本当に生きるための哲学 (岩波現代文庫)

キーワード:
 左近司祥子、哲学、ソクラテス、幸福、飛躍
哲学者によって、本当に生きるとはどういうことか?ということが示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第一章 複雑な人・ソクラテス
  2. 第二章 宗教と哲学・神の声
  3. 第三章 宗教と哲学・殉教
  4. 第四章 自然・移り行くもの
  5. 第五章 自然・よい生き方
  6. 第六章 私・大事なもの
  7. 第七章 私・重い実感
  8. 第八章 私・連続するもの
  9. 第九章 私・自由
  10. 第十章 私・本当の望み
  11. 第十一章 誤り・ディアレゲスタイ
  12. 第十二章 飛躍・「魔ざし」現象
(目次から抜粋)
この本は、1990年前期学習院講座での講演を元に書かれている。そのため、口語的で読みやすい。また、この本で499冊目の書評となる。

本書のテーマは、『本当に生きること』で、それは言い換えれば、『幸せであること』ということになるようだ。そのテーマに関して、古代ギリシャの哲人、ソクラテスを媒体に語られている。

全体像を示すのはかなり難しい本なので、特に印象に残った部分を引用しておく。

メロドラマに良くある設定として、好きな人がいたのに親の言うことを聞いて、嫌いな人と泣く泣く、あるいはいやいや結婚したというものがある。これは、著者によれば絶対に嘘ということになる。なぜならば、嫌いな人と一緒になりたくないという思いよりも、親に良く思われたいという願望が上回っていただけに過ぎないからであると。そして、結局親に良く思われたいというほうを選択したのだとあった。その部分に続いて、以下のように示されている。
 ここでサルトルの話との接点が出てくるのです。私たちは自分のいやなことを無理強いされたりすることはないのです。いつも、私の行動は私が選んでいるのです。私の未来は私が決めています。大きい問題にしろ小さい問題にしろ同じことです。でも、この見解を取るかぎり他人からの同情は期待できなくなります。メロドラマの主人公でいられなくなるからです。その上、あのときああしていたら今頃私は、という半分は甘い回想も不可能になります。ああしなかったのは私だからです。こういった具合に私の生き方の全責任が私にかかってきてしまうのです。
(pp.158)
厳しいようだが、この自己責任論が生きていく上で念頭においておかなければならないことのように思えてくる。

自分自身に限っては、あとのとき、ああしていればよかった、と思うことは枚挙に暇がない。何度そのように思ったことか。けれど、結局は『今』の自分は、過去の自分の選択の結果なのだということになる。選べなかったことのように思えても、結局は自分で選択したのだ、ということになる。

この自己責任論を昨今の雇用情勢に当てはめてみると、派遣切りにあって苦境に立たされている人も、結局は派遣で生きることを選んでいたに過ぎない、ということになる。厳しいようだが、派遣労働が不安定な雇用情勢であるのに、その状態に甘んじていたか、そこから脱却しなかった、という選択をしたということになる。たとえ、派遣で働くしかなかったという理由があったとしても。
 サルトルの主張は、一度目のみ効く興奮剤なのでしょうか。たしかに、興奮剤としては、一度しか効きません。でも、この聞き手の心のなかには、こういった生き方しかできない人間ということを意識したことによって、落ち着いた覚悟が生まれているはずです。過去の出来事は、結局私の引き起こしたことだ。だから、未来の私の行為も私が決めるものだといった覚悟です。かのじょの心は、決して高揚していないでしょうが、落ち込みもしていないでしょう。こういった覚悟を持って、これからは自分で判断していくのです。そういうことになれば、意識せず、知らず知らずのうちに判断を下していたときと比べて、「今自分は自分に判断を下しているのだ」という意識をしっかり持って判断できるのです。意識しつつ判断しているということは、ある人たちの好んで使う表現によれば、本当の、目覚めた自分として判断を下しているということになります。
(pp.166)
この主張は、こういった成り行きのなかで生きているのだと意識させることで、その人のこれからの生き方を生きさせるのに役に立つと示されていて、なるほどと思った。毎日が些細な判断の積み重ねで、その判断によって未来がおのずと規定されていくのを意識していこうと思った。もっと言えば、毎日がターニングポイントの連続なのだ。

この本のキーワードとして『飛躍』がある。これは、先ほどの結婚の例を挙げると、今までの自分の生きかた、これからの未来を考えて親の薦める人と結婚しようと思っていたが、直前になって思わず「別の人と結婚します」と口走ることと示されている。つまりこの『魔ざし』によって、今まで準備してきたいろいろな考慮を超えて、飛躍していき、飛躍的に幸せになれるようだ。
人間の私たちはたとえ自分のことであっても、十分分かっていないからです。そして、それが、それまでの準備をすべて反故にするほど力強い欲求であるなら、そういった欲求を最後の瞬間に私が思わず持ち出してしまったとするのなら、どうしてそれが本当の私の欲求ではないはずがあるでしょう。本当の私が今目覚めたのです。この件をきっかけにして。そうだとしたら、この欲求に従うのこそ、私の正しい行為であり、私が本当に生きることなのであり、幸せになることなのです、とりあえずは。連続する私に、突然割り込んできた飛躍した私、それについての、いろいろな考察はあとのことです。あとでゆっくりすればいいのですし、するべきです。そして、実際私たちはそうしています。
(pp.211)
もしかしたら、自分にもこの飛躍が近々訪れるのじゃないか?という気がしないではない。とりあえずはIT技術者になろう、と準備をしているが、どこかでやっぱり違うことをやろうと直感的に思うのだと思う。そうなったら、その直感にしたがってそれをやればいいのかなと思った。細かい考察は後でいいんだとわかってよかった。

口語的な文章ではあるが、示されていることはかなり抽象的な部分が多い。古代ギリシャのソクラテスの無知の知から、プラトン、ゴルギアス、ヘラクレイトス、ギリシャ神話の神々、サルトル、デカルトなどなど、さまざまな哲学者が出てくる。そういう古代ギリシャ哲学に関心がある人は面白く読めると思う。

著者はネコ好きらしい。それが表紙のイラストの並木道にたたずむネコに現れている。

連続する自分の中に突然訪れる、飛躍に身を任せる。これが、自分が本質的に生きていく上で重要なのかなと思った。

さて、どのような飛躍が自分に起こるのだろうか?

次で500冊目の大台。500冊目が一つの節目。500冊目は、もしかしたら5月中には無理かも。気長にお待ちを。



本当に生きるための哲学 (岩波現代文庫)
本当に生きるための哲学 (岩波現代文庫)

読むべき人:
  • 古代ギリシャ思想に関心がある人
  • ネコが好きな人
  • 本質的に生きることを考えたい人
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May 03, 2009

書きたがる脳 言語と創造性の科学

書きたがる脳 言語と創造性の科学
書きたがる脳 言語と創造性の科学

キーワード:
 アリス・W・フラハティ、脳科学、書く、ハイパーグラフィア、文学論
脳科学者によって、書くことの本質が示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 ハイパーグラフィア―書きたいという病
  2. 第2章 文学的創造力と衝動
  3. 第3章 精神状態としてのライターズ・ブロック
  4. 第4章 脳の状態としてのライターズ・ブロック
  5. 第5章 どうやって書くのか―皮質
  6. 第6章 なぜ書くのか―辺縁系
  7. 第7章 暗喩、内なる声、詩神
(目次から抜粋)
この本は2年前くらいに新宿の紀伊国屋で発見し、それからずっと積読状態だった。そろそろ500冊書評到達ということもあり、なぜ自分がここまで書き続けられたのか?ということを探ってみたくて、このようなタイミングで読んでみた。そしてこの本が、497冊目となる。

黄金週間中なので、いつもよりも書く時間は豊富にある。よって、かなり長文傾向になる。

簡単にこの本の概要を示しておこう。プロの作家に限らず、学生やブロガーなども同じように書きたい、書かねばならないという欲求に取り付かれたりする。そういう書きたいという衝動と、書きたいのに書けないという状態について、脳科学者の視点から示されている。以下に本書の概要が示されている部分を抜粋。
 だが、それは研究不可能なほど複雑ではない。神経学者はハイパーグラフィア(書かずにはいられない病)を生み出す脳の特定領域の変化を発見している。何が文学的創造を促し停滞させるのかを、直感的に頼らない神経学的方法で調べると、ハイパーグラフィアよりもっとありふれた、だがつらい対極である書きたくても書けない状態、つまりライターズ・ブロックの新しい治療法がわかるかもしれない。どちらの状態も、コミュニケーションをしたいという基本的な生物学的欲求に複雑な異常が生じることによって起こる。言語学者と科学者の大半は主として作家の認知の側面に注目してきたが、本書では書くことと感情とのもっと入り組んだ関係を探ろうと思う。例となるのは文学作品やわたしの患者、そしてわたし自身の体験である。
(pp.10-11)
著者は、医者でもあり、神経科学者でもあり、そしてまたハイパーグラフィア、産後の鬱状態に陥った患者でもある。そのため、ハイパーグラフィアなどについては厳密な脳の構造からも解説されるが、著者の叙情的な体験、文学作品、哲学書の引用も多く見受けられる。そういう部分が、若干冗長なような気がするが、ハイパーグラフィアの実体験者の示す内容として面白いと思った。

まず、この本のキーワードとなる『ハイパーグラフィア』の傾向を示しておこう。
  1. ハイパーグラフィアの人は大量の文章を書く
  2. ハイパーグラフィアは外部の影響よりも強い意識的、内的衝動(喜びと言ってもいい)から生まれる
  3. 書かれたものが当人にとって非常に高い哲学的、宗教的、あるいは自伝的意味をもっている
  4. 少なくとも当人にとっては意味があるという緩やかな基準はべつとして、文章が優れている必要はない(感傷的な日記を書き綴る人はハイパーグラフィアの可能性がある)
    (pp.41)
そして、ハイパーグラフィアに陥る原因として、以下が示されている。
  • 側頭葉てんかん
  • 躁うつ病
  • 統合失調症
  • 上記の病状はなく、正常な人で、愛する者との死別、病気、亡命、異郷の暮らし、自己愛的な自尊心の傷み、青春などの苦しみを感じている人
このように、ハイパーグラフィアという症状を分類するときには、脳の機能障害を引き起こしているような、てんかん、躁うつ病、統合失調症の患者たちと、正常だが内面で苦しみを抱えている人と分けることができる。

そして、どうやらというか、やはりというか、自分もハイパーグラフィアの傾向にぴったり当てはまる。まず、相当大量の文章を書く傾向がある。この書評ブログに関して言えば、普通の書評ブログよりも長文傾向だと思う。最近は大体平均文字数が4,000字であり、原稿用紙換算だと10枚くらいになっている(初期の頃はその半分も書いていないが)。他にも、もう一つのぐだぐだ日記ブログに書きたい衝動をひたすら満たし続けるように書いている。

そして、第2の傾向のように、誰かに依頼されて書いているわけでもないし、報酬を受け取っているわけでもない(Amazonのアフィリエイトは、ほとんど売れなくて微々たるものだし、アフィリエイトが書くことの動機にはまったくなっていない)。本当に内面から湧き出てくる書きたい衝動によって書いている。うまく書けたら自画自賛して何度もその記事を読み返したりもする。

第3の傾向、これは本当にその通りだと思う。この書評ブログの内容は、客観的に見て高い哲学的、宗教的、自伝的意味を持っているかは微妙だが、主観的にみると、自分自身のために書いてきたことから、深い自伝的意味を内包していると思う。そういう意図もあって、この書評を媒体とした記事を書き続けてきたという側面もかなりある。

第4の傾向もぴったり当てはまる。固定読者が少なからず存在するこの書評ブログでも、自分にとっては大きな価値があるが、他の人には無価値な文章だと思う部分がかなりある。さらに括弧内の記述のごとく、別ブログで感傷的な日記もぐだぐだと書き綴っている。それは本当に散漫で、文章として体をなしていない言葉の羅列で、他の人が読んでもまったく価値がないと断言できるような代物。しかし、やはりそれも自分自身にとっては意味がある。
ほかの面では正常でも、上記の四つの基準に該当する人々は、ハイパーグラフィアとしてまとめてよさそうだ。そもそもハイパーグラフィアを取り上げる主な理由は、こうした人々の存在にある。
(pp.41)
ということで、自分もハイパーグラフィアなんだろう。幸いにも、過去にてんかんや躁うつ病、統合失調症と診断されたことはないから、正常な部類のハイパーグラフィアに入るのだろうけど。

では、なぜ書くのか?という原因を紐解いてみよう。

まずは以下の部分が参考になる。
 囚人は何をするか?もちろん、書く。たとえばサド侯爵のように血をインク代わりにしなければならなくても、彼らが書く理由は極端な自由の制約であり、誰も叫びを聞いてくれないという事実であり、同じことが精神を病んだ人たちや多くの正常な人々にとっても書く理由になる。わたしたちは自分の監獄から逃げるために書く。
(pp.56)
著者は、産後に躁うつ病を発症したことから、精神病院に入院したようだ。そのときの精神病院に閉じ込められていると感じた経験から、上記のように導かれている。そしてこの『叫び』は、芸術にも同じことが言えるんだなと思った。芸術も文章も、『叫び』と『コミュニケーション』がキーワードになるようだ。

さらに第6章の『なぜ書くのか―辺縁系』を紐解いていくと、以下のような理由が示されている。
  • コミュニケーションしたいという衝動から
  • 本心から(ときには勘違いでも)自分の幸福を分かち与えたいから
  • 悲しみや怒りに叫ぶのと同じ生物学的な衝動から
  • 自己表現によって、書くことで喜びや解放感を得られるから
  • 社会的な人とのつながりが得られるから
  • 作家、ジョージ・オーウェルよれば、美的な情熱(美を広めたいという欲求)、歴史的衝動(真実を見分けて、それを後世に残したいという衝動)、政治的衝動(世界を特定の方向に動かしたいという欲求)から
  • 著者の死産の経験から、罪の意識を告白したいという衝動から
  • 自分あるいは自分以外の世界が本物だと証明するため、つまり、孤独を満たすため
上記は、文学的な側面から、著者の叙情的な側面から、そして脳科学的な側面から示されている。それぞれのレベル間が合っていないが、それぞれの事象が書く理由として、どれも納得がいった。また、普通の人が書きたくてたまらなくなる原因が以下のように示されている。
 病気以外に、ふつうの人が書きたくてたまらなくなる原因は何だろう?大きな原因は病気ではないが、それに近いもの、愛、それも不幸な愛だ。社会的な変動や、(ある意味ではすべての人々が経験する)青春を過ごした土地との別れ、戦争など、ほかのかたちの苦しみも執筆の引き金になるだろう。しかし、少なくともアメリカでは愛ほどではない。たぶん、こういう外部的な脅威には行動が要求され、行動すれば書いている時間がなくなるためだろう。だが誰かへの愛、とりわけ報われない愛は自尊心への脅威だ―わたしたちは自尊心を言葉で癒せると考えている。とくに愛する者の不在に苦しんでいると、耳を傾けてくれている人なら誰にでもかまわず書いたり語ったりしたくなる。愛する女性についてわたしたちが書く言葉、自分に語る物語は、ピグマリオンが作ったガラテアのように、恋人が戻るまでの慰めになってくれる。その不在が死別ならば、この語りたい思いは耐えがたいほどになるかもしれない。
(pp.66)
なぜ自分がここまで書評を辞めたいとも思わずに書き続けてきたのか?その原因は、上記に示したどれも部分的に当てはまるが、一番の要因は『苦しみ』なのだな、ということがよくわかった。

この本は、脳科学的な側面からだけでなく、文学的側面、著者の実体験の叙情的な側面からも示されており、一味変わった本だと思う。そのため、多くの作家、哲学者、例えば、ドストエフスキー、ミラン・クンデラ、ジョージ・オーウェル、アイザック・アシモフ、プルースト、カフカ、スティーブン・キング、ニーチェ、プラトン、ソクラテス、マーク・トウェインなどなどが引き合いに出されている。なので、文学好きな人にはとても面白く読めると思う。

本書の解説が、脳科学者で文学や芸術にも造詣が深い茂木健一郎氏であるのも、得心が行く。茂木氏は、本書を『ロマンティック・サイエンス』と評している。

小説や物語、エッセイ、ビジネス文書、手紙、日記的なブログ、書評、果てはプログラム、絵画までいろいろと書く(描く)ことを職業や趣味にしている人はぜひ読んだほうがいい。なぜ書くのか?という根源的な理由が分かると思う。

今回の記事では書きたい衝動のハイパーグラフィアを焦点に当てた。書くことがあるのに書けない状態の、ライターズ・ブロックのほうは、読んで確かめて欲しい。書くことを仕事(趣味)としている人なら一度は味わったことのある状態だと思われるので。

自分がここまで書き続けてきた理由がよくわかった。書かなくてはいけない理由がたくさんあったんだなぁと。また、この本を読んでいると、何だかプログラマやIT技術者ではなく、作家になったほうがよいような気がしてきた。家に帰ってきてもハイパーグラフィアのごとくプログラミングをしたいとはあんまり思わなかったし、逆に、ハイパーグラフィアに陥りながら、書評を媒体として自分の思索をここまで書き続けてきてしまったし。どうなるかは分からないけど、選択肢の一つとしてありえる。



書きたがる脳 言語と創造性の科学
書きたがる脳 言語と創造性の科学

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  • ブログ、小説など書くことを生業としている人
  • 常に書きたい衝動が途切れない人
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April 02, 2009

教養脳を磨く!

教養脳を磨く!
教養脳を磨く!

キーワード:
 茂木健一郎 / 林望、教養、ケンブリッジ、対談、総合知
脳科学者と国文学者の教養についての鼎談本。以下のような目次となっている。
  1. 序章 教養という可能無限(茂木健一郎)
  2. 第1章 ケンブリッジ式「教養脳」の磨き方
  3. 第2章 古典が育てる「教養脳」
  4. 第3章 「教養脳」的に古典を読んでみる
  5. 第4章 日本の「教養脳」を磨こう!
  6. 終章 汲めども尽きず(林望)
(目次から抜粋)
現代では教養というものが形骸化されてきているが、この世界を生きるうえでのコモンセンス、つまり教養が必要であるということを示していかなければならない、と茂木氏は考えられているようだ。そして、国文学者で書誌学が専門の林氏と対談しながら、イギリス、特にケンブリッジ大学の教養的な風土、平安時代の国文学の話、古典、科学を引き合いにしながら教養についていろいろと示されている。

この本で494冊目。対談本なので、そこまで深いことが書いてあるわけではない。しかし、教養を考える上で、押さえておいたほうがよいことがいくつか示されていたので、そこを重点的に考察しておく。

まずは脳科学者、茂木氏の教養観は以下のように示されている。
 「教養」とは、一生をかけて必死になって醸成していくべきものである。何が起こるかわからない人生において、生きる上での道しるべを与えてくれるものである。それは、万人にとって必要なもの。決して、机に座って本を読むことによってのみ身につくものではない。私たちが生きる上で時々刻々経験すること。その細やかなひだの中から、次第に醸成されてやがて血肉になるのが、教養である。
(pp.2-3)
教養は、難しい古典的な本を読むだけではなく、生きていく上で経験することからも学ぶことができるようだ。しかし、それは一朝一夕では決して身につかず、軽々しく教養がある、とは言えないものだろう。それは、以下の部分にも通じる。
 教養を身につけているとは、すなわち、自分がどれくらいものを知らないかということを自覚しているということである。それでいて、決して投げやりになはならないということである。未知なものに対して、積極的に、かつ真摯に向き合う。そのような態度を身につけていることが、教養、すなわちコモンセンスなのである。
 (pp.6)
教養の定義は、人によってかなり違ってくる。そのため、これが絶対的なものである、という定義はないのだろう。茂木氏の場合は、『無知の知』が教養の基礎になるようだ。

そして、特に重要なのが、以下の部分。
 教養を考える上でもう一つ大事な点がある。すなわち、「広さ」だけでなく、「深さ」が大切だということである。この点においても、昨今の日本の状況には嘆かざるを得ない。
 実際的な意味で役に立つこと、わかりやすいことばかりがもて囃されている。少しでも難しいことだと、「私には関係ない」「私には無理だ」と拒絶する。それでいて開き直る。そのような姿勢で生きていては、ここで言う「教養」など身につかない。何よりも生きていく上で自分自身の可能性を活かしきることができない。もったいない。
 この世には、今の自分にはあずかり知り得ないような、凄いものがある。そのようなことに対する予感を抱くことこそが、教養というものの本質的な意義の一つである。自分の慣れ親しんだ日常の中にこもって井の中の蛙になってしまっていては、教養の天空のさわやかな空気をのびのびと吸うことはできない。
(pp.7)
より良く生きるために、そして自分の可能性を広げるために、教養が必要なのだ、ということだろう。そのときは、一点特化するのではなく、広く、深くの両方を目指さなければいけないようだ。そう考えると、どう考えても5年10年程度では、教養を身につけようとしても大したものは身に付けられない、ということになる。やはり一生かけて醸成させていく必要があるのだと分かった。

終章で、同じようなことを林氏が主張している。
 この複雑で不条理な人間の営為は単純な分析によっては解明されない。もっと広い見渡し、もっと透徹した考察、全体を総合して考える力が必要だと思うのである。
(pp.182)
これらを読んで、もう多様性を目指すことに迷いはない。21世紀は旧世紀のように単純な世界ではなく、複雑系である。その不条理さを孕む世の中をよりよく生きるために、総合的な知見を持ち、考える力を養っていかなければならないようだ。その走りが、やはり多様な本を読むことなのだ、と自分の中に結論付けた。

この本は新刊で、教養を身につける重要性を考えていたときに、電車の中の広告でこの本を知った。続けて教養に関する本を読んできたので、よい傾向だなと思った。

対談本なので、読みやすいし、ところどころに(笑)という記号も多くある。ケンブリッジ大学の図書館は独特の雰囲気で、中国哲学が専門のパンクロッカーの格好をした権威がいるとか、ケンブリッジのアカデミックな空気は日本とは大違いであるとか、和歌の本質的な詠み方など、とても興味深く読めた。

教養など役に立たない、という考えは浅薄で、そのような態度では、本質的に世界を知ることはできない。自分は世界を体系的に理解したい。だから、もっともっといろんなことを知りたい。そして、常に『無知の知』を基本とする謙虚で真摯的な態度でありたい。

林氏の本は、以下もお薦め。

教養脳を磨く!
教養脳を磨く!

