随想、エッセイ

July 18, 2016

旅をすること

キーワード:
 小林紀晴、旅、写真、カメラ、文章
写真家によるエッセイ。以下のような目次となっている。
  1. 1 旅をすること―アジア
  2. 2 そのいい加減さに身をゆだねる決心をした―ニューヨーク
  3. 3 誰が正しくて、誰が間違っていて―映画
  4. 4 三つだけ残った段ボール箱―東京・その他の風景
  5. 5 その盆地の中でその祭りの年に生まれた―諏訪
  6. 6 世界がささやかだけど違って見える―写真
  7. 7 『深夜特急』の熱心な読者だった―本・写真集
(目次から抜粋)
西新宿のブックファーストのフェアでおすすめされていたのが目に留まって買った。旅成分が自分には足りない、旅に出たいというような気分だったので。そして先日の黄金週間中に香港・マカオ旅行中のお供として持って行って、飛行機の中や帰りの飛行機が整備不良で欠航になって急きょ延泊したホテル(無料)で読んでた。

著者は写真家として若いころは写真学校に通い、そのあとアジアを旅しながら写真を撮り、911前後のニューヨークに住んでいたりもしたらしい。著者の生い立ちから写真に興味関心が出るまで、そして見た映画や読んだ本についていろいろなことについて飾らない文章で語られている。

著者のことは何も知らない状態で読んだ。写真家としてどんな作品があるのか、何をメインで撮る人なのかも知らないし、どういうバックグラウンドを持つ人なのかも知らなかった。それでも、読んでいると飾らない文章が心地よい気がした。海外、国外のいろいろな場所で、大小さまざまな事件や日常のちょっとした出来事に関して、著者の考えや志向性が垣間見える。先入観もなく読み始めて、そういう全く知らない人の意見や考え方、日常生活の気づきなどが得られるのがとてもよかった。

前半部分は一つのタイトルで2,3ページ(長くて10ページほど)で、ニューヨーク滞在時に語学学校に通っていた時のクラスの人たちや写真仲間たちとのやり取りが示されている。それが上質な短編小説を読んでいるような感じでもあり、短い文章の後に不思議と余韻が残るような感じがして、そのテーマについて自分ならどう考えるか?と自然と思索をさせられる感じだった。もしくは自分自身ならそのような出来事をどうとらえるか?といったことなども考えさせられる。そういうのがエッセイを読む効用というか、どこかで期待していることのように思えた。

テーマは旅でもあり、写真でもあるので、自然と写真を撮りたくなる。もちろん香港・マカオ旅行中はデジカメ(コンデジ)を持ち歩いて撮りまくった(700枚ほど)。撮っているときはこれはうまく撮れた‼と一人で納得しているのだけど、帰ってきてからPCの大画面で見てみるとピンボケしてたり、構図がいまいちだったり、撮りたかったものと微妙に違っているのが大半だったりして、自分が良いと思う写真を撮るのは毎回難しいなと思わされるのであった。

写真を撮るのが好きな人はいろいろと参考になると思う。撮り方などテクニックみたいな話は全く出てこない。著者が写真にはまるきっかけなどや、何を撮ってきて、写真をどうとらえてきたのか?などの考え方が参考になると思う。また、旅でもあるので、いろんな場所でいろんな人と出会うのが好きな人にも共感できることだろう。あとは、エッセイが好きで、飾らない、短編小説のような文章が好きな人にもよいと思う。

ページ数は多めなので、じっくりと日常生活の合間、もしくは旅の途中の休憩時間、移動時間に読むとより堪能できる。



おまけ。
sky100
香港・マカオ旅行中で唯一一番よく撮れたと思う写真。sky100というビルの展望台から。



旅をすること
小林 紀晴
エレファントパブリッシング
2004-10

読むべき人:
  • 旅行が好きな人
  • 上質なエッセイを読みたい人
  • 写真家になりたい人
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March 13, 2016

村上春樹 雑文集

キーワード:
 村上春樹、雑文、小説家論、牡蠣フライ、物語
村上春樹のさまざまな種類の文章がまとめられた本。内容詳細は新潮社のページが一番わかりやすいので、そちらを参照。群像新人賞の受賞のあいさつから数年前話題になったエルサレム賞の『壁と卵』の全文、ジャズの話、しょうもないギャグ的なフィクション、翻訳について、にしん、アイロンのかけ方までいろいろ雑多な文章が1冊になっている。短い文章から割と長い文章まで。

以前図書館通いをしていたときに、これは借りて読もうと思っていたら昨年に文庫化されたので買った。特に村上春樹のエッセイなどはかなり好きな方なので、大体は読んでいる。すべてではないと思うけど。本書に収録されている文章は種類が多く、書かれている対象が多岐にわあり、全体像をまとめて紹介しようと思うとぼやけてしまうので、特に印象に残ったところだけを簡単に紹介しておこう。

その一つが一番最初の文章である『自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)』について。これは小説家とは何か?というテーマに関しての文章となっている。細かい内容は省略するが、「自己とは何か?」について小説家は物語の形に置き換えていくことを日常の仕事にしているようだ。そしてあるとき読者から就職試験で『原稿用紙四枚以内で、自分自身について説明しなさい』という問題が出てしまい、自分自身を説明できなかった、村上さんはどうしますか?という質問が来た。

それについて以下のように回答している。一部抜粋。
自分自身について書くのは不可能であっても、たとえば牡蠣フライについて原稿用紙四枚以内で書くことは可能ですよね。だったら牡蠣フライについて書かれてみてはいかがでしょう。あなたが牡蠣フライについて書くことで、そこにはあなたと牡蠣フライとのあいだの相関関係や距離感が、自動的に表現されることになります。それはすなわち、突き詰めていけば、あなた自身について書くことでもあります。それが僕のいわゆる「牡蠣フライ理論」です。今度自分自身について書けと言われたら、ためしに牡蠣フライについて書いてみてください。
(pp.25)
別に牡蠣フライではなくてもメンチカツでも海老コロッケでもよくて、単に著者が牡蠣フライが好きだからのようだ。そしてそれは「牡蠣フライについて語る、故に僕はここにある」ということにつながるようだ。

奇しくも僕も牡蠣フライが大好物で、冬季はほぼ週1回ペースで牡蠣フライを食べている。そしてここを読んだ当時はまだ休職中で今後の方向性について模索していた時だったので、自己とは何か?と自問自答していた時でもあった。牡蠣フライについてぜひ書くべきだ、と催促されたような気がした。ということで、自分なりに牡蠣フライについて書いた。例え好物の牡蠣フライについて書くといっても、原稿用紙4枚以内に抑えて書くのはなかなか難しいものだと思った。雑記ブログに書く文章はたいていはそんなに推敲はしないのだが、この文章は日をまたいで推敲を重ねた。それだけ間接的に自分自身について書くことは、なかなか難しいということを体感した。

この牡蠣フライ理論の話の文章そのものは、ここだけを読むと漠然としすぎてよく分からないと思うけど(恣意的に取り上げているだけだし)、この本全体に通じる村上春樹の思考の核の片鱗を示すような重要な文章なので、ここだけのために本書を買って読む価値はある。もちろん牡蠣フライ好きな人ならなおさらだ。

雑多な文章が短いページ数で区切られているので、電車の中で読むのに割と適していた。もちろん、家でリラックスしながらジャズとかかけて、ソファにゆったりと座り、サイドテーブルにウィスキーを準備して読むのもいいと思う。僕はジャズもウイスキーもそんなに詳しくないけれど、まぁそんな雰囲気で。



村上春樹 雑文集 (新潮文庫)
村上 春樹
新潮社
2015-10-28

読むべき人:
  • 雑多な文書で気分転換したい人
  • 正しいアイロンのかけ方が知りたい人
  • 牡蠣フライが好きな人
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February 28, 2016

帝国ホテル厨房物語

キーワード:
 村上信夫、フレンチ料理、自伝、仕事、フルコース
帝国ホテルでフレンチシェフとして働いていた著者による自伝。以下のような目次となっている。
  1. 1 十二歳の旅立ち
  2. 2 元気な小僧、調理場に立つ
  3. 3 日本一の調理場へ
  4. 4 戦場のカレーライス
  5. 5 料理人として再出発
  6. 6 至高の味をパリで学ぶ
  7. 7 料理長は大忙し
  8. 8 帝国ホテルの味を守って
  9. 9 終わりに―夢持ち続けて
(目次から抜粋)
本書は日経新聞の『私の履歴書』の連載が書籍になったもので、著者は18歳から帝国ホテルで働き始め、専務取締役総料理長まで上り詰められたフレンチシェフとしての一生が自伝的に示されている。以下の本でプロフェッショナルの本質が学べる本として取り上げられており、気になったので買って読んでみた。最近はこの本が次に読む本のハブになっている。

著者は、1921年に神田の食堂で生まれるが、12歳ごろには両親を早くに亡くし、自立する必要に迫られて、洋食の軽食やお菓子を出す「ブラジルコーヒー」というところで住み込みで働き始めるところから料理人人生が始まる。そこから18歳になって運よく帝国ホテルに移って鍋磨きから始め、専務取締役総料理長までに至るまでの過程が、著者の示すようにまさに人生はフルコースという感じで波乱万丈である。

終始著者ならではの体験による面白いエピソードやフレンチシェフ、料理人として示されている鉄則などがとても勉強になり、それぞれたくさん線を引いた。それらをたくさん引用して紹介したいのだけど、あまりにも多すぎるので、控えめにしたい。

著者は帝国ホテルのシェフで出世すると同時に、日本のフレンチ業界を近代化した功績を残される。例えば、大型冷凍庫をうまく活用し、冷凍食材で調理工程の効率化を図ったり(しかもそのヒントを戦時中のシベリア勾留時に得たとか)、それまで帝国ホテルには共有されるレシピがなかったが、著者の働き掛けでレシピを共有し、それを今風にアレンジしていったり、NHKの「きょうの料理」に出演することで高級なフレンチを家庭料理にまで浸透させるきっかけになった。

また、後進の育成時には、楽しく働けるのが一番であるということもあって、私的鉄拳制裁の禁止で言葉で丁寧に教え、よいところを褒めていくという人材育成方法を取っていたらしい。さらに感情的にものを言ったり、怒鳴り散らしたりしないようにしていたのは、料理の味付けに影響するとのこと。なので、後輩には「朝、出社前に、奥さんとケンカするなよ」とアドバイスをしていたようだ。人財育成的な観点からもとても勉強になる。

さらに東京オリンピック開催時には選手村の料理長に就任したので、一度に大量の食事を作る必要があり、そのためにはも多くの料理人たちと協働する必要がある。それぞれの料理人の流儀があるが、調理手順を統一し、百人単位の大量調理マニュアルを作り、食味上の指令を徹底し、職場間の連携にも気を配り、効率的に無駄なく運営するシステム作りもされたようだ。大プロジェクトのマネジメントの観点からも学べる。

以下特に勉強になった部分をいくつか引用しておこう。
どんなことでも十分に準備しておけば混乱はしないで、お客様に喜んでいただけることも分かった。事前の用意や段取りがとても大事なのだと、身に染みて感じた。私はそれから、「段取り八分」が口癖のようになった。事前に用意しておけば、八割方は成功という意味で、たとえ小さな仕事でも、周到な準備が何よりも大切ということを協調している。
(pp.163)
いつも準備ができずに結果的になんだか微妙なことになるので、これは意識的に変えていきたい。といいつつも、完全に準備ができるまでやっていたらチャンスを逃すという側面もあるのだけどね。

また、若い料理人へのアドバイスとして以下のように示されている。
 若い料理人に与える言葉は何か、とよく聞かれるが、私は何よりもまず、「欲を持て」ということにしている。そして、もう一つの助言は、「急ぐな」である。
 流行に追われ、先を走りたがる若いコックが多いが、最も大事なのは基本だ。基本に尽きる。それをおろそかにして、目先の流行ばかりを追いかけていると、必ず中途半端になって、お客様に飽きられる。焦らず、慌てず、じっくりと一生懸命に勉強することだ。そして、現場を踏み、経験を重ねながら、お客様が喜ぶ料理を絶えず考え続け、工夫することが大事だ。
(pp.203-204)
ここは『料理』を変数として、自分の仕事に置き換えて考えておきたい。また、流行ばかりを追いかけていると、流行に左右されない真髄を見落としがちで、結局うまい料理は時代はやりを超えて生き残る、というのが著者の料理人人生の結論と示されている。

あと一つ最後に左右の銘についての引用しておこう。
 私の座右の銘は、「果報は寝て待て」をもじって「チャンスは練って待て」。コック人生は幸運の連続だった。人にも恵まれた。しかし、それは準備し、努力した結果でもある。新館料理長になって数年後から三十八年間、帰宅してから一日一時間、料理の勉強を欠かさない。八十歳の今も練って待つ夢があるのは幸せだと思う。
(pp.226)
著者の不断の努力は見習いたいと思うと同時に、今までの自分の勉強不足を反省せざるを得ない。

全体を通してまず感じるのは、著者の料理人としてのひたむきな姿勢、貪欲に研鑽を怠らない意識、そして常に前向きな考えや、謙虚で人柄の良さが現れているところだろう。料理人としての実力や文章からにじみ出るような人徳もあわさって、若くして総料理長に抜擢されていったのだと思われる。やるべきことをしっかりやって、努力を続けていれば必ず誰かが評価してくれて、よい方向性に導かれていくのだなと思った。

これらは料理人だけではなく、他の職業の人、一般的なサラリーマンにとっても学ぶべきことがとても多い。また特に僕のように明日の方向性も分からないときに、どうしようか?と道に迷っている人にとっては、何か方向性のヒントが得られ、元気な気持ちにもなれるし、何よりも著者のように身の引き締まる境地で明日からも仕事を頑張ろうと思える。

帝国ホテルで著者のフレンチ料理を食べてみたいと思わされるが、残念ながら10年ほど前に亡くなられているようだ。しかし、著者の料理の神髄を受け継いだシェフたちが今も働いているはずなので、いつか帝国ホテルでフレンチを食べたいと思う。

どのような職業の人であろうと本書を読んで何も学ぶこともなく感じることもない、ということはあり得ないほどに中身が濃く、そして著者のフレンチシェフの一生としての自伝としても面白くかつとても勉強になる良書だった。




読むべき人:
  • フレンチの料理人
  • フランス料理が大好きな人
  • 自分の仕事の方向性を見失っている人
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October 15, 2015

案外、買い物好き

キーワード:
 村上龍、買い物、海外、シャツ、ライフスタイル
村上龍の買い物エッセイ。2003年から2007年に雑誌連載されていたものが書籍になったもの。海外でいろいろなもの、例えばイタリアでシャツ、自転車バイク、マウイ島でゴムぞうりや新宿のホテルのセレクトショップでジャケット、ソウルのデパ地下のお菓子などなどいろんなものを買った経験について3ページごとに語られている。

村上龍の本は『新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)』くらいしかまともに読んだことがなかった。他にもいろいろエッセイがあるけど、それらはなんだか時代錯誤というか、いろいろ物議をかもしそうな内容のものが多いらしく、そういう過激!?なものは置いておいて、もっとわかりやすくて読みやすくて関心がもてそうなものを図書館で発見して借りた。ということで、また図書館で借りたエッセイ。

村上龍はサッカーの中田英寿選手と親交があったことから、たびたびサッカー観戦のためにイタリアを訪れていたようだ。そしてイタリアの街にいる男たちを見ていると、みんな長袖のシャツを着ており、どうやらイタリアの男のファッションの基本はシャツにあるということに気づき、ファッションにまったく興味がなかったところからシャツに目覚めたらしい。あるときなどはミラノのシャツ屋に行き、25分間で13枚も買いこんだとか。ちなみにイタリアの男の基本はブルーのシャツらしい。やはりブルーがいいね。

ネクタイとシャツのシミュレーション」というタイトルのものでは、24歳で群像新人賞をとるまでネクタイなんかしたことがなくて、ネクタイなんかしている人間は全員頭がおかしいと思っていたらしいが、好きなシャツのためにネクタイを締めるようになったようだ。そして、イタリアシャツはほとんどがブルー系のストライプかチェックなので、ネクタイ選びが楽しいらしい。朝起きて寝室の衣装ケースからシャツとネクタイを組み合わせて、さらにスーツと合わせるのが日課らしい。しかし、スーツを着る機会は基本的にテレビ出演時のみで、小説執筆時は普通にTシャツなど楽な格好なので、シャツを着る機会が少なくて残念とか。

ネクタイとシャツのシミュレーションは割と楽しいので共感できる。シャツに目覚めるのも分かる。自分のシャツのサイズは首回り36cm、袖丈84cm、肩幅45cmなので、既製品ではまずサイズがない。なので、まともにしっくりくるシャツはオーダーしかない。ということで、以下の本を参考に伊勢丹でオーダーしたらすごくよかった。今まで着ていた既製品のシャツは一体なんだったんだ!?というくらい着心地がよかった。シャツがよいものになると、それに合わせるネクタイ選びもいろいろあれこれ考えて買いたくなるね。基本はドットと無地しか買わず、レジメンタルは避ける。締め方はディンプルが一番優美な形になるダブルノットのみ。

一生の間続くいい気分」というものでは、小説家らしい内容である。長編小説を何年も書いてきて、それが脱稿した後は感慨もなく、高揚感も喜びの興奮も一切ないらしい。しかし、非表に静かでしっかりとした充実感や達成感が1ヵ月は続くらしい。執筆前には箱根の別荘の付近の成城石井でチーズやコーヒー、ヨーグルトや蜂蜜、肉まん、クッキーをよく買いこんでいたので、脱稿後にそれらを見ると不思議な実感がわいてくるらしい。執筆中は別荘で缶詰め状態なので、ひげが伸びっぱなしで、浮浪者みたいに見えるらしく、近所のスーパーに行くと周りから不審人物のように見られるらしいのだけどw

初めての大きな買い物は、『新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)』がベストセラーになった印税で得た100万円をおろして買ったステレオセットらしい。ちなみに、「限りなく透明に近いブルー」は寝食を忘れて1週間で書き上げたとか。なんだ、天才か、と思った。

買い物ネタの他に、ミラノ、ローマ、パルマ、フィレンツェなどのイタリアの各都市、パリ、上海、ソウル、ハバナ、マウイ、フランクフルトなどに訪れた時の雑感などが書き下ろしで追加されている。各都市いろいろな特徴があるようだ。例えば、フランクフルトのブランド店はどこも控えめで「マルティン・ルターの宗教改革を生み、実質剛健が自慢のドイツでこんなに贅沢で高価なものを売ってごめんなさいね」という雰囲気が店内に満ちているらしい。行って確かめたくなる。

村上龍はなんというか、個人的な先入観では武勇伝を語ったり、もっと突飛な感じがする印象があった。しかし、この買い物エッセイを読んでみると、あまり肩肘を張らずに自然体で、男性作家のエッセイにありがちな虚栄心のようなものは全くなかった。ありのままの買い物感をさらけ出しているようで好感が持てた。

海外に行って、買い物を楽しみたくなる感じだった。特にイタリアでシャツを買いたくなる。




読むべき人:
  • 買い物が好きな人
  • 小説家のライフスタイルを知りたい人
  • 海外旅行が好きな人
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October 03, 2015

職業としての小説家


キーワード:
 村上春樹、自伝、小説論、意志、開拓
村上春樹の自伝的な小説を書くことについてのエッセイ。以下のような目次となっている。
  1. 第一回 小説家は寛容な人種なのか
  2. 第二回 小説家になった頃
  3. 第三回 文学賞について
  4. 第四回 オリジナリティーについて
  5. 第五回 さて、何を書けばいいのか?
  6. 第六回 時間を味方につける──長編小説を書くこと
  7. 第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み
  8. 第八回 学校について
  9. 第九回 どんな人物を登場させようか?
  10. 第十回 誰のために書くのか?
  11. 第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア
  12. 第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出
    あとがき
(目次から抜粋)
村上春樹の作品の最初の出会いは高校卒業直後の18歳のころだった。何とも言えないもやもやしたいろんな気持ちを抱えて、何でか忘れたけどどこかのお勧めとして『ノルウェイの森』を近所の書店で読んだ。イスと机があるような大型書店だったので、ほとんど座り読みでタダ読みしてしまったのだけど。それまで上下巻のような長編小説をまともに読んだことがなかったのだけど、むさぼるように読んだ。読み終わって何とも言えない達成感とカタルシスのようなものを内に抱いていたと思う。それから読書、特に小説を読むきっかけになって、こんな読書ブログを書くまでになった。

ということで、村上春樹というのは僕にとっては別格というか、特別な作家に間違いない。長編作品をすべて読んだ作家は、安倍公房と村上春樹しかいない。それくらい村上春樹の作品というのは、自分の中での小説の一つの基準のようなものになっている。そして、大抵の主人公たちは、よく分からない出来事に翻弄され、超現実的な存在や悪と対峙せざるを得なくて、喪失感とどこか失望を抱いてハッピーエンドに結末を迎えない。そういう不思議でよく分からないものが出てくる物語がとても好きというか、自分にとてもあっていたのだと思う。

さて、本書は、著者が小説を書くことに関するこれまでの作家生活35年に渡る集大成みたいなのものが示されている。確かにそうだと思った。ところどころ他の本に示されているようなこと、例えばよく出てくるのは、ヤクルトスワローズの試合を神宮球場の外野席で見ていた時に、天啓のようにそうだ、小説を書こうと思って小説を書いて、夜な夜なキッチンで書いていたとか、ジャズバーを経営してた時に大変だったとか、お金がなくてちょうど3万円必要なときに道端で拾って借金を返せたとか、7年くらいかけて早稲田大学を卒業したといった小ネタなどが出てくる。

しかし、小説の書き方、これまでどのようにして小説を書いてきたのか?、そして自作について何を意識して書いてきたのか?、さらには小説家になるために何が必要か?といった、他の本にはほとんど書かれていなかったことが書かれている。これは一ファンとしてはとても興奮するというか、ずっと読みたかったような内容が書かれている!!!と思った。ついつい蛍光ペンで線を引きまくった。

例えば、まずデビュー作はとなった『完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望というようなものが存在しないようにね。』と始まる『風の歌を聴け (講談社文庫) [文庫]』は、小説の書き方も分からない状態だったので、感じたこと、頭に浮かんだことを好きなように書いていたらしい。その時に「普通じゃないこと」を意識して、最初は英語で書いていて、そこから何も難しい言葉を並べなくてもいいんだと気付いたというエピソードがあった。これは知らなかった。

また、小説家に必要な資質は、小説を書かずにはいられない内的なドライブ、長期間にわたる孤独な作業を支える強靭な忍耐力が必要とある。小説家になるためには、とりあえずたくさん本を読むことで、次は書くよりもまず自分が目にする事物や事象をとにかく子細に観察する習慣をつけること、素早く結論を取り出すことではなく、マテリアルをできるだけありのままに受け入れ、蓄積すること、さらには長期間書くためには心は強靭にしておき、そのためには入れ物である体力を増強し、管理維持することが不可欠とあるようだ。ここら辺はそうやってこれまでの作品を書かれてきたのだなと分かってよかった。

個人的には村上春樹の生活スタイルにあこがれを抱いてしまう。早朝の日の出くらいから起床し、コーヒーを飲みながらそこから執筆を開始し、5,6時間かけて10枚書く。それ以上書けてもきっかり10枚でやめて、午後からは泳いだりランニングしたり、読書をし、夜は早目に就寝し、それを毎日淡々と続ける。締め切りに追われるのではなく、自分に合ったスケジュールで自分の好きなように書きたかった、とあった。とても自由な感じで羨ましいなと思った。僕もそんな生活をしたいなと思った。まぁ、休職という期間限定で半分実現してはいるけど、ずっとは無理だな。

本書で特に参考になったのは、「第十回 誰のために書くのか?」で、いろんな人が読んで好き勝手評価するのだから、それらを全部納得させる作品など書けっこないので、自分の書きたいものを書きたいように書いていこうと考えられたようだ。そこに続く以下の部分が特になるほどと思った。
 もちろん自分が楽しめれば、結果的にそれが芸術作品として優れているということにはなりません、言うまでもなく、そこには峻烈な自己相対化作業が必要とされます。最低限の支持者を獲得することも、プロとしての必須条件になります。しかしそのへんさえある程度クリアできれば、あとは「自分が楽しめる」「自分が納得できる」というのが何よりも大事な目安になってくるのではないかと僕は考えます。だって楽しくないことをやりながら生きる人生というのは、生きていてあまり楽しくないからです。そうですよね?
(pp.254)
暇で今後の自分の仕事を含めての生き方をどうしようかな〜?と模索している身としては、これはやはりそうだよね、と納得した。もう好きなことして生きていってもいいじゃないか!?と。そういう小説に限らない仕事の考え方、生き方もとても参考になる。

小説家になりたい人はぜひ読んでみるといいのではないかと思った。ただ、著者も示すように、自分のやり方を書いただけで一般化できないかもしれないとあった。まぁ、そうだよねと思う。このやり方を踏襲してどれだけの人が小説家になれるんだろうか?とも思った。

小説家は身近な職業ではないし、知り合いにもほとんどいないし、なんだか不思議な職業だったりする。作品を発表しても酷評されたりもするけど、著者はそれでも常に全力投球していて、プロ意識が高く、常に作品を書くときに新しいことに挑戦されていたりする。日本だけにとどまらずにアメリカをはじめとして、再度新人のような状態で海外展開を独自に考えてやっていったということも書いてあった。そういう部分もとても勉強になった。

何というか、本書は映画DVDなどの特典映像に監督の作品解説とかメイキングシーンが含まれているような本だと思った。好きな映画だったら、そういう監督や脚本家が何を意識して映画を作っていたのかが分かったりするととても面白くかつ興味深く見れるし。そのような内容を読者に語りかけて講演をするように、そしてわかりやすくかつ面白く示されていた。

読んでよかった。大満足だ。



職業としての小説家 (Switch library)
村上春樹
スイッチパブリッシング
2015-09-10

読むべき人:
  • 村上春樹の作品が好きな人
  • 小説家になりたい人
  • 仕事や生き方を模索している人
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October 01, 2015

困ってるひと

キーワード:
 大野更紗、難病、エッセイ、ビルマ、生きる
難病を患った著者による闘病エッセイ。以下のような目次となっている。
  1. 第一章 わたし、何の難病?──難民研究女子、医療難民となる
  2. 第二章 わたし、ビルマ女子──ムーミン少女、激戦地のムーミン谷へ
  3. 第三章 わたし、入院する──医療難民、オアシスへ辿り着く
  4. 第四章 わたし、壊れる──難病女子、生き検査地獄へ落ちる
  5. 第五章 わたし、絶叫する──難病女子、この世の、最果てへ
  6. 第六章 わたし、瀕死です──うら若き女子、ご危篤となる
  7. 第七章 わたし、シバかれる──難病ビギナー、大難病リーグ養成ギプス学校入学
  8. 第八章 わたし、死にたい──「難」の「当事者」となる
  9. 第九章 わたし、流出する──おしり大逆事件
  10. 第十章 わたし、溺れる──「制度」のマリアナ海溝へ
  11. 第十一章 わたし、マジ難民──難民研究女子、「援助」のワナにはまる
  12. 第十二章 わたし、生きたい(かも)──難病のソナタ
  13. 第十三章 わたし、引っ越す──難病史上最大の作戦
  14. 第十四章 わたし、書類です──難病難民女子、ペーパー移住する
  15. 第十五章 わたし、家出する──難民、シャバに出る
  16. 最終章 わたし、はじまる──難病女子の、バースデイ
(目次から抜粋)
以前から気になっていた本で、図書館にあったので借りて読んだ。なんかいろいろスゴイと思った。

著者は上智大学に通いながらビルマの難民支援活動を積極的にやっていたところ、原因不明の病気になってしまう。常に38度以上の発熱があり、節々が痛く、杖をついて歩かなくてはいけないという状態にまでなり、いろいろな病院に行って検査をするも、原因が分からず。たらいまわしにされてある病院で診察してもらったところ、自己免疫疾患の一種である皮膚筋炎および筋膜炎脂肪織炎症候群と診断されて、通称オアシスと呼ぶ患者を大リーグ養成ギブスで鍛えるような病棟で9か月の入院、退院までがエッセイ調に示されている。

何というか、読んでいてとても辛い感じだし痛々しいなと思った。痛々しいというのは著者が受けた検査や病状の話で、麻酔があまり効かない状態で筋肉を切り取られたり、骨髄の髄液を取る検査では釘のようなものを刺されるし、おしりが腫れてそこから膿とかが1リットルくらい流れ出て激痛だったとか…。

他にも病状としては24時間365日インフルエンザに羅漢しているようなしんどさで、筋力も体力も免疫力もなく、ステロイドの影響で感染症や怪我に気をつけなくてはいけないし、紫外線も浴びれないし、皮膚や体の組織が弱っているので洗剤などにも触れられないらしい。

著者は入院中に最初のほうはステロイド(商品名はプレドニゾロン - Wikipedia)を1日60mgも服用していたらしい。そして全身痙攣、体が動かせず、話せずな危篤状態に陥ったらしい。さすがに1日60mgはきついだろうなと思った。なぜなら僕も現在進行形で同じものを服用しているからよく分かる。とはいえ、今は少し量が増えて2日に1回20mg(1錠5mgを4錠)で、過去最高でも1日30mgしか飲んだことはないけど、ただでさえ少量でもうんざりするような副作用があるのだから、60mgは発狂しそうなほどだろうなと思った。(これを書いている今も微妙に副作用で気持ち悪くて(^q^)な感じw)