読むべき人:
  • 教養について考えている人
  • イギリスが好きな人
  • 分かりやすいものばかり求めている人
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March 20, 2009

移りゆく「教養」

移りゆく「教養」 (日本の“現代”)
移りゆく「教養」 (日本の“現代”)

キーワード:
 苅部直、教養、思想史、カルチャー、対話
日本政治思想史が専門の著者によって、政治を起点として教養が論じられている本。この本で492冊目。以下のような目次となっている。
  1. 序章 なぜ「教養」を問題にするのか
  2. 第1章 「教養」の現況をめぐって
  3. 第2章 近代日本の「教養」
  4. 第3章 「教養」の内と外
  5. 第4章 「政治的教養」と日本の伝統
  6. 第5章 「教養」と教育、「教養」の教育
  7. 終章 「教養」のむこうがわ
(目次から抜粋)
昔から『教養』というものを考えるときに、教養とは『いかに生きるか』という問いを考えることであると論じられてきた。日本においては、かつて大正・昭和の知識人、そして昨今の大学教育においても教育者から、教養が崩壊したと嘆く声が多くあげられ、「教養」の再生が求められている。しかし、それらの論点では、どこか説教くささがつきまとう。そのため、教養の英訳である「カルチャー」という言葉を『人と人がさまざまな活動をおたがいに行う上で、前提にしている共通のものの考えかた』と捉えて説教くささを薄め、そしてそのような行為を『政治的判断力』と捉えながら、「政治的判断力」と「教養」と日本の伝統文化、その三者の関係はこれまでどう論じられてきたのか。そして今後のあり方を考える手がかりは、どこに見出されるのか?といったことが議論されている。

もう少し内容について要約された部分が5章の始めに示されているので、その部分を抜粋。
 さて、この本をここまで読み進めされた方のうちには、いいかげんにしびれが切れた、とお思いの向きもきっとあるだろう。いまの日本に生きるわれわれは、いかなる「教養」を身につけるべきか、そのための教育制度はどういうものが望ましいのか。「日本の<現代>」の一冊で「教養」を論じるのだから、そういう答えを期待していたのに、「教養」の概念史のような話がえんえんと続き、はては、古臭い伝統の話である。これではまるで、詐欺ではないか。
 一見、まわり道のような構成をとっているのは、それなりにねらいがあってのことである。「教養」とは何か、その定義じたいが、思想史の経緯から言えば、さまざまだということ。その中で、近代日本で考えられてきた「教養」は、独特の意味をもっていること。近代の日本で「教養」の本場とされてきた、西洋文化の輸入だけではなく、みずからの足元の伝統にも、「政治的教養」の源泉はありうること。そういったさまざまな側面にふれることで、「教養」をめぐる思いこみを解きほぐすことができるのではないだろうか。
(pp.149-150)
自分も5章に入るまでは、大正・昭和の大学教育における教養の状態や西洋哲学の教養論などが引き合いに出され、なかなか自分の知りたい、いかなる「教養」を身に付けるべきか?が出てこなかったので、読み進めるのを止めようかとも思っていた。実際4章までは、教養史としては参考になるが、そこまで自分がなるほど!!と思って線を引く部分もほとんどなかった。しかし、5章以降からがこの本の核になってくる。

まずは、教養とは何か?という部分を引用しておく。
現代において、はてしなく専門化し、断片と化した学問の知識を前にして、人々はあたかも密林にふみこんだかのように、途方にくれる。このとき、さまざまな諸領域をつなぐ回路を、自分なりに見つけだし、展望をえることで、世界との間に調和をとりもどし、人間らしく生きることができる。そうした知の営みを培うものが「教養」なのである。
(pp.178-179)
これは、茂木健一郎氏も『クオリア立国論』で同じようなことを示している。専門領域を深化させることはもちろん重要だが、それだけでは足りない、という自分の考えと同じだと思った。そして、なぜ教養が必要であるかが以下のように示されている。
 だが、一九七〇年代以降、大学への進学率があがり、ことさらに「教養」のある存在として、大学生である自分を、大衆から区別することが不要で不可能になってくると、「教養」のかけ声は、もはや説得力を失ってしまった。むしろ、「教養」をふりかざす者については、「教養」なき者に対する蔑視が、敏感にかぎとられ、敬遠されるようにもなる。
 「教養」を積めばいったいどうなるというのか。もちろん、「教養」を積んでゆく過程それ自体が目的だと答える手もあるだろう。だが、間に合わせの答えすらまっとうに語らず、答えることを放棄したまま「教養」の必要を説く大人や先輩が、どうもうさん臭い。大学生の「教養」ばなれには、そうした要因もあったのではないか。
 しかし、その現状にため息をつきながら、もはや「教養」などと放り出すわけにはいかない。人間が身につける知が、読み書き・計算をざっと身につけただけで、あとはマニュアル化された実用知識か、あるいは高度に専門化した学問だけになってしまえば、どうなるか。学問でもジャーナリズムでも、専門の境界を越えるような、豊かで斬新な発想は、まず生まれなくなる。さらに、異なる価値観や世界観を抱いた人間どうしの対話が、日常生活の次元でも、ずっと困難になってゆくだろう。人と人とが生き生きとした交流を保ち、社会を円滑に動かしてゆくためには、この本で色々ととりあげてきたような「教養」が、やはり必要なのである。
(pp.195-196)
教養が必要な理由は、斬新な発想を生み出すことと他者との対話のためである、と言うことに尽きる。

そして、教養の『要点』が書物との対話にあると示されている。それは、コンピュータの画面に映るような文字の連なり、つまりブログなどでの論説も含まれるが、書物を読むことが重要であると示されている。時代が変わっても本の読解が大きな役割を果たすのは、変わらず、読書はやはり「教養」への踏み台となり、生涯つづく「教養」の営みと伴走しながら、続けるのにふわさしい営みであると示されている。

突き抜けて成功している人、革新的な発明やビジネスでの業績を上げている人ほど、教養に溢れているのではないか?というのが自分の仮説。その人たちは、専門分野を持ちつつも、確実にそれ以外の分野への興味関心を幅広く持ちながら、実に多様な本を読まれていると思う。例えば、昨今ではブログ界、出版界をにぎわせている、小飼弾氏や勝間和代氏などがそれに該当するのではないかなと思う。そして彼らほど、『人と人とが生き生きとした交流を保ち、社会を円滑に動かしてゆくため』の対話の重要性を認識しているのではないかと思う。

突き抜けて成功していたり、業績をあげている人、大企業の経営者クラスの人ほど専門分野以外の本を多く読んでいるのはなぜか?と疑問に思っていたが、なんとなくその答えが、この本に示されている教養の重要性にたどり着くのではないかと思った。

そして、最終的には、この本では、教養を身に付けるために読むべき本が示されているわけではなく、これを読むことが教養になるなどと考えずに、古典的なテクスト、それ以外にも音楽や映画や漫画にも接していけばよいとあった。実に説教くさくなく、肩の力が抜けている。

これからは、教養を身に付けるためというよりも、斬新や発想、他者との対話のためという視点で肩肘を張らずに色々な本を読んでいけばいいのだと思った。ただ、自分の専門分野の本もそれなりに読まなければならず、いつも専門分野とそれ以外の分野のバランスをとるのに途方に暮れるが・・・。

教養について考えてみたい人は読んだほうがいい。教養に関する書籍の参考文献もかなり多く示されているので、よいと思う。



移りゆく「教養」 (日本の“現代”)
移りゆく「教養」 (日本の“現代”)

読むべき人:
  • 教養とは何かを考えたい人
  • 思想史が好きな人
  • 斬新な発想で突き抜けていきたい人
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February 14, 2009

疲れすぎて眠れぬ夜のために

疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)
疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)

キーワード:
 内田樹、幸福論、人生論、ワンランク下、聴く
戦う哲学者の異名を持つ著者による、ワンランク下の人生論。以下のような目次となっている。
  1.  心耳を澄ます
  2.  働くことに疲れたら
  3.  身体の感覚を蘇らせる
  4.  「らしく」生きる
  5.  家族を愛するとは
(目次から抜粋)
著者はフランス現代思想が専門で、武道をされているということから、戦う哲学者と言われたりするようだ。そんな著者によって、「無理はいけないよ」、「我慢しちゃだめだよ」、「あんまり自分で立てた原理原則なんかに縛られないで、その場の気分に乗って、気楽に生きましょう」ということが家族論、文化論、身体論などから示されている。著者のブログは以下になる。疲れすぎて眠れぬ夜のために』というタイトルの内容を端的に表しているのが、『ワンランク下の自分に』という節タイトル部分になる。著者によれば、向上心を持って、常にワンランク上を目指すような不充足感を原動力にした生き方というのは、もうやめたほうがよいとある。なぜなら、自分たちの未来には無限の可能性があるようで、実はそれほど無限でもなく、自分にできることできないことがある。そのため、そのような生き方をしていると常に不充足感を抱きながらストレスを感じ続け、精神的にも体力的にもしっかり優先順位付けを行わないと、壊れてしまうからであるとある。こういうことが、若い人にわかっていないことが多いとあった。以下、その続きの核の部分を抜粋。
 疲れたら、正直に「ああ、へばった」と言って、手を抜くということは、生きるためにはとてもたいせつなのです。疲れるのは健全であることの徴です。病気になるのは生きている証拠です。飽きるのは活動的であることのあかしです。
 でも、「一ランク上の自分」に取り憑かれた人は、身体や精神が悲鳴をあげるまで痛んでも、なかなか休みません。疲れて立ち止まると、そういう弱い自分を責めます。
 それは自分の身体に対しても、精神力に対しても、酷ですよ。
 向上心は確かにある方がいい。でも、あり過ぎてはいけない。
 人は夢と現実を同時に生きなければなりません。この匙加減がとても難しいのです。
 (中略)
 自分の可能性を最大化するためには、自分の可能性には限界があるということを知っておく必要があります。
 (中略)
 自分の潜在的可能性の「限界を超える」ためには、自分の可能性には「限界がある」ということをしらなくてはいけません。
(pp.14-15)
この部分がとても身にしみる。なぜなら、自分も「一ランク上の自分」に取り憑かれ、激しく自分のレベル上げをしていた時期があり、体が悲鳴をあげているのに気づかないフリをして、結果的に限界を超えて体が病んでしまったからだ。

大学3年時くらいから激しく勉強していたし、1限目からフルコマ講義終了後、夕食を食べて19時から深夜までシステム開発に従事するというのが半年ほど続いて、かなりいっぱいいっぱいになっていた。かなり心身ともに疲弊していたと思う。そして、それが直接的な原因であるからか分からないが、卒業後に腎臓病が発覚した。その後、しばらく入院して休息していたが、そのときに自分の弱さを責めていたと思う。だから、この部分は、限界を超えて病んでしまった自分にとっては、あまりにも身にしみる。ストレングスファインダーの『最上志向』という強みが自分にもあり、無駄に向上心も持っていて、このままではいけないとか思って無理をして激しくレベルアップをしたくなる気持ちもまだあるが。それでも、もう無理をすると冗談じゃなく、本当に疲れすぎて眠れなくなる。だから、この部分の主張はその通りだなぁと、妙に納得した。

自己啓発本を読んだり、セミナーに参加したり、将来の理想の自分像を思い描いて努力したりするのはいいけど、どこかで自分の限界を知っておかないと、本当に大変なことになる。

他にもいろいろ引用したいところが多い。しかし、あと一箇所だけにしておこう。『個性』について一部抜粋。
 でも、個性的であるというのは、「記憶の共同体」への住民登録を求めないということです。頭にぎっしり詰め込まれた「偽造された共同的記憶」を振り払い、誰にも共有されなかった思考、誰にも言えなかった欲望、一度もことばにできなかった心的過程を拾い集める、ということです。
 これは徹底的に知的な営みです。メディアでは人々が「個性的に」ということを実にお気楽に口にしていますが、「個性的である」というのは、ある意味で、とてもきついことです。誰からも承認されないし、誰からも尊敬されないし、誰からも愛されない。そのことを覚悟した人間だけが「個性的であること」に賭金を置けるのですから。
 そんなことができる人間は本当に小数です。ですから、ほんとうに個性的な人間というのは「オレは個性的な人間だ」と思い込んでいる人間の数の千分の一もいないのです。
(pp.108)
真に個性的な人間は、自分のことを『普通だ』と思っているんだけど、世間一般の人とどこかずれていて、結果的に苦しんだりする人のことかもしれない。そういう普通感、個性については、以下の本に通じると思う。個性的である、と自己主張することは、誰にも承認されないで生きることを宣言するようなもの。さすがにその覚悟は自分にはない。

武道の話や家族の話、著者の高校時代の話、文化の話、女性の働き方、優れた作家のコミュニケーションの高さなど幅広く論じられており、とても知的刺激を受けた。また、この本は語りおろしらしい。それでも結構抽象的な用語が出てくるが、難しくはない。

向上心を原動力に激しくレベルアップしていくことに意義はあるのか?とふと疑問に思ったり、残業続きで過労気味で土日は寝てばかりだったり、最近良く眠れずにへんな時間に目が覚めたり悪夢を見てうなされてしまっているような人は、絶対読んだほうがいい。

他にも、著者の本では以下がお薦め。

疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)
疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)

読むべき人:
  • 常にワンランク上を目指している人
  • 体系的な思想について触れたい人
  • 最近、いろいろなことに疲れてきたなと思っている人
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January 24, 2009

クオリア立国論

クオリア立国論
クオリア立国論

キーワード:
 茂木健一郎、クオリア、日本論、教養、総合知
脳科学者によって日本のすばらしさ、日本人の可能性について論じられている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 クオリア消費時代がはじまる
  2. 第2章 文化力を発信する
  3. 第3章 ビジネスとクオリアの交差点
  4. 第4章 クオリア立国のために
(目次から抜粋)
脳科学者である茂木健一郎氏は、クオリアの研究をしている。そして、この本では、クオリアが日本人の自己認識の鍵と捉えて、これからの日本のあり方、日本人の持つべき考え方が示されている。

そもそもクオリアとは何かというと、『脳科学の分野では、人間が心の中で感じる様々な質感のこと(pp.9)』とある。例えば、それは抜けるような青空、ヴァイオリンの音色、メロンの味、はてはオタク文化の「萌え」要素もクオリアに対する感性の表れと示されている。

過去バブル期の日本は、一流ブランドの服を着て、一流レストランで食事をするような記号的消費時代だった。しかし、今の日本ではそのような記号的消費の限界を体感しつつあり、そこからクオリアに根ざした消費へと移り変わってきたようだ。そこから、この本では、過去日本人が培ってきた伝統芸能や文化、トヨタなどの仕事論を軸に、日本の『クオリア立国』について論じられている。

そして、『クオリア立国』と日本が言うときに、以下のように2つの意味があるようだ。
  1. 日本のなかに存在する魅力的なクオリアを世界中に知らしめていくこと
  2. 日本発の新しい原理のようなものを発見していくこと
そのヒントが、例えばミシュランガイドで三ツ星がついた高尾山の話であったり、リッツ・カールトンのホテル論、日本料理屋のおまかせというスタイル、日本のコンビニの整然さ、そして日本とイギリスやフランスなどの対比から示されている。どの話も、へーと思うことが多い。単純に読み物としても面白い。

この本の本論とは少しずれるところだが、特になるほどと思った部分を以下に恣意的に抜粋。
 そうではなく、「恋愛というのは、お互いに自分自身ではコントロールできない気持ちが高まって、相手のことを好きになる。たまたまその気持ちが一致すれば、相思相愛ということになる。一方に気持ちの昂ぶりがなければ、恋愛というものは成立しない。それが分かることが大人になるということなんだよ。」と学生には言っている。要するに、自分のなかにある無意識というのは、決して自分ではコントロールすることができない。いや、コントロールしてはいけない。だから人間の脳はすべてをコントロールできないということになるわけです。
(pp.118)
自分は大人になれたのだろうか?

もう一箇所は、イギリスのオックスフォード大学の学者がさまざまな専門分野を持つ人たちと昼食をともにして議論をしていることから、日本と大違いであるというくだりから。
いかに専門分野があろうとも、その専門分野をさらに突き詰めるためには視野の広さが必要になってくる。高い専門性と広範囲に及ぶ視野。その両方が何かを生み出すには必要なのです。日本でも異業種交流会などというものが盛んに行われていますが、そのほとんどはただ集まるだけ。名刺を交換して、その会合に出席したというだけで満足している人が多い。それではまったく意味がない。アウェーの場に出て勝負をすることが大切なのです。アウェーで自分の力を試してみる。そういう発想をもって参加するべきでしょう。
(pp.132-133)
この部分は特になるほどと思った。この考えは、Cyanを設計した高校生、5カ月で5つの言語を習得 − @IT自分戦略研究所でLispハッカーの竹内氏の発言に共通すると思った。『見聞を広げる意味であえてコンピュータと密接に関係しないことを勉強した方がいいです。』とかとくにそうだと思う。

また、異業種交流会でのあるべき参加態度も参考になった。アウェーで勝負するということ。

そして、さらに学問的なことで、以下のように示されている。
 学問ということに目を向けると、これからのビジネスパーソンは広い意味での学問的素養がないと戦っていけません。根性や努力といったことだけでは、どうすることもできない時代に入ってきている。特にIT産業が経済の主流になって以来、ITイコール経済という構図がますます強まっています。
(中略)
そういう時代になったときに、学問的素養に欠けるビジネスパーソンはとても太刀打ちできません。IT産業と共に伸びている環境技術にしても、それこそレアメタルなど、非常に希少な元素についての知識も求められるわけです。つまり単一の得意分野ばかりでなく、ありとあらゆる学問的素養がないと、ビジネスを展開できない時代に入ってきたわけです。
(pp.140)
これは特に自分もそう思うようになってきた。一昔前、旧世紀はいわゆるT字型のタイプが言いといわれていた。しかし、T字だけでは突き抜けられない時代になっていると思う。そういう恐れや不安があるから、自分は常に多様性を意識している。なぜ、自分がこのブログで幅広い分野の本を読み込んでいるかというと、単純な知的好奇心もあるが、新世紀でのビジネスをよりよく展開していくためという部分がかなりある。だから、自分の専門分野であるITだけに特化しないし、古典文学作品であってり、経済であったり思想書も多く読むようにしている。

多様性を目指したときに、1つネックになるのは、成長スピードになる。ITで特化して突き進んでいくと、それだけ対象を絞っているから速く成長できる。多様性を目指すと、あれもこれもとやっていくので、どうしても成長が遅い。しかし、人生は長い、と考えて10年20年先を見据えて圧倒的に成功しようと思うなら、やはり多様性を自分の中に取り込んでおくべきなんだと思う。特に突き抜けて成功している人は、皆例外なく古典や歴史書、思想書など自分の専門分野とは違うものを多く勉強している。ということで、自分もそのスタイルを確立しようと思う。とはいえ、今年はITにも特化しなければならないが・・・。

茂木氏の本をそれなりに読んできたけど、なぜ文芸的なことや芸術的なことにまで言及されるかがいまいち分かっていなかったが、この本にその答えが示されていた。それはクオリアの探求のためであり、クオリアの探求には学問の境界線が存在しないので、文学や芸術や歴史さえもクオリアの問題とつながっていくと考えられているからのようだ。これはなるほどと思った。

茂木氏の本は、以下もお薦め。一番難解なのは、『クオリア降臨』になる。

茂木氏の本は、総合知的なものを得られて、とても知的刺激を受けるので好きだ。



クオリア立国論
クオリア立国論

読むべき人:
  • クオリアに関心がある人
  • これからの日本や日本人に関心がある人
  • 専門バカではダメだと自覚がある人
Amazon.co.jpで『茂木健一郎』の他の本を見る

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December 01, 2008

人たらしのブラック心理術

人たらしのブラック心理術 (だいわ文庫)
人たらしのブラック心理術

キーワード:
 内藤誼人、ブラック、心理学、人たらし、人間関係
心理学者によって、人に好かれるための教科書的な内容が示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 人たらしになるための基本ルール
  2. 第2章 会う人“すべて”に100%好印象を抱かせる方法
  3. 第3章 人間関係の“危機的状況”をうまく乗り越える心理技法
  4. 第4章 職場の雰囲気をガラリと変えるテクニック
  5. 第5章 人を惹きつける「会話力」の磨き方
  6. 第6章 人と「議論」するときに気をつけたいポイント
  7. 第7章 ワンランク上の「人たらし」を目指すために
(目次から抜粋)
この本の基本スタンスは、『人をたらしこむのは絶対にいいことだ』とある。それは、人たらしな行為をしてあげれば、相手が喜んでくれるからであるとある。この本に書いてあることを実践し、人たらしになれば、他人に好かれるという利益を享受できるようだ。そして、この人たらしの技術は、人間関係を円滑にするものであり、どんな業種の人にとっても役に立つものらしい。

これはもう、線を引きまくりで、間違いなく明日からすぐに使えるもの!!相変わらず著者の本は、実践ですぐに使えるものでいい本だ。今回はポイントを絞っていくつか列挙。
  • 「どうすれば相手に喜んでもらえるのか」ということを、本気で考えているような頭のいい人間は、どんな人からも受け入れてもらえる
  • つまらない冗談にも笑ってあげる、名前を呼ばれたらすぐに返事をする、といった些細なことに注意を怠らないようにすると、それだけで評判はぐっとよくなる
  • 舞台を整えてあげることは、「私は、誰にも邪魔されずに、あなたとお話をしたいんです」という気持ちを伝えることである
  • 人たらしになるには、まず自分自身が大好きで、自信たっぷりな雰囲気をプンプン匂わせなければならない
  • 人たらしというのは、行動であり、行動が伴うと、そこには言葉以上の真実味が出てくる
  • 人たらしは、往々にして、圧倒的な雑学力を持っている
  • どんな顔の人でも、今よりもずっと魅力的に見せるため方法があり、それは”笑顔”を作ればいい
  • 笑顔を作るように努力するだけでなく、なるべく大きな声で笑ったほうが、2倍も3倍も効果的
  • 言葉を交わすというのは、心を通じ合わせることにつながり、会話をすればするほど、相手の心を惹きつけることができる
  • サービス精神に溢れた飲み屋の女性にさえモテなくて、どうして普通の人間関係で好かれることがあるだろうか
  • 会話中、目を輝かせ、身を乗り出してくるようなら、あなたは好かれている
  • 飲みに誘ってみて、「今、忙しいんだよね」と言われたら、あなたは好かれていない
  • 出会って”3回目”までに、魅力が伝わらないなら、諦める
  • 他人を楽しませるためには、まずは自分から積極的に笑うことであり、そうすれば、相手も「つられて」笑ってしまう
  • 聞き上手な人は、概して人たらしになりやすい。それは、人の話を聞くこと自体が、相手にとっての「報酬」になるからである
  • 人たらしの武器は、会話であり、会話上手になることが人たらしの王道であって、これ以外の方法はない
  • 2人きりで会話をするようにしたほうが、自分にとっての会話のトレーニングができるばかりか、相手のプライベートなことも聞き出すことができ、それによってもっと親しくなれる
  • 弱みをさらけ出すと、相手はあなたに親近感を覚えるばかりか、「守ってあげたい対象」と見なすようになる
  • 毎回、人に会うことが、そのまま”実験”なのだと考えるクセをつける
多すぎた・・・。それだけ、なるほどなるほど、これは使える!!とか思ってしまったから。

最近セミナーなどで初対面の人と名刺交換をする機会が多くあり、これはそのときにかなり使えるものだと思う。もっと早くこれを読んでおけばよかった・・・。これを読んでおけば、相手との会話に困らないし、相手に好かれるにはどういう話し方をすればいいかがよくわかる。こういうのは、全くダメなほうなので、本当に勉強になった。

また、特になるほどと思った部分がある。『人に恵まれるかどうかは、自分自身が決めるのだと心得る』という節タイトルの部分。その節を恣意的に抜粋。
 あなたが優れた人間なら、必ず、人に恵まれる。魅力的な人の周りには、やはり、魅力的な人たちが集まる。もし人に恵まれないのだとしたら、それは自分が悪いのである。運が悪いからでも、なんでもない。
 人に恵まれないと嘆くタイプは、その人自身が人を惹きつけるタイプではないからだ。 
 まずは人に親切にしよう。魅力的になろうとしていれば、どんどん人脈が広がって、人に恵まれるはずなのだ。
(中略)
 人に恵まれないと嘆くなら、まずは自分自身を変える努力をすればいい。あなたが魅力的になっていけば、どんどん魅力的な人が集まってくる。
(中略)
不思議なことであるが、私たちの周囲には、自分とつり合うような人間が集まるのだ。
(中略)
 運・不運を嘆いてみたところで、事態は一向に改善しない。人に恵まれるかどうかは、ほかならぬ「自分」が決めるのだ、と認識し、少しでも自分の魅力を高めることに全身全霊を傾けるようにしよう。
(pp.35-37)
これは最近その通りかなあと思った。人脈セミナーでも、『人脈の鏡の法則』というものが示される。これは、自分の人脈が自分を映し出す鏡だというもの。まだまだ自分はそこまで魅力的ではないので、もっともっと自分を徹底的に磨き上げて、圧倒的な魅力を獲得したいと思った。そして、人に恵まれて生きていきたいと思った。

この本は最近出版された文庫で読んだが、文庫以前のものは2005年に出版されている。『人たらし』と『ブラック心理術』というタイトルから、相手を手玉に取るとか、だまし込むようなワルな方法が書いてあるのかと思って、本屋で全くスルーしていた・・・。しかし、実際に読んでみると、著者があとがきで示していように、『人に好かれるための、教科書的な内容を書いたつもりなのだ。(pp.232)』とある通りだと思った。

この本を読んで、来年の目標の一つが決まった。

人たらしで圧倒的にモテよう

まぁ、要は、もっと対人関係にうまくなりたいということで。そして初対面の人にも好かれるようになり、もっと人脈を築いていきたい。

この本は、自分と同じように会話べたで引きこもり体質の人ほど読んだほうがいい。また、繰り返して何度も読む価値がある。

他にも著者の本は、以下がある。

人たらしのブラック心理術 (だいわ文庫)
人たらしのブラック心理術

読むべき人:
  • 初対面の人に好かれたい人
  • 人脈を築いていこうと思っている人
  • 会話べたの引きこもり体質の人
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November 18, 2008

社長島耕作の地球経済学 基礎編

社長島耕作の地球経済学 基礎編 (KCデラックス)
社長島耕作の地球経済学 基礎編

キーワード:
 島耕作、経済学、グローバル、世界情勢、弘兼憲史
HGホールディングス代表取締役社長である島耕作が監修している地球規模の経済学の本。以下のような目次となっている。
  1. LECTURE 1 株式会社
  2. LECTURE 2 M&A
  3. LECTURE 3 資源戦争
  4. LECTURE 4 食料戦争
  5. LECTURE 5 日本の文化戦略
  6. 島耕作のサマリー・ノート
  7. 直撃! 島社長インタビュー
  8. Special Feature 1 CHINA IMPACT
  9. Special Feature 2 弘兼憲史インタビュー
(目次から抜粋)
この本は、リアルに島耕作が存在するという仮定で、島耕作が監修している本ということになっている。『序』として代表取締役社長である島耕作の前書きが示されているので、一部抜粋。
 本書は、ついに地球をまるごと呑み込むほどに大きくなってしまった人類の経済活動を、「現代」という視座から眺めつつ、「わかりやすく」紹介することを眼目として構成されています。可能なかぎり難解な専門用語を避け、「基礎から」説明することを心がけました。
 本書を読まれた方が、「この世界」、もっといえばこの「地球」をおおう人類の経済活動について、わずかなりとも理解を深めていただけるならば、これ以上の幸せはありません。
(pp.4-5)
このように、あくまで島耕作がこの本を構成しており、作者の弘兼憲史は前面に出てきていない。

内容は、かなり細かい文章が多く、合間合間に漫画の関連シーンが挿絵として挿入されている。読む前は一見難しそうなイメージだったが、読んでみるとそうでもなく、地球規模の経済がわかってよかった。

特に勉強になったのは、1章の『株式会社』のところ。これは1章の『島耕作のサマリー・ノート』を示しておくことにする。
  • 株主総会は、「一人一票」ではなく「一株一票」で決議される。
  • 企業は「上場」によって広く資金を集められるが、買収されることもある。
  • 株主は、取締役を決める権利と辞めさせる権利を持っている。
  • 外国の投資ファンドが、日本企業を支配しはじめている。
  • 高度成長を支えた「株式の持ち合い」は崩壊しつつある。
これらに関連することは、島耕作シリーズでも実際に出てきている。なので、漫画を読んでいていまいち分らなかったことをこれで復習できるので、これを読んでもう一度島耕作シリーズを読めば、本質的なことがより理解しやすいと思う。

島耕作インタビューで、『新時代のサラリーマンと成果主義』ということに関してなるほどと思った部分があったので、そこを抜粋。
 そういう時代だからこそ、サラリーマンも意識を変えていかなければならない、と思っています。会社に忠誠心を尽くして、その見返りとして安定をもらう、という考え方はもう通用しない。「サラリーマンでありながら、フリーランスなんだ」という意識を持っていくべきではないでしょうか。いつまでも会社を辞められる、次の会社に行ける、という心がまえを持っておくべきだと思うんです。
(pp.56)
ありがたいお言葉だと思った。自分もフリーランスで生きていくんだ!!と思っておくことにしよう。

あと面白かったのは、作者の弘兼憲史インタビューの部分。社長に就任させる前に、初芝を退社させて、『ベンチャー島耕作』とか『リタイヤ島耕作』という選択肢もあったらしい(笑)これはぶる速-VIP 島耕作の新しい役職名考えようぜと同じような考えwwwでも成功物語を描いている以上は、企業のトップにしなければいけないだろうと考えられたようだ。そして、作者によれば、島耕作は「キャラクターがひとり歩き」している状態で、もう作者のものだけではないので、「もう後にはひけない」ので生涯描いていくようだ。社長の次は会長かなぁ。

この本で特に知らなかったのは、食料や資源問題のところ。これは普通にニュースや新聞を見ない読まない、という状況なので、世界はそうなっているのか!!と思った。また、大企業の社長になるということは、企業の利潤ばかりを追求していてはだめで、もっと包括的に日本の国益、さらには世界にまで眼を向けなければいけないのだなということがよくわかった。まだまだ下っ端の自分だが、この本は、社長の視点に立って考えてみるということができるよい本だと思った。

中高生のときは、サラリーマンなんかなったら人生つまらないだろうなと思っていたけど、実際に企業に就職してサラリーマンになってみると案外悪くもないのかなと思う。それは、大学時代から島耕作を読んでいて、今も常務以外のシリーズを全て読んでいるから、それが影響しているのかなと思う。特に日本企業の文化や人間関係、株式会社の仕組みなどがとても勉強になる。自分の会社のカルチャーと正反対なので、普通の日系企業はそんなもんなのなんだぁと思う。自分の会社のカルチャーはフランクすぎて上司や社長にでも何でも言いたい放題で、転職者は本当にカルチャーショックを受けるらしい(笑)

島耕作は、作者の願望が入っているらしい。女にやたらとモテるところとか(笑)まぁ、島耕作はサラリーマンなら読んでおいて損はないと思う。

この本は、地球規模の経済学が分るし、島耕作シリーズの副読本にもなりえると思った。

最新シリーズは、社長島耕作。
社長島耕作 1 (1) (モーニングKC)
社長島耕作 (1) (モーニングKC)
新展開で面白いよ。



社長島耕作の地球経済学 基礎編 (KCデラックス)
社長島耕作の地球経済学 基礎編 (KCデラックス)

読むべき人:
  • 島耕作が好きな人
  • 地球規模の経済学の基礎を勉強したい人
  • 将来社長になりたい人
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November 17, 2008

細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!

細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!
細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!

キーワード:
 細野真宏、数学的思考力、指数関数、全体像、リテラシー
カリスマ受験講師によって、数学をはじめとした世の中の全体像をつかむ思考力を磨くことができる本。以下のような目次となっている。
  1. 第1回 飛躍的に劣等生から抜け出せる方法!・・「у=x2」的な勉強法について
  2. 第2回 飛躍的に自分の理解度を深める方法!・・「数学的思考力」について
  3. 第3回 飛躍的に話を分かりやすくする方法!・・「思考の歩幅」について
  4. 第4回 飛躍的に説得力の有無を見抜く方法!・・「思考の骨太さ」について
  5. 第5回 飛躍的に論理の質を鋭く見抜く方法!・・「論理洞察力」を鍛える実戦演習
  6. 第6回 飛躍的に情報を正確に理解する方法!・・「ニュースとの接し方」について
  7. 第7回 飛躍的に数学的に考えられる方法!・・・「思い込みの激しい人」について
  8. 第8回 飛躍的に情報を正確に選別する方法!・・「仮説」と「検証」について
  9. 第9回 飛躍的に数学が素早く分かる方法!・・・確率の問題を使って実戦演習
  10. 第10回 飛躍的に経済が素早く分かる方法!・・デフレの記事を使って実戦演習
  11. 第11回 飛躍的に難しいものが分かる方法!・・「情報の基盤」の作り方
  12. 第12回 飛躍的に最新ニュースが分かる方法!・新聞記事を使って実戦演習
(目次から抜粋)
この本は本当にすごくいい本、通称スゴ本!!もうこれは衝撃的なくらい内容が素晴らしい!!もう以下の書評記事を読まなくていいから、即効Amazonアタックしてもいいくらい(笑)内容は保証する!!もう、なんでこれをもっと早く出版してくれなかったの!!と言いたくなるくらい。

Amazonでの評価もかなりの高評価なので、先にそっちを読んでくるというのもありだが、一応自分なりの書評も示しておこう。続きを読む


October 25, 2008

カリスマ受験講師細野真宏の経済のニュースがよくわかる本 世界経済編

カリスマ受験講師細野真宏の経済のニュースがよくわかる本 世界経済編
カリスマ受験講師細野真宏の経済のニュースがよくわかる本 世界経済編

キーワード:
 細野真宏、世界経済、通貨危機、ヘッジファンド、本質
数学のカリスマ受験講師によって世界経済の基本が分かりやすく示されている本。以下のような目次となっている。
  1. Section1 これまでの円の動きについて
  2. Section2 「ヘッジファンド」と「ポンド危機」について
  3. Section3 「アジア通貨危機」について
  4. Section4 「ロシア危機」と「ヘッジファンドの危機」について
  5. Section5 これからの「世界の通貨体制」の行方について
(目次から抜粋)
数学が専門のカリスマ受験講師である著者は、若い人にもっと分かりやすく経済を知ってほしいという思いから、前著、『カリスマ受験講師細野真宏の経済のニュースがよくわかる本 日本経済編』を書き、そして、これは経済本の第2弾である世界経済編となっている。

この本こそが、著者が最も書きたかった内容だと示されている。曰く、日本経済だけを見ていたのでは、経済の全体像をつかむことはできず、世界から経済を俯瞰したほうがもっと深くて面白いものらしい。そして、「(日本も含めた)世界経済を動かす”壮大なマネー経済の世界”」を知って、初めて「経済って本当におもしろいな」と思われたようだ。これは自分も読了後、そのとおりだなぁと思った。

細かい内容を示すのはちょっと無理なので、自分が知らなかった概念、特になるほどと思ったポイントを列挙しておく。
<先物取引とは?>
 主に「リスク・ヘッジ(危険から身を守る)」を目的とした、(将来の)約束した日に(事前に)約束した価格で販売する取引のことを「先物取引」という。
(pp.43)
先物取引は、基本的にはリスク・ヘッジをして経営を安定させるために行うものらしい。先物取引というと、とうもろこしや豆、コーヒー、石油などの投機をして、かなりリスクが高い儲け話のことだと思っていたが、本質は違っていたようだ。

次はオプション取引について
<オプション取引とは?>
オプション」とは、「(選択する)権利」のことで、「約束した期日(または、約束した期間内)に”約束した価格で売ったり買ったりできる権利”を売買する取引」のことを「オプション取引」という。
(pp.52)
そして、先物取引は、”損をするリスクをなくすことができる”というメリットがあるが、”トクするチャンスをなくしてしまう”というデメリットがあるようだ。一方、オプション取引は、”必ずオプション料が必要になる”というデメリットがあるが、”トクするチャンスを失わずに済む”というメリットがあるようだ。

後一つだけ。デフォルトについて。
<デフォルトとは?>
デフォルト」とは、日本語では「債務不履行」といい、「借金を約束どおりに返せなくなること」を意味する。要は、”破綻”の一歩手前のような状態である。
(pp.162)
これは全く知らなかった。『デフォルト』と日常で使う場合は、IT用語的に『初期値』とか『初期設定』といった意味で使うが、このような『債務不履行』というのは知らなかった。金融、経済用語とIT用語は違った意味を持つので、注意が必要だと思ったし、また面白いなと思った。

最後にこの本で一番重要な部分を抜粋。
僕らは単に日本のニュースだけを気にしていたらダメなんだね。だって、このように世界の経済は本当に深くつながっているので、世界経済のニュースがそのまま僕らの日常に大きく関係してくるんだからね。
(中略)
このように、(一般的に)
「断片的な情報」だけで物事を判断しようとすると
たいてい本質を見誤ってしまうから、
視野を広く持って”全体から判断しよう”とすることがとても重要なこと
なんだよ。
(pp.255)
なるほどなと思った。

この本は2年近く積読状態だった・・・。現在の経済状況は、サブプライムショックで世界同時株安で、日経平均も8000円割れ(この記事投稿時点)で急激な円高になっていて、これは経済を知っておかなければならないかなと思って、未読本棚から引っ張り出して読んだ。これを読むと、現在のアイスランドの金融破綻の危機、韓国の通貨危機の再来などのニュースがよくわかると思う。また、超ハイパーインフレを起こしていて、国家としてはすでに破綻しているジンバブエ(ジンバブエ - Wikipedia)の実態もよくわかると思う。

また、ヘッジファンドの本質が示されていたが、ヘッジファンドの投機対象として狙われた国は通貨危機を引き起こしているようだ。これは、有力なヘッジファンドは国家を破綻させることができるということだなぁと思った。恐ろしい・・・。例えば、ビル・ゲイツファンドみたいなのがあったら、間違いなく新興市場国を破綻させることができるよなぁと思った。マネー経済は合法的な戦争みたいだと思った。

この本を読んだ直後から、ニュースで言っている、円高ドル安、株安の本質的な意味が分かって、あぁ、あのことね!!と分かるようになった。経済のニュースを聞くのが若干楽しくなったような気がする。

昨今の経済状況は世界同時株安だが、自分たちの日常には関係ないと思っている人こそこの本を読んだほうがいいと思う。

読むべき人:
  • 世界経済について知りたい人
  • 世界同時株安、円高ドル安の本質を知りたい人
  • 投資をはじめようと思っている人
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September 14, 2008

エコノミック恋愛術


エコノミック恋愛術

キーワード:
 山崎元、経済学、恋愛術、連載コラム、極意書
経済評論家である著者によって、「経済学のツボ」と「恋愛のコツ」が示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 社内恋愛は悪なのか―女心と男心の経済学
  2. 第2章 恋愛ではバカに勝つのは難しい―新しい経済学でロマンスを考える
  3. 第3章 モテたい人のための「恋の悪知恵」―恋の元本割れを回避する
  4. 第4章 結婚はバブルである―経済学的に夫婦を考える
  5. 第5章 恋人獲得の戦略―いかに遊び、選ぶか
(目次から抜粋)
この本は、日系ビジネスアソシエ(NBonline Associe|日経ビジネス Associe(アソシエ))の連載コラムがもとになったもので、恋愛と経済学のこじつけでもいいから、その二つに何か関係がないかということがまとまっているようだ。そのため、1項目ごとに読みきりスタイルとなっており、1項目は3,4ページという構成になっている。面白かった、タイトルを以下に列挙。
  • 社内恋愛のコストを算定すると
  • 「職場の花」にはご用心
  • 恋のプラシーボ効果
  • 浮気をゲーム理論で考える
  • サエない男もそこそこモテる?!
  • 資本主義の変質と恋愛の競争力
  • バカは理性を凌駕する
  • いい女に気後れするのはもうやめよう
  • もてる男は不幸らしい
  • 美人のいるオフィスの経済価値は?
  • 合コンで考える3つの正義論
  • 株価と恋愛はゆっくり過剰反応する
  • あなたのパートナーは資産か負債か
  • 妻選びは株式運用とさも似たり
  • 自分の値段をいくらに設定するか
  • モテるための3つの基本戦略
  • 恋愛に人は何を求めるのか
とても興味をそそるタイトルばかりwww

いくつか簡単に内容を示しておこう。

『サエない男もそこそこモテる?!』では、恋人探しは、自分という商品のマーケティング行為でもあるとある。そして、男女の世界でもいい男(女)の上位20%が、女(男)の80%からモテているに違いというパレートの法則(パレートの法則 - Wikipedia)が当てはめられる。しかし、昨今のマーケティング的にはロングテール(ロングテール - Wikipedia)が話題になっているので、恋愛においてもこの収益モデルが当てはめられるようだ。そして、以下のことが提言されている。
 ロングテール上の男(女)は、自分の顧客(=恋人)を得るために、コミュニケーションにマメでなければならない、という当然の結論が出る。そして、いったんつかまえた顧客へのフォローも大切だ。恋に近道はない。しかし、たとえば、世の中のカップルの過半は、多分、ともにロングテール上の男女のはずだ。希望を捨てるな!
(pp.30-31)
自分も多数派のロングテールに属しているはずなので、これは参考になる。

また、『いい女に気後れするのはもうやめよう』では、効率的市場仮説(効率的市場仮説 - [マネー用語集]All About)がいい女にも当てはまるとあり、つまり、「こんないい女(男)が、フリーのはずはない」と思って口説くことを断念するということは、この仮説の支持者になっていると示されていた。へーと思った。しかし、この仮説は、そもそも市場は効率的だと経済学者が誤って解釈したことらしいので、恋愛の世界では、市場の効率性に気後れするのはもうやめようとあった。

さらに面白かったのは『美人のいるオフィスの経済価値は?』では、美人がいるオフィスの価値を定量化して算出している。六本木、新宿などの一流店のキャバクラと私鉄の沿線駅に立地する「沿線キャバクラ」から美人の値段を1時間1000円だと仮定し、それを美人がいるオフィスに当てはめて、サラリーマンの勤務時間8時間×出勤日数20日で、月に16万円分価値があるということらしい。さらにそれを年で算出すると、192万円になり、小さからぬ「福利厚生」と示されている。なるほどなぁと思った。しかし、その話の後には、女性から見た「イケメンのいるオフィス」の価値も数値化すべきとあり、ホストクラブの料金データを使って、美男と醜男の差を求めると、もっと大きな差が出るので、鏡を見て自分自身を「時価評価」して謙虚になろうとあった。面白い分析だなぁと思った。