後はいろいろと難病認定を得て公的な援助を得るためには山ほど書類を書いたりしなくてはいけないし、役所にいろいろと手続きがあって大変そうだなと思った。難病といってもいろいろと認定されたりされなかったりで、公的制度としても完全ではないのだなと思った。僕もいつかお世話になる可能性があるので、今からどうしようか?割と真剣に考えておく必要がありそうだ。あとはどうしてもお金がたくさんかかるのも大変そうだなと思った。

読んでいてとても大変そうだなと思う反面、どこか面白いと思って読んでいた。別に著者の境遇が面白いというのではなく、著者を取り巻くいろんな先生がいたり、出来事があったり、ノリツッコミがあったり軽快で悲壮さをあまり感じさせない文体で一気に読めた。

著者ほどではないけど、完治しない病気を患っていると、何でこうなったんだと?思う。でもなってしまったのだから、これからどうしようかとサバイバルするしかないなと。たまたま『難』のくじを引いてしまっただけで、生きるのがしんどくなって、希望もなく絶望してしまうのもよく分かる。でもほんの少しのきっかけで生きていけると決意する部分も共感できた。

著者にとっての生きていける希望は、同じ病棟で難病を患っていた電車の乗り方も分からなかったけどDIYが得意な人との出会いだったらしい。デートしたいという純粋な気持ちで退院して生きていきたいと。そういうのはいいなと思った。恋愛は生きる希望になるなと。見習おうと真面目に思った。

あと個人的には病んだ時にお勧めの本は以下だね。病気は何らかのメッセージというのがなんだか救いがあった。

余談だけどちょっと自分の病状が若干悪化しているので今日から実質休職になる。なので本書を読んでみたわけだ。著者は84年生まれと同世代だし、自分よりももっとしんどい難病を患っている人の話は何か生きていく上でヒントがあるかなと思って読んだ。読んで面白かったし、いろんな人の助けがあって生きていけるのだなと思った。僕も誰かの助けが必要になるときが来るかもしれないので、それまでは「情けは人の為ならず」を実践しておけば、きっと誰かが助けてくれるだろうと期待している。

あとは本書を読んで自分もがんばろう!!と思う反面、いやいや、がんばるのはもうよそうと思った。がんばらなくてはいけない局面はあるけど、常時がんばる生活に疲れたというか、がんばらなくても楽に生きられる道を模索したいと思うこのごろ。

本書を読めば共感できる部分も参考になる部分も、反発を覚える部分もあるかもしれないが、何かしら生きること死ぬこと、そういうものをいつもよりも深く考えられると思う。いきなり難病を宣告された人が本書を読める境地になれるかはわからないけど、病んでしまったら、もしくは病む前にいろいろな意味で保険として読んでおくのもありな本だった。



困ってるひと (ポプラ文庫)
大野更紗
ポプラ社
2012-06-21

読むべき人:
  • 難病を患ってしまった人
  • ビルマなどの難民支援に関心がある人
  • 生きるのがしんどいと思っている人
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September 19, 2015

ぼくは本屋のおやじさん

キーワード:
 早川義夫、本屋、奮闘記、客、仕事論
元ロックミュージシャンが書店経営を22年間やった奮闘記エッセイ。単行本は1982年に出版され、この文庫版は2013年と出版となる。

著者は23歳のときにロックグループを辞めて、生活のことを考えた時に本屋を始めることになった。その動機も単純で、会社勤めが向いていないようなので、店は小さく、たばこ屋兼本屋みたいな、できれば、好きな本を集めて、あまり売れなくてもいいような、ネコでも抱いて1日座っていればいいようなのどかで楽なものを夢見ていたようだ。しかし、やってみると現実は全然違って大変だった、ということがいろいろなエピソードとともにエッセイ型式で示されている。まず、売りたい本が必ず回ってくるわけではないという仕組みがあるらしい。これはどういうことかというと、書店が売り上げスリップという本の間に挟まれている短冊の半券を1年間に何枚出版社に送ったかで、出版社はその書店をランク付けする。そして、新刊配本の部数を決められて、取次から送られてくるらしい。なので、本屋というのは、売れなければ欲しい本が回ってこない仕組みになっているらしい。今もそうなっているかは知らないけど。

また、本屋にはいろんな人がやってくるらしい。銀行やレジスター、床磨き、新聞などセールス関係の人がよく来て、自分が何者かを名乗ることなく、いきなり責任者の方いらっしゃいますかとくるらしい。しかも自分が主人でレジをやってても、ご主人に会わせてくださいとか言われるから大変だ。

他にも変な客としては、いつも酔っぱらってお店に来て自慢げに偉そうなことを言ったりして、他の従業員を泣かせたりして嫌な客であるが、毎日やって来て、割と結構買っていく上客でもあったりする人や百科事典で調べるようなことを訪ねてきて、ただ見ちゃ悪いからといって袋詰めの飴を置いていき、一度も買ったことがない客もいるようだ。あとは立ち読みしに来たり、本が綺麗ではないとクレームをつけられたり、この本まだ入ってきてないの?と尋ねる書店として普通の客も当然来る。

僕もよく本屋さんやってみようかなとか妄想したりする。著者と同じように、小さいけれど好きな本、売りたい本だけ並べて、お店は他の従業員に任せて自分はどこかでひたすら読書しているという道楽的なものを。でもこの本を読んでみると、本屋さんは大変だなと思う。取次とか出版社との昔からの商習慣で売りたい本がなかったり、ダンボールで配本された本を整理するのは肉体労働だし、接客業だからいろんな人と対面しなくてはいけないのだし。そんな個人書店の苦労とか本屋の仕組みがとてもよく分かる。しかし、苦労だけが書店経営ではないということもちゃんと示されている。

著者がまた歌手に戻ろうと22年間経営していた書店を閉店するときについて、以下のように示されている。
閉店の日、僕は泣いてばかりいた。棚を見ているだけで、涙がこぼれて来た。これまでに、一度も喋ったことのないお客さんからも「寂しい」と言われたり、「残念です」とか「元気でね」と声をかけられた。花束や手紙をもらった。いつもよりずっと長くいて、棚をひとつひとつ丁寧に見て回る人もいた。何も語らず、たくさん本を買っていく人もいた。
 本屋での「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の世界にも感動はあったのだ。小説や映画やステージの上だけに感動があるのではない。こうした何でもない日常の世界に、それは、目に見えないくらいの小さな感動なのだが、毎日積み重なっていたのだということを僕は閉店の日にお客さんから学んだ。
(pp.237)
なるほどと思った。

解説は大槻ケンヂ氏で、その解説もすばらしい。一部抜粋。
 どんな仕事も楽じゃありません、でもね、どんな仕事にも良さがあるんです、だから、がんばりましょうよ、と、早川さんの教える本書は、やはりシンプルでストレートなメッセージに満ちた素敵な一冊であると思う。
(pp.244)
そうだよねと同意したくなる。大槻ケンヂ氏も24歳の時にバンドを辞めて本屋さんになりたいと思ったそうだが、本書を読んで辞めたらしい。その理由もまぁそうだよねと納得したのであった。

本屋をなんとなくやってみたらどうなるのか?と脳内妄想(シミュレーション)したときの一つの参考事例がこの本に示されている。結局僕も本屋さんやっていくのは大変そうだし、今のところやることはないだろうなという結論になる(でも将来のことは分からないよ)。気楽にこのブログで好きな本について書いている方があっているし、何も面倒なことはあまりない。ただし、金にはならないからこれだけで食っていくのは現状無理だけどね。

自分で本屋をやりたい人は絶対読んだほうがいい。あとは本好きな人は小さな個人書店に対する意識も変わって、そこで本を買いたくなるかもしれない。本を書く人、編集する人、売る人、買って読む人など本に関わる人みんな読めばいいね。




読むべき人:
  • 本屋さんをやりたいと思っている人
  • 大型書店ばかり利用している人
  • 本が好きな人
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April 05, 2015

計画と無計画のあいだ

キーワード:
 三島邦弘、ミシマ社、出版、一冊入魂、仕事
自由が丘にある出版社ができるまでの奮闘記的なエッセイ。以下のような目次となっている。
  1. 1それでも会社は回っている
  2. 2 始まりは突然に
  3. 3 自由が丘のほがらかな出版社、誕生
  4. 4 凸凹メンバー集まる
  5. 5 手売りですが、なにか。
  6. 6 世界初!?仕掛け屋チーム
  7. 7 この無法者たち!
  8. 8 野生の感覚を磨くのだ
  9. 9 原点回帰ってなんだろう?
  10. 10 一冊入魂!
  11. 11 計画と無計画のあいだ
(目次から抜粋)
西新宿のブックファーストのフェアで「新入社員に読んでほしい本」というのがあって、そこで置いてあったのが目に止まり、買って読んだ。ミシマ社の創業者である三島氏のことは、以下の本で読んだことがあった。本書は著者の三島氏が、2003年の28歳のとき天啓のように出版社を作ろうと思い立ち、勤めていた出版社をボーナス支給直前で辞めて、何の事業計画もない状態で出版事業をスタートして、Excelの使い方もよくわからない、決算って何?という状況でなんとか本を出版しつつ今に至るまでの奮闘記が面白く示されている。本があまり売れなくなって、昨今の出版事業は斜陽産業なので、出版社の中の人も出版だけはやめておけと言ったりするような状況で、新たに出版社を作るというのは、チャレンジングなことだと思う。しかも、ほぼ無計画。しかし、無計画ながらも事業の核になる理念は明確に本書で示されている。「血の通った本をつくり、しっかりと読者に届けたい」+「ひとつひとつの活動が、未来の出版を築く一歩でありたい」=「未来に開かれた出版社を自分で作る」という理念があり、100年後の出版の未来まで考えられているようだ。

そのため、「直取引営業」で取次を介さずに直接書店に卸したり、手書きのミシマ社通信を書店に置いてもらったり、読者はがきを手書きにしたりして、普通の大手出版社と異なる独自性がある。実際にミシマ社の本を買ったことがあり、ミシマ社通信は手作り感があって本を作っている人が見えるようでよかった。ちなみに、ミシマ社の本は以下のものを読んだことがある。特に『街場の文体論』が面白かった。

また、この本はすごく熱量がこもっている本だと思った。著者が出版の思いを熱く語っている感じで、それが著者の熱量をこもったままの本を提供するというのに通じている。変な話だけど、そういう本は書店で表紙を見ただけで直感的にわかるようになる気がする。何冊も買って読んでいると経験則的に。

あとなんだか無計画でも理念や強い想いがあれば、何とかやっていけるのだなと思った。もちろん、読んでいるとベンチャービジネスの大変な過程を見ているようで、自分がそんなことできるかというと、無理だろうと思うけど。でも特に以下の部分になるほどと思った。28歳でボーナス直前で勤めている会社を辞めることについての部分。
 だが、そんなこともみな、百も承知の上での行動だった。きっと、ほんの少しでも計画的な人間であればそうはしなかったろうと思う。
 けれどぼくは一切後悔していない。むしろ逆だ。
 あのとき、自分に嘘をついていたら、と思うとぞっとする。ずっと自分のなかで湧きあがる感情に対して感覚を鈍らせたまま生きる人間になっていたかもしれない。
 いま、この瞬間、どうしても動かなければいけない。そういうときが人生のうちに必ずある。
 その瞬間、理屈や理性、計画的判断といったものを超えて動くことができるかどうか。
(pp.242-243)
まさに今僕もそんな境地のような気がして、かなり参考になったし、感化された。まぁ、自分の方向性がどうなるかはわからないけど、それでも日々考え中で。

出版にかかわる人、出版社に就職したいと思う人はみんな読んだほうがいいし、本好きな人も読んだほうがいい。またベンチャービジネスの試行錯誤の状況も読んでいて面白いし、出版事業を通して仕事、自分の働き方も考えるきっかけになってよい。あと、人生、自分の方向性に迷っている人も読めば何か得られるかもしれない。




読むべき人:
  • 出版事業にかかわる人
  • 本好きな人
  • 自分の仕事について考えたい人
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November 16, 2014

旅行者の朝食

キーワード:
 米原万里、ロシア、小咄、旅、食い気
ロシア語通訳者による食エッセイ。以下のような内容となっている。
「ツバキ姫」との異名をとる著者(水分なしでもパサパサのサンドイッチをあっという間に食べられるという特技のために)が、古今東西、おもにロシアのヘンテコな食べ物について薀蓄を傾けるグルメ・エッセイ集。「生きるために食べるのではなく、食べるためにこそ生きる」をモットーに美味珍味を探索する。解説・東海林さだお
(カバーの裏から抜粋)
この本は2年前の『旅』がテーマのスゴ本オフでいただいたもの。ずいぶん放置していたし、そろそろ『旅』な気分だったり何かエッセイを読みたいと思っていた。個人的にはこれは『旅』よりも『食』的な印象を強く受けた。

著者の米原万里のことは正直何も知らなかった。著者紹介には元ロシア語会議通訳、作家とだけある。他にどんな本を書いていて、どういう経験をされているのかもしらずに読んでみたら面白かった。さすがスゴ本。2006年に逝去されているようだ。残念。

面白かったエッセイのタイトルを列挙しておこう。
  • ウォトカをめぐる二つの謎
  • 旅行者の朝食
  • キャビアをめぐる虚実
  • 夕食は敵にやれ!
  • シベリアの鮨
  • キッチンの法則
  • 食い気と色気は共存するか
『ウォトカをめぐる二つの謎』では、ウォトカを最も美味しく飲める理想的なアルコール比は39度でも41度でもない、40度である、と発見したのは化学元素の周期律を発見した化学者メンデレーエフであると、自著に書いたらいろいろと情報の出所に問い合わせがあったとか。実際はガセネタだったらしいけど、そこに至るまで、ロシアのウォトカ事情、歴史がいろいろと分かって面白い。

本書のタイトルにもなっている『旅行者の朝食』というのは、ネタバレするから詳細は示さないけど、普通の旅行中の朝食のことではなく、そこにはロシア人が何度聞いても笑い転げる小咄(フォークロア)がネタになっていて、ロシア人の友人に「何なのよ、『旅行者の朝食』って!?」と問い詰めるが、「クックックックッ」と笑いをかみ殺すような反応が返ってくるようだ。これはなかなか面白いエピソードだと思った。ここもロシア人の気質などが窺い知れる。ここは読んで確認がよろしい。

『キッチンの法則』では面白い法則がいくつか示されている。「料理上手は掃除下手、掃除上手は料理下手」という古今東西を貫く法則があるらしい。ほうほうと思いつつも、僕はどっちが上手が下手かも判断不能だが。他にも「台所器具の価格とその使用頻度は反比例する」とか「キッチンが立派になればなるほど、料理は粗末になる」、「料理を作るのにかけた時間とそれを平らげるのにかかる時間は反比例する」とか「一生懸命作った料理ほど客には評価されない」など著者独自の視点もある。料理をよくする人ならうんうん、と賛同するのではないかしら。

著者はどちらかというと「生きるために食べる」のではなく「食べるために生きる」と自認するほど食に関心が高いようで、個人的には激しく同意と思う。学生時代以前は好きなものを好きなだけ食えるほどのお金も食の範囲もないのだから、そんなに食に関心が向かないのだけど、ある程度の食経験が増えてくると、「食べるために生きる」という感覚が芽生えてくるなと。といいつつも、持病のせいで食事制限しなくてはいけない身なので、好きなものを好きなだけ食うということは依然としてできないのだけど。

著者の語り口がとても面白くて読ませられる。料理に関する挿絵や写真など皆無なのだけど、ロシアの見たことも聞いたこともないお菓子や料理が脳内で勝手に想像されて激しく食いたさをそそられる。よって『旅』的なテーマとして海外旅行中に読むのは絶対お勧めしないな。絶対後悔する。激しく腹が減ってしまうし、現地の食に満足できない場合は特に。僕は通勤の行きに読んでいたけど、それでも食指を動かされて朝から腹が減ってしまった。

気軽に読めるエッセイであまりなじみのないロシアのことも面白く分かるし、食に関する知見もいろいろと広まるのでお勧め。



旅行者の朝食 (文春文庫)
米原 万里
文藝春秋
2004-10

読むべき人:
  • 気軽なエッセイを読みたい人
  • ロシア事情に詳しくなりたい人
  • 食べるために生きている人
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May 28, 2014

「思考」を育てる100の講義

キーワード:
 森博嗣、エッセイ、講義、人生論、持論
小説家による短編エッセイ集。以下のような目次となっている。
  1. 1限目 未来を考え、現在に生きる「人生」論
  2. 2限目 思考の盲点をつくらない「知識」論
  3. 3限目 なまった理性を研ぎすます「感情」論
  4. 4限目 疑問から本質に近づく「表現」論
  5. 5限目 客観的思考を手にする「社会」論
  6. 補論 思考に「遊び」をつくる森教授の視界
(目次から抜粋)
書店で大和書房フェアというのがあって、平積みになってたから買ってみた。たまには読みやすいエッセイで気分転換もかねて。

最初に1行のタイトルを100個考えて、それに対して2ページごとに著者の普段考えていること、過去の経験とか世の中のことに対しての持論を展開している。100個すべては挙げられないので、特に面白かったものをいくつかタイトルだけ列挙。
  • 6 ときどき、自分は何を作り出しているか、と考えてみよう。
  • 8 芸術家というのは、過去の仕事に価値が生じる職業だ。
  • 13 よく燃えるものは、早く消える。くすぶっているものは、長く燃えている。
  • 14 知識が災いすることは、知識が幸いを招くのとほぼ同じくらいの頻度。
  • 22 上手くいかないときには、必ず理由がある。それが現実というものだ。
  • 39 自信をみなぎらせる技術者は信頼できない。
  • 43 たとえば、今一番欲しいものは、三トンくらいの土である。
  • 49 なにごとも経験、というが、経験は効率が悪すぎる。
  • 73 小説を読むことが趣味だ、と言えるほど、文芸はマイナになった。
  • 84 仕事をしないことがいかに健康的かわかった。
  • 96 給料というのは、お小遣い感覚だった。
タイトルがそのままその章の結論のような内容となっている。もちろん、タイトルだけでは何のことかわからないものも多いけど。

著者の本、作品は過去に1つしか読んだことがない。ミステリー作品などもまったく読んだことはない。そんな感じなので、割とニュートラルに本書を読んだのだけど、著者の思考は割と人と変わった部分があるのかなと思った。それが普段考えたこともないような内容で、なかなか面白かった。

例えば、『30 他人の感情的評価に影響されることで、大勢が自由を失っている。』では、Amazonなどのネットレビューに関しての内容で、買おうと思っていたものの評価を見てしまい、買えなくなってしまう場合がある。その場合は、それを買おうと思っていた人にとっては、買いたいものを買えなくなったので不幸なことだとある。そして、最後に以下のように示されている。
 僕の小説の書評で、「前作を読んでいないと面白さは半減だ」と書いている人がけっこういるが、その書評を読まずに作品を読んだら、楽しみは倍増だろう。これを書いた人は、自分が前作を読んでいたから面白かった、と分析しているようだが、前作を読んだために、もっと面白い部分を見逃している。他者との出会いだって、大人になってからいきなり相手を知るのだ。過去の履歴を知らなければ、人を好きになれないものだろうか?
(pp.077)
これは考えたこともなかったな。アニメとか映画、小説のシリーズものなどはたいていは順番通りに鑑賞したい派であって、いきなり途中の巻から読んだり見たりはしないな。もしくは、割と独立しているけど、前作の続編の位置づけというものなら読まなくてもいいかもしれない。そいうとき、前作に出てきたキャラとかエピソードが不明で、面白くないのではないか?と思ってしまうので。

しかし、作品の作り手側としては、そうならないように書いているのかもしれないし、知らないほうがもしかしたら先入観なく、違う部分に面白さを感じられるのかもしれないなと。それが人間関係にまで展開されていて、言われて納得だなと。好きになれば、その人の過去、生い立ちなどを知りたいと思うけど、好きになるきっかけとしての『過去』はあまり関係ないだろうなと。

また、反対に僕も同意だなと思う部分も示しておこう。『14 知識が災いすることは、知識が幸いを招くのとほぼ同じくらいの頻度。』から。
 どんな本を読んでも、僕はなにか得られる。本を読んで、何も得られないということはありえない。得られないのは、自分で耳を塞ぎ、心を閉ざしているからだろう。
(pp.043)
さらに、読む時間に見合った得られるものの多寡があるから、損をすることもあるが、それでも得をしたいから素直な気持ちで読みたいとあった。まぁ、そうだよねと。絵本でも漫画でも軽いビジネス書なども得られるものは何かしらある。駄本だって反面教師的に学ぶことはできる。ということをたまに忘れがちなので、僕も素直でありたいと思う。なので、よほどダメな本とか内容が明らかに間違っていると断言できない限りは、このブログで酷評するようなことはない。

他の小説作品も読みたいと思ったけど、それ以上に著者の変わった考えのエッセイをもっと読んでみたいなと思った。見開き2ページごとに話題が変わっていくので、電車通勤とか細切れ読書に向いていて、気分転換に気軽に読める本だった。




読むべき人:
  • 森博嗣のファンの人
  • モノづくりが好きな人
  • 小説家が何を考えているか知りたい人
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April 29, 2014

仕事に必要なことはすべて映画で学べる

キーワード:
 押井守、映画、仕事、勝敗、教養
映画監督である押井守による映画論と仕事論。以下のような目次となっている。
  1. 【プロローグ】映画は会社員が見るべき最良の教科書
  2. 【1】飛べ! フェニックス
    聞かれていないことには答えるな! ――美しい敗北は無意味
  3. 【2】マネーボール
    経験と勘で語る人間は信用するな ――ブラッド・ピットの優先順位
  4. 【3】頭上の敵機
    部下を殺すか、自分が毀れるか ――中間管理職残酷物語
  5. 【4】機動警察パトレイバー2 the Movie
    使えない部下を働かせる究極の手 ――選択肢は与えない
  6. 【5】裏切りのサーカス
    「やりたいこと」は「飽きないこと」 ――ナンバー2ほど心地よい
  7. 【6】プライベート・ライアン
    サボタージュこそサラリーマンの最終兵器 ――スピルバーグの詐術
  8. 【7】田園に死す
    できる大人ほど自分の過去をねつ造している ――気合いが入ったデタラメ
  9. 【8】007 スカイフォール
    「親父に一生ついて行く」は使い捨てへの第一歩 ――“お母さん"に愛されたい
  10. 【9】ロンゲスト・ヤード
    囚人が問う「勝てるチーム」の絶対条件 ――魂の自由を獲得せよ
  11. 【対談】押井守×梅澤高明(A・T・カーニー日本代表)
    自己実現は社会との関わりでしか達成できない
  12. 【エピローグ】教養の幅は「虚構」でこそ広がる
(目次から抜粋)
映画監督である著者は、会社員として組織で働いたことはないのだけど、映画監督として組織マネジメントについて考えてきており、そこから独自の「勝敗論」を見出すにいたったようだ。そして、軍隊でも映画つくりでも企業における組織にでも、勝敗論やそこでのふるまい方の本質は変わらず、映画を通してそれを示そうという本。
 この本では、勝敗についての持論を踏まえつつ、実際の映画を通してビジネスパーソンが企業社会を生き抜くうえで参考になる考え方や振る舞いを紹介していこうと思います。優れた映画ほど人間や社会の本質に迫る教訓がある。それを紐解いていこうということです。
(pp.011)
本書では映画監督として何を意識して作っているのか、そしてどのように他の映画作品を見ているのかがとても興味深く示されている。また、挙げられている映画は、目次の通りで、自身の監督作である『機動警察パトレイバー2 the Movie』なども含まれているが、どちらかというと古い映画が取り上げられており、そこで組織の中でいかに自己実現をするか?なども示されている。ちなみに、目次に挙げられている作品で、僕が見たことあるのは『007 スカイフォール』のみだ。押井守の作品では、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』、『イノセンス』、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』、『アヴァロン』などだ。

たとえば、『機動警察パトレイバー2 the Movie』は、中間管理職の映画であると示している。隊長である後藤は、特に何も期待されていない課に所属しており、それは高校の世界と同じだとしている。そして、その高校の教師のような隊長として後藤を位置づけ、ダメな部下(生徒)たちを先導していかに自分のテーマ、『警察官としての正義を実現する』をやるかを描いているようだ。

著者によれば、中間管理職というのは、「自分のテーマの実現のために他人を動かす」、それを体現する存在と示されている。そして、後藤は部下に命令をしないが、退路を断ったうえで選択の自由を提示している。そしたら部下はやる気になるらしい。さらに、黒澤明の「生きる」とパトレイバー2の本質的なテーマは同じらしい。へーと思った。

また『007 スカイフォール』はカインとアベルの物語であり、Mはボンドたちエージェントにとっての母親であって、敵のシルヴァはかつてエージェントとして働いていたのだけど、自分が捨てられてしまうが、ボンドは受け入れられた、畜生!!という母親と兄弟の話らしい。もう少し文芸的に示すと、母親に受け入れられなかった息子と受け入れられた息子の話らしい。

さらにジェーム・ボンドというのは、身分は契約社員なのに自分から抜けられず、一方的に切り捨てられる可能性もあり、命の危険性ももちろんあるので世界一理不尽な仕打ちをうけている社員であり、冷静に考えたら、007というはブラック企業そのものだと示されているwなるほどと思った。

映画を見る意義としてなるほどと特に思った部分を以下に抜粋しておく。
 気の利いた映画というのは、こういうふうに、シチュエーションやエピソード、セリフなどにさまざまなピースがはめ込まれています。それをもれなくすくい取って見るには、映画の相当な経験値が必要でしょう。それに対応するだけの引き出しが自分の中にないと、無関心に通り過ぎるだけですから。
(中略)
 単に感動して終わるだけであれば、映画の値打ちなんてたいしたものじゃありません。感動以上のものが、映画にはある。それが、人生の判断の引き出しを増やしてくれるということです。ひとりの人生の総量はたかが知れていますから、フィクションを含めなければ自分の人生の引き出しは増えません。
(pp.080-081)
だから、フィクションには現実以上に価値がある、とも示されている。さらにあとがきにも以下のように示されている。
 人間がその生涯を通じて獲得できる「経験」など、所詮は限られたものに過ぎません。人生は短く、経験することも出会うことも、それを通じて獲得できる「人間に関する教養」も限られています。だからこそ他人の経験を自分の「経験」として繰り込んでいくことが必要なのであり、そしてそのためにこそ「虚構」という形式は存在します。
(pp.291)
組織を動かすための必要十分条件はこの「人間に関する教養」であり、そのために映画を見るべきだと。そして、この「人間に関する教養」を効率よく獲得するには、クラシックな映画を見るとよいらしい。

この虚構を取り込むというのは、何も映画だけではなく、小説、漫画などでも同じだなと言える。人が集まって出来上がる組織で仕事をするうえで、この「人間に関する教養」は必須だなと思う。ある程度の職位以上に出世しようと思ったら、特に。能力があって仕事だけができても、人徳やこういう処世術のような教養がなければ上がれないのだろうなと思う。なので、これからも地道に映画をたくさん見ていこうと思った。

社会人になってから8年くらいで約300本は映画を見ているのだけど、まだまだ著者の示すような「人間に関する教養」としての見方が確立できていないなと思った。大学生くらいまでのころは、単に派手なアクションとか爆発シーンがあって興奮していれば面白い映画だと思っていたのだけど、ある程度の年齢を重ねて、さらに人の心情の機敏が描かれたものを見ていくうちに、だんだん映画の鑑賞の仕方も変わってきたなとは思う。

ちなみに、今年映画館で観た映画で一番は、『アナと雪の女王』もよかったけど、『LIFE!』かな。

また、押井守の著作は以下もお勧め。本書は押井守作品が好きな人に限らず、映画好きな人はぜひ読んだほうがいい。映画の見方も分かってくるから。




読むべき人:
  • 押井守監督作品が好きな人
  • 映画の見方を勉強したい人
  • 中間管理職で働く意義を見失っている人
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December 26, 2013

ぼくは猟師になった

キーワード:
 千松信也、猟師、山、命、生きる
猟師となった著者による猟師を始めてみました、というような本。概要は以下となる。
木についた傷や足跡からシカやイノシシの気配を探る。網をしかけ、カモやスズメをとる。手製のワナをつくる。かかった獲物にとどめをさし、自らさばき、余すところなく食べ尽くす――。33歳ワナ猟師の日常は、生命への驚きと生きることの発見に満ちている。猟の仕方、獲物のさばき方から、日々自然と向き合う中で考えたことまで。京都の山から生を見つめた若者猟師の等身大の記録。
(カバーの裏から抜粋)
著者の本業は運送会社の仕事ではあるが、京都の山のふもとのアトリエのような家に住みながら、山に行ってはワナを仕掛けてイノシシやシカを獲って自分でさばいて食べたりする。そんな著者によって、具体的な動物の捕獲方法、猟師になったきっかけ、なり方、さばきかた、調理法まで写真、図解付きで示されている。

著者はプロの猟師ではなく、獲った獣肉をどこかに卸して販売しているわけではない。「自分で食べる肉は自分で責任をもって調達する」ために猟をされているので、本業の運送会社の仕事の合間にワナを仕掛けに行って猟をしているようだ。ではなんでそもそも猟師になろうと思ったのか?そこが一番個人的には気になるところだった。