『美人のいるオフィスの経済価値は?』とかはどう考えても、美人の基準を定量化できないなど突っ込みどころ満載なんだけど、こういう仮説分析はとても参考になるなと思った。

恋愛ネタは誰でもわりと楽しんで読めるものだと思う。恋愛ネタと同時に経済学の良く聞く理論の概要も分かるという点でよいと思う。しかし、こういう分析的な内容を楽しめる人にはいいが、恋愛術を実践して効果を得ようと思う人にはどうかなと思う。これは著者も示しているように、楽しい読み物として読んでおけばいいと思う。合コンや飲み会での話のネタとかにいいと思うよ。

あとがきにこの本の結論が示されている。
 今さら言うのも気が引けるが、経済学が恋愛を説明するよりも、恋愛の理解こそが、新しい経済学に役立つのはないか。恋するために学ぶよりは、恋してから学ぶ力が、ずっと能率が良いだろう、というのが本書全体の結論だ。恋愛が大切な人も普通の人も、経済学が大切だという変人も、この結論は信じてくれていい。
(pp.189)
要は、新しい経済学を学ぼうと思ったら、まずは恋愛しろということらしい。

楽しい読み物として読める。1項目当たりですぐに話題が変わるので、一気に読むよりも、気分転換に1日数項目ずつ読むと良いかもしれない。

読むべき人:
  • 経済学に関心がある人
  • 恋愛の薀蓄が好きな人
  • アナライザーの人
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September 06, 2008

恋愛依存症


恋愛依存症―失われた愛情と心の傷を癒す

キーワード:
 伊東明、恋愛依存症、ドラッグ、回避依存症、脱走者
心理学者によって恋愛依存症という深刻な病気の解説と対処法が示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 愛という名のドラッグ―危険な愛に取り憑かれるとき
  2. 第2章 共依存―苦しい愛から抜け出せない人たち
  3. 第3章 回避依存―幸せになるのが怖い人たち
  4. 第4章 ロマンス依存―愛の刺激にはまる人たち
  5. 第5章 セックス依存―苦しみを性愛でしか癒せない人たち
  6. 第6章 やすらぎと癒しを求めて―回復への10のステップ
(目次から抜粋)
いつもはある程度客観的な書評を意識しているが、こればかりは完全に主観的なもので、チラシの裏レベルの個人的なことを多く書くことを許して欲しい。

とはいえ、ある程度内容を示さないことには始まらない。引用が多くなると思う。

この本に示されていることは以下のようなことらしい。
 本書では「恋愛依存症」という大きなテーマのもと、本来であればもっとも大きな幸福をもたらすものであるはずの恋愛(そして性愛)をめぐって、「なぜ苦しむのか」「なぜ苦しみの泥沼から抜け出せないのか」「なぜいつも同じような苦しいパターンにはまるのか」「どうすれば苦しみから抜け出せるのか」を心理学的な視点を中心に解説していく。
 本書を通じて、あなたの恋愛や性愛に関するしっかりとして素晴らしいコントローラを手に入れていただければ幸いである。
 苦しむ必要はもうないのだ。
(pp.8)
まず、恋愛依存症を理解するには、次のようなシチュエーションを知る必要がある。大学で著者の講義を受けた後、彼氏が8人くらいとつき合っているが自分はどうしたらよいかと相談に来るような女子大生が多いらしい。そして、その場合、著者は自分だけに彼氏を振り向かせることはできないと言い、さらに、そんな何股もかける男はダメだろと忠告するが、その女子大生に限らず、恋愛依存症の人は必ず忠告の後、次のセリフを言うようだ。

『でも、本当はいい人なんです』

このセリフこそが、恋愛依存症の女性を見分ける究極のセリフとなるようだ。

では、恋愛依存症とは何かというと、愛するということが苦しみとなって、そこから抜け出せずにはまり込んでいる状況のようだ。典型的な例は、女性の場合は、彼氏にいいように利用されていたり、暴力を振るわれていたりするが、好きだという感情から離れられずにいて、心身ともにボロボロになっていくようだ。
 恋愛依存症にとって、愛はドラッグと同じようなものである。そのドラッグは初めのうちだけは人をいい気分にさせてくれる。しかし、そのドラッグは徐々に心や体を蝕み始める。ある時点を過ぎると、「ドラッグをやる喜び」から「ドラッグをやるがゆえの苦しみ」に変わるのである。ドラッグをやめないからこそ、余計に苦しくなっていくのだ。そして、ドラッグをやる苦しみから抜け出そうとして、またドラッグに手を伸ばすのである。
(pp.36)
そして、超自我は「やめなさい」と命令しているのに、エスが「いや、でもやりたい」と葛藤を起こしているのが、恋愛依存症の特徴らしい。そして、恋愛依存症者は、妄想的・非現実的で、認知システムが歪んでいるようだ。そのため、以下のような解釈が起こるようだ。
  • 一方的に殴られた ⇒ 「私のためを思って叱ってくれたんだ」
  • 浮気が発覚した ⇒ 「浮気したって、本当に好きなのは私のことだけ。むしろこれで、私のよさが余計にわかったはず」
  • まったく愛情を与えてくれない ⇒ 「私を傷つけまいとして、あえて嘘をついてくれたんだ」
このように、恋愛依存症者は、現実の相手ではなく、理想化された妄想の中で生きている仮想の相手と恋愛をしているようだ。

本書では、このような恋愛依存症を上位概念とし、そこに含まれる下位概念として4つの依存症が示されている。その4つが以下になる。
  1. 共依存
  2. 回避依存
  3. ロマンス依存
  4. セックス依存
このような恋愛依存症は、一度しか恋をしたことがなくても起こりえ、されに誰もが陥る可能性のある「ごくごく一般的な病気」であると示されている。恋愛依存というと、「恋多き女」や「遊び人」といった軽いイメージがあるが、実際は心身ともに影響を及ぼす深刻な病気であるようだ。そして、恋愛依存症というのは、人間関係そのものの病といえ、他者と「適度な距離」を保つことが難しいようだ。そのため、恋愛関係だけでなく、その他の人間関係でも苦労することが多いようだ。

以下、簡単にそれぞれの特徴を示す。

共依存
この特徴を持つ人は、ヒモ男との恋愛を繰り返したり、殴られていても別れられなかったり、不幸な女性を幸せにしたいといった傾向があり、例えるなら、「アルコール依存症者のまわりには、その人がアルコール依存を続けることを可能たらしめている誰かがいる」という関係に近いようだ。つまり、以下のような状況らしい。
もっとていねいに書けば、「アルコール依存症の夫が妻に依存しているのと同じように、妻もアルコール依存症の夫に依存しているのではないか」と。
 「依存している」という言葉を「必要としている」という言葉に置き換えると、より理解しやすいかもしれない。アルコール依存症者が周囲の人物に一方的に依存しているのではなく、互いに依存し合っている、すなわち「『共』に『依存』し合っている」、これこそがまさに共依存の意味なのである。
(pp.77)
そして、共依存は、心の中にある「無意識」の領域に書きこまれたプログラムであるため、自分がそうであると気づくことも、どうしてそうなったのかを知ることも、そこから抜け出すことも難しいとある。また、共依存症者にとっては、恋人は親という存在になるようだ。そのため、共依存症者がもっとも近しい他人である親だからこそ、べったりとくっつこうとするようだ。

共依存症を根本から治すことは、かなり困難な道のりであるとあり、本書や関連書籍を繰り返し読み、自己分析したり、カウンセリングに通うなどが必要で、長期戦を覚悟しなければならないようだ。それを前提として、「では、どうすればより幸福な恋愛へと向かえるのか」が示されている。著者は共依存症者に対して以下のようなメッセージを送っている。
 自ら進んで不幸を享受していないか、再点検してほしい。「自分にはこれがふさわしい」とあきらめや絶望の気持ちとともに我慢していないか、自分に問いかけてみてほしい。なぜ自分は幸せになってはいけないのか、考えてみてほしい。
 あなたは幸せになっていいのだ。「私は幸せになっていい」と自分に何度でも言い聞かせよう。自分が幸せになることを、自分が許してあげられるようになるまで何度でも。
 あなたは幸せになっていいのだ。
(pp.125-126)
心のこもったメッセージだと思った。

回避依存症
回避依存症には、以下の4タイプに分けられるようだ。
  • 独裁者・・・常に相手を支配したがる
  • 搾取者・・・罪悪感に訴えて相手を利用する
  • ナルシスト・・・・自分の理想を押しつける
  • 脱走者・・・・愛が深まるほどに別れたくなる
【独裁者】タイプは、何らかの武器を使って相手に対する権力や支配権を握り、それを行使せずにはいられないようだ。そして、他人を支配することに最大の快感を覚え、もしくは他人を支配していないと、心の安定が保てないらしい。【独裁者】タイプは、恋人や配偶者に権力や支配を及ぼそうとする傾向があるようだ。

次に【搾取者】タイプはというと、相手を「利用すること」にもっとも大きな価値をおくようだ。このタイプは、「オレのことを思ってくれているのなら、頼むよ」や「ああ、なんでこんなにもすべてがうまくいかないんだ。一体オレはどうすればいいんだ」と相手の愛情を試したり罪悪感を刺激することで、相手に金や身の回りの世話だったり肉体関係を搾取するようだ。そして、要求をのんだ見返りといのはほとんどなく、こちらが要求をのんで当然ということになっているというような特徴を持つようだ。

さらに【ナルシスト】タイプは、いつまでも自己愛の世界にとどまっており、「自分は特別な人間である」との感覚ばかりが先にきて、「他者も特別な存在である」ことが認められない。よって、考えることは常に自分のことばかりで、物事を見るときは自分の視点からしか見れず、常に自分中心でないと気がすまないようだ。そして、恋人からの過剰な賞讃を期待したり、恋人の気持ちがわからなったり、恋人像の理想があり、それにずれていると相手を非難したりする傾向があるようだ。

最後の【脱走者】タイプは、女性からの激しい求愛や要求を前にすると怖じけついて足がすくんでしまい、逃げ出したくなるような傾向を持つようだ。キーワードは「女性もしくは恋愛からの逃避」であり、こうした男性は愛が深まれば深まるほど、また相手からの求愛を受ければ受けるほど、相手との距離をおこうと必死になるようだ。


ここまで回避依存症まで見てきたが、たぶん自分は回避依存症の【脱走者】タイプに当てはまる可能性が高い。なので、以下、個人的な【脱走者】タイプを主に取り上げることとする。ロマンス依存症、セックス依存症は、ググると比較的多く出てくるので、気になる人はググってほしい。続きを読む


September 01, 2008

われわれはどこへ行くのか?


われわれはどこへ行くのか?

キーワード:
 松井孝典、地球学的人間論、宇宙、システム、わかる
地球、宇宙という視点からわれわれとは何かが示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 われわれはどこから来たのか
  2. 第2章 われわれはどこへ行くのか
  3. 第3章 地球生命とアストロバイオロジー
  4. 第4章 地球環境の歴史
  5. 第5章 われわれの宇宙はどうやって生まれたか
  6. あとがきにかえて―「わかる」とはどういうことか
(目次から抜粋)
著者は、惑星物理学・アストロバイオロジーが専門で、この世界を生きるわれわれ人間を考えるときに、地球を含めて考えるべきだということを主張している。この本の問題提起部分を以下に抜粋。
 これら「生物学的人間論」と「哲学的人間論」に加えて、地球という星を通して見たときの、われわれのあり方を考えることを「地球学的人間論」と呼ぶことができます。じつはいまわれわれが議論すべきは、地球学的人間論なのではないかと思うのです。
 生物学的人間論や哲学的人間論では、じつは「文明」は語れないし、「地球環境問題」を語れないからです。ということは、「われわれとは何ぞや」ということの本質も、語れないはずなのです。
 その辺の考え方を根本的にあらためなければ、未来もありません。なぜなら、「われわれとは何か」という現状認識を誤っていたのでは、その先に正しい未来認識もないわけですから。そういうわけで私はいま、「地球学的人間論」の重要性を一生懸命訴えているのです。
(pp.20-21)
地球学的人間論という視点は自分にはなかったなぁと思った。さらに、環境問題や文明を考えるということはどういうことか?が以下のように示されている。
 なぜ環境や文明の問題が出てくるかといえば、いまのわれわれというのは、人間圏を急激に拡大させた結果、地球を汚染する存在になってしまったからです。そこで「われわれとは何ぞや」を問うと同時に、「そういう汚染を引き起こすような存在とは何ぞや」ということをカップルで考えなくてはなりません。あるいは「文明とは何か」を問うことは、人間圏とは何ぞやを問うことであり、そのような生き方を選択した「われわれとは何か」を問うことであるわけです。
(pp.22)
結局、「人間圏をつくって生きているわれわれとは何なのか」と問うことが、「われわれとは何なのか」の本質に迫る問いなのだと示されている。また、部分的なところを見るのではなく、地球システムという全体を見ないと意味がないと示されている。なるほどなぁとと思った。

他にも環境問題について以下のように示されている。
 私は、「地球を知らなければ、地球環境問題なんて議論できません」ということを講演のたびに主張し、本にも書いています。
 「地球とは何か」「現生人類とは何か」「歴史とは何か」を理解するのがまず前提で、それがわからなければ文明の問題も環境の問題も、その本質がわかるはずがありません。「地球にやさしく」などという情緒的で空疎な標語が出てくるのは、まさに地球のことを知らないからです。そういう、うわべは美しいけれども安易な言葉でくくってしまうと、地球環境問題をかえってわかりにくくしてしまうのです。
(pp.108)
これはよくテレビで環境問題が取り上げられている現状を鑑みると、本質的なことが伝えられないまま、今地球が破壊されているので一人一人エコになりましょうという風潮に違和感を覚えるのに通じるのではないかと思った。昨今のエコブームとか、マスコミと広告屋の宣伝、戦略だろと思ってしまう。エコバッグ(笑)、エコカー(笑)、エコライフ(笑)、エコドライブ(笑)・・・・、スイーツ(笑)と同レベルかなと邪推してしまう。マスコミの報道する環境問題を真に受ける前に、一度この本を読んで地球システム全体から考えてみるべきなんだなと思う。もちろん、エコブームに乗っかって、エコで地球に優しい(笑)人間であることを体現したい人には関係ないと思うが。

地球や宇宙論がたくさん出てきて、普段の生活では考えないようなことが多く示されていて勉強になった。特に面白い内容の節タイトルを以下に列挙。
  • 勝ち組・負け組みという空疎な発想
  • 人間圏は今世紀半ばに破綻する
  • 火星移住計画は実現可能か
  • 生物学では宇宙人を議論できない
  • 太陽系はどうやって生まれたか
  • 宇宙はどうやって生まれたか
割と専門用語が多く出てくる。CO2、CaCO3、SiO2、CaSiO3なんて化学式も少し出てくる。久しぶりに化学式なんて見たなぁ。

また、普段の生活で「納得する」というのと、自然科学的な意味で「わかる」というのはぜんぜん違うことだという部分がとても興味深いなと思った。簡単に言えば、自然科学的な意味での「わかる」というのは、二元論と要素還元主義的に問題が設定されて、それが解けたときに「わかる」ということになるようだ。

宇宙論とか地味に好きなほうなので、興味深く読めた。ちくまプリマー新書は高校生から読める内容となっているので、そこまで難しい内容ではない。ところどころにイラストも載っているので、感覚的にわかる、いや、「納得」できる内容となっている。

大局観を養うにはとても良い本だなと思った。特に、普段の生活に追われて地球のことを考えられなくなっている人にはいいかもしれない。

それにしても、毎回思うんだが、ちくまプリマー新書はいい本がそろっている。

読むべき人:
  • 地球、宇宙論が好きな人
  • エコブームや環境問題に違和感を覚える人
  • 大局的な視点を養いたい人
Amazon.co.jpで『松井孝典』の他の本を見る

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July 24, 2008

体の中の美術館


体の中の美術館―EYE、BRAIN、and BODY

キーワード:
 布施英利、美術館、解剖学、進化、芸術
芸術学者によって体と芸術の関係が示されている本。以下のような目次となっている。
  1. EYE 目
    1. 科学の目
    2. 芸術の目
    3. 目の誕生
    4. ワンダフル・アートの世界
    5. 光と色の歴史
    6. 中世フランスの光
  2. BRAIN 脳
    1. イメージが生まれる
    2. 脳が芸術を生む瞬間
    3. 脳と遠近法
    4. レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』
    5. 千利休「待庵」
    6. 重森三玲の庭
    7. 絵画と脳
    8. ピカソによる破壊
    9. 脳における視覚情報
    10. デュシャンによる破壊
    11. 芸術における「子ども」
    12. 絵画の死?
  3. and BODY



    1. 背骨
    2. 内臓
(目次から抜粋)
芸術はヒトの体で生まれる、というテーマで、人間の体の構造から様々な芸術を取り上げて解説している内容となっている。終わりのほうに、この本の概要がよくわかる部分があるので、その部分を抜粋。
 この本では、体を「解剖」し、そのとき見えてくる骨や筋肉、内臓や脳という切り口で体を扱った。いわば、いま存在する体から、美術について考えた。
 その体は、三十数億年にわたる生命の進化の果てにできあがったものだ。人体解剖学は、そういう「時間軸」からではなく、いわば「現在」という視点で体を眺める。
 骨や筋肉、内臓というふうに解剖した体を、進化の時間軸にそって並べ、その視点からあらためて人体をとらえ、それをベースにして、美術の見方に新しい視点を取り入れることを目指した。
 生命は三十数億年前に、海で誕生した。内臓、目、背骨が、海でつくられた。海からの「上陸」で肺ができ、平原に出たサルが足で立った。手と脳の進化は、道具をつくり、文明をつくり、都市をつくり、そして芸術をつくった。
 芸術は、どこで生まれたのか?芸術は、ヒトの体から生まれた。そのヒトの体には、三十数億年の「生命の記憶」がつまっている。
(pp.186)
単純に芸術のみを扱ってそれらの解説を示しているのではなく、生物学的な視点、解剖学的な視点から解説されているのがとても興味深いと思った。

まず、『目』に関しては、目が5億4300万年前に生物の進化に突然現れ、目が生物の多様性を生み、芸術の色々なスタイルを生み出したようだ。

そして『脳』では、アルタミラの洞窟に描かれた壁画は夜空の星であり、その当時のクロマニョン人はそこにイメージを見出したことによって、脳が芸術を生み出したとある。

さらに『手』がさまざまな美術を作り出してきており、『足』で重力に抗してきた記憶が芸術に反映されている。『肺』は呼吸と結びつき、それは心の状態とも関係している。『背骨』は建造物の柱のような存在でもある。『内臓』は無脊椎動物の進化の名残の姿であり、それらは海の中の生物とよく似ている。

ほとんど生物学や解剖学のような内容に近い。しかし、難しい表現が多いわけではない。エッセイ的な内容なので、すんなりと読める。

この本で取り上げられている芸術家、建築家などは、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ピカソ、イサム・ノグチ、ピカソ、千利休、重森三玲、マルセル・デュシャン、ゲルハルト・リヒター、千住博、ル・コルビュジエ、ヘンリー・ムーアなどなどと古今東西幅広い。

芸術はセンスや頭だけで作られると思っていたが、このような身体性がもたらすというのはとても新鮮な内容だと思った。

じっくり時間をかけて読むと良い本だと思われる。休日の午後に紅茶を飲みながらとかいいかもね。

読むべき人:
  • 芸術が好きな人
  • 解剖学や生物学が好きな人
  • 古代生物の話が好きな人
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July 15, 2008

友だち地獄


友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル

キーワード:
 土井隆義、友だち、優しい関係、社会学、生きづらさ
社会学者によって、若者たちの人間関係の生きづらさを紐解いている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 いじめを生み出す「優しい関係」
  2. 第2章 リストカット少女の「痛み」の系譜
  3. 第3章 ひきこもりとケータイ小説のあいだ
  4. 第4章 ケータイによる自己ナビゲーション
  5. 第5章 ネット自殺のねじれたリアリティ
(目次から抜粋)
正直自分が求めていた内容とは違ったので、かなり恣意的な書評になる。細かくポイントを絞ったりするのが難しいので、引用ベースで。

本書の基本的な概念である、『優しい関係』の説明の部分を抜粋。
 『野ブタ。をプロデュース』に描かれているような対立の回避を最優先にする若者たちの人間関係を、本書では「優しい関係」と呼んでおきたい。それは、精神科医の大平健が指摘するように、他人と積極的に関わることで相手を傷つけてしまうかもしれないことを危惧する今風の「優しさ」の表れだからである(『やさしさの精神病理』岩波新書、一九九五年)。それはまた、他人と積極的に関わることで自分が傷つけられてしまうかもしれないことを危惧する「優しさ」の表れでもある。いずれにせよ、かつての若者たちとっては、他人と積極的に関わることこそが「難しさ」の表現だったとすれば、今日の「優しさ」の意味は、その向きが反転している。
(pp.8)
この『優しい関係』を基に若者の生きづらさが示されている。細かい内容は省略。

おわりにの『生きづらさと正面から向きあう』からこの本の姿勢を抜粋。
 ここで、現代の若者たちが生きづらさから解放されるべき手段をさらに探り、もし可能なら、その具体的な道程のプランを提示すべきなのかもしれない。しかし、本書の冒頭でも述べたように、私は、生きづらさそのものから彼らが解放されるべきだとは、実は思っていない。生きづらさからの解放が、真のユートピアへの道になるとはとうてい思えないからである。生きづらさのない人生など、まさに現実らしからぬ現実だからである。
(pp.226)
ここを読んだとき、あぁ、この本は自分にとって価値がない本だったのだなということが分かった。生きづらさからの解放を切に望む読者にとって、その具体的方法が何かが最重要なのである。それが全編を通してすっぽり抜け落ちている。客観的に若者の現状を傍観しているに過ぎず、ではそこからどうすべきか?という提言がまったくない。それが社会学だというのなら、自分はもう、このような社会学には何も期待できないと思った。

続いて以下のように示されている。
 生きづらさを抱えながら生きることは、世界をただ漠然と生きるだけでなく、その世界に何らかの意味を求めざるをえない人間の本質である。したがって、生きづらさの放棄は、人間であることの放棄でもある。むしろ、いま何かを問うべきだとしたら、それは、『華氏四五一度』のような世界へと逃避してしまうことではなく、いかにこの生きづらさと正面から向きあい、むしろ人生の魅力の一部としての困難をじっくりと味わっていけるのか、その人間らしい知恵のありかたについてだろう。
 そして、じつはそれを問い続けることこそが、ひるがえってみれば「自分らしさの檻」から解き放たれ、「優しい関係」から抜け出すことにもつながっていくのではないだろうか。私たちが下等動物のように反射作用だけで生きることなく、意味の豊かな世界で人間らしく生きていくための道はそこにしかないだろう。しかし、その課題は、明らかに本書の射程を大きく超えている。むしろ、本書がその問いを考えるきっかけになれば、著者としては過分の幸いである。
(pp.227-228)
生きづらさの放棄が、人間であることの放棄とはとてもじゃないが言えたものではない。少なくとも生きづらさの当事者にはそんな考えは絶対に出てこないだろうなと思う。仮にそうだとしても、生きづらさの軽減について示されていないのはやはりどうかと思う。そもそも、この本は誰にどういう目的で書いたのか?ということが不明確でもある。

この本に過剰に期待しすぎたのが間違いだったのかもしれない。社会学的には面白い内容かもしれないけど、生きづらさの当事者にとっては、傍観的な分析は意味がない。それが社会学の限界なのかなと思ったりもする。その反面、心理学者、精神科医、カウンセラーの示す本は、かならずではそこからどうするべきか?ということが具体的に示されている。自分が求めているのは、後者のようだ。

現代の若者の人間関係の生きづらさを傍観するには良い本かもしれない。当事者にはあまり価値がないが。ただ、自分自身は人間関係に苦しむ当事者というわけでもなく。

友だち本なら、以下の2つが断然お薦め。読むべき人:
  • 若者の人間関係に関心がある人
  • ケータイ小説という現象に関心がある人
  • ゴスロリファッションに関心がある人
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July 14, 2008

ワルの恋愛術


ワルの恋愛術―ワルな男は3秒で女を虜にする!