著者は子どものころから虫や小動物を飼っており、将来は獣医になろうと思っていたらしい。しかし、大学受験の直前に車にはねられた猫を見かけてから、獣医は向いてないと進路を変更する。そのときに柳田國男の『妖怪談義』で自然とのかかわり方に興味を持ち、京都大学の文学部に進学することになる。

そこからすぐに猟師になるわけではなく、大学を4年休学して世界を放浪して帰ってきた後に生活費を稼ぐために運送会社のアルバイトを始める。そこの従業員で現役の猟師の人がいて、中学のころから猟にも興味があったので、話を聞くうちに関心が増し、実際に狩猟免許を取得し、山の近くの家に住んで猟を始められたようだ。

プロの猟師ではないと自認していることもあり、趣味みたいなものかなと思った。なので、本書を読んでいると狩猟そのものやイノシシ、シカの解体などに論点、考えが行きがちなのだけど、個人的には本業とは別に好きなことをされていて、なんだかとてもうらやましいなぁと思ったのが一番大きい。なんだかとても楽しそうだなと。もちろん、イノシシに襲われて怪我をしたりする危険性もあるし、さばくのも一苦労らしいのだけどね。

散弾銃ではなく、ワナをしかけて獲物をとるワナ猟が著者の専門で、山での獲物はシカ、イノシイがメインで、水田では鴨やスズメを獲る。休猟期の春先には山でワラビやフキノトウなどの山菜を取り、桜やクワなどの実を使って果実酒を作ったり、夏には渓流でアユ、イワナを獲り、琵琶湖ではコアユを獲り、別の川でウナギを獲って食べたりする。なんとも贅沢な食生活だなぁと思った。もちろん、自分で獲るという仕事、労力が発生するのだけど、自分で獲って自分で食べる醍醐味がふんだんに示されている。

写真付きでシカとイノシイの解体の様子が示されている。逆さにつるされて、体を裂かれて内臓が飛び出していたり、頭部などをノコギリで切ったり。ナイフが刺さっている状態の写真もあって、やはり少しは残酷だなと思う。しかし、それが小分けに解体された肉塊になっていく写真を見ると、自然と残酷さは消えて、おいしそうという感覚が勝っているのに気づく。イノシシの牡丹鍋やばら肉のベーコンの写真は本当においしそうで、食べたくなってくる。

狩猟は残酷か?』という節に著者の考えが示されているので、一部抜粋。
 動物の肉を食べるということは、かなりの労力を費やす一大事です。ありきたりな意見ですが、スーパーでパック詰めの肉が売られているのを当然と思い、その肉にかけられた労力を想像しなくなっている状況はおかしいと思います。誰かが育てて、誰かがその命を奪い、解体して肉にしているのです。狩猟は残酷だと言う人がよくいますが、その動物に思いをはせず、お金だけを払い買って食べることも、僕からしたら残酷だと思います。
 自分で命を奪った以上、なるべく無駄なくおいしくその肉を食べることがその動物に対する礼儀であり、供養になると僕は考えています。だからこそ、解体も手を抜かず、丁寧にやります。獲れた肉をなるべくおいしく食べられるように工夫もします。
 なにより自分でこれだけ手をかけた肉は本当においしいです。こんなにうまい肉が一晩でこんなに大量に手に入るなんて、狩猟以外ではあり得ないことです。ちなみにイノシシの肉は買えば100グラム千円以上する場合もあります。
(pp.107,112)
無駄なく使えるものはすべて使うというのは終始一貫されており、動物の皮をなめしてバッグまで自作されていたりする。残酷かどうかは、実際に自分で獲ってさばいてみるということをやってみないと何とも言えないものだなと思った。いつか機会があれば、僕も実際に獲ってさばいて食べてみるという経験をしてみたいと思った。そしたら本質的に食べて生きていくとはどういうことか?がより経験的に腑に落ちるのかもしれない。

本書はスゴ本オフの『山』のテーマの時に頂いた。読む前は狩猟については漫画とかテレビの世界でしか知らずに、残酷なイメージが多かったのだけど、残酷さだけが狩猟の本質ではないのだなということがよく分かった。

また、本書は様々な観点から興味深く読める。例えば、動物そのものの命、食べること(グルメ)、山(自然)、仕事、生き方、豊かさとは?などなど。個人的にはやはり『食べる』、『生き方』という観点から興味深くかつ面白く読めた。




読むべき人:
  • 狩猟に関心がある人
  • 好きなことをして生きたい人
  • 食べること、生きることを考えたい人
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December 23, 2013

なんのための仕事?

キーワード:
 西村佳哲、仕事、デザイン、対話、出会い
働き方研究家による仕事についての考えやインタビューが示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 自分は
  2. 第2章 なんのために働くのか
  3. 第3章 出会いを形に
(目次から抜粋)
この目次だけでは本書の全体像が把握できないので、概要を補足しておこう。本書の執筆当初は副題として「デザインを通じて考える”仕事”のあり方」だったようだ。デザインは著者の専門分野で、大学でデザイン教育もやっており、「デザインってこんな仕事なんですよ」という紹介をしようとされていたらしい。しかし、執筆開始後に3.11の東日本大震災が起こった。

仕事を通して自分の居場所を感じられるようになりたいと思う人が多いが、実際には行政や企業には意味が感じられない仕事も少なからずあったりする。そこで、デザインを一つのモチーフに仕事のあり方をめぐって一種の告発をしたい気持ちがあったらしい。しかし、震災以後にそういう憤りの気持ちもなくなって、”デザイン”ではなく、自分自身のことを示さなくてはいけないと思い、著者がどんな仕事をしてきたか?、その中でいったい何を大切にしてきたのか?を自分自身に問いかけることから本書は始まっている。

今年は自分の仕事について考えるということを一つのテーマとしてきた。なので、今年は同著者の本を何冊か読んできた。著者が自分自身に問いかけた二つのことは、奈良県立図書館で開催された「『自分の仕事』を考える3日間」というフォーラムでの問いと同じとなる。よって、第1章は著者自身の話ではあるが、2章以降は以前取り上げた上記3冊と似た構成で、著者の知り合いのインタビューがメインとなっている。前作と違うのは、インタビューで取り上げられている人はみなモノづくりやデザイン系の人ばかりだということだ。そこは本書の当初のコンセプトに従っているのかもしれない。

インタビューされている人は、デザインスクールを作った人、元アップル本社のデザイナーだったが、京都でカフェを自作した人、ソニーなどのメーカーでプロダクトデザインをしていたが、保育園のスタッフとなり、保育園の本棚、ベンチから保育園全体をデザインする人だったり、新潟を拠点として友人同士でデザイン会社を作った人など。

著者がなぜデザインの仕事をするに至ったのかという部分が参考になった。高校生くらいから個人やサークルが作った映画上映会に通い、次第にそこの仕事を手伝ったりするようになる。そこで出会った「自分で考えたことをやる」、「好き好んで働いている人」たちに触発されて、美大のデザイン科に進学する。そして、就職してから30歳くらいに独立され、今では本などを書く仕事、大学で教える仕事、ワークショップ的な場づくり、デザインやモノづくりの仕事を手掛けられているようだ。前作までこの著者の経緯があまり示されていなかったので、分かってよかった。

著者の仕事観が示されている部分がある。著者の奥さんと二人で独立して3年たったころに友人に語ったこととして、以下のように示されている。
「仕事っていうのは興味があることに取り組めて、一緒に働いてみたい人と経験を共有出来て、上手くいけばお金ももらえる。自分のためのプレゼントのようなものだと思う」
(pp.021)
へーと思った。プレゼントなんだって。プレゼントというものはもらってうれしいものだったりするからね。仕事はそういうポジティブな面が多いという捉えられ方だなぁと。自分の興味があることではないと、こうは考えられないだろうなぁと思った。嫌な仕事、興味がない仕事だときっと苦行になってしまうだろうね。

本書のようなデザイン業界に限らず、世の中にどういう仕事があって、その仕事になぜ就いたのか?そして何を意識して仕事をされているのだろうか?ということに関心があったりする。別に隣の芝は青い、羨ましいということではなく、単なる好奇心と自分の仕事にも共通する部分はあるのかということや、自分の仕事にも活かせることはないかなと期待して読んだりする。本書はデザイン、モノづくりという観点から割と似た部分もあったし、全く違うなぁと思ったりする部分もあった。

何というか、自分の日々の仕事に追われていると、職業上の慣習、会社風土、自分の今までの経験などにとらわれすぎて、視野が狭くなったりする。そういうときにふと仕事ってなんだ?と考えたりして、堂々巡りをしたりして、嫌になったり苦しくなっていくこともある。そういう時に一歩引いて、視野を広げて他の業界、人、働き方を参考にすると、そんなに気負わなくてもいいし、いざとなったらその仕事を辞めて他のこともできるんじゃないかと思えるし、仕事をしていくうえでのヒントが得られたりもするんじゃないかなと思った。



なんのための仕事?
西村 佳哲
河出書房新社
2012-04-24

読むべき人:
  • デザインの仕事をしている人
  • デザイン系の仕事をしたい就活中の人
  • 自分の働き方を考えたい人
Amazon.co.jpで『西村佳哲』の他の本を見る

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August 04, 2013

シゴトとヒトの間を考える

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シゴトとヒトの間を考える シゴトフォーラム2012

キーワード:
 中村健太・友廣裕一、奈良県立図書情報館、仕事、人
奈良県立図書情報館で2012年に開催されたフォーラムが元になって本となったもの。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 海を越えるヒト
  2. 第2章 場をつくるヒト
  3. 第3章 編集するヒト
(目次から抜粋)
書影は自分で撮った。なぜなら、この本は3,000部限定の販売で、Amazonなどのネット書店や一般大型書店には販売していないらしいので。そしてシリアルナンバー入り。自分のシリアルナンバーはどうやら1130らしい。

初めからこの本が限定販売であることを知って買ったわけではない。以前ふらっと訪れた下北沢にあるビールも飲めるイベント開催型の本屋、B&Bでなんとなく仕事に関連する本書が目について買ってみた。しばらく買って放置していて、読み終わるとそう書いてあった。そんな出会い。

本書のイベントの詳細は以下のページを参照。また、本書に関しては以下のページを参照。本書も奈良県立図書情報館のイベントとなる。最近読んでいた、西村佳哲氏のイベントフォーラム本と似ているし、本書のきっかけも西村佳哲氏が関連しているらしい。その関連も知らずに買って、またイベントの順番通りに読了した。なんかそういう縁みたいなのあるよね。アンテナにひっかかるというか。

著者がいろいろな職場、人、働き方に出会い、仕事と人の関係について考えるきっかけにということでフォーラムが開催されて、目次のようなテーマで人を集めたらしい。

海を越えるヒトでは、コンゴ共和国で環境保全に取り組む人やカンボジアで遺跡修復チームの広報をしている人、会社をリストラされて金、コネ、経験なしの状態でベトナムに渡った人が紹介されている。

場をつくるヒトでは、六本木のアカデミーヒルズを作り、現在まち塾@ライブラリーという本と人の出会いを作っている人や、まち全体を旅館に見立てる仕事をしている人、富山の里山で農を営む人がいる。

編集するヒトは、ウェブマガジンを制作されている人、大阪・中之島エリアに特化した「月刊 島民」というフリーマガジンの編集者の人、独自のこだわりで食材の仕入れをするスーパーマーケットを経営している人がいる。

それぞれの人が10ページ前後でインタビュー形式のように示されている。いろんな仕事や働き方の多様性、考え方、こだわりがあるのだなと思った。ただ、ちょっとそれぞれのページ数が少ないので、もう少し深堀してその人の生い立ちからそこに至るまでの経緯を詳しく示してもらえたらなと思った。

富山の里山で「土遊野」をされている橋本順子さんという方がいる。その方は茨城出身なのだけど、結婚を機に富山に移り住み、集落としては1件しかないような一般的には限界集落と言われるところで『私たちは、自分たちが食べるものは自分たちでつくれる人間でありたい、いろいろな人たちと一緒に農を営んでいける「場」をつくりたい』という心持で農業をされている。表面上は限界集落と言われるような状況ではあるけど、若い人が多いし、年間を通していろんな人が来てくれるらしい。また東日本大震災後の移住者を受け入れたりもしているらしい。だから決して限界ではなく、むしろ東京での暮らしのほうが限界だった、と語られている。

そしてなぜ富山を選択されたのかが示されているので、そこを抜粋。
 なぜ富山だったのか、今でも不思議に思うんですけど、一つには出会いがありました。草刈り十字軍をはじめた足立原貫先生が、「農家は世襲制じゃない、やるものがやる、やろうと思うものがやっていいんだ」と語ってらして。「やろうと思えばできるんだ!」と思って飛び込んだ。
 もう一つには、富山の四季や自然に惹かれたということもありますね。冬には雪が2メートルくらい積もるけど、必ず早春を迎えて、春がくるんですね。夏はフェーン現象があるからとても暑い。それでも秋が来て、晩秋を迎えて、また冬がめぐってくる。日本の季節、いや八季を体感できるんですね。立山連邦の地下水脈からわき出る水はおいしいし、お酒もうまい。富山湾の魚もすごかった。ほんとうに豊かなところだと思ったんです。
(pp.96-97)
なるほどと思った。ここを取り上げたのは、僕は富山県出身だから。といっても別に農村部ではなく、市内の住宅街だけどね。

地元にいるときは、遊ぶ場所も仕事も人も何もない閉塞した場所だと思っていた。けれど、地元を離れて東京で暮らすようになったり、このような記述を見ると、別にそんなこともないのではないかと思ったり。離れてみることで地元の良いところも分かるというようなそんな感じ。

また、地元には自分の職業に関連するようなIT企業のような会社はあんまりない。けれど、仕事は会社員だけが仕事の範疇ではないし、いろんな仕事があるし、何とかなるのではないかなと思ったり。そう考えるのは、ずっと東京で暮らしていいものか?と思うところがあるから。何を求めて東京進出したのだろう?と迷ったり、立ち止まって考える必要がありそうで。

いろんなところでいろんな仕事をしている人がいるのだということが分かって面白かった。こういう本を大学生の就職活動中に読めたらいいなとも思った。そしたら今、会社員をやっていなかったかもしれない。

ということで、まだしばらく仕事についていろいろと思索予定。合間に小説なども読むけど。

本書を買いたいと思う人は、先ほどリンクを示した「シゴトヒト文庫 ≪ 生きるように働く人の仕事探し「日本仕事百貨」」に販売書店が示されているので、そこで購入されるとよいかも。在庫があるか分からないけど。



読むべき人:
  • 仕事について考えたい人
  • 就職活動中の大学生の人
  • 仕事を通して人について考えたい人

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July 21, 2013

わたしのはたらき

わたしのはたらき
わたしのはたらき [単行本(ソフトカバー)]

キーワード:
 西村佳哲、仕事、働く、生き方、使命
2011年に奈良県立図書情報館で開催された「自分の仕事を考える3日間」という名前のフォーラムの内容が書籍になったもの。以下のような目次となっている。
  1. 森のイキアス主宰 佐藤発初女さんを冬の弘前に訪ねる
  2. ホールアース自然学校 創設者 広瀬敏通さんの行動原理はなにか?
  3. 作家、建築家 坂口恭平さんと”生きてゆく技術”をめぐって
  4. NPO法人さくら会 理事、アドボカシー 川口有美子さんは家族介護という仕事を経て
  5. サウンド・アーティスト 鈴木昭男さんの生き様を丹後に訪ねる
  6. 主婦、随筆家 山本ふみこさんは”主婦”の仕事を?
  7. 建築家 中村好文さんが大事にしてきたこと
  8. ミナ ベルホネン代表、デザイナー 皆川 明さんが持続させようとしているのは
  9. 編集者、ディレクター 伊藤ガビンさんの話を秋葉原と奈良できいて
(目次から抜粋)
これが第3回目の開催で、シリーズ最終作。開催概要は以下。過去2作の本は以下。コアな!?このブログの読者ならすでに気づいているかもしれないけど、今年の僕の個人的なテーマは『仕事』だったりする。それは自分の現状の働き方や職業を考えたり、今後何を仕事に求めていけばいいんだろう?と思索することだったりする。そういうときに、他の人はどういう職業を仕事としていて、何を考えているのだろうと?ということが気になったりもしていた。よって、今年はもっぱら『仕事』や『働く』をテーマとした本を読むことにしている。

仕事について考えようと思ったきっかけはいろいろあるけど、まずは年齢的な節目になるからかな。今の会社に第一志望として就職し、辞めずにもう8年目で、来年の1月に30歳になる。30歳以降の自分の働き、仕事は今のままでいいのだろうか?というのもある。SE業の仕事に未来はあるのかという部分とか、体力的にずっとは無理だろうなと言うのも分かっているし。

もう一つは今までSEをやってきたけど、この仕事のやりがいとか面白みは何なのだろう?という部分。これは8年近くの経験を経て、本当に自分にこの仕事は合っているのだろうか?という部分や好きでやっているのかな?という疑問のような違和をずっと就職後に感じていたから。他に自分に合った仕事、できること、やるべきことはあるんじゃないのか?と思ったり。

あとは単に、世の中にたくさん仕事があるのだけど、普通に就職活動をしてSEという職業に就いたけど、他にどんな仕事があって、他の人はなぜそれをやっているのだろう?ということが気になったから。

これらの自分の疑問、思索のテーマにわりと合うものが著者の開催していた「自分の仕事を考える3日間」のフォーラムの本3作だった。そして、この3作目がとても面白く、そしてなるほどと思って読めた。もちろん前2作もそれなりによかったけどね。

一番自分の仕事観の枠を大きく広げられたのは、家族介護を仕事にされている川口有美子さんの話かな。これは川口さんのお母さんが59歳でALS(筋萎縮性側索硬化症)という筋肉が委縮していく神経系の病気になり、亡くなられるまで12年寝たきりの介護をされていたというもの。そしてその経験からペルパーの派遣事業やペルパーの育成を行うNPOの運営をしつつ、ALS患者の在宅療養を可能にする活動をされているらしい。

普通、仕事と言うと自分がやりたいことをやろうとか、自己実現しようという話になるけど、川口さんの場合は興味のなく辛いことでも、やらざるを得ず、そしてそれが結果的に仕事になっていった。この経緯が自分の考えている仕事観と全然違ったし、すごいなぁと思った。以下一部川口さんの仕事観が表れている部分を引用。
―「仕事から喜びを得るべきだし、さらにその仕事で稼がなければならない。夢も実現しなきゃ」と思っている人が多いと思います。

川口 わたしの仕事は違う。与えられていることに引きずり回されていて。達成感のような喜びはあります。でもそれは他者の幸せを見て感じているわけで、自分のためだけのものではない。
 でもそうなのかもしれない。わたしのモチベーションは内発的なものではなくて。
 人との関係性に基づいた仕事をしているんですよね。だからなんていうのかな。関係性の中で生きている限り、人には必ずなにか与えられる使命がある。ささいなことでも。それに気づくのが大事だし、かつ自分にできることを一所懸命やることでしょうか。みんな与えられている。それは絶対に。
(pp.100-101)
仕事は自分で選んでいくというのが一般的かもしれないけど、結果的に仕事に選ばれるという側面もあるのかもしれない。それこそがもしかしたら使命なんじゃないか?とも思った。しかし、それが自分にとって何であるのかは、まだぜんぜんわからない。少なくとも、それが今のSEという職業であるという実感はほとんどない。

他の人の職業や生い立ち、考え方もそれぞれ多様でかつ独特で面白いし、興味深く読める。みんな普通に就職活動をして会社員になっている人ではない。独立されていたり、成り行きでその仕事をやっていたりする。そういう人たちばかり出てくる本なので、なんで僕は就職活動をして会社員、SEをやっているのだろう?と自問自答せざるを得なかった。もちろん、単純に最低限路頭に迷わずに食っていくための手段であったから、というのが答えなのだけど。

仕事について考えてみたい人はゆっくり読んでみたらいいと思う。自己啓発本などと全くジャンルの違う本なので、アドバイスみたいなものは書いてない。ただ、参考にしつつ考えるしかない。



わたしのはたらき
わたしのはたらき [単行本(ソフトカバー)]
著者:西村 佳哲
出版:弘文堂
(2011-11-30)

読むべき人:
  • 自分の仕事について考えたい人
  • 自己実現しなくてはと思っている人
  • 生き方そのものも考えたい人
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June 09, 2013

みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?

みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?
みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの? [単行本(ソフトカバー)]

キーワード:
 西村佳哲、仕事、働く、生き方、物語
2010年に奈良県立図書情報館で開催された「自分の仕事を考える3日間」という名前のフォーラムの内容が書籍になったもの。以下のような目次となっている。
  1. 地域をつなぐ人・友廣裕一さんの旅の報告を聞く―旅を通じて次の仕事をつくる、という気持ちで
  2. 出版人/ミシマ社代表・三島邦弘さんを自由が丘の一軒家のオフィスに訪ねる―「こんなもんで」と思ったら、「こんなもん」でもいられないと思います
  3. 建築家/Open A代表・馬場正尊さんの出し惜しみのない働きぶりについて―無駄に走ることを厭わない
  4. フェアトレード団体ネパリ・バザーロ代表・土屋春代さんはなんのために国際協力の仕事をしているのか―ともに生きてゆく方法を探して
  5. ソーシャルワーカー/浦河べてるの家理事・向谷地生良さんはなにを大切にして働いてきた?―生きるエネルギーを仕事からもらわない
  6. CAFE MILLETオーナー・隅岡樹里さんを京都・静原の自宅カフェに訪ねる―じぶんの色や形をみつける
  7. 編集者/編集集団140B総監督・江弘毅さんが地域情報紙や祭りを通じて考えてきたことは?―人格的な接触が大切だと思うんです
  8. ファシリテーター/マザーアース・エデュケーション代表・松木正さんのお話をフォーラムでみんなと聴いて―誰かとともにちゃんと「いる」ことで、自己肯定感もあがると思う
  9. 料理人/くずし割烹枝魯枝魯店主・枝國栄一さんにとって料理の仕事とは―生きることは、死なないようにすることです
(目次から抜粋)
前作が2009年に実施された内容で、今作は2作目。イベントページは以下。前作の本は以下。基本的なスタンスは前作と変わらず、「どんなふうに働いて、生きてゆくの?」と著者が各業界で活躍する人に尋ね、インタビューをしている内容となる。
 でも、同じ時代を生きている他の人たちが、どんなことを感じたり考えながら、働いて、生きているのかは聞いてみたい。どんなしんどさや、どんな嬉しさととともにいるのか。そしてその言葉に触れた時、自分の中から浮かび上がってくるものを識りたい。またそれによって照らし出されるものを、よく見てみたい。
(pp.32)
インタビューされる人たちの業種、業界は様々。普通の会社員という人はおらず、独立していたり、自分で起業していたり、お店を持っていたりする人がほとんど。そういう人たちの、そこまでに至る経緯、そして仕事で何を大切にしているのだろうか?ということが著者のインタビューを通して分かるのがよい。

インタビューされるそれぞれの人たちは、きっとその業界では有名な人なんだろうなと思う。しかし、僕はそんなに他の業界のことをそんなに知っているわけではないので、ほとんど知らない人ばかり。ただ、その分どこかの大企業の社長というような誰でも知っている有名人ではない代わりに、それぞれの人の仕事観などを先入観なく自然な形で受け入れられたと思う。

僕と同じように成り行きでその仕事をしている人、どうしてもやりたいと思ってその仕事を始めた人など様々。どの人たちも最初からすんなり仕事がうまくいっているわけではない。うまくいかない部分やしんどい時期もそれなりにあるようだ。

たまたま僕は大学で学んだことを活かすというただそれだけの理由でSEを仕事として今までやってきたのだけど、他の人は何を動機として別の職種、仕事をやっているのだろうか?ということにわりと関心があったりする。世の中に星の数ほどの職種があるなか、なぜそこに至ったのか?何がきっかけだったのだろうか?ということを知るには、著者のようにインタビューする以外にこのような本を読むしかなく、そしてそれが分かって興味深く読めた。

一ヶ所なるほどと思う内容があった。ファシリテーターでカウンセラーの仕事もしているマザーアース・エデュケーション代表・松木正氏の以下の言葉。
 カウンセラーとして人の話を聴いている時、「ああ。人って、物語を生きてんねんな」って感じるんです。他人が示した条件に応えようとして生きてきた物語って、これ主役誰でしょうね?母親の顔を見ながらそれに応えようとしてきたとしたら、主体は母親で、子どもは客体化されている。自分の人生やから、ほんまは自分が主人公のはずやのに、母親の物語の中に取り込まれてる感じです。自己肯定というのは、「自分は自分の物語の主人公でいいんや」って、ちゃんと主体になれることかもしれん。そのことを認められる感じかもしれない。
 だけどこれって、人との関わり合いがないと出来ひんわけです。存在そのものを大事にしてもらえる感覚の中で、自己肯定感は育ってゆくんだと思う。
(pp.207)
昔は自己肯定感があまりにも低くて自分の存在義を自問自答してしまうときもあった。今はそれほどではないのだけど、それでもまだ低いことは自覚している。そして松木氏の示すような自分の物語の主人公でいいんだという感覚を以前から意識していた。それでも自分の物語がどういう方向に転じるのかは、自分でもよく分からない。バッドエンドにだけならないようにはしたいけどね。

何のために働くのだろう?と考えるときに、自分自身のことを考えつつも、他の人がどういう経緯で働いて生きてきたのだろうか?ということを知るのはとても参考になる。基本的に同時並行でできる仕事はそんなに多くはないし、一生のうちに従事できる職種も限られている。そしてこれからどうやって働いていくべきか?ということを考えるのにはとてもよいね。もちろん、それぞれの読者に対する答えなどどこにも書いてないけどね。

同著者の以下の本も参考に。

みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?
みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの? [単行本(ソフトカバー)]
著者:西村佳哲
出版:弘文堂
(2010-12-01)

読むべき人:
  • 転職しようかと思っている人
  • 就職活動中の人
  • 働き方、生き方を考えたい人
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May 26, 2013

「やりがいのある仕事」という幻想

「やりがいのある仕事」という幻想 (朝日新書)
「やりがいのある仕事」という幻想 (朝日新書) [新書]

キーワード:
 森博嗣、エッセイ、仕事論、やりがい、幻想
小説家である著者による仕事論。以下のような目次となっている。
  1. まえがき
  2. 第1章―仕事への大いなる勘違い
  3. 第2章―自分に合った仕事はどこにある?
  4. 第3章―これからの仕事
  5. 第4章―仕事の悩みや不安に答える
  6. 第5章―人生と仕事の関係
  7. あとがき
(目次から抜粋)
著者は工学部の大学助教授であったが、小説家になり、小説がヒットして今では働かなくてもいいだけの資産を形成していて、大学もやめて1日1時間程度の仕事しかしていないらしい。そんな著者によって、「仕事にやりがいを見つける生き方は素晴らしい」という言葉を多くの人たちが、理想や精神だと勘違いしていて、そんなものは幻想に過ぎないと少し冷淡に示されているのが本書。

著者の作品は一つだけ過去に読んだことあった。そんで本屋で気になるタイトルだったので買って読んでみた。まぁ、客観的な視点がとても参考になるなと。

仕事に貴賤はないし、人と比べてもしょうがないし、好きな仕事をしようとすると、それが嫌いになった時にしんどいし、自分の適性のある仕事などやってみないと分からないし、けれど自分が向いている仕事を選択するほうが合理的だし、やりがいなど人から与えられるものではないし、なので必ずしも仕事にやりがいを求めなくてもよい、というような著者の一意見が示されている。

著者の考え方はどこか突き放したようにも取れるし、もう働かなくてもいいだけの身分で半引退生活をしているような視点からというのもあるので、一概にすべて受け入れられるものでもないかもしれない。それでも、就職活動で就職先を選ぶとき、または仕事を始めて転職をしようかと思うときに、世間とか他人の評価ばかりを気にして、他者に判断基準をゆだねるのではなく、自分なりに客観的にどうしたいか?ということを考えることが重要なんだなと思った。

また、仕事にやりがいとかそういうものを過剰に求めすぎずに、まずはお金を得られればそれでいいじゃないかというような気楽な気持ちにもなれる。そんなに気負って働かなくも出いいんじゃないかと。一ヶ所なるほどと思った部分を引用。「自分にとっての成功はどこにあるか」という節タイトルの最後から。
 質素な生活ができる人は、ときどき適当に働いて、のんびり生きれば良い。贅沢な生活がしたい人は、ばりばり頑張って働いて、どんどん稼げば良い。いずれが偉いわけでもなく、片方が勝者で、もう一方は敗者というわけではない。
 人それぞれに生き方が違う。自分の道というものがあるはずだ。道というからには、その先に目的地がある。目標のようなものだ。まずは、それをよく考えて、自分にとっての目標を持つことだ。
「成功したい」と考えるまえに、「自分にとってどうなることが成功なのか」を見極める方が重要である。
(pp.94)
実際に仕事を始める前はバリバリ働いて稼げたらなぁと思っていた。しかし、現実は持病の影響もあって、残業制限もあるような状況で働いていて、そして実際に働いてみると追われるように働きづめなのは向いてないなと実感しつつある。自分にとっての成功は、それなりにお金があってのんびり読書したり映画を見たりするような生活ができることなのかなぁと漠然と思った。これはまた地道に考えておきたい。