キーワード:
 内藤誼人、ワル、恋愛術、心理学、ウソ
心理学者によって、ワルの実践恋愛術が示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 ワルな男になるために、“基本必須知識”マスターせよ
  2. 第2章 ワルな“魅力”をたっぷり身につけろ
  3. 第3章 ワルな“テク”を存分に磨き上げろ
  4. 第4章 ワルな“分析力”を養え
  5. 第5章 ワルな“演出”で女の心を奪え
  6. 最終章 ワルな“応用力”を身につけろ
(目次から抜粋)
著者の本が好きで、いろいろAmazonで見てみると、恋愛術まであった。評価が高かったので、買って読んでみた。女性心理がよくわかって勉強になった。

どういうことが示されているかが端的にわかる部分が『はじめに』に示されているので、その部分を抜粋。
 ワルな男はモテる。
 ワルな男っていうのは、普通の男がやらないような恋愛作戦をたくさん知っているから、モテるんだ。
 そういう“ワルな男”に、どうすりゃなれるのか。そういう秘密のノウハウを、もうこれ以上ないくらいにわかりやすく教えるのがこの本なんだ。
(pp.1)
そして、平凡な男、全然モテない男でも利用できる具体的な恋愛テクニックが心理学的な根拠を基にたくさん示されている。

女に好かれるかどうかには、顔や学歴は関係なく、好かれるためのコツがあるから、それを実践するだけだとある。そしてその実践テクニックは、著者の実体験や知人、友人、後輩にも試させて実証済みらしい。なので、本当に効果的らしい。

さて、もちろんこの本もたくさん線を引いた。かなり恣意的に勉強になった部分を示す。
  • 女の子に対して慣れるには、とにかく女の子とおしゃべりするしかない
  • 女の子と出会うには習い事がよく、その習い事に本気で取り組むこと
  • 欠点は隠すべきではなく、克服すべきもので、女の子は男のコンプレックスにそれほど気にしていない
  • 90%近い女が、バカな男より、知的な男のほうがいいと考えているから、図書館をうまく利用するとよい
  • 「ボクは、シャイです」って自己開示したほうが、相手から好かれるコツになる
  • 仕事手抜きしないって男は、恋愛でも手抜きはしないってのを、女の子は本能的に嗅ぎわけている
  • 社会に出て働いている女の子は、シビアな目で男の経済力を測る
  • 女が男に求めるナンバーワンの特徴は、カリフォルニア州立大学のセンターズ博士の調査だと「野心のある男」だった
  • 女性は100%全力で自分に愛情と熱意を捧げてくれる男に弱い
  • 待ちでキャッチの女の子に声をかけられやすいなら、それは男としてなめられているということだから、「恥」だと思っていい
  • 男の誘惑は直接的だが、女の子の誘惑は「最近、プールって行ってないなぁ・・・」などと間接的
  • 相手が完璧主義だと、一緒にいるほうはクタクタに疲れてしまう
  • 告白する日には、一番高いドリンク剤を飲んでいけ
  • どんなに仕事が忙しくとも、それを言い訳に彼女に割くための時間を減らしているような男はモテない
  • 女の子の立場になって考えるクセをつけると、女性の心がよくわかってきて、恋愛能力を高めてくれる
なるほどなるほど、と思って読んだ。かなり実践的だと思った。しかし、最後にこれらのワルのテクニックは、絶対に女の子に隠しておかなければならないとあった。なぜならば、これらのワルのテクニックは、上手なウソのつき方であり、ウソつきが一番人に嫌われる要因だからとあった。だから、ワルのテクニックとは正反対のことをすれば好かれるわけ(笑)と示されている。なんだそりゃ、と突っ込みたくなったが、まぁ、面白かったからいいや。

一番なるほどと思った部分をあとがきから抜粋。
 さて、恋愛がヘタな男ってのは、どういうタイプかについても最後に分析しておくと、ワルになりきれないやつらなんだ。ワルに憧れているんだけど、根が真面目なもんで、恋愛でも真面目にやろうとしすぎるんだ。
 だけど、それじゃモテないままだよ。もっと、頭を使って恋愛しなよ。それが、俺が一番いいたかったことなんだ。
 女を口説き落とすのに、一番大切なのは、頭を使うことだと思うな。誠実さとか愛情とかも大切だけどさ、それがきちんと彼女に伝わるように、頭を使うんだ。
 ビジネスでも恋愛でも、頭を使うヤツが、やっぱり成功している。頭の中が真っ白で、ぼんやりと何も考えていないようなのはダメだな。
 頭を使うときに、一番の原動力になるのは、ズバリ危機感。
 「このまま女にモテなかったら、どうしよう?」っていう危機感があると、人間は知恵を働かせるようになる。追い込まれると、頭は働くんだよ。だから、ある種の危機感を持ってる人のほうが、ワルになれる可能性が高いって思うよ。
(pp.207)
ということで、今後の自分のテーマはちょいワルということになる。

著者の他の本と違って、肩肘の張らない読み物にしたかったからということで、ワルっぽい口語体で示されている。心理学を根拠に示されているが、データや学説などが多く示されているわけではないので、読み物としてすんなり読める。ただ、他の本にも書いてあることが、この本でも示されていた。暗示をかけるとか、財布には金をたくさん入れろとか。

内容と関係ないところで一点気になったのは、本の巻末の著者の経歴には、社会学研究科博士課程修了と示されているが、カバーの内側には修士課程修了となっている。どっちが正しいんだろうか。おそらく、他の本では博士課程修了となっているから、博士課程修了が正しいんだろうと思うが。地味に気になった。

ところどころに実験データのグラフや女の子のイラストも入っているので、メリハリが利いていると思う。

女性の特長や、どうすれば好かれるようになるかということが分かってとても勉強になった。また、この本は実際に実践しないことにはまったく役に立たないので、実践するしかない。実践しないまでも、話のネタにとして読むのもありだと思う。

著者の本はどれも役に立って面白く、具体的なことが多く示されている。こうなったら、著者の本を全て読むことにしよう。過去に以下の本を取り上げた。どれも自信を持ってお薦め本。

この本は、恋愛においてモテたい人は必見!!

読むべき人:
  • 女性にモテたい人
  • ちょいワルが自分のテーマの人
  • 恋愛に対してクソ真面目な人
Amazon.co.jpで『内藤誼人』の他の本を見る

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July 05, 2008

君はピカソを知っているか


君はピカソを知っているか

キーワード:
 布施英利、ピカソ、歴史、芸術論、女性遍歴
ピカソの生い立ちから作品まで解説されている本。以下のような目次となっている。
  1. 人物編
  2. 歴史編
  3. 美術編
(目次から抜粋)
20世紀の天才画家、パブロ・ピカソの生涯を辿り、そしてそのピカソの絵画を鑑賞するような内容となっている。また、ピカソ以外の画家の絵も取り上げることで、よりピカソの絵の本質に迫っている。

『君はピカソを知っているか』というような挑戦的なタイトルとなっているが、自分はピカソを知らなかった。もちろん生涯4万点といった膨大な量の作品を残したとか、絵画以外にも彫刻をやっていたとか、本名はやたらと長いとか、ゲルニカは戦争の絵だということくらいは知っていたし、実際にピカソのキュビスム作品も何点かは見たことがある。しかし、生い立ちからピカソが影響を受けた画家は誰で、どんな作品だったのかということや、ピカソという人物像などは知らなかったといわざるを得ない。

ピカソの絵は、キュビスム風の作品が有名で、どこがよいのかわからないというようなものもあるが、10代のころは、デッザン力がずば抜けて優れていたらしい。写真のようなデッザン力以上のものだったらしく、絵としての構え、存在感、品格それらが伝わってくるようで、10代にしてプロの画家レベルに到達していたようだ。そしてスペインの官立美術学校のあらゆる試験すべてを征服したほどらしい。すごいなと思った。

20代前半のときは、貧乏で安い青い絵の具しか買えず、それがもとに青い絵ばかりを描いていたので『青の時代』と呼ばれるらしい。そして次に、別のスタイルとして、バラ色の画面を占めるようになる『バラ色時代』、さらに、その次は、現代絵画の金字塔ともいえる『キュビスム』のスタイルを確立したようだ。キュビスムの次は、クラシック路線の『新古典主義』で、ギリシャ美術かルネサンス絵画のような「古典」的な作風を描いていたようだ。このようにピカソは一つのスタイルに満足せず、カメレオンのように描く絵を変えていったようだ。これは美術館などで、ピカソの絵を見るとよくわかる。年代によっては全然別の作風で、本当に一人の人がここまで違う絵を描けるのかと感嘆した。

ピカソが最も影響を受けた画家がセザンヌだと示されていた。以下その部分を抜粋。
 ピカソが、もっとも影響を受けた画家が、そのセザンヌだ。ピカソは青の時代で、自分の絵画のスタイルを確立した。そのまま十年、青の時代の様式で絵を描き続けていただけで、十分に歴史に残る画家になれた。しかしセザンヌが没してすぐに開かれた回顧展で、「絵画」というものが何であるかを知り、圧倒され、キュビスムという新しい手法の絵画に取り組み始めた。世界を立体(=キューブ)の集まりとしてとらえる。それはセザンヌが、ものの形態を、円柱や円錐の集合として描くといったことと呼応する。
 かつて科学者のニュートンは、自分は「巨人の肩」に乗っているから、それまでの科学者よりも遠くを見渡すことができた、と言った。ピカソもまた、巨人の肩に乗って絵を描いた。その巨人という名の画家がセザンヌだった。セザンヌの影響は、キュビスムの絵画だけではない。新古典主義の絵画の人物像における、彫刻のようなかたまり感のある人体にも、その影響を見て取れる。ピカソは、セザンヌという巨人の肩に乗り、美の地平をはるか遠くまで見ることができたのだ。
(pp.102)
これは勉強になった。やはり絵を見るときは、一人の画家だけを見ていてはダメなようだ。

他にも面白いエピソードとしては、ピカソがダ・ヴィンチの『モナ・リザ』の窃盗疑惑をかけたれたり、金に困ったのは若い頃だけで、それ以外は絵が高く売れて生涯金に困ることはなく、城を買ったりしたり、死ぬまでに7人の女性と関係を持ち、その付き合う女性に影響されて作品も変わっていったということなどさまざまだった。特に女性遍歴は、天才が精力的に描き続けるには必要なことだったように思える。これは天才だからある意味許されるような気がした。凡人が真似したら・・・。

ピカソの生い立ちから作風まで、およそ150ページ程度に良くまとまっていて、とても勉強になった。次にピカソの絵を見るときは、何かをより多く感じられるようになっていたい。

ちなみに自分が芸術鑑賞をするのは、『美しいものを美しいと感じることができなければよいコーディングができない。』という自分なりの信条による。要は、仕事をしていく上でも、美的センスがなければいけないということ。それを芸術鑑賞で養うという目的がある。他にも単に教養のためだが。

ピカソの生い立ちや、ピカソの作風について知りたい人は読んだら面白いと思う。

読むべき人:
  • ピカソの絵が好きな人
  • キュビスムとは何かを知りたい人
  • 女性遍歴が多い人
Amazon.co.jpで『布施英利』の他の本を見る

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June 03, 2008

働くひとのためのキャリア・デザイン


働くひとのためのキャリア・デザイン

キーワード:
 金井壽宏、キャリア論、仕事、節目、トランジション
経営学が専門の著者による、研究に基づいたキャリア論が示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 キャリアは働くみんなの問題
  2. 第2章 揺れ動くキャリア観―なぜ移行期、節目に注目するのか
  3. 第3章 キャリアをデザインするという発想―ただ流されるのとどう違うのか
  4. 第4章 最初の大きな節目―就職時と入社直後の適応
  5. 第5章 節目ごとの生涯キャリア発達課題
  6. 第6章 元気よくキャリアを歩むために
(目次から抜粋)
仕事をしていく上で、キャリアというものを意識していくことはとても重要なことで、特に、人生の節目においてはキャリアを強く意識すべきとある。著者によると、この本の目的は以下のようになる。
「せめて節目だと感じるときだけは、キャリアの問題を真剣に考えてデザインするようにしたい」というものだ。そのような思考を助けるツール(道具)を提供するのが、本書でのわたしの目的だ。節目さえしっかりデザインすれば、あとは流されるのも、可能性の幅をかえって広げてくれるので、OKだろう。
(pp.23)
普通の自己啓発本では、目標を明確にし、優先順位をつけてそれに向かって努力しろというものが多いが、これはどちらかといと、ゆるい感じで方向性さえ間違わなければよいという感じになっている。

本書の主張は、キャリア・トランジション論という研究が基になっているらしい。トランジションというのは、生涯発達の心理学としては「移行」、または「移行期」を指す言葉とある。そして、人生やキャリアは、安定期と移行期の繰り返しであるというのが、生涯発達論やキャリア論におけるライフサイクルの視点であると示されている。この岐路、節目という観点がこの本では特に重要なようだ。

キャリア・デザインの反対語としてキャリア・ドリフトというものが示されている。これは、キャリアを自分で決めてデザインしていくようなものではなく、身を任せて流されていくという態度らしい。そしてこのキャリア・ドリフトというものには、セレンディピティのような思わぬ偶然が人生に好転をもたらす可能性があるらしい。例えば、経理の仕事が嫌だと思っていた人が実際にやってみると、数字を扱うことが得意であるという自分の思わぬ才能にめぐり合えるかもしれない可能性がある。また、キャリア・ドリフトについて具体的なアドバイスが示されている部分があるので、抜粋。
 たとえば、二十歳前後のときの就職活動で、世界中の悩みを背負い込んだみたいに、自分のキャリアをデザインしきろうと躍起になっているひとは、入社後は、むしろ少し肩の力を抜いてドリフトの洗礼も受けたほうがいい。セカンド・キャリアを歩むかどうか、デザインという視点から悩んでいるひとも、流れやタイミングの力を信じるなら、壮大な人生計画を立てて、そのなかで今転職すべきかどうか、考え込み迷うよりも、まず行動を起こしてみて、その後の偶然を生かし、うまくいかなかったらまた軌道修正すればいい。なぜかというと、先に述べたとおり、「わたしがなにを言いたいかは、言ってみないとわからない」(ワイク)ものだし、偉大な心理学者で哲学者でもあったウィリアム・ジェームズでさえかつてさらっと言ってのけたように、「人生が生き抜くに値するかどうかは、生きてみないとわからない」のである。この言葉は、「キャリアの中でこの動きがいいかどうかは、実際に動いてみないとわからない」と言い換えてもいい。
(pp.115-116)
しかし、キャリアすべてをドリフトしっぱなしではだめなので、節目にはしっかりデザインする必要があるようだ。どういう人生、キャリアを歩みたいかを大まかでもいいので方向性だけは定めておく必要があるようだ。

このキャリア・ドリフトという考えは、とても参考になった。やってみないとわからないことが多いのは事実だし。自分自身に関しては、やりたい技術領域ではない仕事だとしても、セレンディピティで思わぬ発見があるかもしれないので、面白がってやってみようと思った。このようなドリフトを体感している人こそ、入社数年の期間というのは、仕事を選ぶべきではないと言うのかもしれない。自分も入社数ヶ月のころに上司に言われた記憶がある。

また、人生の節目においては、以下のエドガー・シャインの三つの問いを意識する必要があるようだ。
  • 自分は何が得意か。
  • 自分はいったいなにをやりたいのか。
  • どのようなことをやっている自分なら、意味を感じ、社会に役立っていると実感できるのか。
普段の生活ではこれを意識する必要はないが、節目にはぜひ考えるべきとあった。これは就職活動の自己分析をするときに、ある程度考えたなと思った。しかし、何が得意かを主に考え、何がやりたいのかはなんとなくしか考えず、社会貢献的な部分はそこまで考えられなかったなと思った。

最後のほうに、よいキャリアというものには正解がないと示されていた。複数示されている具体例から、自分なりに考えるのがよいとあったので、考えてみよう。

学術書なので、新書であるのに300ページ近くもあり、濃い内容となっている。キャリア論全般を知るにはかなりよいと思われる。途中と途中の専門的な理論は、細かく読まなくてもそれほど支障はないと思われる。

この本は、読者自身がキャリアを自分のこととして考えて欲しいとあるので、エクササイズが多く用意されている。それらをしっかりやれば、節目におけるキャリア・デザインがうまくできるのではないかと思う。主な対象読者は、ミドル世代であると示されているが、就職活動中の大学生にも自己分析に利用できると思う。

キャリアとは何かということから考えたい人には、かなりお薦めな本。

読むべき人:
  • 中間管理職の人
  • 就職活動中の大学生
  • 転職を視野にキャリアデザインを模索している人
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June 02, 2008

写真を愉しむ


写真を愉しむ

キーワード:
 飯沢耕太郎、写真、鑑賞、写真の歴史、デジグラフィ
ブログリニューアル最初の本。写真評論家による、写真を愉しむための具体的な方法が示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 見る愉しみ―写真展を体感する
    1. 写真展に行ってみよう
    2. 写真ギャラリーを回る
    3. 美術館と写真
    4. インターネットという新しい場
    5. 「見る」から「見せる」へ
  2. 読む愉しみ―写真集を読み解く
    1. 写真集とは何か?
    2. 写真集の歴史
    3. 写真集の形式
    4. こんな写真集もある
  3. 撮る愉しみ―写真を使って表現する
    1. 写真を撮るということ
    2. 写真家になるには
    3. ポートフォリオをまとめる
  4. 集める愉しみ―写真コレクションを作る
    1. 写真とコレクション
    2. 写真作品を集める
    3. 写真オークションに参加する
  5. デジタル時代の写真の愉しみ―あとがきに代えて
(目次から抜粋)
1部は写真の歴史から、写真展について示されている。著者が写真展に行くことを勧めるのは、写真展で写真家たちの「生」のメッセージに接することができるからのようだ。写真家を通して写真を見るということについて、なるほどと思った部分があるので、いかその部分を抜粋。
 写真は撮影する人がいて初めて成立する。シャッターを切る時に、その人がいつ、どこに、どんなふうにいたのかが決定的な条件になるのはいうまでもない。さらに撮影者がどんなカメラを選んだのか、フィルムを使ったのか、デジタルなのか、さらにシャッタースピードや絞りはどれくらいで、光の状態はどうなのか、その一つ一つの違いが最終的な結果に大きな影響を及ぼす。写真はよく「選択の芸術」と呼ばれるが、たしかに一枚の写真には写真家が「何をどんなふうに選んだのか」というプロセスが刻みつけられているはずだ。
 当然、写真を見る時もそのことが重要になってくる。たしかに「そこに何が写っているか」も大事だが、それ以上に写真家がどんなものの見方をしているのか、少し大げさないい方をすればその人の世界観が問われるということだろう。同じ被写体を撮影しても、そこに写真家が百人いれば百通りの写真ができあがってくる。写真展を見るとそのことがよくわかるはずだ。
(pp.36)
これはそうなんだと思った。自分自身もデジカメでよく風景写真を撮るけど、自分が何に惹かれてシャッターを押したのかを意識することが多い。なんとなく撮った写真よりも、それを意識したもののほうが、後から見直したときに印象が違うような気がする。写真展にはあまり行ったことがないので、これはとても参考になった。