割と身もふたもない話が多いのだけど、一度客観的に仕事とはどういうものなのか?ということを考えるきっかけになるので、就職活動中の人にお勧めだね。さらに、実際に働いている人で、自己啓発本ばかり読んでいる意識が高い系の(そして掲げる理想と現実の絶望的なギャップに奮闘しているような)人にもお勧めだね。給料よりもやりがいとか社会貢献したいなど過剰に意識している人は特に。

さくっと読めるし、もっと気軽に働けばいいじゃないかという気になれる本だった。



「やりがいのある仕事」という幻想 (朝日新書)
「やりがいのある仕事」という幻想 (朝日新書) [新書]
著者:森博嗣
出版:朝日新聞出版
(2013-05-10)

読むべき人:
  • やりがいを過剰に求めている人
  • 就職活動中の人
  • 仕事を辞めようかなと思っている人
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April 29, 2013

考える生き方

考える生き方
考える生き方 [単行本(ソフトカバー)]

キーワード:
 finalvent、仕事、家族、沖縄、人生
いわゆるアルファブロガーと称されるfinalvent氏の人生観が示されている本。以下のような目次となっている。
    はじめに
  1. 第1章 社会に出て考えたこと
  2. 第2章 家族をもって考えたこと
  3. 第3章 沖縄で考えたこと
  4. 第4章 病気になって考えたこと
  5. 第5章 勉強して考えたこと
  6. 第6章 年をとって考えたこと
(目次から抜粋)
finalvent氏は極東ブログで政治のニュースや歴史の話、書評やたまに料理などの記事を精力的に更新されている。僕も読んでいるけど、ときどき政治の話とか難しくてよく分からないときがある。しかし、この本はそんなことはなかった。読みやすかった。書いてあることは目次にある通りで、一言で言えば著者のこれまでの55年の人生について。からっぽで失敗の人生だったと自ら評してはいるけど、考えていけば何とかなるというようなことが示されており、気軽に読める本だった。
 他者の評価なんてどうでもいいとまで超然とすることはないが、自分の人生はこういうものだったんだなという、人生の意味の組み替えは自分なりに考えていけばなんとかなる。
 人生は、成功はしないかもしれないけど、考えていけばなんとかなるんじゃないか。
 なんとかなって、日々、それなりに生きている実感みたいなものを考えて見つけていけたら、それでいいんじゃないか。そうした思いを書いてみたい。
(pp.6)
そんな著者のこれまでの人生に起こった挫折と失敗体験、難病を患ったり、結婚したり、沖縄に移住したり、禿てきたことにたいする辛さなどの経験が興味深く示されていた。

いろいろと線を引いた。それらをすべて示したいけど、それも無理なので、ほんの少しだけ示しておきたいと思う。でもその前に全体的に感じたことを示しておく。

なんとなく、読んでいる途中からデジャヴ感が沸き起こっていた。なんだか自分と性質が似ているのかもしれないなぁと。自分自身の人生は空っぽだったとか、空虚感が常に付きまとっていたり、意外にもプログラマーとして働いていたこともあったり、多発性硬化症という難病を患ったりなどなど、もちろん著者と自分はベクトル値は全然違うのだけど、方向性は似たものを感じた。

例えば、著者がICUの大学院生を辞めるころ、離人症のようになって精神的におかしくなってしまったというときに、カウンセリングに通ったらしい。そして、以下のように考えていたらしい。
 私の存在について誰も意味も感じていなかったと思う。こう言うことはつらいが、親や恋人ですらそうだった。世の中そういうものだろうと諦めていた。
 だから、しかたなく、本をよく読んでいたのかもしれない。本の作者や主人公が何を考えているか、一生懸命、読みながら理解しようと、彼らに傾聴していくことで、自分に与えられなかったこと、つまり自分を理解するといことを補っていた。
(pp.23-24)
僕の場合は別に誰も自分の理解者がいないとまでは思わなかったけど、それでも自分で自分がよく分からなくなって見失ってしまうから、必死で読書してきたというものがある。大学生のころからそうで、社会人になって余計に訳が分からなくなって、だからこんな読書ブログを始めて、結果的に今まで継続することにもなった。

また、著者は4人目の子供が生まれるころに、多発性硬化症を患ったらしい。この病気は難病指定で、治ることなく、治療法もないらしく、発覚当初、人生、終わったなという感じがしたらしい。そして難病になって、心が豊かになったということも、人間的な成長も特に感じなかったけど、難病者という視点から世界や人間関係を見られるようになったという部分などもなるほどと思った。こういう部分も割と自分と似ているなぁと思った。もちろん、程度の差はあるのだけど。

本書で示されていることがすべてが手放しで共感できるということはない。結婚して、子供も4人いて、アルファブロガーとしてネット界に認知されていて、さらに難病発症時に支ええてくれる家族がいて幸せだと明記しているのに、自分の人生はからっぽで失敗だった、と「はじめに」に書いてしまう部分などは、それはどうかと思ったり。きっと読んだ人の大部分はそこに突っ込みたくはなるだろう。でもこれらは客観的に他人がどうこう言える部分でもないんだろうなと思う。そういう主観的なものは、きっと本人にしか分からない領域があるのだと思う。それは僕も同じ。

他には著者の勉強観などが参考になった。ICU卒という背景から、英語の学習法とかリベラルアーツの重要性などなど。著者が何に興味関心を持って勉強してきたのかがよく分かり、そしてそれが極東ブログの記事に色濃く反映されているのだなと思った。リベラルアーツ教育の一つの要素として、文学を学ぶ重要性が以下のように示されていた。
 恋愛などをうたいあげる文学はえてして若い人のように思われているが、文学が本当の意味をもつのは、むしろ仕事に脂がのる30代、40代からだ。仕事もできて世の中のお金も動かせるようになり、性的にも成熟したとき、若い日とは違う恋愛に出会うこともある。きれい事ばかりではすまない人生のなかで、ふと悪に手を染めることもある。友だちを裏切り、死に追い詰めることもあるかもしれない。人間が生きているかぎり、どうしようもない問題と、その背後に潜む妖しいほどの美がある。それに真正面からぶつかっていくには、文学を深く理解する力が必要になる。安っぽい道徳や単純に信仰だけを強いるような宗教では乗り越えられはしない人生に残るのは、人間の学たる人文学である。
(pp.250-251)
なるほどねと思った。結局、自分自身、家族とか地域のコミュニティ、会社、国家と枠を広げていっても、それらを構成するのは人なのだから、人に対する理解が重要なんだなとも思った。でもそこまで気負って文学作品を読まなくてはならないということもないけどね。

人生って何だろうと昔から考え続けてきたから、自分より長く生きてきた人の人生観はとても参考になる。ただ、現在29歳という年齢で著者ほど長く考え続けてきたわけではないけど、自分なりに言えることは、人生は考えるため「だけ」にあるわけじゃないということ。もちろん随時考えることはとても大切だけど、それだけではなく、ちゃんと日々を生きるということが大切なんだなと思った。つまり、考えているだけで、過去に思いを巡らせて後悔したり、未来をいかに生きるべきかということだけを考えすぎて、今を生きていないのはよろしくないなということ。とても抽象的な話ではあるけれど。

自分の人生って何だろう?と考えたい人にはいろいろとヒントになる部分が多い。ただ、答えはどこにも書いてない。当たり前だけど。



考える生き方
考える生き方 [単行本(ソフトカバー)]
著者:finalvent
出版:ダイヤモンド社
(2013-02-21)

読むべき人:
  • 自分には何もないと思っている人
  • 難病を患っている人
  • 自分の人生について考えてみたい人
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April 21, 2013

自分の仕事を考える3日間 I

自分の仕事を考える3日間 ・I
自分の仕事を考える3日間 ・I [単行本(ソフトカバー)]

キーワード:
 西村佳哲、仕事、働く、生き方、自分
2009年に奈良県立図書情報館で開催された「自分の仕事を考える3日間」という名前のフォーラムの内容が書籍になったもの。目次は省略し、詳細については過去のイベントのページを参照。まえがきで著者の仕事観とこのフォーラムのきっかけになった部分が示されているので、その部分を抜粋。
 仕事とは特定の職業や職能ではなく、自分の中心から生まれてくる力を「働き」にして社会化する、ひとつのつながりの営みだ。
 その仕事を、ただお金を得たり、人から与えられたり、周囲の期待に応えることだと考えている人もいると思う。書店へ行くと、それを少しでも創造的かつ主体的にやりましょうとハッパをかける、ビジネス系の自己啓発本が山のように積まれている(ように見える)。よりよく働きたいという気持ちを悪くいうつもりはないが、上手くやりたいとか賢くやりたいという気持ちは、向上心のようで、裏を返せばコンプレックスや強迫観念とも紙一重だ。それにどんなに上手く働けるようになったところで、自分の中心と繋がっている感覚が得られない限り、人は心からは満足しないし、「なんか違う」とか「もっとよくしたい」という飢えもなくならないんじゃないか。
 「よりよく働きたい」ということより、「より自分でありたい」とか「もっと自分になりたい」という気持ちの方が、わたしたちの願いの中心に近いんじゃないかな…ということを思う。どうでしょう?
(pp.006-007)
ということで、集まった人が互いに考え合えるような場としてフォーラムが開催されたようだ。また、ゲストには仕事や働き方について「論」ではなく、以下のことを話として伺ったらしい。
  1. 自分にとって<自分の仕事>とは?
  2. 自分は何を大切にしてきたか/してゆきたいか?
ゲストは農業をやっている人やお寺の住職、飲食店経営者、作家やアート系の人など様々で、読んでいていろんな仕事観があるのだなぁと思った。内容についてはあんまり示さず、<自分の仕事>というテーマから、僕の個人的な考えを簡単に示しておくことにする。

本書のテーマのように、ただの『仕事』ではなく、『自分の』という形容詞がキーとなる。僕の職業はSEであるのだけど、それはきっと自分の仕事を表していることにはならない。客観的な言葉で、職種を説明するには分かりやすい。しかし、そこにはやはり、自分のこととして表面的な職業以上のものが内包されているわけではない。

僕はコーチングを月一で受けているのだけど、最近は自分の仕事、働くことについて考えるようにしている。それと同時に、やはりこういう他の人の仕事観の参考になるような本を読んだりして考えるのだけど、まだはっきりとしたこれが「自分の仕事」だと自信を持って言える状態ではないなと。まだ不安定で漠然としているような状態。まったくないわけではないのだけど、輪郭も大きさもぼやけているイメージ像が頭の中にあるような感じ。

実質もう就職してからSEとして8年目くらいになって、会社も基本的に変わることはなく、職業も大きく変わっていることはない。それでも今は6つ目のプロジェクトで、それぞれのお客様の業界、そこでの自分のロール、技術領域などはそれぞれ異なっていた。しかし、振り返ってみて、そこに一貫した【自分の】仕事はあったのだろうか?何を持って【自分の】仕事と言えるのだろうか?という疑問が残る。

【自分の】というからには、自分が当事者である必要があって、それが僕には少し欠如しているような気がする。もっと分かりやすく言い換えれば、受動的に仕事をしていたのか、それとも主体的に仕事をしていたのかの違いだろうなと。間違いなく今までの自分の仕事は前者に近いだろうと。

もちろん、職種と会社まで受動的に決められたわけではないけど、それでも実際に働き始めてみると、プロジェクト先のアサインは自分の希望とは関係なく決められ、そこでの目の前のタスクをこなすので精いっぱいで、スケジュール間がきつくて残業もするのは嫌だから余計な仕事はしたくないとか今でも思っていたりするし。最近はそれではあまりよろしくないのだろうなとは思うのだけどね。

主体的に働くのは、案外難しというか、どういう状態になれば自分は主体的に【自分の】仕事として働けるのかの具体像がきっとまだ確立されていないのだなぁと思った。これが確立できたとき、【自分の】仕事として自信を持って語れるようになる気がする。

また、【自分の】という所有格的な意味合いから、自分がやり遂げた成果、実績も重要な要素である気がする。他の人の貢献があまりにも大きく、自分が関わった部分が少ないと、【自分の】とは言えないでしょう。今までの仕事を振り返って、これが自分の貢献度、成果であると自信を持って言えた部分はあったのだろうか?全くないわけでもなく、例えばひとつ前のプロジェクトである計算ロジック機能はまるまる自分が担当した。でもまだ、自分の生き方も含めた仕事観を体現しているとは言い難い。

うむ、考えてみるとなかなか難しいものだね。とはいえ、『自分はXXの専門家です!!』と自信を持って言えるようになりたい。XXの部分は例えば、データベースとかネットワークとか、C#とか金融業務の知識とかCRMとかERPとかいろいろ当てはまる。それらが自分の仕事につながるかは分からないけど、少なくとも今以上にぼやけた輪郭がはっきりするはず。

あと、もう一つのテーマである、『自分は何を大切にしてきたか/してゆきたいか?』はどうだろうか。細かい部分で言うと、設計書やコードは分かりやすくする、なるべく自分だけではなくチームの補助になるような成果物を作成するなどかな。でもそれが自分の仕事であることとどうリンクするのかはまだよく分からない。

いろいろと考えてみるけれど、まぁ、そんな簡単には分かったら苦労しないわなと思った。もっと継続して考えなくてはだな。

本書は3冊シリーズ化されている。あと2冊積読状態なので、そのうち読んでまたいろいろと考えたい。

著者の本は独特の空気感があって、問いは示すけど、明確な答えなどは示さず、そしてあまり説教臭くなく、自分はどうだろうと?考えさせてくれるような本。そういうのが割と好きかもしれない。以下同じ著者の読んだ本。来年30歳を迎えるにあたって、今年1年もまた【自分の仕事】をテーマに考えていきたいところなので、しばらく同じようなテーマの本が続くかも。



自分の仕事を考える3日間 ・I
自分の仕事を考える3日間 ・I [単行本(ソフトカバー)]
著者:西村 佳哲
出版:弘文堂
(2009-12-22)

読むべき人:
  • 仕事について考えてたい人
  • 就職活動中の学生の人
  • 自分の生き方まで考えたい人
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December 28, 2012

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫)
夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫)

キーワード:
 村上春樹、インタビュー、井戸、引き出し、物語
村上春樹のインタビュー集。以下のような目次となっている。
  • アウトサイダー(聞き手 ローラ・ミラー(Salon.com 1997年))
  • 現実の力・現実を超える力(聞き手 洪金珠(時報周刊 1998年))
  • 『スプートニクの恋人』を中心に(聞き手 島森路子(広告批評 1999年))
  • 心を飾らない人(聞き手 林少華(亞洲週刊 2003年))
  • 『海辺のカフカ』を中心に(聞き手 湯川豊、小山鉄郎(文學界 2003年))
  • 「書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなもの」(聞き手 ミン・トラン・ユ
  • イ(magazine litt´eraire 2003年))
  • 「小説家にとって必要なものは個別の意見ではなく、その意見がしっかり拠って立つことのできる、個人的作話システムなのです」(聞き手 ショーン・ウィルシー(THE BELIEVER BOOK OF WRITERS TALKING TO WRITERS 2005年))
  • サリンジャー、『グレート・ギャツビー』、なぜアメリカの読者は時としてポイントを見逃すか(聞き手 ローランド・ケルツ(A Public Space 2006年))
  • 短編小説はどんな風に書けばいいのか(聞き手 「考える人」編集部(考える人 2007年))
    「走っているときに僕のいる場所は、穏やかな場所です」(聞き手 マイク・グロッセカトヘーファー(DER SPIEGEL 2008年))
  • ハルキ・ムラカミあるいは、どうやって不可思議な井戸から抜け出すか(聞き手 アントニオ・ロサーノ QueeLeer 2008年)
  • るつぼのような小説を書きたい(『1Q84』前夜 聞き手 古川日出男 モンキービジネス2009年)
  • 「これからの十年は、再び理想主義の十年となるべきです」(聞き手 マリア・フェルナンデス・ノゲラ The Catalan News Agency 2011年)
  • あとがき
  • (初出一覧)
(目次から抜粋)
作家の村上春樹氏は、テレビも出ず、ラジオにも出たりしない。基本的に自分の仕事は書くことであるから、というのが主な理由らしい。しかし、本書のように、少なからずインタビューは受けるようだ。その主な理由は、作品が出版されて、ある程度読者が大体読み終えている時期に、事実ではないことに対する正しい認識を示すため、あるいは物語が生まれた経緯や執筆にかかわるエピソードを示すことで読者に楽しんでもらうためとある。また、さらには創作のプロセス、執筆の技法などを語ることも抵抗はないとある。

しかし、著者が答えたくないと思っているのは、各作品のテーマであったり、物語の意味性、文学的位置、メタファーの解析などらしい。よって、インタビューの中ではそれらについてはほとんど触れられていない。

本書は村上春樹氏の初めてのインタビュー集である。なので、これまで読んだことのないような作品に対する取り組み方、小説に対するプロ意識、これまで影響を受けてきた作家や物語の創作プロセスがとても興味深く示されている。

村上春樹氏にとって、作家として小説を書くというのは、夢の中にあるような暗くて奇妙なものがある無意識のような世界に入っていき、そこから奇妙なものを取り出し、それらを材料として物語を紡ぎだすことと示している。そして、本書のタイトルは、以下のフレーズによるものとなっている。
作家にとって書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなものです。それは、論理をいつも介入させられるとはかぎらない、法外な経験なんです。夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです。
(pp.165)
これが普通の人よりもうまく、そして意識的にできるということから、作家として今までやってこれたというようなことが示されていた。

僕にとって村上春樹氏というのは、やはり特別な作家なのだと再認識した。18歳のとき、『ノルウェイの森』を読んである意味衝撃を受けて、そして読書に嵌るきっかけとなった。一人の作家に対して集中的に作品を読むということを基本的にしてこなかったが、村上春樹氏だけは例外となり、長編作品はすべて読んできた。僕はこの10年で以下の順番で作品を読んできた。
  1. ノルウェイの森
  2. 風の歌を聴け
  3. ダンス・ダンス・ダンス
  4. 1973年のピンボール
  5. 羊をめぐる冒険
  6. スプートニクの恋人
  7. 国境の南、太陽の西
  8. 海辺のカフカ
  9. 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
  10. アフターダーク
  11. ねじまき鳥クロニクル
  12. 1Q84
どうしてこうなったのかはよく分からない部分がある。『僕』を主人公とした初期4部作がシリーズものとは知らなかったし、また本書を読むまで、『海辺のカフカ』が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の続編を意識して書かれたものとは知らなかった。厳密には続編ではないのだけど。本書を読むことで、主に『ねじまき鳥クロニクル』以降の作品からの著者がチャレンジしてきたこと、意図してきたことの変遷がとてもよく分かる。一人称から三人称への挑戦であったり、創作のプロセスであったり。そういうのを一度知ると、もう一度刊行順に再読したくなってくる。著者がドストエフスキーのような物語と物語を重層的に重ねていく「総合小説」を書きたいという意欲があるが、今の社会には当時ドストエフスキーが読まれていたようなブルジョアジーの知的階層はなくなってきており、完全に大衆化してきている。そういう状況で深い物語とか深い文学を書くのにはどうすればいいのかということが問題になってくるらしい。以下、長いけどとても印象に残った部分を引用。
 そういうふうに教養体系みたいなものがガラガラ変わっていく中で小説がどのようにして生き残っていけるのかということを、僕は、やっぱり考える。文学というのは別にそういうことを考えなくていいんだと言われればそうなのかもしれないけど、僕が考える物語というのはそうじゃないんです。僕は文芸社会の中で育ってきた人間じゃないから、やっぱりひとりの生活者として、生活の延長線上にあるものとして、文学を考えます。僕の考える物語というのは、まず人に読みたいと思わせ、人が読んで楽しいと感じるかたち、そういう中でとにかく人を深い暗闇の領域に引きずり込んでいける力を持ったものです。できるだけ簡単な言葉で、できるだけ深いものごとを、小説という形でしか語れないことを語る、というのをしないことには、やはり、負けていくと思う。もちろん、ごく少数の読者に読まれる質の高い小説もあっていいと思います。そういうものを否定するわけじゃない。でも僕が今やりたいのはそういうものじゃない。
 僕はむしろ文学というものを、他のものでは代替不可能な、とくべつなメディア・ツールとして、積極的に使って攻めていきたいというふうに考えるんです。
(pp.152)
村上春樹氏の物語に妙に引き寄せられるのは、著者の物語の中にある深い暗闇に自分の中の何かが呼応しているからではないかと思った。だから、一人の作家に対して傾倒するようなことがない自分が、長編をすべて読んでこれたのだと思う。

そして、『この小説という形でしか語れないことを語る』という部分こそが、物語、小説を読む意義なのではないかと。小説は他のジャンルの本を読むよりも時間がかかったり、何かを伝えるための描写や会話が回りくどい物だったりする。しかし、主人公の視点やさまざまなエピソードを通して長い時間をかけて読み解いていく過程が、とても重要と感じる。たぶん、日常生活をなんとなく生きているのでは得られない、自分の中のわだかまりなどが消化(昇華)される装置、カタルシスが物語、小説の役割なのかなと。こういう部分を小説家である視点から語られるのはとても興味深く思った。

他には作品の創作プロセス以外にも、高校生くらいはどういう少年だったかとか、小説家になる前は何をやっていたのかとか、著者自身の昔のことに対する質問にも答えられている。ちなみに、高校生くらいのときはドストエフスキーやトルストイなどが好きだったようだ。そして、15歳のときにカフカの『』を読んで、あれはすごかったなぁと述べられている。僕は最近この『城』を読了したのだけど、よく15歳でこの作品を読んですごいと思えるなぁと思った。

本書は今まであまり語られなかった部分に多く言及されている。600ページ近くもあり、著者もあとがきで示しているが、インタビューは同じ様なことを聞かれて困るとあり、似たような内容の部分も多い。しかし、それらを通して、著者が一環してどういう姿勢で物語を生み出してきたのかがとてもよく分かり、ファンのみならず、小説を書きたいという人にもとても勉強になるのではないかなと思った。

本書は、自分の中の深い闇の部分に通じる村上春樹氏の作品群へ結び付けられるような、心静かに訴えてくるスゴ本だった。



夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫)
夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫)
著者:村上 春樹
販売元:文藝春秋
(2012-09-04)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 村上春樹のファンの人
  • 小説家になりたい人
  • 物語の持つ役割について考えてみたい人
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December 27, 2012

社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!

社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!
社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!

キーワード:
 ちきりん、海外旅行、歴史、日本、楽しむ
おちゃらけ社会派ブロガー、ちきりん氏の海外旅行体験記。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 お金から見える世界
  2. 第2章 異国で働く人々
  3. 第3章 人生観が変わる場所
  4. 第4章 共産主義国への旅
  5. 第5章 ビーチリゾートの旅
  6. 第6章 世界の美術館
  7. 第7章 古代遺跡の旅
  8. 第8章 恵まれすぎの南欧諸国
  9. 第9章 変貌するアジア
  10. 第10章 豊かであるという実感
  11. さいごに 旅をより楽しむために
  12. 若者の海外旅行離れについて~あとがきにかえて
(目次から抜粋)
ちきりん氏のブログは割と前から好んでウオッチしてた。パーソナルのほうも。Twitterもフォローしているし。しかし、以前の著作は別に読んだこともなかった。ただ、今年初めての海外旅行を経験したというのもあって、学生時代から50か国も渡り歩いてきたちきりん氏のこの本が気になって買って読んでみた。

内容としては、ちきりんが学生時代から20年にわたって訪れた様々な国で感じた海外の常識や見方、そして日本との考え方の違いがまとめられている。海外に全然行ったことのない自分としては、どの話題も興味深かった。

第1章の通貨の話では、自国通貨を欲しがらない国が結構あるらしい。例えば、1980年代のインドではルピーよりもドルが欲しいので、お店ではドルじゃないと売れないと言われたりしたようだ。これは、自国通貨の信頼性がそこまで高くないので、国際市場では自由に両替ができないので、自分が欲しい価値のあるものを自由に買えないからということらしい。なるほどねぇ。ちなみに、最近読んだ『シャンタラム』でも1980年代のインドでルピーをいいレートでドルに両替するマフィアの仕事が出てきた。他にも紙幣には「国としての姿勢や考え方」が現れているらしい。政治家や王室、文化人、人物像なしとかいろいろあるようだ。日本が伊藤博文の肖像を千円札から除いたのは、韓国のソウルオリンピックを配慮したためではないかと考察されていた。伊藤博文は安重根に殺害されているからね。なるほどと思った。自分が初めて行ったニューカレドニアは、フレンチパシフィックフランでニューカレドニアの風景と歴史的に重要な人物が描かれている。

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3章の『人生観が変わる場所』では、街が乾燥していてミイラが勝手に作られるようなウイグルで、生きているようなミイラを見て衝撃を受けたとか、イースター島では、ちっぽけな島だが、そこで地球を感じられたとか、アフリカでライオンがキリンを捕食しているのを目の当たりにして、人生の意義とかそんなものは考えても無意味で、シンプルに生きようと思われたようだ。なるほどね。

あとは共産主義時代のソ連に旅行に行ったときと、それから20年たって資本主義になったロシアに行ったときの違いの考察なども面白かった。ぜんぜんガラッと変わってしまうようだ。だから、旅にはタイミングが重要で、その国の情勢によっては昔は自由に行けたのに、今は行けなくなってしまったりとか、観光地なども、昔は自由に見れたものが見れなくなることもあるようだ。逆に、文化遺産の修復などが進み、昔は見れなかったものが、今見れることもあるようだ。それでも、「どうしても行きたい場所は、早めに行っておくべき」だって。

あと印象的だったエピソードとして、10章の『豊かであるという実感』では、ビルマで「オレは大金持ちだ」と自分で言う人の家に招待され、家や車を持っているか?と聞かれたらしい。当時3畳程度の社員寮に住んでいたちきりんは、車もブランド品も持っていなかったが、それでもこの人よりも豊かであると実感されたようだ。それは、この国では、軍事政権で政治が安定せず、海外からも経済制裁を受けていて、国の展望も明るくなく、海外に行くこともできない状況だったようだ。そして、以下のような意図があって、このように質問をしていたようだ。
 というより、彼はむしろ私に伝えようとしていたのでしょう。「家や車やお金なんて持っていても、私の生活は決して豊かとは言えない。豊かな人生というのは、あなたのように希望や自由や選択肢のある人生なんだ」と、彼は言いたかったのです。
(pp.218)
本当の豊かさは何だろうか?と考えさせられた。

今年初めての海外旅行としてニューカレドニアに行ったほど、引きこもり体質で、海外とは無縁な生活をしてきた。所属組織は米系の外資系でグローバル、グローバルと言っているのに、さすがにそれはどうかと思うのもあったし、南の島に絶対行きたいと思っていたので、なんとか今年の4月末に行けた。目の前に広がる見たこともない美しいビーチの光景に魂が震えるような感覚だった。

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海外に行けば、日本でテレビやネット、本を通してみたのでは絶対にわからない部分があるんだなぁと思った。そういうリアルな体験がとても重要だし、勉強になるなと思った。そして、この本を読んでも、何となく観光地や自然の光景がいいなぁと思うのではなく、いろいろと思考を巡らせるのがいいんだなと思って、さいごのあとがきに以下のように書かれていた。
 この本を手に取り、ここまで読んで下さった皆様は、海外旅行が好きか、憧れている方だと思います。旅行はそういう「海外旅行が大好き!」な人がすればいいのです。「何かを学ぶため、視野を広げるため、成長するため、強くなるため」に旅行するなんて邪道です。「楽しい、わくわくする、おもしろい、また行きたい!」、そう思える人だけで海外旅行を楽しみましょう。
(pp.245)
すごく勉強になるようなことを書いておいて、最後にこれかよ!!と突っ込まざるを得なかったww自分なんて冒険の旅だ!!とか思って行ったというのに、邪道だと!?wwwまぁ、最後はちきりんらしい締めのような気がした。

本書を読みながら、もっと海外に行きたいなぁと思った。そして、次の海外旅行先の選定の参考になる本だった。



社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!
社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!
著者:ちきりん
販売元:大和書房
(2012-05-19)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 海外旅行が好きな人
  • 世界の歴史や文化などについて知りたい人
  • 日本と豊かさについて考えたい人
Amazon.co.jpで『ちきりん』の他の本を見る

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December 03, 2012

サラダ好きのライオン

サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3
サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3

キーワード:
 村上春樹/大橋歩、エッセイ、日常、余暇、抽斗
村上春樹氏のエッセイ。雑誌アンアンに連載されていたエッセイが本になったもの。挿絵は大橋歩さんによる銅版画で作成されたものが挿入されている。

村上春樹氏のまえがきで、いい歳したおっさんがなんで若い読者の女性誌にエッセイを連載しているのかは自分でもよく分からないと示している。だから、「共通する話題なんてない」といったん腹をくくり、自分の興味関心の赴くままに好きなことを書いているらしい。なるほど。

エッセイのテーマは村上春樹氏の興味関心がよく表れている。犬であったり、好きな猫だったり、見た映画、食べた料理、作ったことのある料理、外国の動物園とかホテル、イベントとか学生のころのお話、トライアスロンとか自分の性格とか作家としての自分の意識などなど。

面白かったエッセイのタイトルをいくつか示しておこう。
  • 愛は消えても
  • 真の男になるためには
  • シェーンブルン動物園のライオン
  • プレゼントする人、される人
  • カラフルな編集者たち
  • 信号待ちの歯磨き
まぁ、全部面白いのだけどね(笑)。あと各エッセイの最後に「今週の村上」という一言コメントがある。それも面白いので一部引用。
  • 暇なときにラブホテルの名前をよく考えます。「それなりに」なんていいんじゃないかな。(「献欲手帳」pp.49)
  • 「何回読んでも難解だ」という文章が、意味もなく頭から離れません。なんとかしてほしい。(「岩にしみ入る」pp.101)
  • 犬の名前ではポチというのがわりに有名だけど、ポチっていったい何のことだろう?(「猫に名前をつけるのは」pp.165)
暇なことを日々考えておられるのだなぁと思う。まぁ、そういう発想がないとよい小説が書けないのだろうけど。

村上春樹のエッセイがかなり好きな方で。長編作品はすべて読了しているし、長編作品よりもエッセイとか旅行記をよく読んでいたというのもあるし。不思議なことをよく考えているんだなぁと。日々の生活で見過ごしてしまうようなことなど、改めて気づかされることが多いね。こんな風に考えていけば、もっと日常生活を楽しめるんじゃないかと思えてくる。

あと、最後に一ヶ所文章でなるほどと思ったところがあるので、そこを引用。「昼寝の達人」というタイトルの最後の部分。
 僕の個人的な意見ですが、若いうちに社会にもまれてしっかりと傷ついておけば、年を取ってからそのぶん楽になるような気がする。もし嫌なことがあったら、布団をかぶってぐっすり寝ちゃう。なんといってもこれが一番です。がんばって下さい。
(pp.145)
これは別のエッセイでも書かれていた気がするけど、そうなんだ、寝ればいいんだと思った。嫌なことがあったり、精神的に不安定になってきたら、ぐっすり寝ればなんとかなるんだなと。あとは、こういう本を読んでリラックスしながら気分転換もいいね。

村上ラヂオシリーズは以下2冊がある。どれも読みやすいので、すぐに読み終えてしまう。しかし、一気に読むのはもったいない。寝る前に2タイトルずつくらい読んだりとか、カフェでマターリしながらちょっとずつ読んでいくのがいいね。



サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3
サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3
著者:村上 春樹
販売元:マガジンハウス
(2012-07-09)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 日常生活を楽しみたい人
  • 日々忙しくて精神的にゆっくりできない人
  • 箪笥の引き出しを増やしたい人
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October 27, 2012

ワイルドサイドを歩け

ワイルドサイドを歩け (講談社プラスアルファ文庫)
ワイルドサイドを歩け (講談社プラスアルファ文庫)

キーワード:
 ロバート・ハリス、エッセイ、旅、人生、遊び
旅人、ロバート・ハリス氏のエッセイ。本書は著者がFMラジオのJ-WAVEで2年ほどやってた「エグザイルス」というミニコーナーが元になっているものらしい。このミニコーナーで、本や映画や旅とか好きなトピックについて3, 4分話すというもので、その元ネタの原稿が本になったもののようだ。

目次はちょっと多すぎるので省略。自分が特に面白いなと思ったトピックのタイトルを以下に列挙。
  1. 人生のリスト
  2. ポーカー塾
  3. ロックンロール
  4. ロウ・ポイント
  5. 冒険者たち
  6. 夜遊び
  7. 無限の人生
  8. 一人旅のテーマ
  9. 旅と本
  10. ギャンブラーの話
  11. 言葉の力
  12. 物語
  13. ワイルドサイドを歩け
各トピックについて、4, 5ページの分量となっている。これがどれも興味深い話題だった。なんというか、一人の人の経験がここまで多様性と面白みを持っているのだなぁと思った。そしてたくさん線を引いた。その線を引いた部分を恣意的にそして断片的にいくつか示しておく。
  • 運を天に任せ、前向きに突っ込んでいく、これが一番いい姿勢だと思う。(pp.49)
  • 「生きるということは、質問を一つ一つ浄化していくことである」(pp.58)
  • ドロップアウトするということは、つまり自分が何を欲し、どんな生き方をしていきたいのか、そのことをじっくり考え、その方向へ向かって一歩踏み出していくことだ。(pp.63)
  • もしかしたら僕は、自分を探すために旅をするのではなく、自分をなくすために、自分ではない誰かになるために旅をしているのかもしれない。(pp.93)
  • それだけ物語というものは人間の心に必要なもの、孤独を癒すだけではなく、人生そのものを豊かにし、魂を潤してくれるものなのだろう。(pp.217)
著者がポーカーを覚えたのは15歳くらいの時で、横浜の元町の喫茶店のマスターにポーカーをやりたいと相談したことかららしい。そこで1年で40万円くらいは負けたけど、修羅場に強い人間になれて、人生のレッスンを体験したというように示されていた。

他にもオーストラリアで暮らしていた時、ほとんど無職に近い状態だったけど、ポーカーで食っていたようだ。そのときの経験から、人は博打をやっているときは、博打によってシンプルな生き物にしてくれるらしい。例えば、プレイヤーの一人が「オレ、実はスカトロにはまってんだ。」とぽつりと語り始めても何もなかったようにゲームが進むらしい。普段は人には絶対話さないようなものが語られるようだ。だから、プロのギャンブラーに会うことがあったら、不思議な話を聞かせて見てくれよと言ってみると、面白い話が聞けるようだ。

なんというか、本書に影響されて僕もポーカーをやってみたくなった。ギャンブルにも割と関心があるし。もちろん、この本の影響だけではないけどね。

また、著者は一人旅に出るときに、自分なりの旅のテーマを決めるようにしているようだ。旅で何を感じたいか、どんな気持ちに浸りたいか、といったことを考えながら「孤独」「忘却」「ワイルド」「内省」「虚無」「アンニュイ」とテーマ設定するようだ。これは自分もやってみようと思う。ちなみに、今年初めて一人で海外旅行としてニューカレドニアに行ったときは、「冒険」がテーマだったなと。

本当はもっとたくさんいろいとエピソードを示したいが、それは読んでからのお楽しみ。音楽の話であったり、本、旅、人生、出会った人、ギャンブル、恋愛、ドラッグと話題はとても豊富で飽きさせない。読んでいるととてもワクワクしてくる。

最後にとても印象に残った部分を引用しておく。「言葉の力」というタイトルで、小説家になろうとして、自分にプレッシャーをかけすぎて、日常生活を楽しめなくなっていた時の部分。
 そんなある晩、夜中の二時頃だったろうか。四時間ほど机に向かって何も書けない状態が続き、苛々していた。今日はもう駄目だと思い、ヘンリー・ミラーの本を手に取り、ページをパラパラと捲ってみた。すると、こんな言葉が目に飛びこんできた。
「僕はこの世を楽園だと思っている。そして、人間がこの楽園に生まれてきた理由はただ一つ、ここで子供のように、思いっきり遊ぶためだ」
 確か、そんな内容のものだったと思うのだが、この言葉はカラカラになった僕の心に、冷たい水のように沁み渡ってきて、今までの苛々を一瞬のうちに解消してくれた。そしてそれ以来、僕の人生の道しるべのようなフレーズとなった。
 焦ったり、頑張りすぎたりしている時、よくこの言葉を思い出し、「そうなんだ、もっとリラックスして、人生を楽しまなきゃ」と自分自身に言い聞かせる。すると、不思議と自然体になり、自分のことを笑う余裕すら出てくる。
(pp.208)
人生を楽しんでいる?毎日仕事に忙殺されたりして、自分を見失っていない?本当にやりたかったことはやれている?昨日と同じような今日がまた繰り返されて、うんざりしていない?そう思ったなら、この本は買いだ。読んでみると、レールから外れて、ドロップアウトして旅に出たくなるかもしれない。

ただ、著者も示すように、本書を読んでドロップアウトして、ワイルドサイドを歩いたとしても、必ずしも楽ではないし、充実するとは限らないので責任はとれないとある。それでも、思い切ってもっと冒険してもいいんじゃないか、積極的に外れて自分の人生を楽しんでもいいんじゃないか!?と思わせてくれる。

著者の本は以下もおすすめ。本書は、上記2冊の隙間を埋めるような副読本のような位置づけ。なので、最初に上記2つを読んでから本書を読むとより、著者の人生観がわかってよい。

僕ももっと人生を楽しみたいと思う。だから、著者に触発されて自分なりの人生の100のリストを作ったのだし。

日常の閉塞状況に思い悩んでいる人にはとても良い本だと思う。精神的にも、物理的にも閉塞した状況の場合は特に。



ワイルドサイドを歩け (講談社プラスアルファ文庫)
ワイルドサイドを歩け (講談社プラスアルファ文庫)
著者:ロバート・ハリス
販売元:講談社
(2002-09-19)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 旅が好きな人
  • 人生を楽しみたい人
  • 退屈な日常生活から抜け出したい人
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August 05, 2012

自分をいかして生きる

自分をいかして生きる (ちくま文庫)
自分をいかして生きる (ちくま文庫)

キーワード:
 西村佳哲、自分、存在、仕事、手紙
働き方研究家による仕事や働き方について考える3部作の第2弾。目次は省略して、本書が書かれた動機について示されている部分を引用。
 どんなに成功しているように見える人でも、人生に「上がり」はない。植木さんのように多くの人から、その仕事を愛された人でも。あたり前の話だけれど、定年まで勤め上げたところでそこが上がりでもない。死ぬ瞬間まで「自分をどういかして生きていくか」という課題から、誰も降りることはできない。
 こうしてみると、人間の仕事とは「死ぬまで自分をいかして生きる」ことのように思える。文字にすると限りなくあたり前の話だけど、いま僕が試みたいのは、そのあたり前のことの再確認である。
(pp.12-13)
著者が20代のころ、勤めていた会社で働きづつける自分の将来像が思い描けず、自分はいったい何がしたいんだろう?ということに日々悶々としていた時に、コメディアンの植木等のセリフを聞いて、愕然と気づいたのが上記のようなことのようだ。

そして前著の『自分の仕事をつくる』の補稿として、<自分の仕事>とはなにかということ、またそれはどのように可能なのかという考えや逡巡を手紙のように書かれたものが本書となる。本書は、前著と同じように西新宿のブックファーストのフェアで手に入れた。さすがにお勧めされるだけあって、前著に続き内容がとてもよかった(それはそうと、西新宿のブックファーストは良いフェアを開催してくれる)。

仕事論などは、自己啓発書のようになんとかしたらよいというタイプのものや、社会学者が各統計データを基に世の中の傾向を一般化したり解説したりしたものが多いが、本書は手紙のようなとある通り、著者の個人的な考えがダイレクトに示されている。それが僕にはとてもよかった気がする。

本書の内容は割と話題が飛び飛びになるので、気になった部分を紹介しつつ、自分の考えも合わせて簡単に示しておきたい。

まずは「いい仕事」について。著者は初めてヨーロッパへ行き、大聖堂の圧倒的な仕事量に感服したり、日本の古い木造建築の細部に感じ入るようになるにつれて、自分は「いい仕事」を求めているんだ、そしてできればそれに関わっていきたいと少しずつ思うようになったらしい。
 でもその「いい仕事」とは、いったいどんなことを指すのか。これはなかなか言葉に出来ずにいた。今はこう思う。僕が魅力を感じ、満足を覚えるのは、「いる」感じがする仕事である。
(pp.039)
この「いる」という感覚が本書ではとても重要なキーワードとなる。そして次のように続いている。
 人間は基本的に、「いい仕事」をしたい生き物だと思う。給料や条件とかステイタスの話ではなく、他の人々に対して「いい影響を持ちたい」、という欲求があると思う。
「いい影響」とは、その仕事に接した人間が「よりハッキリ存在するようになる」ことを示すんじゃないか。「より生きている感じになる」と言い換えてもいい。
(pp.041)
自分の仕事でも少なからず「いい仕事」をしたいと思うけど、ここまで考えたことはなかった。自分の仕事に接したお客様が「よりハッキリ存在するようになる」とはどういうことなのだろうか?自分が構築に関わったシステムによって、よりお客様の業務の本質が改善されること、かなと思った。

他には『好きなことを仕事に』という言葉について、好きなことがないとダメなのか?という疑問から、以下の問いが示されている。
 あるいは「自分がお客さんでいられないことは?」、という問はどうだろう。
(中略)
 でも「好き」だけではすまない。
 今はお客さんの立場でも、ずっとそのままでいられるかというとそんなことはない。というか、そうありたくない。
 気持ちがザワザワする。落ち着かない。見たくない。悔しい。時にはその場から走りだしたくさえなるような、本人にもわけのわからない持て余す感覚を感じている人は、そのことについて、ただお客さんではいられない人なんじゃないかと思う。
(pp.073-074)
これをもうちょっと具体的な例として補足すると、例えば映画が好きで映画を見ているけど、もっとこういう映画のほうがいいんじゃないか?と思ったりして実際に作り始めたり、それが料理であったり、カフェや書店などのお店でもあり得る。そういうサービスや商品を提供する側に回りたいという気持ちが、自分の仕事につながっていくようだ。

これはB to Cのビジネスやサービスは分かりやすいと思う。普段の日常生活で接する機会がとても多いからね。逆にB to Bビジネスではその仕事、職種の存在すら知らなかったりする。そういう場合は、このお客さんではいられない状態になるというのはとても難しい気もする。そう考えると、自分の職業、仕事の決定要因は様々なのだなぁと思う。必ずしも好きとか、このお客さんではいられないという思いに囚われなくてもいい気もする。

自分の意にそぐわなかったり、好きな仕事をしていたとしても、最後に著者が示す以下のような気持ちでいたい。
 やらされてやるような労働はしたくないし、してほしくもない。どんな難しさがあろうと、一人ひとりが自分を突き動かしている力、この世界に生まれてきた力を働きに変えて、つまり<自分の仕事>をすることで、社会が豊かさを得る。
 そんな風景を本当に見たいし、自分もその一端で働き、生きてゆきたい。
(pp.190-191)
その通りだなと思った。

今年1年は自分なりに働くこと、仕事について考えていこうと決めたので、このような本を読むのはとてもよかった。いろんなことを考えさせられるタイプの本で、ゆっくり読むのがよいかな。

もちろん、本書は著者の個人的な考えがメインに示されているだけで、万人受けするような仕事に対する答えなどは示されていない。本書を読んで自分なりの働き方、自分の今の仕事を振り返りつつ、そしてこれからの自分の生き方までを考えるよいきっかけになる。

最近は仕事が徐々に楽しめるようになってきて、これが自分の仕事なんじゃないかと思えるようになってきた。しかし、それと同時に、今の仕事の延長線上に自分の仕事の未来があるのかどうかも分からなくて、若干の不安と迷いもあったりする。それはら常に自分に付きまとうような気もするので、深く考え込まなくてもいい気もするが。

30歳までを一区切りとして、自分をいかした仕事をして生きていたいなぁと思う。



自分をいかして生きる (ちくま文庫)
自分をいかして生きる (ちくま文庫)
著者:西村 佳哲
販売元:筑摩書房
(2011-06-10)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 仕事について考えたい人
  • 何がしたいか分からない人
  • 自分をいかしたい人
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June 30, 2012

遠い太鼓

遠い太鼓 (講談社文庫)
遠い太鼓 (講談社文庫)

キーワード:
 村上春樹、旅行記、ギリシャ、イタリア、出会い
村上春樹が親しい人々に手紙を書き送るような気持ちで書いた旅行記。目次は長いので省略して、本書の概要を示しておこう。

本書は村上春樹が長い旅に出たいと思い、1986年から1989年までの3年間、37歳から40歳になるまでにギリシャ、イタリアなどの各地に移り住みながら小説を書き、その仕事の合間に書かれた旅行スケッチをベースに加筆したりしてまとめられた本となる。それはそのときの気分であったり、個人的な楽しみのためでもあったり、文章的エクササイズを目的としたものもあるし、断片的に雑誌に掲載されたものもある。

やぁ、君、この本は今年読んだ中で一番かもしれないよ!!前にも同じようなことを書いたけど(笑)、それと甲乙つけたがいね。村上春樹は、日本にいたままでは何かが失われてしまうのではないかと思い、長い旅に出たいという気持ちになったようだ。
 そう、ある日突然、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。
 それは旅に出る理由としては理想的であるように僕には思える。シンプルで、説得力を持っている。そして何事をもジェネライズしてはいない。
 ある朝目が覚めて、ふと耳を澄ませると、何処か遠くから太鼓の音が聞こえてきた。ずっと遠くの場所から、ずっと遠くの時間から、その太鼓の音は響いてきた。とても微かに。そしてその音を聞いているうちに、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。
 それでいいではないか。遠い太鼓が聞こえたのだ。今となっては、それが僕を旅行に駆り立てた唯一のまっとうな理由であるように思える。
(pp.18-19)
そうして、奥さんと二人でローマ、アテネ、スペッツェス島、ミコノス、クレタ島、ヘルシンキ、ロンドン、ハルキ島、オーストリアなど各地を転々としていった。その間に長編である『ノルウェイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』の2作、短編である『TVピープル』1作を書き上げられたようだ。

本書を語る切り口は様々に挙げられる。一つは純粋にヨーロッパの旅行記として。もう一つの側面は、作家がどのように小説を書いているかといった部分に関して。

旅行記としてみると、これは間違いなくギリシャやイタリアなどヨーロッパの各地に旅に出たくなる。奥さんと二人でいろいろなところに移り住みながら出会った人たち、おいしい食事やワインなどのお酒の話、そこの街の特徴、人種の話、出会ったトラブルなどなど実にさまざま。自分も一緒に旅をしているような感覚になってくる。

例えば村上春樹によると、イタリアというのはとてもいろんなことがいい加減に物事が進むようで、イタリアの国の特徴を40字以内で定義せよと言われたら、『首相が毎年替わり、人々が大声で喋りながら食事をし、郵便制度が極端に遅れた国』と答えるらしい。どうも送った郵便が届く保証がないらしい。だから大切な小説原稿をイタリアから送るということはせずに、ロンドンで送ったという話があった。

あとはイタリアでは盗難が多くて、自動車内のカーステレオを取り外して持ち歩かなくてはいけないとか、実際奥さんがバックをひったくられたとか、レストランの食事中にバックを狙われたとか。物乞いも多くて、虚弱な少年が物乞いをしていたと思ったら、実はそれが演技だと分かってびっくりしたとか。でも田舎のワインはとてもおいしかったりとか、イタリアと一口に言っても都市ごとに歴史的背景が違っていて、特徴が実に違っているらしい。

逆にギリシャは割と人種的には勤勉な人が多く、子供も家の仕事の手伝いをしっかりしているとか。また、なんとかもうまく物事をこなそうという意思はあるけど、すこし事態が込み入ってくると収拾がつかなくなって、ある場合には怒り始めたり、またある場合には落ち込んだりして、イタリア人とは正反対とか。

また、しょっちゅう何かが故障している印象があるらしく、ホテルのクローゼットの鍵とか乗ったバスとか。クレタ島の田舎のホテルに泊まった時はお湯が出なかったりといろいろなトラブルが起こっている。それでもバスで移動中にいったん停車して、バスの運転手が小さな村の家で作られた自家製ワインとチーズを持ってきて、それを飲んでみたら信じられないくらい美味しかったとか。

それぞれの国、地域で村上春樹が出会った人々や出来事がたくさん綴られていて、なんだか長い小説を読んでいるようになってくる。これはとても面白かった。イタリアにはちょっと行きたくなくなるなぁと思いつつも、怖いもの見たさで行ってみたいという気にもなるし、夏のギリシャはとても魅力的に書かれていて、ざひ行ってみたいなと思う。そういうこともあって、最近職場近くのギリシャ料理店で食事してみたりもした。今はギリシャは経済危機に陥っているけど、そこのギリシャ料理はそれとは関係なく美味しかった(あたりまえだけど)。

他には、個人的に思い入れがあり、10年前、本格的に読書にはまるきっかけとなった『ノルウェイの森』が書かれた経緯が分かってよかった。ここは村上春樹の作家論みたいな部分で、とても興味深く読めた。『ノルウェイの森』はギリシャのミコノス島で書かれ始め、大学ノートに万年筆でぎっしりと手書きで書いたらしい。
その頃にはその小説が書きたくて、僕のからだはどうしようもなくむずむずしていた。からだが言葉を求めてからからに乾いていた。そこまで自分のからだを「持っていく」こといちばん大事なのだ。長い小説というのはそれくらいぎりぎりに持っていかないと書けない。マラソン・レースと同じで、ここに来るまでの調整に失敗すると長丁場で息がつづかなくなる。
 この小説はのちに『ノルウェイの森』になるわけだが、このときにはまだタイトルもついていない。四百字詰めで三百枚か三百五十枚くらいのさらっとした小説にしようというくらいの軽い気持ちで書き始めたのだが、百枚くらい書いたところで「こりゃ駄目だ、とても三百、四百じゃ終わらない」とわかった。以来翌年(一九八七年)の四月まで、シシリー、ローマと移動しながらの小説漬けの生活にのめり込んでいくことになる。結局出来上がった小説は九百枚だった。
(pp.161-162)
そして1987年の3月7日のローマで『ノルウェイの森』は完成したようだ。そのときの日記に「すごく良い」と書いていたらしい。その翌日から第二稿として、ノートやらレターペーパーに書いた原稿を頭からボールペンで書き直していく作業が始まったようだ。これはずっと激しい肉体労働であると書いてあって、そんなものなのかと思った。結果的にこの作品は現在まで日本における発行部数1000万部を突破することになる。しかし、1988年に日本に一時帰国したときに、知らない間に有名人になっており、どこにも自分の場所がみつけられなくて、どうしようもなく切なく感じていたようだ。そして、ひどく孤独になったような感じがして、さらに自分が多くの人々に憎まれ嫌われているようにも感じられたようだ。そんなものなのかなと。作家もいろいろと大変だねと思った。

この本を読んでいると、いろんな国に行って料理を食べて見たくなるし、ワインとかお酒も飲みたくなってくる。そんなこともあって、ちょっとBarでこの本を読んでいたらちょっとした出会いがあった。Barカウンターで隣に座っていた女性に『遠い太鼓おもしろいですか?』と話しかけられ、それから漫画とか『ノルウェイの森』の高級官僚を目指す永沢さんの話とか、映画の話とかいろいろと会話が弾んだ。

帰り際にこれはチャンスと思って自然と連絡先を交換することができた。しかし、2通目のメールの返信が来なかったので、その場限りの出会いだったのだろう。本書で村上春樹がいろんな人に出会って別れていくように、この出会いも一期一会のような不思議な体験として自分の人生の中での印象的な記憶として残っていくのかなと思った。人生そのものが旅みたいなもので、その過程でまたいろんな出会いがあるだろうし。

文庫で570ページもの分量があるのだけど、すごく面白くて読み進めるのが若干惜しいくらい。これ1冊で1ヵ月は余裕で楽しめる。通勤時間に読んだりカフェで読んだり、家でまったり読んだりしてもどこでも旅に出た気分になれる。Barで読んだりすると不思議な出会いがあるかもしれないしね。

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いろんな意味でとても印象的な本だった。この本との出会いもまた必然みたいな感じだったように思える。



遠い太鼓 (講談社文庫)
遠い太鼓 (講談社文庫)
著者:村上 春樹
販売元:講談社
(1993-04-05)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 旅行が好きな人
  • 小説家を目指している人
  • 不思議な出会いを体験したい人
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May 13, 2012

人を助けるとはどういうことか

人を助けるとはどういうことか 本当の「協力関係」をつくる7つの原則
人を助けるとはどういうことか 本当の「協力関係」をつくる7つの原則

キーワード:
 エドガー・H・シャイン、支援、協力、プロセス、関係
MIT名誉教授による「支援学」の入門書。以下のような目次となっている。
  1. 1 人を助けるとはどういうことか
  2. 2 経済と演劇―人間関係における究極のルール
  3. 3 成功する支援関係とは?
  4. 4 支援の種類
  5. 5 控えめな問いかけ―支援関係を築き、維持するための鍵
  6. 6 「問いかけ」を活用する
  7. 7 チームワークの本質とは?
  8. 8 支援するリーダーと組織というクライアント
  9. 9 支援関係における7つの原則とコツ
(目次から抜粋)
日常生活や仕事でも助ける、助けられるという関係はいたるところでみられる。しかし、その支援の関係は本当に有用なものとなっているだろうか?役に立つ支援と役に立たない支援があり、本書はそれを明らかにし、両者の違いを明らかにすることを目的として書かれているようだ。また、以下のように目標が設定されている。
 本書での私の目標は、支援が求められたり必要とされたりするときに真の支援ができ、支援が必要だったり提供されたりしたときに受け入れられるだけの充分な洞察力を読者に与えることだ。
(pp.022)
気になった部分をメモ程度に引用しておく。

支援者には仕事に関わらず、「1、情報やサービスを提供する専門家」、「2、診断して、処方箋を出す医師」、「3、公平な関係を築き、どんな支援が必要か明らかにするプロセス・コンサルタント」というものがあるらしい。特に自分の仕事に関連する役割は1の専門家タイプ。

この1のタイプは、仕事に関してはいわゆる経営コンサルタントみたいな専門的なサービスを提供する支援者で、この役割が本当に助けとなる可能性は、以下の条件が満たされるかどうかによるらしい。
  1. クライアントが問題を正しく診断しているかどうか
  2. クライアントがこの問題を支援者ときちんと話しているかどうか
  3. 支援者には情報やサービスを提供する能力があると、クライアントが的確に評価しているかどうか
  4. 支援者にそうした情報を集めさせることや、支援者が勧める改革を実行するという結果を、クライアントが考慮するかどうか
  5. 客観的に情報を研究して、それをクライアントが利用できるようにする外的現実があるかどうか
    (pp.101)
自分の仕事に大きく関係する部分はここだね。自分が対象とする範囲はシステム開発業なのだけど、コンサルっぽいこともまったくやるわけでもないしね。

1番など要件定義フェーズで一番問題になる部分だね。そもそもお客様が何が本質的な問題か認識できていないというのがあったりする。そこの認識があいまいなままプロジェクトが進行すると危険だね。

2番は、お客様の組織規模が大きくなってくると、さまざまなステークホルダーがいて、さらに縦割り組織だとさぁ誰に何を聞いて、ちゃんとそれぞれが協力的にコンサルタントなどにお話ししてくれるだろうか?という問題がある。さらには、面倒なことはごめんだというお客様も多いでしょう。何で現状でうまくいっているものを変える必要があるの?とかねぇ。

3は競争入札の場合、ちゃんと提案内容から点数化されるのだけどね。でも某動かないコンピューターシリーズの失敗プロジェクトとか見ていると、調達者がちゃんと業者を評価できなかったりすると失敗確率が高くなるのがよく分かる。

4もお客様がちゃんと協力してくれるかどうかだね。5はちょっとよく分からないのでスルー。

他にもいろいろと書こうと思ったのだけど、どうも全体的な理解が微妙でもうあんまり書くことがない(笑)。読んでいても全然頭に入ってこなくて、自分の読解力不足なのかなと思ってアマゾンレビューを見ると、どうも翻訳がよろしくないらしい。読みづらくて理解不足なのは翻訳のせいだということにしておこうww

テーマと内容がよいだけに、ちょっと残念な気がした。原書で読んだほうがいいみたいだから、英語が問題ない人はそっちを読んだらいいかもしれない。

普段の生活や仕事でも誰かを助けるとき、そして自分が助けを求める場合に、どういう態度がよいかが分かる。そして、実際の仕事でも自分の業務のあり方を改善するきっかけになるかもしれない。ちゃんと読解できれば。



人を助けるとはどういうことか 本当の「協力関係」をつくる7つの原則
人を助けるとはどういうことか 本当の「協力関係」をつくる7つの原則
著者:エドガー・H・シャイン
販売元:英治出版
(2009-08-08)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 誰かを支援したい人
  • コンサルタントやコーチを仕事としている人
  • 健全な助けが必要な人
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May 04, 2012

辺境・近境

辺境・近境 (新潮文庫)
辺境・近境 (新潮文庫)

キーワード:
 村上春樹、旅行記、ノモンハン、うどん、疲弊
小説家、村上春樹の旅行記。カバーの裏には以下のように示されている。
久しぶりにリュックを肩にかけた。「うん、これだよ、この感じなんだ」めざすはモンゴル草原、北米横断、砂埃舞うメキシコの町…。NY郊外の超豪華コッ テージに圧倒され、無人の島・からす島では虫の大群の大襲撃!旅の最後は震災に見舞われた故郷・神戸。ご存じ、写真のエイゾー君と、讃岐のディープなうど ん紀行には、安西水丸画伯も飛び入り、ムラカミの旅は続きます。
(カバーの裏から抜粋)
目次としては以下のような章立てとなっている。
  • イースト・ハンプトン―作家たちの静かな聖地
  • 無人島・からす島の秘密
  • メキシコ大旅行
  • 讃岐・超ディープうどん紀行
  • ノモンハンの鉄の墓場
  • アメリカ大陸を横断しよう
  • 神戸まで歩く
本書は、西新宿のブックファーストで、『ビジネス書出版社社員が選ぶ、新入社員のときに読んでおきたかった本』というフェアで手に入れた。そして、ニューカレドニア旅行時に持って行き、少しずつ読んで、帰国後、昨日読み終えた。

やぁ、君、これはすごく良い本だったよ。今年読んだ本の中でダントツで一番だよ!!(本書で今年の10冊目なのだけどね(笑))