著者は大学の写真学科で写真を学んでいたようだが、才能がないことに気づき、評論家の道を進むようになったようだ。写真家に必要な才能として、以下の3つが示されていた。
  • メカニズムを使いこなす能力
  • 場をコントロールする能力
  • 撮り続ける情熱
この才能のうち、一つでもあれば得意な分野で能力を発揮できる写真家になれるし、全てあれば間違いなく優秀な写真家として活動できると示されている。逆に、この才能が一つもない場合は、著者のように写真家になる夢はあきらめろとあった。写真の世界は才能が重要なようだ。

他にも写真集の歴史やポートフォリオについて、プロマイド、プリクラについて、必見写真集などが示されていて、面白かった。

最後のほうに、デジタルカメラを筆頭とするデジタル・イメージの発達によって、写真の表現に新たな可能性があるのではないかと示されていた。

写真の歴史から、鑑賞の仕方、世界の写真集などかなり具体的に示されているので、写真について詳しくなれたと思う。ただ、本当にケースタディ的に写真の撮り方が書いてあるということではなく、写真をより大局的捉え、解説が示されている。

興味深く読めた。写真が好きな人にはかなりよい内容だと思う。

読むべき人:
  • 写真を撮るのが好きな人
  • 写真の愉しみ方がいまいちわからない人
  • 写真家になろうと思っている人
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May 11, 2008

脳と気持ちの整理術


脳と気持ちの整理術―意欲・実行・解決力を高める

キーワード:
 築山節、脳、気持ち、実行、整理術
脳が専門の医者による、思考と気持ちを整理する技術が示されている本。以下のような内容となっている。
  1. 前向きな自分をつくる
  2. 思考の整理術―計画・実行力を高める
  3. 記憶を強化する技術
  4. アイデアを生み出す技術
  5. 気持ちの整理術
本書がどういう視点から書かれているかが示されている部分があるので、その部分を抜粋。
「社会がめまぐるしく変化している現代という時代の中で、逆境や困難に直面したとき、それをどう乗り越えていけばいいか。冷静・前向きに自分の人生を切り拓いていくために、何が大切か」ということを脳から解説しているのが本書です。
(pp.203)
自分が勉強になったのは、1章、2章、5章になる。各節にまとめが示されているので、参考になったまとめの部分を抜粋していく。まずは1章から。
  • 「できること」が増えると「好き」になる。
  • 「五歩先に解決がある問題」の一歩目をまず見つけよう。
  • 「短時間の集中×多数」で脳は活性化される。
  • 「テキパキと行動している状態」を意図的につくり出そう。
次に2章から。
  • 「気になっていることリスト」を作成し、重要でない問題から消していこう。
  • まとまった時間ができることなどない。
  • 大きな問題は、細切れの時間にコツコツ解決しよう。
5章からは以下。
  • 「嫌なこと、面倒なこと」は完全になくならない。
  • 目標を具体的にすることが、自分の理性的なコントロールを容易にする。
  • 人生の荒波に負けないよう、しっかりと舵を取ろう。
こんなものになるかな。

意欲を高めるには以下の3つをベースに考えるのが有効らしい。

  1. 好き・嫌い
  2. ほどよい興奮
何かものや地位が欲しいといったはっきりとした欲があると、意欲を抱きやすいようだ。また、自分の仕事や勉強がある程度好きであることも重要なようだ。さらに、脳は同じことをし続けると疲れてしまい、意欲が失われていくらしい。逆に変化に対応しているときに活性化されるので、短時間の集中ですむ作業を連続させて興奮を施すとよいらしい。なるほどなと思った。この本も好きなことをするべきという主張があって、やはりそうなんだなと思った。

人生には目標をしっかり持つことが重要だと示されていた。目標を持っている人は、自分がすべきこと、自分にとって大事なものの優先順位がハッキリしているので、それらがわからないことに対する余計な不安や混乱を避けやすいからのようだ。そして、目標を持つには以下のように考えるとよいらしい。
  • 自分は将来、どうなりたいのか?(また、逆にどうなりたくないのか?)
  • どういう手段で目標に向かっていきたいのか?(どんなことをしたくないのか?)
  • 誰のためにそうなりたいのか?(自分にとって大事な人は誰か?)
脳科学の観点からも目標を持つことの重要性が説かれているので、なるほどと思った。いろんな自己啓発本に示されていることと同じで、やはり目標を持つということが重要なんだなと再認識した。

脳が専門の医者が書いた本だけど、脳内物質とか脳のメカニズムの専門用語などはそんなに出てこない。普通に自己啓発本のような感じで読みやすい。

脳科学の観点から意欲を引き出したい人は読んだほうがよいと思われる。

読むべき人:
  • ヤル気がいまいちわかない人
  • 目標をどのように立てたらよいかわからない人
  • 不安になりがちな人
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May 06, 2008

呼吸入門


呼吸入門

キーワード:
 齋藤孝、呼吸、文化論、身体論、型
教育学者による呼吸の入門書。画像は、ハードカバーのものだけど、実際に読んだのは最近出版された文庫版の『呼吸入門』のほう。以下のような内容となっている。
  1. なぜ「息」を考えるのか
  2. 呼吸法とは何か
  3. 息と心の関係
  4. 日本は息の文化だった
  5. 教育の基盤は息である
  6. 危険な呼吸法・安全な呼吸法
  7. 息を感じて生きる
著者は、教育学者であるが、「教育の根幹は息にあり」という確信から呼吸、息に関する研究を20年近く行ってきたらしい。そしてこの本の目的は、以下のように示されている。
 日本文化の粋である息の文化の意義を伝え、生きる力の根源を照らすのが、この本のねらいだ。
(pp.182)
このような目的から、息の歴史や精神的な背景、そして実践的な齋藤式呼吸法が示されている。

線を引いた部分を以下に抜粋。
  • 息は、その身体と精神を結びつけるもの
  • からだに張り付いているその人の呼吸力が、人間の精神力や行動力を規定する
  • 呼吸というものがリズムよく流れ出したら、人間は疲れない
  • 呼吸を考える上で大切なのは、吸うことではなく、吐くこと
  • 呼吸によって精神が調えられるというのは、現在そのものを生きるという状態である
  • 一つの呼吸のリズムで自分は満たされていると感じた時に、「ああ、自分という者はここにまとまっていて全然不安がない」と感じられる。
  • 呼吸という精妙な生命の働きの不思議さに心打たれ、自分の息を見つめ直すことが著者にとっての「呼吸入門」である
このように、どちらかというと、呼吸方法をメインに解説されているというよりも、呼吸、息の歴史的背景、文化、身体と精神の関係が多くの引用から示されている。

著者が示す、齋藤式呼吸法というものがあり、これは誰でも型にはめることで実践できるものであるとある。その呼吸方法は、呼吸の仕方を「三・ニ・十五」という時間で区切ることらしい。以下にその方法を簡単に示す。
  1. 鼻から三秒息を吸う
  2. ニ秒お腹の中にぐっと溜める
  3. 十五秒間かけて口からゆっくりと吐く
これだけのようだ。そしてこの「三・ニ・十五」をワンセットにし、六回の合計二分間集中してやってみるのがよいらしい。そしてこの呼吸方法こそが、数千年の呼吸の知を非常にシンプルな形に凝縮した「型」であると示されている。これは実践して自分のものにしておきたい。

なぜ自分が呼吸に関心があるかというと、一つは、フォトリーディング時に、準備の段階で深呼吸をして意識を集中する必要があるから。そのときに、呼吸法を取り入れることで、より効果的にできないかと思ったから。もうひとつの理由は、呼吸法によって自分の体内を活性化し、自分の健康状態を向上できるのではないかという狙いがある。持病もあり、持病を回復させ、かつ精神的に不安定になりがちなので、正しい呼吸法によって、心身ともに安定させたいというのがある。

著者の本はすごく引用が多く、それだけさまざまな側面から研究されてきたのだろうということがよく分かる。それだけに、単純に呼吸といっても奥が深いものだということがよく分かった。単純に文化論としても読めてよかった。

読むべき人:
  • 呼吸が乱れがちな人
  • 心身ともに安定させたい人
  • 教育に携わる人
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April 23, 2008

幸せって、なんだっけ


幸せって、なんだっけ 「豊かさ」という幻想を超えて

キーワード:
 辻信一、経済学、豊かさ、幸せ、スローライフ
文化人類学者による、豊かさと幸せを問い直すための経済学の本。以下のような内容となっている。
  1. はじめに 人間を幸せにしない経済
  2. 幸せって、なんだっけ
  3. 幸せですか、日本人?
  4. 「豊かさ」の発明
  5. 「豊かさ」を問い直す
  6. 幸せの経済学
  7. 幸せを創るカルチャー・クリエイティブ
  8. おわりに 幸せを想像する力
世界中が経済発展を目指して豊かさを追従すればするほど、生活は物質で満たされ、そして人びとも豊かに、幸せになれるというのは幻想に過ぎず、むしろ経済発展そのものが人びとを不幸にしているのではないかと主張されている。以下、簡単に要点を箇条書きにしてみる。
  • アメリカや日本など、豊かな国の人のほうが幸せでない人が多い
  • 裕福な人が苦しみを抱えているのは、誰もが「豊かさ」を目指して、競争しながらどこまでも階段を昇っていかなければならないというストーリーそのものが問題
  • 経済のグローバル化により、石油争奪戦、二酸化炭素排出による温暖化など自然環境を破壊したり、戦争、貧困を引き起こしている
  • カルチャー・クリエイティブというロハス的な生き方をする人がアメリカで増えている
  • 物質的、金銭的な豊かさよりも、時間的豊かさを持つスローライフこそが本当に豊かな生活
結構乱暴なまとめ方だなぁ・・・・。

この本では、幸せとは何か?という根源的な部分までは考察されていない。そこは著者も自分では分からないと示している。この本は幸せを考える本ではなく、あくまで経済学だと示されている。そこは経済学者ではない、文化人類学者からの視点、例えば発展途上国での経験や文化的な豊かさの視点などから考察されていて、なるほどなと思う部分が多かった。特にブータンの国王が提唱している、GNP, GDPに変わるGNH(国民総幸福)という概念は経済発展だけが豊かさの指標ではないということをよくあらわしているなと思った。

特に印象に残った部分を長めに抜粋。時間の問題についての部分。
 すでに見てきたように、人々は「豊かさ」幻想を追いかけて、効率性や生産性や経済成長や消費増大などを最優先にしてきた。その結果がファストな社会だ。なぜファストかといえば、それは速く、より多くつくり、売るものが勝つという競争原理に基づいているので、社会が全体として加速するからだ。自然にも社会にも人間の暮らしにも、それにふさわしい遅さ、ペースというものがある。そこに加速する一方の経済のペースを押しつけたらどうなるだろう。生態系が壊れ、さまざまな争いが起き、こころやからだが疲れ、病んでいく。だが、どんな問題も、「豊かさ」のためだから仕方がない、で片づけられた。
 なんでこんなに忙しいかって?それは、要するに、時間をお金に換えてしまったから。時間が減り、忙しくなれば、サティシュの言う、生きるために必要なつながり――自然との、人との、モノとの、自分自身とのよい関係――が壊れていく。だって、どんなつながりも手間ひまもかがかかるものだから。でもぼくたちにはもう、その時間がない。つながっている暇がない。ぼくたちが感じる幸せの大部分は、たぶん、よいつながりから生まれるのだと思う。でも、そのよいつながりが、忙しすぎてもう保てない。
 つながりを表すもうひとつの言葉、それが愛だ。ぼくたちの幸せは、そこにかかっていると言ってもいい。しかし、ぼくたちはもう愛する暇さえなくなっているのではないか。でも、それって、幸せでいる暇さえなくなってしまった、ということ!?
(pp.232-233)
かなり長めに引用したが、とても考えさせられる部分。自分もよく仕事が忙しく、残業で終電帰りが続く日があると考え込んでしまう。こんな生活が幸せなはずが無いと。そうはいっても利潤を追求する会社組織に属してしまった以上、それは仕方のないことだと思った。それはプロジェクトの成功のため、その本質的な理由は会社の成長のため。さらには自分自身の成長のため。けれど、やはり忙しすぎると、心身ともに健全ではなくなっていくのが分かる。そしたら何のための成長なのか?と疑問に思い始める。仕事中は、徹底的に効率化、スピードが求められ、それが善とされる。けれど自分自身はそのペースについていけず、効率化を図る本を読んでキャッチアップしている始末・・・・。やはり著者が言うように、適切なペースというものが必要になるんだなと思った。それがスローライフにつながることになる。

しかし、スローライフを目指した瞬間に、下流やワーキングプアに陥ってしまうのではないかという危険性があるのが今の日本の現状なんだと思う。簡単にスローライフを目指してしまうと、まともに生活ができないかもしれない。そのため、経済成長を目指す会社組織で激しく働かざるを得ない。いや、物資的に満たされていないと生活できないという思いこみそのものが、すでに幻想に囚われているんだろうなぁ。難しいところで。

この本はいろんなことを考えさせてくれる。個人レベルの生活の豊かさから国単位の豊かさ、幸せについて。そして少なからず自分の生活の方向性にも影響を与えたのだと思う。たぶん、自分も経済成長の歯車になるか、それともスローライフをするのかを選択しなければならない日が来るんじゃないかなと思った。

金持ち思考、上昇志向にある人は1度読んでみたらいいと思う。考え方が変わると思うから。

ついでに同じ著者の『「ゆっくり」でいいんだよ』もお勧め。

読むべき人:
  • 幸せについて考えたい人
  • 金持ちになりたいと激しく働いている人
  • スローライフがしたい人
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April 19, 2008

友だち幻想―人と人の〈つながり〉を考える


友だち幻想―人と人の〈つながり〉を考える

キーワード:
 菅野仁、友だち、人間関係、距離感、親近感
社会学者による、友だちという人間関係の常識を1度見直してみよう試みの本。以下のような内容となっている。
  1. 人は一人では生きられない?
  2. 幸せも苦しみも他者がもたらす
  3. 共同性の幻想―なぜ「友だち」のことで悩みは尽きないのか
  4. 「ルール関係」と「フィーリング共有関係」
  5. 熱心さゆえの教育幻想
  6. 家族との関係と、大人になること
  7. 「傷つきやすい私」と友だち幻想
  8. 言葉によって自分を作り変える
孤立しがちで、友だちなど片手で数えられるだけいればいいという感じの自分にとってはとても共感できる内容だった。

たくさん引用したり解説したいが、若干面倒なので、一部だけ。タイトルにある幻想についての部分。
「自分のことを百パーセント丸ごと受け入れてくれる人がこの世の中のどこかにいて、いつかきっと出会えるはずだ」という考えは、はっきり言って幻想です。
(中略)
 過剰な期待を持つのはやめて、人はどんなに親しくなっても他者なんだということを意識した上での信頼感のようなものを作っていかなくてはならないのです。
(中略)
むしろ「人というのはどうせ他者なのだから、百パーセント自分のことなんか理解してもらえっこない。それが当然なんだ」と思えばずっと楽になるでしょう。だから、そこは絶望の終着点なのではなくて希望の出発点だというぐらい、発想の転換をしてしまえばいいのです。
(pp.126-129)
そういうことらしい。自分で自分のことさえ完全に理解できないのだから、他者に過剰に期待するのはそもそも無理なことなのだということだろう。とはいえ、自分で自分を理解するのに苦しみ、他者に期待する余地すらあまり無いんだけどね。

具体的に参考になるのは、気の合わない人との距離感を取るということや友だち100人できるかなというような教育方針は、プレッシャーを生むだけなので見直したほうがよいということなどの部分。分かりあえない場合は距離を取るべきらしい。

また、読書は対話能力を高めてくれるらしい。

生きていく上で人間関係を築くことはとても重要で、けれどその人間関係が空虚であったり、戸惑いや違和感を覚えるものだったりする。それらの理由や対処法が分かりやすく解説されていて、勉強になった。ちくまプリマー新書なので、中高生向けの内容であるが、今の自分が読んでもなるほどと思うことが多い。友だちという人間関係は何も中高生だけの特権ではないのだからね。

それにしてもちくまプリマー新書は、ページ数が少なく中高生向けで分かりやすく深い内容のものが多い。つまりあたりが多い。

読むべき人:
  • 友だちを作ることにプレッシャーを感じている人
  • 孤独癖な人
  • 自分のことを理解してくれる人を望む人
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February 02, 2008

合コンの社会学


合コンの社会学

キーワード:
 北村文/阿部真大、合コン、社会学、罠、運命の物語
合コンの社会的制度などが示されている本。以下のような内容。
  1. 出逢いはもはや突然ではない―合コンの社会学・序
  2. 運命を演出するために―相互行為儀礼としての合コン
  3. 運命の出逢いは訪れない―合コンの矛盾
  4. 運命の相手を射止めるために―女の戦術、男の戦略
  5. 運命の出逢いを弄ぶ―自己目的化する遊び
  6. それでも運命は訪れる―合コン時代の恋愛と結婚
  7. 偶然でなくても、突然でなくても―合コンの社会学・結び
  8. 補論:合コン世代の仕事と恋愛―自由と安定のはざまで
単純に合コンの現場でどのようなことが繰り広げられているのかということが参考になった。例えば、単純な盛り上げ役は割を食うらしい。他にも参加メンバーはみな同じような社会的階層であるべきとか、がっつきを見せるとダメだとか、自己主張はしない、デリケートな話はしない、みんなが楽しめるように気を配るようにするなど。これらは今度実践してみようと思う。

合コンで出会った相手とうまくいかない理由が以下のように示されていた。
  • ふたりで会うときにも合コン的パフォーマンス――周到な気遣い、浅い会話――ばかりが繰り広げられ関係性が深まっていかない
  • 合コンでの「キャラ」が保てず、別の顔を現した瞬間に相手が幻滅する
    (pp.95)
なるほどなと思った。

この本は別に合コンのテクニック本ではなく、本質は合コンの制度から恋愛、結婚観まで論じられているもので、合コンを客観的に捉えている。

例えば、合コンは自由で地位やステータスが関係なく、偶然お互いが知り合いになったというものをイメージしがちだが、実際は社会階層を覆すような出会いは事前に隠蔽されているという罠があり、また合コン参加者が出会いを求めず楽しむことを目的とする場合もあり、最終的に合コンを降りる人もいると示されている。けれど、合コン参加者は出会い系とはちがった、相手の年収、職業、容姿といった属性条件で相手を選ぶのではなく、期待せず合コンに参加してみたら周りの人とちょっと違う合コンっぽくない人(おもしろいと思える人、直感で通じあえる人、一緒にいて癒される人)と「運命」の物語をつむいでいける人との出会いをどこかで求めているようだ。そうこうしているうちに、合コン疲れや理想に対するギャップから出会いのなさを嘆いたりしているらしい。

では、合コンで繰り広げれる虚構に行き詰まり、本当に出逢うために必要なことは何かということが以下のように示されていた。
 合コン時代の私たちは、運命の物語を阻む要素を排斥しつくそうとしてきた。しかし今、本当に出逢うために必要なのは、恋愛や結婚のなまなましい現実に対する耐性だろう。相手の年収や容姿に惹かれてしまう自分がいるということ、自分の年収や容姿が相手にとって重要だということ、結婚に際しては社会経済的なバランスを考えずにはいられないということ、そうした事実に目を背けるのではなく、この手にとって確かめてみる。そのうえで、「運命」をつくっていけばいい。私たちにはかつてない数のプロットが利用可能で、さらに新しい物語をつくるための資源もたくさんあるのだから。
(pp.174-175)
なるほどなぁと思った。勉強になったというか、心にとどめておこう。

なぜこんな本を読んだかというと、単純に合コンに参加したことがないから興味があったというのもあるが、昨日予定されていた初合コンが流れた腹いせに・・・・という理由も少しあったり。本当は合コン後のレビュー的な観点から書評したかったが、そうもいかず。

合コンにあまり期待しすぎてもダメなのかなと思った。なんだか合コンに行く気が少しうせてしまった面もある。けれど、合コンの社会的な制度、現代日本の恋愛、結婚観なども分かって興味深く読めた。

合コン三昧な人は必読かも。

読むべき人:
  • 合コンという制度に興味がある人
  • 合コンに疲れた人
  • 運命の出逢いを果たしたい人
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December 13, 2007

売れないのは誰のせい?