内容的には著者とカメラマンの松村君という人や、イラストレーターの安西水丸先生などと一緒に旅に出る。たいていは松村君と二人なのだけど。

場所はアメリカのイースト・ハンプトンから瀬戸内海の無人島、3日間うどんづくしの香川県とか『ねじまき鳥クロニクル』の一部舞台となったノモンハン、そしてアメリカ大陸を北経由で車で横断したり、震災後2年たった著者の地元である神戸を歩いたりと幅広い内容となっている。ページ分量がそれぞれバラバラなのだけど、どれもそこに行った気になれるし、村上春樹独自の視点、体験を通して世界が見えてくる。著者の旅行記はあんまり読んだことはなかったけど、これはとても面白く、新たな視点、考え方が得られた。

本書を読み始める直前というのは、初めての海外旅行ということで、不安と期待が入り混じったような状況だった。一人旅だったので、どちらかというと不安のほうが大きかったのだと思う。しかし、飛行機のチェックインまでかなり時間があり、成田空港のタリーズでこれを読んでいたら、なるほど、旅の本質はそういうことなのかとわかって、不安が薄らいでいった。

著者はメキシコでリュックを担いで旅行中、メガネケースとかジーンズとかトラベラーズチェックなどさまざまなものを知らないうちに紛失していった。そしてそれを自然の摂理の宿命として受け入れ、メキシコという国そのものも受け入れていく過程で、以下のような悟りの境地に至ったようだ。
僕をしてそういう諦観にいたらしめるプロセスこそが、僕という人間を疲弊させるさまざまなものごとを、自然なるものとして黙々と受容していくようになる段階こそが、僕にとっての旅行の本質なのであるまいか、と。
(pp.86)
旅とはめんどくさいことや予期せぬことの連続なのだなと、出発前になんとなくわかった。そして、以下のように続く。
何故わざわざ僕はメキシコにまで疲弊を求めてやってこなくてはならないのか?「何故かといえば」と僕は答えるだろう、「そのような疲弊はメキシコでしか手に入らない種類の疲弊だからです。ここに来ないことには、ここに来てここの空気を吸って、ここの土地を足で踏まないことには手に入れることのできない種類の疲弊だからです。そしてそのような疲弊を重ねるごとに、僕は少しずつメキシコという国に近づいていくような気がするのです」と。
(pp.87)
ここを読んで、不安が大幅に減少した。著者のメキシコ旅行を見ていると、まぁ、貧乏旅行の分類に入るもので、でこぼこ道を車で走るのはしんどいし、なぜかメキシコのバスは異常なほどの音量の音楽が鳴っていていたりして、うんざりするようなものらしい。さらには、武装強盗に襲われる危険性もあったようだ。それでもこのような疲弊に旅の本質があるのだと。

僕が旅に対して抱いていた不安は、ちゃんと目的地にたどり着けるか?とか、レストランで自分が望んだものを食べられるか?とか、危険な目に合わないかしら?とかそういうものだった。けれど、ツアーで申し込んで割と治安のよいとされる国に行くのだから、著者のようなうんざりしたり危険な状況に遭遇することはないだろうと楽観的になれた気がした。実際行ってみると、妄想していたような不安は特に何も起こらなかった。

とはいえ、ニューカレドニア旅行中に、著者の体験したほどではないけれど、しんどさとか疲弊は確かに少なからず感じた。エコノミークラスの狭くて異常に硬く感じるシートに8時間半以上座りながら、太ももの裏が痛くなって夜な夜な微妙に眠れなかったり、紫外線が日本の4, 5倍高いのに、ヌメア市内を一日中歩き回ってみたり、離島に行くためにそれなりに早起きしなくてはならなかったり、カジノでスロットをするときに意思疎通で微妙にしくじったり、おいしいと感じていたフレンチが、量が多すぎて次第に拷問のように感じたり・・・。

でもその程度の疲弊感ではあったけど、実際に初めての南の島の透き通る青い海を目前にして、あぁ、ここに来て本当によかったなぁと思った。ネットや写真、本、テレビなどを通していては得られない、そういう疲弊のプロセスを経ないと感じられない、圧倒的なリアルがそこにあるんだと実感した。これが旅なんだなと、実体験と本書を通してよく分かった。本書の内容についていろいろと紹介したいのだけど、それは読んでからのお楽しみ。いろいろと思いがけず、なるほど!!とたくさん線を引いたのだけど、最後に1ヶ所引用しておく。
でも僕にはうまく表現できないのだけれど、どんなに遠くまで行っても、いや遠くに行けば行くほど、僕らがそこで発見するものはただの僕ら自身でしかないんじゃないかという気がする。狼も、臼砲弾も、停電の薄暗闇の中の戦争博物館も、結局はみんな僕自身の一部でしかなかったのではないか、それらは僕によって発見されるのを、そこでじっと待っていただけなのではないだろうかと。
(pp.230)
初めての海外旅行から帰ってきて感じたことは、著者も本書で示すように、旅で自分の内面などが劇的に変わることはないのだなということだった。自分探しの旅で世界を回る、という人もいるだろうけど、自分を新発見するというのはないのだなと。もともとすでにあった自分を違う側面から『再発見する』、という表現がしっくりくるような気がした。

著者の長編小説は『風の歌を聴け』から『1Q84』まですべて読了済みで、それらの作品に深みと不思議なリアリティを持たせている要因というのは、若いころからの世界を巡る旅行経験によるものだろうと本書を読んで実感した。世界の捉え方、感じ方、空気、そこでの疲弊を伴った実体験。それらの原体験が作品の根底にあるような気がする。

本書は海外旅行中にお守りのように持ち歩いていた。ホテルで寝る前にもちょっと読んだりもした。

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黄金週間中にどこにも行けなくても、この本片手にバドワイザーなどのビール瓶(ビール以外の酒はたぶん本書に合わない)を片手に読むのがいいかもしれない。たとえ近境でも、旅に出たような気分にさせてくれることは間違いない。



辺境・近境 (新潮文庫)
辺境・近境 (新潮文庫)
著者:村上 春樹
販売元:新潮社
(2000-05)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 黄金週間中に遠出しない人
  • 海外旅行に行こうと思っている人
  • 旅の本質について考えてみたい人
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November 13, 2011

生きるとは、自分の物語をつくること

生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)
生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)

キーワード:
 小川洋子 / 河合隼雄、対話、心理療法、物語、小説家
小説家の小川洋子氏と臨床心理学者の河合隼雄氏の対談本。以下のような内容となっている。
人々の悩みに寄り添い、個人の物語に耳を澄まし続けた臨床心理学者と静謐でひそやかな小説世界を紡ぎ続ける作家。二人が出会った時、『博士の愛した数式』の主人公たちのように、「魂のルート」が開かれた。子供の力、ホラ話の効能、箱庭のこと、偶然について、原罪と原悲、個人の物語の発見…。それぞれの「物語の魂」が温かく響き合う、奇跡のような河合隼雄の最後の対話。
(カバーの裏から抜粋)
雑誌での対話集が2編まとめられているのが本書であるが、3編目としての対話が始まる前に河合隼雄氏が亡くなられて未完となったようだ。本書は340円なのだけど、とても濃い内容で、いろいろと考えさせられて、最後まで読みたかったなぁと思った。実に残念。

第1章では『魂のあるところ』というタイトルで、小川洋子氏の作品『博士の愛した数式』の内容についていろいろと対談されている。河合隼雄氏は数学科卒であることから、数学者は美的センスがなくてはダメだとか、作品中の博士とルート君は友情が成立しやすいとかいろいろ。ここらへんは作品を読んだことがないので、正直何とも言えない。読んでたらきっとこの部分が興味深く読めたのだろうけどね。

博士の愛した数式 (新潮文庫)博士の愛した数式 (新潮文庫)
著者:小川 洋子
販売元:新潮社
(2005-11-26)
販売元:Amazon.co.jp


特に自分にとって興味深かったのは2章の『生きるとは、自分の物語をつくること』と小川洋子氏のあとがき、『二人のルート―少し長すぎるあとがき』の部分かな。特に後者。その部分で本書の核になると思われる部分を抜粋。
 河合先生の著作を読み、物語というものの解釈に出会ったのはちょうどその頃でした。
 いくら自然科学が発達して、人間の死について論理的な説明ができるようになったとしても、私の死、私の親しい人の死、については何の解決にもならない。「なぜ死んだのか」と問われ、「出血多量です」と答えても無意味なのである。その恐怖や悲しみを受け入れるために、物語が必要になってくる。死に続く生、無の中の有を思い描くこと、つまり物語ることによってようやく、死の存在と折り合いをつけられる。物語を持つことによって初めて人間は、身体と精神、外界と内界、意識と無意識を結びつけ、自分を一つに統合できる。人間は表層の悩みによって、深層世界に落ち込んでいる悩みを感じないようにして生きている。表面的な部分は理性によって強化できるが、内面の深いところにある混沌は論理的な言葉では表現できない。それを表出させ、表層の意識とつなげて心を一つの全体とし、更に他人ともつながってゆく、そのために必要なのが物語である。物語に託せば、言葉にできない混沌を言葉にする、という不条理が可能になる。生きるとは、自分にふさわしい、自分の物語を作り上げいくことに他ならない。
(pp.126)
この部分に自分が日頃からなんとなく考えていたことがまとめられていたような気がして、思考の断片が集約されて、腑に落ちた!!と思った。常々、自分には物語が必要だと思っていた。それは小説や漫画、映画のような楽しみのために消費されるようなエンタメ的な物語と、自分自身がよりよく生きるための支えになるようなものだと思っていた。また、なぜ自分は物語そのものに強く惹きつけられるのか?も考えていた。それらの一つの解答例がこれなのだと思う。

自分にとって物語がなぜ重要で、かつ必要かというと、引用部分の最後の『生きるとは、自分にふさわしい、自分の物語を作り上げいくことに他ならない。』に収斂されるのだ。表面上は悩みなんかないように思われるかもしれないけど、小川氏の示すように、深い部分では言語化できないような混沌とした夢のようなイメージがあったりする。それらをうまく消化(昇華)できなくて、ふとしたことで思い悩んで、さらには精神的に沈み込んで行ってしまうけど、それらのイメージの消化(昇華)の手助けをしてくれるものが優れた小説などの物語なのだ。

そしてその物語を助けに、自分自身がよりよく生きていくことができるのではないかなと思った。自分にとってのその代表作が以下の物語となる。さらに、今は自分が主人公の物語を紡いでいるのだと思う。リアルライフを送りながらね。

僕はなんとなくぼーっと何も考えずに生きられないタイプなので。だからこのような読書ブログを書き続けているという部分もある。そして、自分自身の人生を歩みながら、不必要に迷いすぎたりせずに活き活きと生きていくための自分が主人公の物語が必要なんだとも思う。そのシナリオ、プロットはまだ明確にはなってはいないけど、今年は震災後からいろいろと考えてようやく輪郭部分がぼんやりと見えてきたのではないかなと思う。

物語が完成するのはいつだろうかね?それは僕にも分からないよ。でもある程度区切りがついたら、きっと何かが大きく変わるのだろうね、ということはなんとなく予感している。例えばこのブログがその物語の構成要素になったりとかね。

340円で、150ページほどの内容ではあるが、すごくいろいろと深く考えさせてくれる良書だった。集中して読めば2時間くらいで読めると思う。事前に『博士の愛した数式』を読んでおくのもよいかもしれない。

物語とか小説家の書く理由とか、カウンセリングとか精神的な話に関心がある人は面白く読めると思う。



生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)
生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)
著者:小川 洋子
販売元:新潮社
(2011-02)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • カウンセラーになりたい人
  • 小説家になりたい人
  • 自分の人生について考えてみたい人
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September 03, 2011

泣かない子供

泣かない子供 (角川文庫)
泣かない子供 (角川文庫)

キーワード:
 江國香織、エッセイ、日常生活、女性、本当の話
作家、江國香織のエッセイ。以下のような内容となっている。カバーの裏から抜粋。
子供から少女へ、少女から女へ…時を飛び越えて浮かんでは留まる遠近の記憶、あやふやに揺れる季節の中でも変わらぬ周囲へのまなざし。父の小言、しっかり者の妹、本への愛着、かけがえのない風景、せつない想い―。少女の中に棲む女性と女の中に潜む少女性、虚と実のあいだに広がった、こだわりの時間を柔らかにせつなく描いたエッセイ集。
(カバーの裏から抜粋)
ふとエッセイが読みたくなる周期っていうものがある。正弦波みたいに大体2ヶ月に1回の周期くらいで。5月か6月ごろに西新宿のブックファーストで平積みになっていたはずの本書を買って、しばらく積読していた。そしてなんとなく最近読み始めて読了した。

江國香織さんのことは正直あまり知らない。読んだことのある作品は大学生との不倫小説くらいだった。自分には合わなかった作品としか覚えていない。他の本を何か読んだことがまったくないので、あまり先入観なく読めたと思う。それがよかったのかもしれない。特殊な体験をしているから、もしくは人が目に付かない独特の視点があるから作家になるのかなと思った。仕事などで忙しく流れていくささやかな日々に関して、自分の思うこと、考えていること、こだわりなどが読ませる文章で書かれていて、そんな視点もあるものかと思ったりした。

女性特有の視点とか感情的な部分が男である自分にとってとても新鮮だった。女性はそのように考えるのかといった感じで。まぁ、そうはいっても著者独自の感覚なのだろうけど。作家の生活、読んできた本、旅の話、書く意味などが垣間見れて面白かったと思う。少なくとも読んでいて退屈はしなかった。

でも一気に読むべき本ではないね。どちらかというと仕事帰りにリラックスしながら電車の中で少しずつ読み進めるのが良いかもしれない。1エッセイが5,6ページで終わるから、区切りをつけやすいし。

このようなエッセイを読んでいると、日常生活のふと流れていく部分にも目を向けられるような気がしてくる。さらに触発されて自分も何か日常感じていることをエッセイ風にブログとかに書いてみたくもなるね。でも、自分の場合はTwitterに発散しすぎていてまとまったものはうまく書けそうにないけど。それにこの読書ブログで十分というのもあるしね。そもそも、自分がエッセイみたいなものを書いても読みたい人なんかいるのだろうか?と・・・。

読みやすいし、リフレッシュできるから良かった。またなんかエッセイとか読みたいね。こういうのは本屋で中身を確認せずに直感的に買うのがよいね。あと、何かお勧めのエッセイがある人はぜひ教えていただけたら嬉しい。



泣かない子供 (角川文庫)
泣かない子供 (角川文庫)
著者:江國 香織
販売元:角川書店
(2000-06)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • エッセイが好きな人
  • 日々仕事で忙しいけど精神的にゆとりがほしい人
  • 作家特有の視点を垣間見たい人
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August 04, 2011

おおきなかぶ、むずかしいアボカド

おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2
おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2

キーワード:
 村上春樹、エッセイ、アンアン、日常、ひきだし
村上春樹氏のエッセイ。女性ファッション雑誌、アンアンで2009年ごろから再連載されていたものが収録されている。全52の短めのエッセイが載っている。全てを示すのは冗長なので、目次は以下のリンク先を参照。このエッセイは、村上春樹氏の日常生活で体験したこと、くだらない疑問、普段考えていることなどが面白く示されている。このエッセイを読めば、ビールが飲みたくなり、散歩したくなり、1人で料理(特に牡蠣フライ)が作りたくなり、オープンカーに乗りたくなり、そして海外に住みたくなる、はず。

普段何げなく過ごしていると見過ごしてしまいそうな気付きが得られる。例えば映画のセリフに「夢を追わない人生なんて野菜と同じだ」というものがあり、そこからいろんな野菜の心や事情に思いをはせて、そして自分の人生を考えこんでしまったり。

もしくはソックスに右左形が違うものがあるのを最近知って、そこから右利きと左利きの話になり、世の中は右利き用にいろいろと作られているから左利きの人は大変ですねとか。さらには携帯電話のない世界を思い浮かべながら、ビールの栓抜きがなかったらどうかと試案してみたり。くしゃっとつぶれたビールの空き缶に切なさを見出したりといろいろ。

普段忙しくて日常生活で見落としていることを、このエッセイを読みながらいろいろと気付かされた気がした。あまりにも忙しく生きすぎると、何もかもが通り過ぎて無味乾燥なものになってしまったような気もするけど、このようなエッセイを読むと、ふむ、自分の日常生活も悪くはないな、ちょうどよい、と思えたりもするもので。エッセイを書くような視点に立てば、自分の生活に満足感を見出せるような気もしてくる。

僕は村上春樹氏の長編作品は全て読了済みで、エッセイもそれなりに読んできた。そのたびにいつも思うのは、長編小説では暴力的で不条理なことが描かれているのに、エッセイでは日常生活の割と健全なささやかなことが多く示されていて、そのギャップが大きいなぁとひしひしと感じることだね。だってね、「海辺のカフカ」でジョニー・ウォーカーの猫の虐殺を描いたり「ねじまき鳥クロニクル」の拷問による人間の皮膚を剥ぐなんて恐ろしい描写をする作家がね、アリクイにディープキスされるところを想像してたりするんだよね。

このエッセイの文体もかなりマイルドで親しみやすいしね。著者的な観点から示せば、それは作家としてのさまざまなひきだしを持っているということなのだろうと思う。いいね、ひきだし。そういえば自分が箪笥代わりに使っているボックスの引き出しはいつも着ない服であふれているね。どうでもいいことだね。

各エッセイの最後に『今週の村上』という一言文が載っていて、それがとてもくだらなくて面白い。3つだけ抜粋。
  • 「婚約破棄」と聞くといつも捨てられたコンニャクを思い浮かべるんだけど、下らないですね。(「手紙が書けない」 pp.73)
  • そうえいば僕はスターバックスで普通のコーヒー以外のものを飲んだことがないな。人生で損をしているのだろうか?(「キャラメル・マキアートのトール」pp.145)
  • 僕は「ハンマー」と「メンマ」で韻を踏んだ歌詞を書いたことがあります。これもお手軽なのかなあ?(「ジューン・ムーン・ソング」pp.213)
普段はエッセイとかには線を引いたりしないのだけど、著者の本は思わず引かざるを得ないところがはっと出てくる。そこの部分を抜粋。「ベネチアの小泉今日子」というエッセイの最後の部分から。
 人はときとして、抱え込んだ悲しみやつらさを音楽に付着させ、自分自身がその重みでばらばらになってしまうのを防ごうとする。音楽にはそういう実用の機能がそなわっている。
 小説にもまた同じような機能がそなわっている。心の痛みや悲しみは個人的な、孤立したものではあるけれど、同時にまたもっと深いところで誰かと担いあえるものであり、共通の広い風景の中にそっと組み込んでいけるものなのだということを、それらは教えてくれる。
 僕の書く文章がこの世界のどこかで、それと同じような役目を果たしてくれているといいんだけどと思います。心からそう思う。
(pp.217)
これはね、僕もこのような読書ブログを書いていると、本当にそう思うね。ネットワーク越しのどこかのだれか(これを読んでくれているあなた)のためになっていればいいなと思って、今日もがんばって早起きして更新した。

過去に取り上げた村上春樹氏のエッセイは他には以下がある。本書は村上ラヂオ2なので、前作と引き続き、大橋歩さんの銅版画が各エッセイに添えられていて、よい感じになっている。

日常生活をほんの少し実りのあるものにしたい場合は、ゆっくりと本書を堪能するのがよい。ビールでも飲みながら。



おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2
おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2
著者:村上 春樹
販売元:マガジンハウス
(2011-07-07)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 日常生活の気付きを得たい人
  • 忙しすぎていろいろ考えられない人
  • 作家のひきだしに触れてみたい人
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June 22, 2011

本は、これから

本は、これから (岩波新書)
本は、これから (岩波新書)

キーワード:
 池澤夏樹編、本、電子書籍、紙、読書論
作家の池澤夏樹氏が筆頭となって、紙の本についていろいろと論じられている本。紙の本に携わってこられた各界の識者37人がやはり紙の本がいい、と言うようなことを示している。それらの識者は全部示すと冗長なので、岩波新書の以下のページを参照。やはり気になるのは、初めから紙の本のアンチテーゼとして電子書籍が捉えられている部分か。紙の本を脅かす黒船来航、という位置づけでiPadやKindleを筆頭とする電子デバイスを捉えられている気がした。それはそれで仕方のない部分があるかもしれない。

ここで意見を述べられてる識者の平均年齢は大体60歳前後なので、紙の本の出版や執筆、そして読書を長く携わられてきた方々だろう。誰だって長く携わってきたものに対しては愛着がわいて、それに対する評価にバイアスがかかり、客観性を保つことは難しいだろう。そして、そもそもこれらの方々がどれほど電子デバイスを使いこなしているか?ということが気になった。

PCやIT技術の発展と共に育ってきた平均年齢が40歳前後の識者たちで執筆陣を構成したなら、きっと電子デバイス礼賛が多かっただろう。けれどそこには別に紙がダメだという意見もたぶんそんなにないだろうと思う。

結局、紙か電子かの単純な二項対立で終始するのは違うのではないか?と思った。紙と電子の両方の特性を理解したうえで、では本はこれからどうあるべきか?ということを考えていくべきではないのかなと思った。

とはいえ、この本はとてもいろいろと考えさせられることが多かった。例えば、内田樹先生の『活字中毒患者は電子書籍で本を読むか?』というタイトルのもの。内田先生によれば、電子書籍の場合は「宿命的な出会い」が起こらないと示している。曰く、電子書籍で読む場合は、事前に読みたい本が分かっていて検索して読むことができる。

しかし、その場合は著者もタイトルも知らなかった本をたまたま手にとって出会うという偶然性がなくなるらしい。宿命の本との出合いには、『独特のオーラに反応して、引き寄せられるように手に取った』という物語が必要で、それは紙の本でしかありえないらしい。

これはなるほどと思った。これはよく大型書店に行くと実感する。本の背表紙とか装丁のデザインに引き寄せられ何となく買った本が当たりだった!!ということは結構ある。その反面はずれもあるけど、そういう偶然性の楽しみがあるから書店に行くかな。まだ電子デバイスを使いこなしてないから、本当に電子デバイスだと偶然性が起こりえないのかは確認できないけどね。

あとは柴野京子さんの『誰もすべての本を知らない』で示されていること。曰く、電子書籍の出版状況に限らず、インターネット書店の発展もあり、世の中に本があふれている状況となっている。そのような状況での本を選択することの難しさが示されている。以下その部分を抜粋。
 ごく単純に考えて、人が認識し、現実に見ることのできる本の量には限界がある。選べる対象がいくらふえても、こなせる量がふえるわけではあるまい。むしろ選択肢がふえればふえるほど、選ぶのにエネルギーを費やさなくてはならなくなる。早くて便利な検索エンジンは、この問題をたやすく解決してくれるかのようにみえるが、時間と手間が短縮されたからといって余裕が生まれるとは限らない。にもかかわらず、知らないうちに「すべての本の中から〔最適なものを〕選ぶ」ということだけが、無条件によいこととしてスタンダードになっている。
 いかに「すべて」を網羅して「最適」なアルゴリズムを設計するか、が問題になっている。けれども、ほんとうはどう考えても「すべての本」を見ることなどできないし、人間がそこから「最適な一冊」を選びとることなどできはしない。それにどういう回路を経てきたとしても、一冊の本が一冊の本でしかないのなら、手の届く範囲でめぐってきた本を読むことと、何万、何億という書物のなかから最適として選び出されたものを読むことに、どれほどの違いがあるだろうか。
(pp.110)
大型書店で本を買うとき、新たに本を読み始めるとき、この読書ブログで記事を書くときにいつも本を選択することについて意識させられる。読みたい本は大量にある。けれど、こちらの本を読めば、あちらの本は読めなくなる。攻殻機動隊のような電脳化が実現されない限り、常に読むべき本を選択せざるを得なくなる。

そういうとき、いつも悩む。目的を絞って選択的に読むべきか?それともたまたまめぐってきた本、自分の興味関心、直感に従って読むべきか?前者は仕事で成果を出すといった場合にはとても重要な観点。後者は自分自身の生き方、幅を広げるには必須。それぞれ一長一短があり、使い分ける必要がありそうで。しばらくは選択と集中がテーマなので、前者でいこうと思う。

生きている間に読みたい本は全部読めないだろう。
 人はさまざまなことをきっかけに、一冊の本を手に入れる。あたりを見渡せば、あらゆるところに本はある。その中で、納得できる何冊かの本とほどほどに出会える才能がありさえすれば、たとえ「すべての本」に行きつかなくても人は幸福に生きていくことができると思うのだ。
(pp.111)
とても励まされる言葉で。そして、この本もまた、お薦めされて手に取った本となる。そういうのがとても楽しい部分でもあるし、だからすべて読めなくてもいいかなと思い込むことにしよう。足るを知るという境地で。

電子書籍か紙か、という媒体で終始していると本質を見失うのではないかなと思う。これから生き残る出版社は、紙とか電子とかいった媒体を売るようなところではなく、それらの中身、もっと言えば読者の需要を満たす良質なコンテンツを供給するところだろう。

電子化の流れは止められない。電子書籍になる分、出版の敷居が低くなって、出版点数はもっと増えるだろうね。そうなると、よりコンテンツが重要になる。一読者として、必要なのは紙とか電子といった表層的な媒体ではなく、その中身なのだ。

個人的には漫画、技術書、ビジネス書、写真集とか旅行記、レシピ本などはもう全部電子でいい。カラー写真とかと相性がよいし検索性にも優れているからね。特に漫画は本当に全部電子化してほしい。本棚があふれかえっている状況だし。逆にフィクション、物語、小説、エッセイなどは文庫サイズの紙の本がよいかなと思う。

紙も電子も含めて、本は、これからといったところか。そして、本書が読書ブログを始めて600冊目の記事となる。このブログもまだまだこれから、ということだね。



本は、これから (岩波新書)
本は、これから (岩波新書)
販売元:岩波書店
(2010-11-20)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 紙の本が好きな人
  • iPad、Kindleなどの電子デバイスで本を読んでいる人
  • 本のこれからについて考えてみたい人
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June 18, 2011

ことばの教養

ことばの教養 (中公文庫)
ことばの教養 (中公文庫)

キーワード:
 外山滋比古、ことば、教養、手紙、所感
大学教員である著者によって、ことばの雑談が示されているエッセイ。目次は多いので省略。

一つのエッセイについて5ページくらいで著者の所感が示されている。例えば、手紙の内容であったり、テンとマルについてだったり、本、読書、早口とか国語辞書とか、読む、書く、話す、聞くといったことすべてに関わる言葉について示されている。

なるほど、そのような考え方もあるものか、と思うと同時に、若干時代遅れではなかろうか?と思う分部分もあった。どちらがよいか悪いかではなく、考え方の違いか。別にそんなにたくさんこれは違う、といったものがあったわけではないけど。

いくつか恣意的に気になった部分を引用しておこう。『年賀状』というタイトルのものから。
 若いときは、すこしでも広い世界へ出たい。ひとりでも多くの新しい知り合いがほしい、と思う。それがあるところへ来ると、逆に、世界を狭くして生きたいと思うようになるから不思議である。
 マラソンを走るとき、かけ出しのうちは、すこしでも早く出発点から遠ざかることを考える。それが、折返点をまわると、こんどはその出発点へ向かって走る。Uターンである。人生のレースは出発点とゴールとが同じところにあるとはかぎらないが、とにかく、いつまでも同じ方向へ走っていてはいけないことだけはたしかだ。
 拡大したものは縮小する必要がある。そして、ひろげるよりも縮める方が大体においてはるかに難しい。
(pp.64-65)
若いとき、とはどのくらいの年齢なのかは人にもよるのかもしれないが、自分もまだ若いに収まる年齢だろう。でもまぁ、自分は30歳から人生の折返し地点と考えている節があるので、30歳以降は結構絞る必要があると思っている。いつも示しているように『選択と集中』が重要かなと思う。

でもまだまだ世界を広げていきたいと思うし、絞るには早いかもしれない。けれど、絞るときが来たときに、迷わずにこれは必要、これは要らないと判断できるようになっていたい。そのために今、漠然とではあるが、いろいろと考えている。

もう一つは読書についての部分。『読みいそぎ』というタイトルから。
 頼まれもしないのにブックレヴューでもするような風に本を読んでいることがすくなくない。たいへんな勢いで読む。読み終わったらすぐ感想をもとうとする。一度で何とか全部わかってしまおうとするのである。それで結局、浅いところしか汲みとれないでしまうことになる。秀才の読書の泣き所である。もうすこし頭の悪い読書を心がける必要があるのではなかろうか。
 ささやかな読書歴を振りかえってみても、本当に影響を受けたと思うのは、たいてい、はじめはよくわからなかった本である。わかれば安心してすぐ忘れる。わからぬからいつまでも心にかかって忘れない。反芻していうるうちに、だんだん心の深部に達するようになるのである。
 本を読めば、読むに値する本を読めば、頭の中かがかき廻される。あとは、すこし休んでやる必要がある。濁った水が澄むのには時間がかかる。立てつづけに本を読むのは、どうもあまり賢明ではなさそうである。
(pp.129-130)
これは特にこのような書評ブログをやっている場合は耳が痛いものである。3年前ほどの自分はまさにこのような感じだった。更新のための読書をしていた気がする。分かりやすい本で、同じような本ばかり読んでいて、結局表面的なところで終始していた。