売れないのは誰のせい?―最新マーケティング入門

キーワード:
 山本直人、マーケティング、広告、ブランド、人間学
マーケティングの入門書。内容は読みやすく、難しいことは書いていない。以下のような内容となっている。
  1. 二つの「買ってください」
  2. 市場にingをつける発想
  3. ブランドは魔法の杖か
  4. 急増した「日本人の種類」
  5. ああ言えばこう買う?
  6. テレビは本当に強いのか
  7. 他者を知るということ
マーケティングとは何かという問いに対する答えが以下のように示されている。
 つまりマーケティングという行動を突き詰めて言うならば、より上手にモノを売っていくために「客の立場に立って知恵を使い続けること」と捉えることができる。
(pp.20)
人は、商品の機能的な差別化が難しいときは情緒的満足にお金を払うようだ。それはつまり有名企業のブランドの効用にもなる。しかし、魅力的なロゴマークを作ったり、ブランドを創出しようと躍起になって商売の基本的な営業努力などを怠っては、売れるものも売れないとあった。

CMなど広告業界の話も多く出ている。車のCMの変遷から、家族形態の歴史が分かったり、タレントを使った場合の費用対効果、セガのドリームキャストの自虐的なCMの効用などなど。

マーケティングは科学的なものであるけど、ヒット商品を生み出していくには論理を学ぶ前に感覚を養うことが大切とある。それは日常的に磨くことができるようだ。以下その部分について抜粋。
 一言で言えば、他者を知ろうとすること。それがマーケティングの原点だと思う。大変シンプルであるけど、さまざまなケースを分析した時、成功と失敗を分けるのはこの姿勢だと思う。顧客発想という言葉は耳にタコができるくらい言われているが、顧客を考えていないような商品やサービスはまだまだ多い。こういう罠に陥りやすい人には一定の傾向がある。他者のことを知ろうとしないのだ。逆にいうと、マーケティングの現場で成功している人は人好きである。自分と違う価値観の人、好みの異なる人のことを認めて、その人の声を聞く。
(pp.190)
そしてマーケティングでなすべきことは、最終的には人の行動を知ること、つまり人間学になるようだ。

最後のほうに、心の豊かさという幻想から脱却して物は心を豊かにするという価値観を認めるべきだという主張があった。自分のお金で消費するときには、常に心理的満足があり、また、物より心であるべきという世間のムードが日本の活力に水をさしている気がすると。それよりもみんでいい物、いいサービスを提供して適切な対価を得て、稼いだ金で欲しいものを買うという人が生きていくにはそのような単純な循環が必要だという主張。これは、物より心というのは、昔の日本人のお金に対する美徳という世間の空気みたいなものがあると思う。でも本当はそうではないかもしれないということを認めるべきかなと自分も思う。衣食住足りて礼節を知るというように、ある程度自分の身の回りが豊かになるほど精神的な充足感も比例していくのだと思う。欲しいものが手に入らず、嫉妬や羨望を常に抱いている状況が心の豊かさであるわけがないと思う。それらは今後のお金の価値にも関わってくると思う。自分はやはり金持ちになって欲しいものが手に入るような生活がしたい。

いろいろな話題を元にマーケティングが語られている。入門とあるだけに、難しい用語はほとんどなく、文章も読みやすかった。特に最後のほうが参考になった。

読むべき人:
  • マーケティングに興味がある人
  • 広告に興味がある人
  • 物の豊かさが重要だと思う人
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December 06, 2007

ウェブ炎上


ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性

キーワード:
 荻上チキ、Web、炎上、サイバーカスケード、メディア論
ブログが炎上する現象をサイバーカスケードの観点からケース・スタディ的に解説している本。内容は以下のようになっている。
  1. ウェブ炎上とは何か
  2. サイバーカスケードを分析する
  3. ウェブ社会の新たな問題
  4. ウェブ社会はどこへ行く?
これだけでは内容がいまいちわかりにくいので、はじめにの部分を抜粋。
 本書は、インターネット上での集団行動が社会にもたらす影響について考えると同時に、「インターネット上での集団行動がもたらす影響について考える」ための能力を養うことを目的としています。インターネット上で観察される集団行動を分析するための領域横断的なツールを提示し、いくつかのケース・スタディを共有することで、ウェブ上で起こる「炎上」などの諸現象に対する見方や対応の仕方をバージョンアップするためのアイテムになりたいと考えいます。
(pp.9)
こんな感じの内容で、炎上したときの対応策や防止策についてはほどんど触れられていない。この本はちょっと書評するには難しい気がする。内容が難しいのではなく、この本の位置づけというか、価値をどこに見出すかで評価が分かれると思うから。

この本で取り上げられているテーマであるサイバーカスケードとは何かが示されている部分を抜粋。
 サイバースペースにおいて各人が欲望のままに情報を獲得し、議論や対話を行っていった結果、特定の――たいていは極端な――言説パターン、行動パターンに集団として流れていく現象のことを指します。
(pp.35)
これが炎上の現象説明になる。

炎上のケースがたくさん出てきている。mixiや2chでの話題がほとんど。最近ではリアルタイムでテラ豚丼とかケンタッキーゴキブリ騒動(痛いニュース(ノ∀`):「“ゴキブリ揚げた”は事実無根。ありえない」 ケンタッキー広報激怒…元アルバイト少年が保護者、教員同伴で謝罪)とかが炎上している。この本で示されているようなケースとして代表例みたいな炎上っぷり。電凸、炎上対象者晒し、まとめサイトの構築といくところまでいっている感じ。この本を読んで、この炎上っぷりを再確認すると、傍観者的には面白いかもしれない。

3章までほとんどケース・スタディ的な解説で、肝心のではこれからどうなるかの4章が少し弱い気がした。全編を通して冷静にかつ客観的にサイバーカスケードを紐解いており、一概に批判するべきではなく、文脈しだいで有意義な議論に発展しえることもあり、消極的な形でネット上の共通認識が緩やかに築かれることもあると。確かにその通りだと思うが、どうしても、全編のケースの解説がメインで、ではそこからどうなるのかという発展においての立ち位置はWeb2.0っぽいIT技術的な側面なのか、それともメディア論的なものなのか、または社会学的な観点なのかがいまいちぱっとしていない気がした。しかし、炎上に対するケース・スタディとしての冷静な解説は一見の価値はあると思った。特にブログ運営者にとっては。今後はこの本の続編が気になるところだなぁと思った。

また、炎上防止策などを知りたい場合は、日系トレンディネットのブログで自滅する人々(第1回)〜ブログで「祭られる」人々という連載を参考にしたほうがよいと思われる。

あと、著者の運営している人文系ニュースブログ、荻上式っていうのがある。面白そうだからRSSリーダーに登録しておこう。

読むべき人:
  • 炎上とは何かを知りたい人
  • サイバーカスケードについて知りたい人
  • 炎上はよくないことだと思っている人
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November 16, 2007

偶然のチカラ


偶然のチカラ

キーワード:
 植島啓司、偶然、必然、確率、無為自然
目の前に立ちはだかる偶然にどう対処すればよいのかをさまざまな引用などから論じた本。集英社新書。なぜか画像がない・・・。

以下のような内容となっている。
  1. 自分で選択するべからず
  2. 世の中にはどうにもならないこともある
  3. 自分の身に起こったことはすべて必然と考える
  4. たかが確率、されど確率
  5. 思いは全部どこかでつながっている
  6. いい流れには黙って従う
  7. すべてはなるようになる
含蓄のある内容だと思った。目次だけでこの本の主張が示されているような気もする。考え方が変わるような主張が多かった。

最初に「未来が見えないとき、いったいどうしたらいいのか」という問題提起をしている。この本の最後のほうに内容が要約されている部分があるので、それを抜粋。
 そんなときに、しゃにむに自分の意志を貫こうとしないことが肝心だということ、「自分で選択するべからず」ということである。困難なことにぶちあたったとき、必要以上に自分の力に頼るのがもっとも具合の悪いことで、見えてきた状況に従って動けばいいのである。そして、すぐに物事の是非を判断せず、「世の中にはどうにもならないこともある」と一歩引いて考えたい。世の中には思うようにいくことのほうが少ないのだから。

 さらに、われわれはつねに偶然に翻弄されているように思いがちだが、まず、「自分の身に起こったことをすべて必然と考える」習慣をつけたい。たとえよくないことが起こっても、くよくよしたりせず、すべてありのままに受け止める。ああすればよかった、こうすればよかった、と考えるのは、はっきり言ってムダだ。われわれの社会では、起こることは起こるし、起こらないことは決して起こらない。
(pp.212-213)
ここが自分にとって一番重要だと思った。なんというか、原因不明の腎臓病をわずらい、腎機能が常人の半分以下で食事制限をしなければならない身になったとき、なぜ自分だけがと嘆いていた。この本に示されているように考えれば、それも必然であり受け止めるしかなく、またそのような不幸とも思えることでも、考え方を変えてみれば後になって好転できる出来事だったのかもしれないと考えられるのではないかと。

ほかにも、人生の座標軸を以下の三極で考えるべきではないかと示されている。
  1. 幸運・・・5%
  2. 普通(つつながく)・・・90%
  3. 不運・・・5%
普通であることを感謝すべきなのに、何も特筆することがない普通を不幸なことと考えてしまいがちである。そうではなくて、普通であることが好ましい生き方の一つではないかと示されている。これは普通の食事ができなくなって痛感する。普通に食べられることがどれだけ幸せなことかと。普通という立場から逸脱してしまった身としてはこれはその通りだよとつくづく思う。

『幸せとは何か?』という章がある。そこで、人間の真の幸せは、複数の生を楽しむところにあるのではないかと示されている。以下その詳細を抜粋。
 あるときは仕事して、あるときは遊ぶ。あるときは信仰に生きて、あるときにはアーティストになる。必死になって知りたいことを学んだり、さらに異性との交流(やさしい男性や愛くるしい女性など)を深めたりする。それらを同時にすべて実現することにこそ人間の本当の幸せがあるのではなかろうか。
(pp.193)
そんなものなのかね。単一で偏った生では破綻するということか。

古今東西のさまざまな引用、例えば、ギリシャ神話やパスカルの確率論や占い、ルーレットにおけるギャンブルについて、スティーブン・キングの小説、仏教などがあり、読み物としても面白い。それ以上に、この本をもっと早く読むことができていればなぁと思った。毎日嘆いていた自分に送ってあげたかった。現在ではある程度精神的にも落ち着いてきているので、この本に書いてることを素直に受け入れられそうだ。

この本は、人によっては何か開眼するかもしれない、何度も読み返すに値するものだと思った。

読むべき人:
  • 偶然に翻弄されていると思う人
  • 確率の話が好きな人
  • 楽に生きたい人
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November 13, 2007

知的な距離感


知的な距離感

キーワード:
 前田知洋、マジシャン、プライベートエリア、距離、ガイドライン
マジシャンによって人との適切な距離の関係が示されている本。以下のような内容となっている。
  1. 距離を縮める
  2. 距離を探る
  3. 空間を測る
  4. 「空気」を読む
  5. 見えない相手
  6. プライベートエリアとは何か
著者はクローズアップ・マジックという観客のすぐそばでマジックを披露するマジシャンのようだ。そしてマジシャンには観客との距離が重要になるようだ。以下抜粋。
 マジシャンにとって、観客とどれくらいの距離感で接するかは、とても大切です。もし距離感を間違ってしまえば、マジックの秘密が知られてしまうだけでなく、観客に嫌われたりすることもあります。私自身、そんな失敗を数多く経験しました。
 最初は、マジシャンと観客の心地のよい距離をみつけることからはじめました。正しい距離を見つけることができれば、秘密が悟られないだけでなく、同じマジックでも、数倍の評価をもらえることに気がつきました。たった一五センチの距離を調整するだけでもです。
(pp.2)
そして人にとって心地のよい距離や空間をプライベートエリアとして示されている。プライベートエリアは心理学ではパーソナルスペースとも呼ばれ、「他人に侵入されると不快に思う空間」のようだ。

このような本は心理学者が学術的に解説するようなものが多いが、これはマジシャンの実体験がもとになっている。それが結構面白かったりする。例えば、脳科学者の茂木健一郎氏にマジックを披露したときに、わざとトランプのパッケージがうまく開封できないふりをされたのだとか。これは相手に「不思議さ」、「不完全さ」、「人間らしさ」を触媒として、トリックの解析をしてもらうのではなく、ショーを楽しんでもらいたいからとあった。

マジックをするときは、観客席は本が読めない暗さが理想らしい。これは舞台などのエンターテイメント産業では一般的なものらしく、暗い場所だとプライベートエリアは縮小し、人は程よく暗い場所でリラックスし、ものを見るために目を近づける必要があるかららしい。そして舞台などでは、観客席を暗くし、舞台の照明を明るくしてまさに目の前で行われているかのように印象付けられるようだ。また、バーなどでスツールには背もたれがなく、あっても座面が回転し式になっているのは、プライベートエリアは正面よりも横のほうが狭い特性があるので、すぐ隣にコミュニケーションを遮断したい相手が座っていても体の向きを回転させるだけですむからのようだ。そのため、バーなどで横に座った人と親密さが増したりするようだ。

ほかにも上司が部下をしかるときの距離、プレゼンは右か左のどちらでやるべきか、プレゼントの効果的な渡し方などが示されていて、どれも実践したくなるようなものが多く示されている。

著者の実体験などから語られており、難しい表現はないので気軽に読めると思う。マジシャンが普段気をつけていることなどもわかって面白い。

人との距離感がいまいちつかめない人にはよいかもしれない。この本を読んで、自分はプライベートエリアが極端に広いのだと認識した・・・。

読むべき人:
  • 心地よい距離感を保ちたい人
  • 人間関係を円滑にしたい人
  • マジックが好きな人
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November 07, 2007

上達の法則


上達の法則―効率のよい努力を科学する

キーワード:
 岡本浩一、心理学、上級者、初級者、スキーマ
スポーツや習いごとなどにおける上達のプロセスを各種心理学によって知的理解と方法論を提供する本。以下のような内容となっている。
  1. 能力主義と上達の法則
  2. 上達と記憶のしくみ
  3. 上達した人はどこが違うのか
  4. 上達の方法論――中級者から上級者になるステップ
  5. スランプの構造と対策
  6. 上級者になる特訓法
最近ボウリングを始めたこともあり、どうやったら上達できるのかということが知りたかったので読んでみた。

上級者は中級者、初級者と記憶の構造が違うようで、上達という現象が以下のように示されている。
  • 宣言型知識と手続き型知識の長期記憶を豊富に効率よく形成すること。
  • 長期記憶に貯蔵された知識が効率よく検索できる状態を形成すること。
    すなわち、(a)必要な知識を早く検索し、(b)関係ない知識を誤って検索しない状態に長期記憶が形成されること。そのためには、検索に用いられるインデックスが確実に形成され、そのインデックスがシステマティックにできている状態が維持されること。
  • 長期記憶から検索された知識が、ワーキングメモリに出力されても、ワーキングメモリに余裕がある状態を維持できること。そのためには、多くの知識が少ないチャンク数で表象される状態ができること。
    (pp.66-67)
これはなんというかコンピュータの内部構造に共通する部分がありそうだ。まず入力値やデータからなる情報をHDDに確実に記録すること。そしてそのHDDをDBと捉えるなら、DB内のテーブルが正規化され、DBのインデックスが張られており、さらにSQL文が最適化されていること。そしてDBからの情報をメインメモリに読み出すときに、ページフォルトを極力発生させないような容量を持つこと。これらを満たすPCは一般的にスペックが高く、速いと感じるものだろう。人間の脳内もこんな感じなのではないかなぁと思った。ただ一つ違う点は、パソコンは最初に作られたスペック以上のものはできないけど、人間は上達のプロセスを経て、スペックが上がっていくということ。

また、知覚、認知、思考が行われる枠組みをスキーマというらしく、上達者はこのスキーマが優れているようだ。そしてスキーマを支えている大きなものとしてコーディング能力が示されている。これは知識が貯蔵されるためには、知識が言語に準じた形式に、その人の思考のなかで表される必要があり、それをこの本ではコード化と呼んでいる。ここもスキーマ、コード化といかにもIT技術者が反応しそうなモデル化だなと思った。

そして上級者はどこが違うかというと、以下のように違うようだ。
  • 持続力、集中力が高まる
  • 特異な才能が光る
  • イメージやこだわりが鮮明になる
  • 他者を見る眼が変わる
  • 自分を性格に認識できる
上達するにはノートをとったり、入門書を読んだり、さらに入門書より深く説明されている論理書を読んだり、模倣したりといろいろ示されている。ボウリングをやっている今の自分にできそうなのは、ストライクボールが投げられたときのフォームや体の流れをノートに書き留めるといったことや、ボウリング入門書を読むことになる。これは実践しようと思った。

あとがきで特に印象的だった部分を抜粋。
上達の結果、「見え方」の変わる瞬間があると、何度も強調した。それを多くの方に経験していただきたい。見え方の変わるとき、偶然接した風景や、偶然耳にした言葉が機縁となることが多い。そういう時期は、内的な緊張がつのり、スキーマがわずかな刺激で大転換するところまで来ている。ほとんどなにを見ても大転換のきっかけになり得るところまで問題意識が熟しているのである。
 したがって冷静に見れば、そういう瞬簡に、ある刺激に接して「見え方」が一度に変わるのには必然性がある。偶然ではない。けれども、本人にとっては、それはあくまで奇縁であり、奇跡である。あのときに、あの風景、あの人、あの言葉に接したこそ、「見え方」が大転換したという記憶が、自分の生涯におけるささやかなひとつの奇跡として記憶されることになる。そういう奇跡の訪れは、生きるロマンの最高のものである。
(pp.233-234)
ロマンを感じられるようになるためにも、ボウリングを続けよう。

上達のプロセスがよくわかって面白かった。また、上級者の例として名人クラスの棋士が多く出てくる。将棋好きな人にはたまらないと思う。

また、この上達のプロセスは、スポーツや外国語習得、習い事だけでなく仕事にも共通するのではないかと思う。

読むべき人:
  • 何かに上達したい人
  • 上級者になりたい人
  • ロマンを感じたい人
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November 03, 2007

ウェブ社会の思想


ウェブ社会の思想―〈遍在する私〉をどう生きるか

キーワード:
 鈴木謙介、社会学、サブカルチャー、ネット、宿命論
社会学者によって「情報化社会で社会はどのように変化するか」「情報化の中を人はどのように生きていけばいいか」の2つの論点が示されている本。以下のような章になっている。
  1. ユビキタス――個人情報管理の社会
  2. バーチャル――越境する電子マネー
  3. 記憶と記録――データ化される「わたし」
  4. 宿命と成長(1)――島宇宙の外を生きられるか
  5. 共同性とマスメディア――「偏向報道」批判の背景
  6. 民主主義――グーグルが描く未来像
  7. 宿命と成長(2)――関係へと開かれる生
読了するまでにかなり長い期間を要したので、この書評はかなり断片的で恣意的なものとなることを了承いただきたい。

ウェブ社会が発達した現代では、Amazonを筆頭とするネットショッピングサイトおいて顧客情報や売上げなどがDBに管理され、そこからレコメンドシステムが作られている。それらは次にするべきこと、選ぶべき未来の選択肢を多く提示してくる。それらは今までに気づかなかった選択肢を提示してくれる半面、それ以外の未来(選択肢)がありえていたものが抜け落ちていくことに等しい。そしてその状況で、あたかも自分が意識的に選択してきたことと、前もってあらかじめ決められていたものであると受け取れることという矛盾が同時に起こることにもなる。そのような社会において私たちは宿命を求めるようになったのではないかと本書は示している。

宿命とは何かが示されている部分を抜粋。
 序章でも述べたように本書の主題のひとつは、この「システムによって自分に与えられた可能性以外の未来を選択できなくなること」という問題だ。左のドアを通ることさえできれば拓けたかもしれない未来が、システムによって閉ざされているために、はじめからなかったことにされる。そのようなことが、情報化と、それを前提に作られた制度・システムの中で、今後広がっていくのではないか。
 「ある可能性が開かれると同時に、別の可能性が選び得ないものになる」という現象に対して、私たちが、「この選択肢でよかったんだ」と思えてしまうような根拠付けのことを、本書では「宿命」と呼ぶことにしたい。
(pp.53)
自分の人生においても、一見選んできたように思えて、何も選択してこなかったのではないか?という側面が露呈してくる。今までの人生で自分が本当に選択をしたといいえる出来事は、就職先だろうと思う。けれどそれは確かに自分が選択したという意識があるが、就職先に影響を受けるのは出身大学、学んだ内容であり、それら自体は高校時代の成績、入試、偏差値でシステム的に峻別されており、結局、今の就職先も自分で選んだように思えて、選択しておらず、宿命論的にこの選択肢でよかったんだと納得させている状況なのではないかと思った。この本を読む前も、これでよかったんだよと何度も思い込もうとしていた。なので、この本に示されている宿命論は大変興味深かった。

さらに言えば、高校時代も中学時代の成績によって自動的に峻別され、中学は小学校に影響され、極論すれば貧富の格差が成績に影響を受け、格差はさらに親から継承しているという状況なのではないか。格差論も結局この宿命論にたどりつくのではないかと思える。

また落ち着いた頃にさらっと読み返してみる価値はあると思う。

読むべき人:
  • ウェブ社会についての問題に興味がある人
  • 宿命論が好きな人
  • 思想が好きな人
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August 02, 2007

未来形の読書術


未来形の読書術

キーワード:
 石原千秋、読書、未来、テクスト論、読者の仕事
日本近代文学が専攻の著者による、読書論。以下のような内容となっている。
  1. 本を読む前にわかること
  2. 小説とはどういうものか
  3. 読者はどういう仕事をするのか
  4. 「正しさ」はかわることがる
  5. 「読者の仕事」を探るための読書案内
未来形というのは過去形に対立するものである。人が本を買うときにその本が自分の既知のものであるか、もしくは面白くないと判断するとき、書いてあることが分かっているので過去形となる。そして本は自分を映す鏡であると考えると、自分が知らなければならないこと、分かっておかなければならないことが書いてあると思って読むとき、それは未来においてそのようにありたいと願う自分がいるということである。それこそが未来系の読書であると示されている。そしてその読み方こそが自分を発見させ成長を促すようだ。

2章は『電車男』は文学かという問いから始まる。結論を書けば、著者によると、『電車男』は文学ではないという背理法的に論証を進めていくと、『電車男』もまた文学になるようだ。そして物語の構造、小説の言葉についての作用、なぜ、小説は人を癒すのかという問いにまで発展する。

3章では、「自由」に小説を読むことの困難さが示されている。曰く、『羅生門』のような物語において、「下人が盗人になる物語」と「下人が追い剥ぎをする物語」という「悪」と「善」をテーマにした対立した読み方ができてしまい、どうしても自分の自我に触れ、自分の読みとは何か?そしてさらに自分とは何か、自分は一人ではないというところまで考えざるを得ない。こうしたことが小説を「自由」に読むことの困難さを生じさせるようだ。

4章では、東大の国語の入試問題などを基に、評論文などで昔は正しいことであると考えられていたことが、現代ではパラダイムシフトが起こり、それが正しいことではなくなっていることがあると示されている。そしてわれわれの思考方法には時代ごとの流行があり、その時代に必要な思考法を身につけることが現代においての教養であり、その教養を身につけるために評論を読むべきであると示されてる。なるほどなと思った。

ちくまプリマー新書は若い読者向けの新書で、ページ数がそこまで多くないが、ちくま新書にも言えることだが、内容がかなり濃い。学術的なテーマを多く扱っているからだろう。岩波新書とちくま新書を読むときだけは気合を入れなければ文をなぞるだけに終始してしまう。この本は電車の中で読んだので、テクスト論や二項対立、バルトの引用などの部分などの部分はあやふやになりそうだった。

構造主義やテクスト論、ソシュールの言語学的な部分も出てくるので、そこらへんの知識があればより理解がしやすいと思う。この本は読書のテクニック的なことは何も書いておらず、どちらかというと読書をする主体としての自分のほうをテーマに掘り下げられている内容である。最後の読書案内も、構造主義や二項対立など学術的なラインナップとなっている。

何気なく小説を読んでいると気付かないようなことを知ることができて満足した。

読むべき人:
  • 構造主義的な話が好きな人
  • 教養を身につけたい人
  • 小説を味わいたい人
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July 21, 2007

不安症を治す―対人不安・パフォーマンス恐怖にもう苦しまない


不安症を治す―対人不安・パフォーマンス恐怖にもう苦しまない

キーワード:
 大野裕、心理学、不安、社会不安障害、サイン
精神科医による不安について書かれた本。この本では主に「社会不安障害」という病気について書かれている。社会不安障害とは、『人と人が交わる場所に出たり、人前で何かをしたりするときに、強い不安を感じて、何らかなの具体的な差し支えが出ているような状態のこと』のようだ。人前でプレゼンしたり、人と食事をしたり、自己紹介時などで極度に不安を感じたり緊張したりする病らしい。最近になって、そのような緊張や不安が性格的な側面によるものではなく、精神疾患が原因であることが分かってきたようだ。

不安障害を抱える人は、うまく学校に適応できなかったり、結婚できなかったり、結婚しても離婚する割合が高かったり、就職が難しかったり、自傷・自殺率が高いなどの深刻な問題を抱えているようだ。また身体症状として以下のようなものが出てくるらしい。
  • 顔面、目・・・・・顔が赤くなる、青くなる 顔が硬直する 頭が真っ白になる 汗をかく めまい
  • 口、喉・・・・・声がふるえる 声が出ない 食事が喉を通らない 口が渇く 息苦しい 
  • 上半身・・・・・手足がふるえる 動悸
  • 腹部・・・・・・吐き気 胃腸の不快感
  • 下半身・・・・・尿が近い、出ない
自分も人前でのプレゼンとか自己紹介、スピーチ、発言が極度に苦手で不安を感じていることが多かった。小学生時のころは特に。だから、もしかしたらこのような病気だったのかもしれない。といっても、ここまではっきり症状が現れたことはなかったと思うが。今ではある程度慣れた。苦手なことには変わりないが。

このような不安障害に対しての治療法は主に二つあり、それは薬物療法と精神療法らしい。薬物療法はうつ病の薬などがよく効くらしい。そして興味深かったのは精神療法で、不安に対処するには不安に慣れるようにするシミュレーションをするとか、考え方を変えることが重要なようだ。それは認知行動療法であり、不適切な思い込みを現実的なものに変え、不安を感じるようなことを実際に体験し、恐れていたことが実際に起こらないのを体験し、不安和らげるという目的があるようだ。

あと、不安が強い人には、完璧主義者が多いようだ。自分も結構そんなところがあり、思い込みも激しく、常に不安にさいなまれている。

著者は一貫して、不安を完全に消し去ることは難しく、不安は生きていくうえで大切な役割を持ち、むしろ不安がなくなってしまうことによる危機意識の欠如が問題であることを指摘しており、不安との上手な付き合い方を示している。以下にその考え方がよく分かる部分を抜粋。
 不安になったときには、ちょっと立ち止まって、この不安な気持ちは、自分に対する何らかの「心のメッセージ」なのではないだろうかと考えてみてください。何を知らせ、何をアドバイスしようとしているのかと考えてみるのです。
 不安にとらわれるのは、誰にとってもつらくてイヤなものです。しかしそこで、不安な気持ちに含まれる「心のメッセージ」を受け止めることができれば、自分では意識していなかった危険に気がついたり、やるべきことを思い出したりできることがあります。これまでのライフスタイルを見直して、もっと自分らしい生き方を見つけていくこともできます。そうすれば、不安な気持ちは、私たちの大切な味方になってきます。
(pp.26)
不安にさいなまれる夜は、自分の内面をよく分析しようと思った。自分にとって不安は原動力でもある。

不安障害に特化した内容ではなく、日常生活のちょっとした不安の対処法なども載っている。腹式呼吸が有効なようだ。また、イラストも多く載っているので、難しい専門用語ばかりではなく読みやすい内容となっている。

どうしようもなく不安に陥ったときは、やはり精神科に行って適切に治療をするべきだなと思った。

読むべき人:
  • 人前に出るのが苦手な人
  • 極度の不安で抑鬱傾向の人
  • 孤独癖な人
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July 15, 2007

差がつく読書


差がつく読書

キーワード:
 樋口裕一、読書法、読むべき本、実読、楽読
小論文添削の専門家であり客員教授である著者による読書論。高校生のときに小論文対策としてこの著者の『読むだけ小論文』など読んだことがあった。他にも新書など読んだことある。そんな著者によるどのような本を読むべきか、どのように効率よく本が読めるかが示されている。読書論の中でもかなりよくまとまっており、間違いなく良書。

まず読書には『実読』と『楽読』の2種類のものがあり、実読は何かに役立てようとする読書で、楽読は楽しみのためだけに読む読書とある。そしてこの2つの読書をバランスよく行うことで地に足をつけた上で、深く考えることができ、現代社会でビジネスを行うにはこの2つは欠かせないものであると主張されている。ここはもっともだと思った。ビジネス書や技術書だけを読んでいると、人生とか内面の充実が不足し、かといって文学作品や思想書ばかり読んでいても現実社会から遊離してしまう。だから自分もジャンルを絞って読むのではなく、バランスよく読むようにしている。

実読の解説部分は小論文添削の専門家らしく、論旨の展開を重視した読み方が多い。また、本を全て読む必要はなく、精読するものとそうでないもをしっかり分けるべきとある。さらに、精読は多読を通して本の面白さを知ってからするべきとあってなるほどと思った。ここは自分が速読をして多読をする裏づけになる。また部分読でざっと読む方法が5つ示されている。
  1. アリバイつくり読み
  2. 独立読み
  3. 裏づけ読み
  4. 飛ばし読み
  5. 斜め読み
アリバイつくり読みとは、目次、前書き、後書きだけを読んでとりあえず読んだ口実作る読み方らしい。他はいろいろな読書論に語られている内容と大差はない。必要に応じて効率よく情報収集するのに役立つ。

また、実読後はその内容を情報発信して初めて意義を持つということから、本の内容を人に受け売りしたり読後感をまとめるとよいとある。本格的な読後感をまとめるときは千字から二千字程度で型を応用するとよいとある。以下にその部分を抜粋。
★第一部・・・・・・どんなきっかけでその本を読んだか書く。「人に勧められて読んでみた」「書評を読んで興味を持った」「図書館でたまたま見つけた」などだ。
★第二部・・・・・・本の内容を簡単に要約する。あるいは、もっとも気になった部分、最も感銘を受けた部分を示す。
★第三部・・・・・・その本から得たのがどのようなことか、どんなところがおもしろかったかなどを書く。
★第四部・・・・・・全体のまとめや、本全体についての評価。
(pp.100)
この部分は書評を書くときにとても参考になる。自分も書評を書くときにこれとほぼ同じような構造を意識して書いている。なので、自分の書評スタイルはそれほど間違ってははいないようだ。

楽読の部分では、好きな作家を一人追いかけていくべきで、徐々に読む範囲を広げていき、結果的に教養が高まってくると示されている。そして文学作品の鑑賞のポイントとしてストーリー、人生観、文体、テクニック、時代背景などの楽しみ方が示されており、どれも参考になる。

最後の章では著者が感銘を受けてきた100冊が紹介されている。古典文学作品から社会学系の作品まで幅広い。こういうのはとても参考になる。どのような本を読んできたから今のような仕事をしているのか、また考え方に至ったのかがよく分かるから。

あと、実読の心構えとして全ての本は良書であると考えることだある。どんな本もさまざまな読み手によって価値が見出され、それが良書になるようだ。そのため、書評サイトなどで神のごとく本の優劣を断定している行為は傲慢であると示されている。
きとんと自分の背丈にあった本を探して買うのが、読者の務めだと、私は思う。
 本について語るからには、あらゆる本に愛情を持つべきだと私は考えている。そうしてこそ、本を批判する資格を持つと思うのだ。
(pp.21)
ここは自分もそのとおりだなと思う。だから自分の書評ブログではよほどひどい本以外は肯定的に取り扱うようにしている。今後もここは戒律のごとく自分の内にとどめておこうと思った。

いつも自分の読み方はこれでいいのか気になるので、読書論をよく読む。速読するべきか、スローリーディングがよいのか。また、読書の意義を再発見するために。著者のように幅広く読んでいる人に触発されて、自分ももっと読みたい気にさせてくれる。これを機に一気に加速度をつけて博覧強記を目指すか。

この本はかなりバランスが取れており、良書なので、一読をお薦めする。

読むべき人:
  • 本の読み方について知りたい人
  • 本は全て読まなければならないと思っている人
  • どのような作品を読めばいいか知りたい人
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July 11, 2007

「世界征服」は可能か?


「世界征服」は可能か?

キーワード:
 岡田斗司夫、世界征服、組織論、特撮、社会学
エヴァンゲリオンで有名なガイナックスの創立者である著者による世界征服論。『ふしぎの海のナディア』の製作の佳境時に庵野秀明監督がため息交じりに「ところで、このガーゴイルって秘密結社は、なんで世界征服なんかしたいんでしょうね?」と言うところから著者の世界征服に対する疑問が沸き、そこから「世界征服とは何か?」、「悪とは何か?」ということまでシミュレーション的に示している内容。かなり熱中して単純に面白く読めた。以下のような展開となっている。
  1. 世界征服の目的
  2. あなたはどんな支配者か?
  3. 世界征服の手順
  4. 世界征服は可能か?
幼いころに世界征服を夢見た(著者もその一人らしい)人なら、この目次を見て興味をそそられないわけがない。

まず最初に、世界征服の目的がアニメや漫画、特撮物の悪役を参考に分類されている。
  1. 人類の全滅・・・ガミラス人
  2. お金が欲しい・・・・ドクロベエ
  3. 支配されそうだから逆に支配する・・・ジオン公国
  4. 悪を広める・・・ピッコロ大魔王
  5. 目的が意味不明・・・聖帝サウザー
なんともニヤニヤしたくなるラインナップwww。詳細は読んでからのお楽しみ。悪を広めるタイプのピッコロ大魔王は少数派らしい。

そしてその次に自分が世界征服をする場合に自分はどんなタイプかを知っておくのは損ではないとあり、それが簡単な4択から導かれる。以下の4つ。
  • Aタイプ:魔王 「正しい」価値観ですべてを支配したい
  • Bタイプ:独裁者 責任感が強く、働き者
  • Cタイプ:王様 自分が大好きで、贅沢が大好き
  • Dタイプ:黒幕 人目に触れず、悪の魅力に溺れたい
自分は間違いなくCタイプの王様。そこは動物占いが金ライオンらしく。豪遊生活をしたいし。このタイプはドラゴンボールのレッドリボン軍の総帥らしい。わがままになりすぎて部下や家族に裏切られる末路をたどるようだ・・・。

3章の世界征服の手順は、現実的に世界征服をしようと思ったら何をするべきかということが書かれている。最初に世界征服の目的設定をし、次にその理想を共有できる人材を確保し、資金の調達と設備投資をして秘密基地を作り、作戦と武装をしっかりおこない、部下の管理と粛清を悪役っぽくやったりする必要があるようだ。ここら辺はネタのような感じで一気に読める。どうも世界征服をするには異常に金がかかるらしい。金がなければ何も野望は達成できないことを示している。また、裏切り者に対する粛清なんかやっていては組織は破綻するとか組織論として読むと参考になる。

4章は現実世界の視点から世界征服の可能性、その意義が説明されている。世界征服はまず割に合わず、それを行うことで享受できる特権というものが現代の自由経済主義社会に何もないというが示されている。面白いもの、優れた製品などは市場原理に任せておいたほうが出現しやすく、征服をすることではその楽しみを得られないようだ。

最終的には、「悪による世界征服」とは、人々の幸福と平和=「現状の価値や秩序の基準」を破壊することと示されている。その始点から世界征服は可能とあり、現代での悪の組織は「経済優先ではなく、フェアネス・トレード」、「ボランティアによる非営利団体」、「ネットではなく、人と人との直接の交流」などを広めようとするような団体になるようだ。ここは一般的に異論があるところだろう。むしろこの定義を鵜呑みにするのではなく、自分なりに考えることが重要になると思う。悪とは何か?ということを。著者もそれを少し意図しているのではないかと思う。

著者の専門であるアニメなどの視点から現代の社会構造まで解説されていて、とても面白く読めた。ネタっぽいところは一気に読めて単純に楽しめるが、最後は結構考えさせられる。昨今の格差、階級社会を考えるのにも役に立つだろう。

読むべき人:
  • 世界征服に興味がある人
  • アニメ、漫画、特撮が好きな人
  • 社会学を学びたい人
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July 10, 2007

正しく生きるとはどういうことか


正しく生きるとはどういうことか

キーワード:
 池田清彦、社会学、リバタリアニズム、自由、恣意性
構造主義生物学が専門の著者による自由で平等な生き方ができるような社会システムを論じた本。表紙のキリンとは裏腹に結構極端な主張が多い。かといって、それに納得できないわけではない。なるほどなと思うことが多かった。

第一部は『善く生きるとはどういうことか』という内容で、第二部は『正しく生きるとはどういうことか』について。善く生きることとは、恣意的なフィクションとしての規範を勝手に選んでいるに過ぎないとある。なるほどなと思った。

各部の中に章がいくつかある。それらの中で気になったものを列挙。
  • 才能がない人、美人でない人、不治の病の人はどうすればよいのか
  • 平等というフィクション
  • 人はどこまで自由なのか
  • 自分のものとは何か
  • 富は再配分すべきなのか
  • あなたの命と他人の命
特になるほどなと思った不治の病の人についての部分を抜粋。
 人が生きているのはいつもただ一瞬の現在である。いつだって未来は不確定であり、一寸先は何が起こるかわからないのである。その意味では普通の人も不治の病の人も同じである。だから普通の人が楽しいのと同じ位不治の病の人も、人生を楽しめるはずである。
 もちろん、これは理屈である。世の中は理屈どおりにはいかない、そうあなたあはおっしゃるかも知れない。まさにその通りである。すべての人に通用するマニュアルはない。だから自分で考える他はないのである。余命いくばくもない人は、考えている間に人生が終わってしまうかも知れない。それもまた人生である。かけがえない、とはそういうことを言うのである。
(pp.116)
ここが一番印象に残った。その続きに人が生きるのは理由があるわけではなく自然にそうなっているからでしかないとある。著者の考えは無為自然的な部分が多くあり、よく言えば泰然としているが、ニヒリスティックにも聞こえる。

富の再配分の部分では、過度の経済的な不平等が人々の恣意性の権利を侵害するところに問題があるとある。極貧の家庭に生まれた子供は、他人の恣意性の権利を侵害しない限り何をしても自由であるという権利を行使することができず、労働で生きることを選ばない限り餓死するしかない。そうなってしまうと自由で平等な社会ではないので、ある程度結果不平等を許容範囲以下にするべきだとある。そのためには相続税をかなり高い割合に設定するべきだとある。そんなものかねと思う。結局は運でしかないと思うが。

他にも自分の命や体は自分と独立に存在するものではなく、自分の所有物のように譲渡や交換ができないことから、自分の命は自分のものにあらず、天に任されているとしか言いようがないと示されている。なんだそりゃ?と思うが、よく読んでみると、一応理屈は通っている。実際自分がそれを納得できるかどうかは微妙だが。

文庫版のあとがきの後に、解説の意味を含めて著者と養老孟司氏との対談が載っている。著者曰くこの本の内容は極論だと批判されたけど、その極論は最終的にこんな社会システムが想定されるよという例として意味があると述べている。そう考えれば、このような一連の主張も一つの考え方として面白いし、参考になった。

結局、完全な自由追求型ではだめで平等という観点も必要だという主張らしい。

読むべき人:
  • 自由に生きたいと思う人
  • 世の中の社会システムに疑問がある人
  • 正しく生きたい人
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May 13, 2007

読んでから死ね!名著名作


読んでから死ね!名著名作

キーワード:
 久我勝利、古典、名著、必読書、読書論
挑戦的なタイトル。生きている間に名作名著を読みたい、そしてその名作名著を読みきった後、自分だけの100冊を選びたいというような趣旨の本。以下のような内容となっている。
  1. 積読本を読了本に!
  2. はやく読むか、ゆっくり読むか―読書の達人たちに学ぶ
  3. 知の殿堂、岩波文庫を攻略する―読まずに死ねるか!古典・名著
  4. 私の岩波文庫読書録
  5. 大長編に挑戦する―『失われた時を求めて』を三ヶ月で読破する方法
  6. 幻の図書館をめぐる―アレクサンドリア図書館と桃華坊文庫
  7. 極私的読書日記
  8. マイ・ベスト100を選ぶ―「人生の必読書」の傾向と対策
  9. 付録 読書技法一覧
古典作品を多く解説しているというよりも、著者の読書論や面白い本の紹介がメインとなっている。

最初のほうで速読について触れられている。読書のスピードは読書量に比例するとあり、速読してたくさんの本を読むほうがよいとある。かといって速読に向かない本もあるので、見極めも重要だとある。また、速読の練習には新書がいいとある。

2章は岩波文庫に豊富にある難解な哲学書、思想、政治の本の読み方などが示されている。特になるほどと思ったのは難解書を読むときの鉄則。以下に抜粋。
  1. 哲学書は、時代の古いものから順番に読む。
  2. とくに哲学書・思想書の場合は、入門書を読んでから読む。
  3. 一字一句にとらわれない。
  4. 読書にルールはない。
特にカントの三大批判書などは普通に読んでも理解できるものでもないので、入門書を先に読み、また一部だけでも分かればよしとするべきとある。ここは結構参考になった。

長編に挑戦するという部分では、毎日ノルマを決める、文書のリズムと体のリズムをシンクロさせるといった方法が示されている。毎日25ページほどを1時間読んでいけば、『失われた時を求めて』は3ヶ月で読めるようだ。

最後のほうは、著者独自のマイ・ベスト100冊が示されている。主に岩波文庫に出てきそうな古今東西の思想書、古典、文学作品が示されている。100冊のうち、まだ自分が未読で読んでみようかと思ったものを列挙。
  • 『人生の短さについて』 セネカ
  • 『存在と時間』 ハイデッガー
  • 『戦争と平和』 トルストイ
  • 『城』 カフカ
  • 『豊饒の海』 三島由紀夫
決して著者が列挙している100冊のうち既読が多いというわけではない。なんとなく前から読もうかなと思っているものを列挙してみた。

タイトルの割には結構散漫な内容だなと思った。とりわけ古典作品を深く解説しているようなものではない。どちらかというと著者の読書体験を語っている随想のようなものなので、読みやすい。かといって、本当にここに列挙されているものそれぞれを読みたくなるかというと、案外そうでもないかもしれない。

世の中には自分の知らない本が多くあるのだなと思った。たくさん本が列挙されているけど、自分が既読なのは1割もないなと思った。もっと古典を読まなければと思わせてくれる本。

読むべき人:
  • 古典作品が好きな人
  • 教養を身につけたい人
  • 読書論が好きな人
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April 26, 2007

「悩み」の正体


「悩み」の正体

キーワード:
 香山リカ、悩み、精神科、瑣末、対処法
精神科医による悩みの対処法本。昨今では、些細なことでも悩みの種になり、本質的な本当に悩まなくてはならないことに悩みにくい社会になっているという内容。以下のような章になっている。
  1. 嫌われるのがこわい―人間関係編
  2. 無駄が許せない―仕事・経済編
  3. このままで幸せなのだろうか―恋愛・結婚・子育て編
  4. 老いたくない、きれいでいたい―身体・健康編
  5. いつも不安が消えない―こころ編
  6. まじめに生きてきたのに―社会・人生編
どれも大雑把に言えば、自分が悩む原因を自分のうちにだけに求めずに、社会が悪い部分もあるのではないかと考え直すことが重要だとある。例えば家庭内暴力に苦しむ人が自分が悪いのではないかと思っているのなら、その人が悪いのではなく暴力者が悪いのであって、警察や相談所に相談することでその悩みを解決できるといった感じ。他にも自分に自信がもてないという状況に関しては、自分が悪いのではなく自信がないと思わせる社会が悪いと思ってもいいのではないかと問いかける。

世の中の社会事象を反映するように、著者のもとにカウンセリングを受けに来る人が多くいるのだなと思った。どれも確実な解決策が示されているわけではないけど、読んでみると結構気が楽になる部分が多い。特に自分が印象に残った部分は、前向きになれないという悩みに対する考え方。以下に抜粋。
病やけが、憂鬱や挫折、シワや白髪などの老いは、誰にとってもできれば避けたいものであることはたしかだ。とはいえ、それは人間の生活から完璧には取り除けないものであると同時に、取り除かれなければならないものでもないはずだ。もっと言えば、苦しみや悲しみこそ人生の醍醐味なのだ、とその訪れを半ば歓迎することもあっていいはずなのだ。
(pp.136-137)
このように泰然と構えられるのならいいが、辛いものは辛い。思い込むことが重要なのだろうが。

どうでもいいが、岩波新書はまだ未レビューだった。意外だった。

読むべき人:
  • 苦悩する人
  • 生きにくいと思っている人
  • 考え方を変えたい人
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