それから大分いろいろと考えて、更新のための更新はしないと決めた。これはブログのネタになりそうとか、更新しやすいから分かりやすい本(別に特に必要性もないもの)を読むといったことをやめた。更新頻度は下がったけど、自分自身が本を読む意味、読書ブログを継続する意義を考えると、別にいいかなと思うようにした。

まぁ、著者が示す読書に近くなりつつあるのだけど、これは時と場合と目的によるのではないかとも思う。特に仕事に関係する本は短い期間で複数パラレルに速習する必要があるし、勢いで速読、多読しなければいけない、もしくはそうした方がよい時期があったりするのでね。

本当に重要な本は3回読んで初めて理解できるような気がする。そういうことをTOEICトレーニングで問題集を繰り返す重要性を実感してから思うようになった。まぁ、繰り返して読むに値する本に当たるまでひたすら多読しなくてはいけないという側面もあるけどね。

以前読んだ本で、経営コンサルタントの堀鉱一氏が教養があるとはボキャブラリーが豊富なことだと示していた。その通りだなぁということを思ったし、『ことばの教養』を読んでいても思った。語彙が豊富であるということは、それだけ世界を多面的に知っているということに他ならないのではないかと思う。

仮にも『賢者』と名乗るのだから、ことばに関しては敏感になっておきたいところで。ちょっとした言い回しから日常発していることばまで。まぁ、その前にブログ記事の誤字脱字をなんとかしろと言われるかもだけど・・・。

最近は読書量が少なめ。いろいろと考える時間を増やしている。

あと、毎回TOEIC本とか英語本ばかりの更新だと書いているほうも飽きてくるので、週1回はまったく別のジャンルを更新していきたいと思う。



ことばの教養 (中公文庫)
ことばの教養 (中公文庫)
著者:外山 滋比古
販売元:中央公論新社
(2008-10)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 気軽にエッセイを読みたい人
  • 教養を身につけたい人
  • 使うことことばを洗練させたい人
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May 02, 2011

走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること
走ることについて語るときに僕の語ること

キーワード:
 村上春樹、市民ランナー、マラソン、小説論、メモワール
小説家でフルマラソンを走る村上春樹氏の走ることについての考えが示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 前書き 選択事項としての苦しみ
  2. 第1章 誰にミック・ジャガーを笑うことができるだろう?
  3. 第2章 人はどのようにして走る小説家になるのか
  4. 第3章 真夏のアテネで最初の42キロを走る
  5. 第4章 僕は小説を書く方法の多くを、道路を毎朝走ることから学んできた
  6. 第5章 もしそのころの僕が、長いポニーテールを持っていたとしても
  7. 第6章 もう誰もテーブルを叩かず、誰もコップを投げなかった
  8. 第7章 ニューヨークの秋
  9. 第8章 死ぬまで18歳
  10. 第9章 少なくとも最後まで歩かなかった
  11. 後書き 世界中の路上で
(目次から抜粋)
タイトルとこの目次だけでもう読みたさをそそられるでしょう。村上春樹氏の作品を好んで読んできた読者にとってはね。

本書はフルマラソンやトライアスロンを20年以上挑戦し続けてきた、小説家とは別の市民ランナーとしての顔を持つ著者が、走ることについて自分語りをしている本となる。著者自身はこの本を回顧録的なもの、つまり「メモワール」として位置づけているようだ。

走ることについて、そして小説家としての仕事観について他の著者の本ではあまり示されていないことまで示されている。走ることと小説を書くことの共通点や小説家の才能について、フルマラソン中に一体何を考えているのか?といったことまで。

たくさん線を引いた。そのどれもがとても共感できるものだったし、小説家が小説を生み出すプロセスなどもとても勉強になった。自分の言葉でそれらをまとめるのは、自分の部屋を綺麗に整理整頓するのと同じくらいとても難しい。読んでいるときは、引用をなるべくしないように本書についての記事を書こうと思っていたのだけど、引用は自分の心情を代弁してくれるとても便利な方法なので、あますことなく使うことにする。プログラミングで優れたライブラリ関数群をヘッダーでinclude設定するように。

本書について、走ること、小説について端的に集約されている部分が以下となる。
 僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた。自然に、フィジカルに、そして実務的に。どの程度、どこまで自分を厳しく追い込んでいけばいいのか?どれくらいの休養が正当であって、どこからが休みすぎになるのか?どこまでが妥当な一貫性であって、どこからが偏狭さになるのか?どれくらい外部の風景を意識しなくてはならず、どれくらい内部に深く集中すればいいのか?どれくらい自分の能力を確信し、どれくらい自分を疑えばいいのか?もし僕が小説家となったとき、思い立って長距離を走り始めなかったとしたら、僕の書いている作品は、今あるものとは少なからず違ったものになっていたのではないかという気がする。具体的にどんな風に違っていたか?そこまではわからない。でも何かが大きく異なっていたはずだ。
(pp.114)
それほど著者にとっては、走ることは大きなものだったようだ。著者曰く、誰かにランナーになってくれと言われて走り始めたわけではないようだ。そして小説家になることも、同様に薦められてなったわけではない。著者のファンであればきっと共通認識として持っていると思われる小説家になろうと思ったときのエピソード、1978年4月1日の神宮球場の外野席での状況も示されている。

走っているときの心情は、結構ネガティブなものなのだなと思った。雑誌の企画でアテネからマラトンまで42キロを初めて走ったことが示されている。そこでは37キロあたりで何もかもが嫌になってきたとか、どうして危険きわまりない産業道路をわざわざ走らなくてはならないのだとか終始怒りに覆われている。ゴールしても達成感はどこにもなく、「もうこれ以上走らなくてもいいんだ」という安堵感だけがあるようだ。そんなものかね。

著者の小説論についてもたくさん示しておきたいが、それはなんだか秘伝みたいなものなので、買って読んでほしいと思う。代わりにとても共感できた部分を引用しておきたい。小説家となったあと、経営していたジャズバーを譲渡し、5時前起床、夜の10時前就寝という規則正しい生活で執筆活動に専念しようとして、人付き合いが悪くなっていった状況についての部分。
 ただ僕は思うのだが、本当に若い時期を別にすれば、人生にはどうしても優先順位というものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番作りだ。ある年齢までに、そのようなシステムを自分の中にきっちりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、めりはりのないものになってしまう。まわりの人々との具体的な交遊よりは、小説の執筆に専念できる落ち着いた生活の確立を優先したかった。
(pp.58)
これはとても共感できた。最近の自分のキーワードは選択と集中なので、著者の示していることも何となく予感している。つまり、ある程度絞って何かを深めなければ、結局何者にもなれないのではないかという危惧がある。自分自身のアイデンティティーの喪失を内包したまま、30歳を迎えるのが怖い。だから著者の示すある年齢までに、というのが30歳なのだと思う。なので、今いろいろと必死。

また、著者の走ることそのものの根本原理について示されている部分を以下に抜粋。
 同じ十年でも、ぼんやりと生きる十年よりは、しっかりと目的を持って、生き生きと生きる十年の方が当然のことながら遥かに好ましいし、走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考えている。与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーであるのだ。このような意見には、おそらく多くのランナーが賛同してくれるはずだ。
(pp.115)
これはもう賛同以外にない。僕も目的志向型だし、100年ぼーっと何もなすことができずに何となく生きるよりは、やりたいことをやり、達成感のある50年を生きたいと思う。僕は目標がないと何かに没頭して取り組んだり、生き生きと感じられないし、しかもずっと走り続けなくてはならないタイプなのだ。マグロなど泳ぎ続けないとエラ呼吸ができず、死んでしまう魚類のように。

話はそれるが、僕は確実に持久力を必要とされる長距離ランナータイプだ。中学、高校時代は、瞬発力を必要とされる短距離走は得意ではなく、1500m走で持久力を発揮できていたように思う。実際、中学3年生のときはサッカー部とは別に駅伝の選手だった。だから著者の走っているときの心情、ふくらはぎなど脚の描写はとてもよくわかった(そうはいっても、今まで最高で6kmくらいまでしか連続で走ったことはないけど)。

今年の初めにランニングシューズを買って、徐々にジョギングをしようと思っていた。近所の1周700メートルある公園を走ろうと思って、週1くらいで走ったりもしていた。けれど、気付いたらサボリがちになって、最近は全然走っていない状況となる。しかし、本書を読んでいると、ランニングなどの疾走感、ランナーズハイみたいな状況を一度でも経験したことのある人にとっては、内容にとても共感できると思う。読了後すぐに走りに行きたくなるようになる。

久しぶりに上質な読書ができたと思う。ずっとTOEIC900点突破トレーニングのために疾走してきて、読書そのものを封印していたので、よい本を読みたいと思っていた。そして、このような本を読むことこそ、自分が求めていた読書なのだと再認識した。

また、過去にこのブログで取り上げた村上春樹氏の本は以下から参照可能。僕はこの前、読書ブログで第3部に突入したことを示した。病弱なのでフルマラソンを走るような勤勉な市民ランナーにはなれそうにはないけど、自分の人生のというマラソンは歩くことなくずっと走り続けたいと思う。



走ることについて語るときに僕の語ること
走ることについて語るときに僕の語ること
著者:村上 春樹
販売元:文藝春秋
(2007-10-12)
販売元:Amazon.co.jp

読むべき人:
  • 市民ランナーで日常的に走っている人
  • 村上春樹作品が好きな人
  • メタファーとしてずっと走り続けたい人
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February 21, 2010

賢者たちの人生論

賢者たちの人生論 (PHP文庫)
賢者たちの人生論 (PHP文庫)

キーワード:
 金森誠也、人生論、偉人、至言、賢者
世界の偉人たちの至言がまとめられた本。以下のような目次となっている。
  1. プロローグ
  2. プラトン
  3. エピクロス
  4. セネカ
  5. レオナルド・ダ・ヴィンチ
  6. フランシス・ベーコン
  7. モンテーニュ
  8. カント
  9. ゲーテ
  10. ソーロー
  11. スタンダール
  12. チャールズ・ダーウィン
  13. ショーペン・ハウアー
  14. ニーチェ
  15. フロイト
  16. ドストエフスキー
  17. トルストイ
  18. へルマン・ヘッセ
  19. モーム
  20. アインシュタイン
  21. マックス・ヴェーバー
  22. ヴェルナー・ゾンバルド
(目次から抜粋)
この本は、世界の代表的人物の名句を一人三つずつ選んで記載し、それについて著者の主観的な感想が示されている。著者の専門は西洋の哲学や文学であり、教授を歴任されてこられたようだ。そして、著者の専門領域となる西洋思想の中で特に印象深かった名句が恣意的に選出されている。

自分も特になるほどと思った名句を3つだけ選んで本記事に示すこととする。

まずは快楽主義者のエピクロス(エピクロス - Wikipedia)から。
人は将来のことを思い惑うことなく、現在を享受すべきである。死ぬまでに残っている年月の長さではなく、現在享受できる快楽の量の多寡によって生活の価値をはかるべきである。
―『喜びの哲学』
(pp.36-37)
これはもう、その通り!!と思った。何年生きたかは重要ではない。いかに面白おかしく、そして楽しんで生きたか、が重要なんじゃないかと思っていた。

そのように至るまでは長い時間がかかった。特にモームの『人間の絆』を読んでからエピクロスのように考えるようになった。もちろん、快楽といっても、退廃的に過ごすのではなく、健全にかつ楽しめることが重要であると思う。楽しめずに我慢大会をしながら人生の大部分を過ごすなど、御免こうむる。楽しむことを常に追い求めて生きたい。

モームの作品を示したところで、モームの名句を示しておこう。
入院患者の奇妙な密閉された生活は、彼らの性格を歪曲し退化させるが、それでいて彼らに活力を与えるという不思議な影響を与える。これはちょうどサモアやタヒチの住人が、暑い気候と異常な環境のせいで退化しながらも活性化されるのと似ている。
―『要約すると』ペンギンブック
(pp.230)
一か月半ほど入院したことがあるので、これもよく分かる。入院すると、なんで自分がこんなことになったのかと自分の運命を呪いたくなるが、それと同時に何とか立て直そうという活力が沸いてきたのを思い出した。

このままじっと入院生活を続けたくないという思いがわきあがってくるような感覚。それと同時にやはりなぜ?という自問自答も出てくる。そういうのがsinカーブのように何度も繰り返されるんだと思う。

最後は、名言の宝庫であるゲーテから。
愛人の欠点すら美徳と思わない者は、愛しているとは言えない。
―『格言と反省』
(pp.102)
ゲーテは老齢期にまでに若い女性と何度も恋に落ちたようだ。説得力があるように思える。本質的に『愛している』と言えるようになりたいものだ。

このような格言集は、著者の趣味や主観が入っているほどよい。なぜなら、そのほうが各格言の解説が客観的なものよりも面白く、一味違った視点が得られるからである。ゾンバルトなんかはまったく知らなかった。最後に著者の言葉を示しておくことにする。
ともかく「良薬は口に苦し」という言葉が示すように、彼の言葉をはじめ多くの文人、学者などの人生論を読むと、世の中で生きていくうえには、若者でも老人でも、どんな職業につきどんな社会的に地位にある人でも、苦悩に打ち克つべく日夜奮励(ふんれい)努力をせねばならぬことを痛感させられる。
 つまり、きれい事では駄目だということだ。
(pp.282-283)
そういうことらしい。苦悩を克服するには、自分もそれなりに努力したほうかなぁ。しかし、もう無駄な努力などしないと決めた。努力するよりも健全に楽しむことのほうが重要だ。

ようやくこのブログのタイトルにある『賢者』らしい本を取り上げることができた。本当は、今年、2010年最初に取り上げたかったが、タイミング的なものがいろいろと折り合わず、このタイミングで取り上げることとなった。

人生論が好きでよく読んだりする。人生論を読むと、自分の生き方についてよく考えられるようになるから。



賢者たちの人生論 (PHP文庫)
賢者たちの人生論 (PHP文庫)
著者:金森 誠也
販売元:PHP研究所
発売日:2009-08-03

読むべき人:
  • 人生論が好きな人
  • 格言、名言、至言が好きな人
  • 賢者を目指している人
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December 19, 2009

だから人は本を読む

だから人は本を読む
だから人は本を読む

キーワード:
 福原義春、読書、教養、古典、書友
資生堂の社長、会長を勤められた人による、読書論。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 私の読書体験
  2. 第2章 読書と教養
  3. 第3章 仕事は読書によって磨かれる
  4. 第4章 私が影響を受けてきた本
  5. 第5章 読書と日本人
  6. 第6章 出版・活字文化の大いなる課題
(目次から抜粋)
著者は資生堂に入社し、そこから米国法人社長、代表取締役社長、会長、名誉会長、さらには東京都写真美術館の館長まで勤められた人である。そんな人によって、これまで影響を受けてきた本、読んできた本、読書の必要性などがエッセイ調に示されている。

このような読書論はもうそれなりに読んできたので、特に新しいことを期待していなかった。読んでみると、まぁ、大体予想したとおりの内容が示されていた。それでもなぜこの本を読んだかというと、一つの仮説として、大企業のトップに立つ人たちの共通認識として持つ読書経験があるのではないか?ということを確認するためである。

この本の主張を簡潔に示すならば、『よりよく生きるためには先人の知恵をうまく取り入れましょう、そのためには本を読みましょう、そして表層的なノウハウ本だけを読むのではなく、古典も読みましょう』、ということになる。

特に共感できた部分を引用しておく。

最初に『社長という重責の下で』という節タイトルのところから、資生堂の社長に就任し、責任を果たさないといけないと感じられたところを引用。
 そうなると、気を抜くことのできない毎日の中で本を読む時間はいよいよ貴重に思えるようになった。しかしそれはそれで、出張の機会も多くなり、列車や飛行機やホテルで本を読む時間を作れるようにもなった。そこで読む本の中心は人生やリーダーに関するものに興味がわいてきた。今でも『―の仕方』とか『―で成功する方法』というようないわゆるハウツーものはあまり読んでこなかったし、それはそれで正解だったと思うのだが、このたびも『リーダーはかくあるべし』というような本よりは人間学とか人生論とか世界観のような、もっと本質的なものを読まなければ根本的に解決にはならないと考えていたからである。
(pp.33-34)
これが組織のトップに立つ人の読書観なんじゃないかと思う。大企業のトップとなると、大局観を養っていなければとてもつとまらない、ということなんだと思う。だから、そういうものを養える本を読みましょうということになる。

著者の読書観が端的に示されている部分を以下に抜粋。2章の『本を読むということ』から。
 しかし、実際にはその経験や思想の一部が文字になって残り、そしてまた活字、本になって残っている。われわれの先祖である膨大な数の人たちが考えたり、人生体験をしたり、冒険をしたり、あるいは一生かかって思想を作ったりしたのだから、本を読むということは何かと突き詰めて考えていくと、数多くの先人たちの体験や考えかたなどを、私たちが比較的容易にいくらでも吸収することが可能であるということである。ソクラテスが何十年もかけてようやく到達した思想が、本を読むだけでわかるのだから、読まないのは何ともったいないことか。自由に使える知の金庫があって「さぁ、お入りなさい」と扉が開いているのに面倒くさがって入らないのと同じことで、そう思うと読まずにいられなくならないだろうか。
(pp.46)
やはり、読書とはこういうことだと思う。これはもう全面的に同意。だから、この読書ブログのヘッダー部分にも『道に迷ったら、先人の智慧を借りればいいと思うよ。』と示している。

著者が示す『自由に使える知の金庫』は、図書館のことだと思う。本屋じゃなくて、図書館。しかも、最近はやりのベストセラーがおいてあるような街の公立図書館、ではなく、大学にあるような図書館。そういう知の金庫に入って、自分はいつまでたっても出られなくなっている状況だったり(笑)むしろ自分専用の知の金庫である図書館を作りたいと思ったりもする。

そして、古典について、以下のように示されている。『知は古典によって得られる』から。
 古い書物には、われわれの先輩が到達した人生観、思想、あるいは世界観、そういうものが述べられているし、さまざまな人生体験、未踏の地に行ったり、あるいは事件に巻き込まれたりしてどうなったかということがすべて書かれている。であれば、それを図書館に積んだままにしておいてひもとくことをせず、私たちがまた自分であらたに一つひとつの体験に取り込んでいくのは、無意味で非効率なことなのではないだろうか。
(中略)
 繰り返しになるが、要は、今いる私たちがどのように生き、どのように死んでいくのかということ。そしてそのために、本を書いた著者と向き合って、あなたがどのように生きて、どのように亡くなったのか、そして、あなたが人生でいちばん愛したものというのはどんな価値であったのか、何であったのかを著者と対話するということ。それが、古典を読むことの意味になってくると思う。
(pp.48-49)
古典を読むのはとんでもなく骨の折れる行為だったりする。漢字が読めないし、書かれたときの歴史的背景がよく分からなかったりするし、1ページの文字量が半端なく多く、読むのに時間かかりすぎなど、読まない理由はいくらでもあげられる。しかし、ハウツー本を多読するよりも、古典をじっくり紐解いたほうが、結果的に効率がよいというか、得られるものが多い気がする。

古典には直接的に役に立つことなんかあまり書いてないけど、その物語であったり教訓であったり世界観であったりを時間をかけて追体験することで、必然的により多く考えることにつながり、運がよければ開眼するような人生観が変わるようなものに出会えるのだと思う。というようなことを今年一年割と考えていた。

4章で著者が影響を受けてきた本として、以下のようなものが挙げられている。
  1. ラ・ロシュフコー・・・ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫)
  2. カエサル・・・ガリア戦記 (岩波文庫)
  3. 鴨長明・・・方丈記 (岩波文庫)
  4. リチャード・ファイマン・・・ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)
  5. 寺田寅彦・・・『電車の混雑について』寺田寅彦全集 第二巻 随筆
  6. 司馬遷・・・史記〈1〉覇者の条件 (徳間文庫)
  7. アゴタ・クリストフ・・・悪童日記 (ハヤカワepi文庫)
  8. 川喜田二郎・・・パーティー学 (現代教養文庫 495)
  9. ジャン=ポール・サルトル・・・嘔吐
  10. 萩原朔太郎・・・猫町
  11. 谷崎潤一郎・・・陰翳礼讃 (中公文庫)
  12. 宮沢賢治・・・新編銀河鉄道の夜 (新潮文庫)
  13. アルチュール・ランボー・・・地獄の季節 (岩波文庫)
  14. ウンベルト・エーコ・・・薔薇の名前〈上〉
読んだことのあるのは、サルトルくらいか。内容はまったく覚えてないけど・・・。

やはり大企業のトップに立つ人は古典を読む傾向があることがわかった。たぶん、出世したから古典を読み始めたのではなく、若いころから読んでいたからトップにまで上り詰めたんだと思う。ということで、『組織のトップに立ちたければ、若いときから古典を読め!!』と言えるんだと思う。たぶん。

似たような主張、本は以下の2冊かな。特に上2つは、同じような経営者による読書観が示されている。

来年は読む本のレベルを上げようと思う。つまり、古典を多めに読むことにする。



だから人は本を読む
だから人は本を読む
著者:福原 義春
販売元:東洋経済新報社
発売日:2009-09-11
おすすめ度:4.0

読むべき人:
  • 読みたい本を探している人
  • ノウハウ本ばかりを読んでいる人
  • 将来組織のトップに立つような経営者になりたい人
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December 01, 2009

難病東大生

難病東大生
難病東大生

キーワード:
 内藤佐和子、多発性硬化症、難病、できること、ラッキー
多発性硬化症を患っている著者によって、難病を患っていても、できることがたくさんあると教えてくれる良本。以下のような目次となっている。
  1. 1章 私、難病なんですか…?
  2. 2章 「できない」なんて言わない!
  3. 3章 難病でも、自分の足で前進できる
  4. 4章 私、これからも元気です。
(目次から抜粋)
編集者である友人、綿谷氏から頂いた本。基本的に献本は受け付けないが、この本は例外。古くからの友人であるからというのも理由の一つだが、一番の理由は、自分自身もわりと難病の腎臓病を患っているから。なので、この本はとても関心を持って読めたし、同時に著者の内藤さんはすごい人だなぁと思った。

この本を読んで、自分自身が難病を患っていて感じてきた気持ちと同じようなことが示されていて、とても共感できた。そして、病気に対する捉え方、考え方が今の自分と結構似ていると思った。それと同時に、自分も著者と同じようなプロセスを経て、難病とともに生きていく覚悟というか、自分自身の生き方の方向性を見出しつつある境地にあるということを再確認できた。

さて、本の内容について詳しく触れておこう。

著者である内藤さんは、タイトルにあるように東大生である。文科三類に一度入学するも、弁護士になりたいという夢をあきらめられず、文科一類に再入学を果たす。しかし、ゴールデンウィークを過ぎたあたりに、足がふらつき始めることに気づく。そのため、病院でCTなどの検査をするも、3ヶ月ほど病気の詳細はわからないという事態に。脳外科から神経内科に行った後、一生治らない病で、中枢神経系の脱髄疾患の一つである、『多発性硬化症』であると診断される。多発性硬化症を患うと、人によって出る症状がまったく違うが、ある日突然目が見えなくなったり、足がしびれたり、手が動かしづらくなったり、排尿障がいがでたりするらしい。著者の場合はすでに、手足がしびれたり、視野が狭くなったりしているようだ。

治療としては、MRI撮影をしたり、ステロイドを点滴したりするようだ。ステロイドは副作用も多く、不安があると示されているが、その通りだと思う。自分も毎日ステロイドを飲んでいるので、とてもよく分かる。

多発性硬化症と診断された著者は、以下のように感じられたようだ。
 「心身ともに健康な者」
 これまではただの「決まり文句」のようにしか目に映っていなかった言葉が、今では重くのしかかる。留学プログラムや海外渡航プログラム等、身体が健康でないとできないことは無限にあると知った。
 できないこと(もしくは医者にしないほうがいいといわれていること)なんてたくさんありすぎて、書き出すこともできないくらい。
 だけど、それを悲観して、「私、難病になっちゃったから、もうなんにもする気が起きない」と言うのも悲しいし、何よりも自分が自分を諦めるようでとてもつらかった。
(pp.43)
これは痛いほどよく分かる。自分自身に関して言えば、腎臓病を患うことによって、高たんぱく、高塩分の食事を摂取することができなくなった。残業制限もあって、そこまで激しく働けないし。医者に治らないとか宣告されると、やはり自分で自分を諦めてしまうようで、辛いことこの上ない。

しかし、著者は、こんな体験に対して、『ラッキー』だと思えたようだ。
 今の言う「ラッキー」は、世の中のことをこんなに真剣に考えさせてくれて、すごく成長できたという意味だ。本当にすごい経験をさせてもらった、その感謝の気持ちをこめて使っている。
 難病になってから「命」や「仕事」、そして「生き方」についても考えるようになった。
 弱い立場の人の気持ちをはじめて肌で感じることができたからこそ、社会的弱者を救うために目指していた弁護士を、本当に当事者は求めているのか、ということも考えることができた。
 もし、病気になっていなかったら、今よりもずっと自分勝手で傲慢な人間だったかもしれない。好きなように生きて、わがまま放題で、結婚もせず、気づいたら一人ぼっちの人生を送っていたかもしれない。
(pp.44)
ここまでの境地に至るまでは、相当大変だったと思われる。自分も少なからず著者のように感じられるようになってはきたが、この境地に至るまではそれなりに長い時間がかかった。自分は3年ほどかかった。自分も必死で、毎日自分の生き方を考えていた。それが、このブログの始まりから書評500冊目までの軌跡でもある。だから、著者のように『ラッキー』と考えられるのは、いくらポジティブ思考といえども、そう簡単には到達できない境地だと思う。そして、著者と自分が決定的に違うのは、思うだけにとどまらず、自分ができることを考え出し、行動に移し、それなりの成果を出していることだなと思った。

「難病だからできない」という思い込みを払拭し、著者はいろいろなことにチャレンジをする。学生時代には、学生ベンチャー企業の経営陣になったり、ビジネスプランコンテストで優勝したり、GREEでアクセス数No.1を獲得したり、ハリウッド映画にエキストラで出演したり、多発性硬化症の専門家である教授に会いに行ったり、難病患者支援のための基金を設立しようと奔走したり、と本当にすごく活動されていて、純粋にすごいと思った。そして、以下のように達成してきたことを振り返られている。
 そして思ったことを本当にやる気になれば、必ず道は開けると思う。右も左もわからない私が、「やる気」だけでビジネスプランコンテストで優勝したように。また、親友と一緒にヨーロッパ旅行ができたように。そして今こうして、本という形を通して、たくさんの方に難病のことを知ってもらうきっかけを作ることができたように。
 思ったことを願い続ければ、必ず道は開けると思う。

 「病気だからできない」と思っていたけれど、「病気だからこそできる」と今では考えるようになってきた。目の向け方、気持ちのもち方で私の人生の景色が見違えるように変わってきた。
(pp.134)
一度病んでしまうと、どうしてもできないことばかりに目が行ってしまう。こればかりはしょうがないことで。自分もあれもこれもできない、これからどうしようか?と途方に暮れていた。しかし、ほんの少しずつ、自分自身の現状を受け入れる過程で、病んでいてもできることは何か?、むしろ病んでいる自分だからこそできることは何か? と考えられるようになりつつある。そう考えられるようになると、本当に人生の景色が違ってきて見える。ほんの少しずつで、著者ほどではないにしても。

著者は、多発性硬化症をはじめとする難病について、世間であまり認知されていないことに憂いている。そのため、『東大生』という肩書きを、戦略的に使っておられる。
 とくに、メディアに取り上げられなくては私の「多発性硬化症」なんて病気、一生知らないかもしれない。そういう意味では、東大生というブランドはすごく価値があるように思えた。東大の入学式にはメディアが来る。東大はよくも悪くも日本の中である種のブランドを形成しているはずだ。
 だから私は隠さない。
 もしかしたら、東大に入った人が難病になったと言ったところで、「東大」のネームが邪魔をして共感を呼んでくれないかもしれない。実際に反感を買って、心ないことを言われることも少なくない。
 だけど私が本を出して声を張り上げて言うのは、どんな形で取り上げられようとも、それで難病のことが少しでも表にでてくればと願うから。
 私が貢献できるのは、難病の人がこんなに近くにいることを知ってもらうことだと思っている。難病でも、たくさん勉強をしたり、たくさん遊んだり、そしていっぱい恋愛をしたり。生命の営みはみんな同じで変わらない。

 すぐにこんなことを考えられるようになったわけではない。
 それどころか私は、病気になってから「カミングアウト」するまでに、二年以上かかっている。
(pp.141-142)
やはり『東大』と肩書きにあると、東大出身でもない自分は身構えてしまう部分は少なからずある。もし自分が病気になりたてのころ、現状を受け入れられないときにこの本を読むと、著者がそこまでできたのは、東大生だからじゃないか、とかひがんだりしてしまう部分があったと思う。でも、それは違うと思えるような境地に至りつつある。著者がそこまで活動的になれたのは、『難病のことをもっと知ってほしい』という本当に強い思いがあったからだと思う。そういう思いが、本書全体を通してしっかりと伝わってくる。

そして、自分もまた完治しない病気を患っている身として、自分にできることは何か?と考えたとき、病んでいる人や生きにくさを感じている人たちに、このような良書の存在を広く知ってもらうことではないかと思ったりする。病んでないとわからないこと、見えてこない側面ってかなりある。普通とは違う生き方をせざるを得なくて、どうしても人との違いを意識させられる。そういう自分だからこそ、選出できる本があるのではないか?と思うようになり、このブログを続けている。

自分も病気を「カミングアウト」できるようになるまでは長い時間がかかった。自分の場合は、3年半くらいはかかった。そして、自分の使命に目覚めつつある境地に至るのも、それくらい時間がかかった。

最後に一箇所引用。
 今まで出会った人の中に、障がいや病気を抱えた人がきっといる。
 もし、そんな人が近くに一人でもいたのなら、同情ではなく、ただ声をかけてあげてほしい。
 みんな友だちがほしいのに黙っている「寂しがり屋」さんだから。そして人に傷つけられるのが怖くて自分から話しかけられない「怖がり屋」さんだから。
 私たちは難病になったとたん、これまでの「普通の生活」とは別の生活を余儀なくされてきた。今まで生きてきた世界の中にいるはずなのに、まるで「別世界」を生きているかのような感覚に陥ってしまう。
 難病になってもみんなと同じ居場所にいたかった。
 「心のバリアフリー」がほしかった。
 病気が悪化したとき、私はどんどん自分で自分に壁を作ってしまったことを今ではとても後悔している。友だちに対しても社会に対しても壁を作ってしまった。
 もちろん私に責任があったんだけど、そんな壁を作らせないような、本当のバリアフリーがある世の中になればいいのにな・・・・・・。
 わがままな願いなのかもしれない。
 だけど、「見えない障がい」をもつ人への、「見えない病気」をもつ人への、「見えない何か」を持つ人への、「特別視」ではなく、普通に存在を認めてあげられる「心のバリアフリー」の世界に生きたい。
(pp.48-49)
自分も切に「心のバリアフリー」の世界に生きたいと思う。

著者は自分と同じ84年の早生まれらしい。つまり同学年。本書を読みつつ、ここまで活動されているのに、自分はあまり何もしていないのではないかと思ったりした。この差はいったいなんだろうな?とも思ってしまった。本当に著者も本書で示していたように、「泣いている時間がもったいない」と思えてくる。自分も何かしなくては、と思わせてくれる。まずは自分ができることを少しずつやっていきたい。

自分の場合は、このブログの運営であったりする。将来的には、再生医療に投資したり、腎臓病患者のためのレストランを作れたらなぁと思ったりもする。後は、この読書ブログの具現化とかね。

もし、難病を患ってしまったら、自暴自棄にならずに以下の本も読んだほうがいい。本当にお薦め。そして、『難病東大生』は、病んでしまったときに読むべき本の御三家目という位置づけとしておきたい。それほどの良書だと思った。

病んでいる人、もしくは周りに難病を患っている人がいたらぜひ読んでみて欲しい。きっと、病気とともに生きていく勇気を感じられるから。



難病東大生
難病東大生
著者:内藤 佐和子
販売元:サンマーク出版
発売日:2009-10-09
おすすめ度:5.0

読むべき人:
  • 不治の病を患っている人
  • 普通と違う生き方をせざるを得ない人
  • 「できない」という思い込みを払拭したい人
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September 01, 2009

恋の天使を味方につける70の法則

恋の天使を味方につける70の法則
恋の天使を味方につける70の法則

キーワード:
 西田庸子、恋愛、詩、失恋回復、引き寄せの法則
詩とエッセイからなる恋愛指南本となります。以下のような目次となっております。
  1. 第1章 失恋した時の考え方
  2. 第2章 失恋した時の癒し方
  3. 第3章 失恋を乗り越える出会いの引き寄せ方
  4. 第4章 失恋を引き寄せないハッピーなつきあい方
  5. 第5章 特別な恋を失恋に変えない方法
(目次から抜粋)
この本は、7月16日に参加したトマト鍋パーティーで、著者である西田さんに直接お会いしていただいた本となります。テーマはずばり、『恋愛』です。西田さんは、失恋した友人を慰めるために詩を書いてプレゼントされていたことから、多くの人に詩を通して楽しく恋愛できるように、とブログを始められ、そして本書の出版につながったようです。

西田さんのブログは以下となります。本書で示されている詩は、70編もあります。失恋したときの気持ちの考え方、好きな人に会えないときの気持ちの持ち方、そして、楽しい恋が出来るように出会う方法など、恋愛にまつわることが多岐にわたってつづられております。いくつか、これはよい詩だと思ったもののタイトルを以下に列挙します。
  • 1 失恋は素敵な恋が近づいてくる足音
  • 2 自分に起こることはすべてうまくいってことを知る
  • 4 忘れられない恋はわすれなくていい
  • 13 嫉妬するより祝福が愛を呼ぶ
  • 18 愛を結果ではなく過程で考える
  • 26 ブログを書く
  • 29 彼と再会した時に微笑むことのできる人になる
  • 30 悲しみは最上級のエステ
  • 31 出会う人や出会う時期は実は自分が決めている
  • 32 詩を書いて素敵な彼を見つける
  • 35 女としての魅力だけでなく人としての魅力をつける
  • 36 毎日は素敵工場だと知る
  • 37 異性の友達をたくさん作る
  • 50 恋をした人は誰でも一番綺麗ということを知る
  • 53 会う回数より想う時間
  • 55 好きな人に出会えたことを感謝する
  • 64 忘れられない恋は無敵の財産
  • 70 恋は幸せを感じるためにするもの
一つだけとても共感できた詩を以下に引用しておきます。『4 忘れられない恋はわすれなくていい』からです。
忘れなくていいのよ

忘れなくていいのよ
想い出はいつか想い出になるようにできている
いやでも忘れる日がくるから
だから覚えていたことは
無理して忘れなくていいの

忘れなくていいのよ
人は自分が思うよりちゃんとたくましく生きている
つらくても今日の仕事を
頑張ったり幸せを求めたり
心は前を向いているはずだから

いつか今忘れられなくて苦しい想い出を
思い出さなくなった自分にはっとするよ
その時きっと気づくはず
あの想い出は自分を
こんなにも素敵に育ててくれたんだと

だから忘れなくていいのよ
想い出は今はつらくても
きっといつか感謝に変身する
無理矢理忘れようとするより
ちょっと遠くから想い出を
楽しげに眺めてみよう

そうして楽しく想い出に感謝できた時
きっと今の自分にも感謝できる

だから忘れなくていいのよ
今まで通ってきた道も
これから通る道もすべて必要な道だから
想い出はきっとあなたを強く優しい
素敵な人に変えてくれるから
(pp.20-21)
この詩を読んで、なんだか気持ちがとても楽になりました。いつもいつも忘れようとすればするほど、思い出しすぎて苦しんでいたような気がしましたので。

本書は、詩に対しての補足としてエッセイも載っています。そのエッセイがどれもなるほどと思ったり、そう考えればよかったんですね!!と思うものが多いです。以下、一番なるほどと共感できた部分を抜粋します。『70 恋は幸せを感じるためにするもの』からです。
 さて、たくさんの詩や文章を読んで頂きましたが、この本で言いたいことは、たったひとつ。恋は楽しんで幸せを感じるためにするものだということです。失恋して悲しんだり、他の人への嫉妬で苦しんだり、彼を恨んだり不安になったりするために、人を好きになるのではないのです。いろんな恋の形があって、いろんな感情を味わうでしょうが、恋は心を輝かせるものだということを忘れないでいたら、どんな恋の瞬間にも喜びを見つけることができます。
(pp.254)
私はいつも苦しむような恋ばかりだったので、この当たり前のようなことを見失っておりました。はっとさせられたような気がしました。

基本的に女性向けの本ですが、男である私が読んでもまったく違和感がありませんでした。女性と同じように共感できる部分があったり、女性は恋愛に対してそうかんがえているのですね、ということがわかり、女性心理の勉強にもなると思います。

男性が読む場合は、文章中の『彼』、『女性』といった単語を置換して自分の状況に当てはめていくと、すんなり受け入れることができます。

この本でも、詩は不思議な力がある、と示されておりますが、その通りだなぁと実感しました。良質な詩や物語は、共感して自分の中に落とし込むことができると、自分自身の精神を浄化できるのではないかと思いました。もっと分かりやすく示すなら、物語や詩で人が救われるということだと思います。

著者の西田さんは、国語の教師をされていたり、コピーライターの仕事をされていたりした経歴の持ち主らしいです。そして、実際にお会いしてお話して、驚いたことは、小学生の低学年にして夏目漱石と森鴎外をすべて読破された!!ということでした。漱石はともかく、鴎外はいまだに漢字が読めないです(笑)そんな感受性の高い西田さんによってつづられる詩は、すっと心に染み入ってくるものが多いです。

なんで苦しむような恋愛ばかりしているんだろう、とか、失恋から立ち直れない場合などに読むときっと心が楽になると思います。

さて、明日は西田さんのこの本の出版記念パーティーに参加してきます!!場所が表参道なので、今から楽しみです。もう表参道でパーティーってだけで、引きこもり体質だった昔の自分から考えられなかったイベントだと思います(笑)きっと、この本で示されているような『引き寄せの法則』が働いているのだと思います。楽しんできます!!



恋の天使を味方につける70の法則
恋の天使を味方につける70の法則

読むべき人:
  • 失恋して苦しんでいる人
  • 恋愛から遠ざかっている日々を送っている人
  • 楽しく恋愛をして生きたい人
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May 09, 2009

なぜ私だけが苦しむのか

なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)
なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

キーワード:
 H.S. クシュナー、信仰、神、苦悩、勇気
ユダヤ教の教師(ラビ)によって、不完全な世界を生き抜く勇気が示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 1章 なぜ、私に?
  2. 2章 ヨブという名の男の物語
  3. 3章 理由のないこともある
  4. 4章 新しい問いの発見
  5. 5章 人間であることの自由
  6. 6章 怒りをなににぶつけるか
  7. 7章 ほんとうの奇跡
  8. 8章 ほんとうの宗教
(目次から抜粋)
この本で498冊目。この本が500冊目でもよかった。それだけ自分が求めていた内容が示されており、過去取り上げた本のうち、間違いなく3本の指に入る本。殿堂入りどころではなく、本当に死ぬまでに何度も読み返す価値があるバイブル的な本。

簡単に概要を示しておこう。

著者にはアーロンという息子がいたが、アーロンは「早老症(プロゲリア)」に侵されており、14歳という短い一生を終えた。アーロンとの死別体験や、ラビとして葬式に幾度となく参加したり、著者に人生の苦悩について相談に来る様々な人の話を聞いた経験から、信仰を通して病害や死別などの苦しみの意義を考え、そこからどう対処していくべきか?ということが示されている。

この本の著者の想いの一部を抜粋。
私は、人の悲しみを体験した人間であり、根本的に神を信じる人間です。死や、病気やけが、そして拒絶や失望によって人生に傷ついた人のために、また、この世に正義があるなら、こんなことが自分に起こるのはまちがっていると考えている人に読んでもらいたくて、この本を書きました。
(pp.xxiii)
本書のタイトルである「なぜ私だけが苦しむのか」というように、自分自身も『なぜ自分がこんな目にあわなければならないのか!?』と、脳内カウンタがオーバーフローを起こすほど自問自答した。何度この問いを繰り返したか分からないほどに。なぜなら、自分もまた病害に苦しむ身だからだ。そういったこともあり、この本に示されている一文一文が自分の心に染み入ってくるもので、著者に語りかけてもらっているような境地だった。よって、本エントリでは、本当に救われる境地で線を引いた部分を多めに引用しておく。

まずは、『信仰の強さを試しているのか?』という著者の自問自答の部分から。
 私は、身体障害児をもつ親として、息子が死ぬまでの十四年間を暮らしました。しかし、神は私の内にある信仰の強さを見抜き、苦しみを乗り越えられると見抜いたので、ほかの人ではなくこの私を選んだのだという考え方によって、安らぎを覚えることはありませんでした。そんなふうに考えたところで、私は神に選ばれた者としての"特権意識"など感じませんでしたし、神はなぜ、毎年多くの障害児を、平和に暮らしている家庭に送り込むのかという疑問に対する答えとはなりませんでした。
(中略)
 もし神が私たちをテストしているのなら、私たちの多くは落第しているということぐらい、もう気づいてもいいはずです。耐え忍ぶことのできる範囲内の苦しみを与えているというのなら、神には計算違いが多すぎます。
(pp.33-35)
苦難に対する心の持ちようとして、『選ばれ者しか苦難は味わえない』とか、『その人が乗り越えられるだけの苦難しか与えられない』などと他の本で読んだりする。しかし、それらはそういう側面があるかもしれないが、現に苦しんでいる人にはあまり慰めにはならないものだ。もしそうであるなら、日本で年間3万人以上の自殺者が出るわけがない。乗り越えられるだけの苦しみを与えられているのなら、乗り越えられずにこの世界から自主退場した人たちは、一体なんだったのだろうか?ということになる。だから、自分自身も、乗り越えられるだけの人にしか苦難は訪れないといったような思い込みは止めようと思う。そのような不合理な思い込みをしたところで、苦しみが軽減されるわけではないのだし。

著者はラビという立場から、神そのものを信じないわけにはいかないが、サイコロを振るように人々に苦しみを与えるような神の存在は否定している。
 私には、どうしてある人が病気になり、他の人にはならないのかわかりませんが、私たちの理解を超えた自然の法則がはたらいているのだろうということは想像できます。私は、神が特定の人に特定の理由で病気を「与えた」とは信じられません。悪性腫瘍の週間割当て計画書をつくり、だれに配布するのがいちばんふさわしいか、だれがいちばん上手に対処できるか、などとコンピュータで調べている神を私は信じません。
 病人や苦痛にさいなまれている人が、「いったい私がどんな悪いことをしたというのだ?」と絶叫するのは理解できますが、ほんとうのことを言えば、これはまちがった問いかけです。病気であるとか健康であるとかいうのは、神が私たちの行いや態度にもとづいて決定していることがらではないのです。ですから、より良い問いかけは、「こうなってしまったのだから、私はいまなにをすべきなのか、そしてそうするためにだれが私の助けになってくれるだろうか?」ということなのです。
(pp.92-93)
つまり、不条理にも苦しむのは、特に明確な理由や因果があるわけでないということになる。
 痛みというのは、私たちが生きて存在するために支払う対価です。
(中略)
そのことがわかれば、私たちの質問は、「なぜ苦しまねばならないのか?」というものから、「ただ無意味でむなしいだけの苦痛に終わらせず、意味を与えるために、私はこの苦しみにどう対処したらいいのだろう?どうすれば、この苦しい体験が産みの苦しみ、成長の痛みになるのだろうか?」という問いかけに変わっていくことでしょう。
 なぜ私たちが苦しむのかは、けっしてわからないかもしれません。痛みの原因を克服することもできないかもしれませんが、苦痛が私たちにおよぼす影響や、それによって私たちがどのような人間になるかについては、かなりのことが考えられます。痛みのせいで敵意を抱き、ねたみ深くなる人がいます。痛みによって感受性を養い、愛情豊かになる人もいます。痛みや苦しみの体験を意味あるものにするか、むなしく害だけのものにしてしまうかを決めるのは、痛みの原因ではなく、結果なのです。
(pp.99-100)
病害や障害は天からのギフトである』、という考えに通じるものがあると思った。苦難の根本的な理由を問い続けたところで、答えが出るわけではない。自分自身もずっと考え続けてきたが、やはり確かな理由なんか分からない。だから、著者が示すように、この痛みの意味を見出していく必要があるのだということがよくわかった。

最後にもう一箇所、上記に引用した部分と同じような主張ではあるが、とても重要な部分を引用。
 私たちにふりかかってくる不幸な出来事は、その発生時においてはなんの意味も持っていないのだと考えたらどうでしょう。それらはべつに、納得できるような道理などなしにやってくるのです。しかし、私たちのほうで意味を与えることはできます。私たちのほうで、それら無意味な悲劇に意味を持たせればよいのです。
 私たちが問うべきなのは、「どうして、この私にこんなことが起こるのだ?私がいったい、どんなことをしたというのか?」という質問ではないのです。それは実際のところ、答えることのできない問いだし、無意味な問いなのです。より良い問いは、「すでに、こうなってしまった今、私はどうすればいいのだろうか?」というものでしょう。
(pp.218)
ずっと叫び続けていてもしょうがないのだと思う。もう叫び続ける必要もないのかもしれない。そろそろ、では、自分はこれからどうすべきか?ということを真剣に考えなければいけないときが来ているのかもしれない。すぐに意味づけや自分なりの答えが出せるわけではないけど。

最終的には、宗教、言い換えれば神は、私たちに不条理な苦難を与えたり、そのような苦難を私たちが祈ることによって取り除いてくれる存在でもなく、不幸を乗り越えるための勇気と忍耐力を与えてくれる存在であると示されている。著者の信仰に対する想いの変遷が良く現れていると思った。

この不完全な世界を生きていると、誰にでも叫びたくなるような境地に陥ることがある。単純に自分自身の病害や事故などによる障害であったり、肉親や友人、親しい人の死別であったりもする。そういうときに、本書のタイトルのごとく苦しくて叫びたくてしょうがないとき、きっとこの本が救いになってくれると思う。少なくとも、自分はこの本を読んで、本当に救われた境地になった。自分は基本的に無神論者であり、唯一信じる宗教があるとしたらそれは仏教であるが、ユダヤ教を母体とした著者の神に対する考え方、苦しみの捉え方にとても共感できた。だから、そういう宗教くさい部分を忌避しないで受け入れてほしいと思う。

この本は、自分の書評ブログのロールモデルであるDainさんのブログで知った。この本に出逢えてよかったと思う。なんとなくではあるが、これで明日を恐れずに生きていけると思う。自分も本当にDainさんに感謝します。ありがとうございました。

読むのに3日かけたが、本当はもっとゆっくり読むべきだったかもしれない。少なくとも、この本は速読とかフォトリーディングをすべきものではない。ラビである著者の言葉をしっかりとかみ締めて、自分の心に染み渡らせるように読んだほうがいい。そして、何度も何度も読み返したい1冊だと思う。

自分の身の回りの人、親しい人、友人で、苦しみが原因で叫んでいる人がいたら、じっくりと話を聞いてあげて、そのあとでそっとこの本を贈ることに決めた。



なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)
なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

読むべき人:
  • 重度の病気を患っている人
  • 身近な人を失って悲しみに暮れている人
  • 苦しみから逃れるために自殺を考えている人
Amazon.co.jpで『H.S. クシュナー』の他の本を見る

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March 08, 2009

人生に生きる価値はない

人生に生きる価値はない
人生に生きる価値はない

キーワード:
 中島義道、哲学、ニーチェ、永遠回帰、ニヒリズム
哲学博士による、哲学的エッセイ。以下のような目次となっている。
  1.  道徳の暴力
  2.  あれも嫌い、これも嫌い
  3.  哲学的に生きるには
  4.  この世界が「ある」ということ
(目次から抜粋)
著者はカントが専門の哲学博士であり、つい最近まで電気通信大学で教授を勤められていたが、最近退職されたようだ。そして、この本は、雑誌『新潮45(新潮45|新潮社)』に2007年1月号から2008年12月号まで連載された哲学的エッセイがまとめられたものとなっている。内容的には、その時の社会ニュースに沿ったものや、カント哲学やニーチェを引き合いにし、いかに人生は無意味であるかが全編を通して示されている。

興味をそそられたエッセイのタイトルをいくつか列挙しておこう。
  • 哲学と心の病
  • 死を「克服」する?
  • 哲学塾・カント
  • 知的エリート主義
  • 人間嫌い
  • キレるおやじ
  • ニーチェの季節
  • 明るいニヒリズム
  • オリンピックとノーベル賞
まぁ、このタイトルだけでは中身が想像できないだろう。著者は、とても変わった人で、この本に限らず、その他の著者の本を読むと、大抵の人はまともに受け入れられないものだろう。極度の人間嫌いで、街中のスピーカーから出てくる騒音にひたすら抗議しているし、若いときに自殺未遂もあるし、10歳のころからどうせ自分は死んでしまうのに、なぜこの世界を生きているのか?と問い続け、そして著者が生きる道は哲学しかないと悟り、哲学を専門にしているというような人。そんな人が主張する哲学的エッセイは、強烈で、普通の人、著者によれば『善人』である人がこれを読めば、間違いなく毒になりえる。しかし、自分は著者の本に強烈に惹かれてしまう。なぜなら、自分もまた、著者のような特性を少なからず持っているからだ。

全体的な内容を網羅することはできないので、特にこれは、と思ったものを引用しておく。まずは『知的エリート主義』という節タイトルから。著者は、『善人』、いわば『普通の人』がものすごく嫌いなようだ。どういう人か、以下のように示されている。
 こういう人は、私の周りにも掃いて捨てるほど居るが、彼らと重なりながらもやっぱり違う一群の人々が、やはりとても嫌いである。それは、知的でない人、知的向上心のない人と言っていい。知的でない人とは、人類の膨大な知的遺産を知りたいという情熱を抱かない人。具体的に言うと、大学の文学部や理学部などで扱っている古典教養としての哲学・文学・芸術・科学に対して、飽くなき知識を求めようとしない人。それを知らないことを全身で恥じない人。限られた人生において、そのひと滴しか知ることができないことに絶望しない人。未来に地上に生息し、自分の知らない膨大なことを知りうる人間に対して嫉妬を感じない人・・・・・・である。
(pp.48-49)
ここにかなり惹かれた。惹かれたといっても、自分もまた『普通の人』が嫌いであるということではない。自分はそこまで人間嫌いじゃない。だた、著者のような知的好奇心が自分の中にもあり、それこそが自分が読書をしている根本原理なのだということが改めて分かった。

なぜ本を読むのか?それは成功者になって金持ちになるためだけではなく、書評ブログのためでもなく、純粋に自分に内在する知的好奇心を満たしていきたいからである。著者のように、書店や図書館に行くたびに、そこに存在する膨大な量の先人の知恵は、自分が一生をかけてどれだけがんばって習得しようとしても、極小の部分集合しか知ることはできないといつも途方に暮れる。そして、自分よりも碩学な存在を目の当たりにすると、多少嫉妬心を抱く。だから、この主張に強烈に惹かれた。だからと言って、著者のように知的向上心のない人を嫌ったり馬鹿にしたりはない。それはそれで、生き方のひとつの選択である。それは、尊重しておきたい。

もう一箇所、同じ節タイトルで、教養についての部分。
 逆説的に響くかもしれないが、本物の教養人とは、教養があることをまったく誇っておらず、幾分恥じていることすらある。彼らにとって、教養を積み重ねることは自然的欲望なのであって、古今東西の知的遺産を渉猟するのが面白くてたまらず、そこに何の見返りも求めないのだ。だから、自らの教養を誇る人(だいたい、大した教養もない人である)が嫌いなのであり、彼らの教養に擦り寄る人が嫌いなのである。とすると、もちろん、彼らは教養のない人も嫌いなのだから、彼らが「許せる」のは、自分と同様、自然な形で貪欲に教養を求め、それを楽しんでいる人、しかもしっかりしが鑑識眼を具えている人のみとなる。
(pp.52)
教養を身に付けようと思ったとき、この主張はとても参考になる。ただ、別に教養のない人を嫌う必要はないと思うが。また、本を読んでひとつ自分の知らない世界を知ることが、とても楽しいという部分は、かなり自分にもある。

まだ自分は教養があるとは客観的に言えないし、今後も自分が教養溢れる存在だと主張することはない。

そして、この本の核である、『人生に生きる価値がない』という主張が、『ニーチェの季節』に示されている。ニーチェの永劫回帰が以下のように示されている。
 私のニーチェとの「出会い」は、「永遠回帰」の思想があるときはっとわかったからである。それは、単純この上ない真理であって、この世の何ものもいかなる意味(目的)もない、ということ。すべては偶然である、いや偶然とは必然との関係においてある用語だから、すべてはただ生ずるだけなのだ。
 だが、ほとんどの人はこのことを承認しようとしない。打ち消そうとしても、気がつくと人生に何かしらの意味=目的を求めてしまっている。そうした弱さを完全に拒否すること、それをニーチェは延々と言い続けているだけである。
 もし目的があるなら、時間は無限なのだから、とっくの昔にそのすべては実現されているはずである。だが、どう見てもいかなる目的も実現されないのだから、目的など始めからなかったのであり、いかなる目的もなくただ無限の時間が経過しただけなのである。
 それをニーチェは「永遠回帰」という詩的なイメージで語ったのだ。
(pp.160)
一般的には『永劫回帰』と示されることが多いが、著者は『永遠回帰』のほうがしっくりくるということで、『永遠』を使っているようだ。まじめに自分の人生の意味、意義はあるのか?と自問自答することがある。割と苦しみながら生きている部分もあるので、この人生に何の価値があるのか?と。そう考えたとき、やはり意味などない、という結論は、納得がいく。納得がいったとしても、そこに絶望的な諦観があるわけではない。そして、『明るいニヒリズム』へと向かう。
 キリスト教とプラトニズムへの怨念をニーチェと共有していない私の体感にそった理解は、ニヒリズムとは、ただこの世で生起することはすべて何の意味(目的)もないこと、このことをとことん「味わい尽くす」ことだけである。
(中略)
 人が生まれるのも死ぬのも、苦しむもの、楽しむのも、何の意味もないと小学生のころから思っていたのだが、ここ十年ほど、他人の顰蹙をも省みず、そもそも人生は生きるに値しないこと、何をどうしてもどうせ死んでしまうこと、その限り不幸であること、それから眼を離して生きていることが最も不幸であることなど、繰り返し書き散らしているうちに、奇妙に「明るい」気分が私の体内に育っていった。
 こういうことを語ることが厳しく禁じられていたころ、私は生きるのが辛かった。こんな「あたりまえ」のことを語ってはいけないという周囲の空気が、私を窒息させていた。しかし、いったん語りだしてみると、人生は瞬時も生きるに値しないことはますます確かになるのに、―自他の流す血を吸って(?)―なぜか私は明るくなっていったのである。「自由になっていった」と言い換えてもいい。そんなころ、私の中で「明るいニヒリズム」という言葉が煌き出した(ニヒリズムの第五形態)。
(pp.167)
あえて自分も宣言しよう。自分の人生も一切は無意味だと。この部分を読んで、もうこれ以上、深く自分の人生の意義を考えることを止めようと思った。しかし、だからといって、絶望的な境地に陥って自分の人生を投げ出すということではなく、全ては無意味であるという、ニヒリズムを自分に内在させ、それをよりどころとして生きていけばいいのではないかと思った。

自分の人生の無意味さに眼を背けたまま生きていくと、あるときどうしようもない絶望が襲いかかったとき、それに耐えられなくて、自殺してしまう可能性は否定できない。自分の今までの人生はなんだったのか?と。そうならないためにも、一切は無意味であるというスタートから自分の人生を生きていけば、そんなに苦しんだり思い悩んだりしないのではないかと思った。そして、著者の言うような『明るいニヒリズム』の境地に至れるのだと思う。そういう境地に至ったとき、人生の無意味さをより深く味わえて、それが楽しみにもなるのかもしれない。また、楽しみも無意味かもしれないが、生きていくうえで、日々の楽しみは必要だ。

この本だけでは、自分が引用した部分の強烈さは分からないかもしれない。著者の他の本をそれなりに読んでおけば、この本を深く味わえる。まぁ、なにも日曜日の深夜にこの本を読んだり、書評を書いたりする必要はないことは確かだが・・・・。

ひとつのエッセイは、大体8ページほどである。そのため、細切れで読みやすく、長く時間をかけて読んでもいいと思う。

また、この本は、万人にはお薦めはできない。『普通の人』がこの本を読むと、嫌悪感すら抱くだろう。自分の人生の無意味さを知ることになるのだから。しかし、少しでも自分の人生の意義を考えたりして自問自答している人や、苦しみながら生きている人は読んだほうがいい。

この本を読んで、やはり自分は、ニヒリズムでいいのだと思った。

この本で490冊目となる。この本が、記念すべき500冊目でもよかった。ただ、タイミング的にあわなかったし、500冊目はすでに他に確定している。



人生に生きる価値はない
人生に生きる価値はない

読むべき人:
  • 哲学的なエッセイが好きな人
  • ニーチェに傾倒したことがある人
  • 自分の人生に価値があると思い込んでいる人
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January 02, 2009

人生の100のリスト

人生の100のリスト (講談社プラスアルファ文庫)
人生の100のリスト (講談社プラスアルファ文庫)

キーワード:
 ロバート・ハリス、リスト、旅、エグザイル、夢
旅をしながら多彩な仕事をこなしてきた著者によって、人生で達成したいことの100のリストについて示されている本。以下のような目次となっている。
  1. プロローグ
  2. ファッション・モデルと付き合う
  3. 1000冊の本を読む
  4. アマゾン川をイカダで下る
  5. イルカと泳ぐ
  6. 原宿に自分のサロンを作る
  7. ギャンブルでメシを喰う
  8. 映画を5000本観る
  9. エベレストを間近に拝む
  10. ヒッピーになる
  11. 南の島で放浪者たちの集うバーを開く
  12. 武道の黒帯を取る
  13. モロッコでポール・ボウルズの短編を読む
  14. 結婚する
  15. 映画で殺し屋を演じる
  16. 自伝を書く
  17. パリの「シェイクスピア・アンド・カンパニー」とサンフランシスコの「シティ・ライツ・ブックス」で本を買う
  18. ギリシャの島で小説を書く
  19. 人妻と恋をする
  20. ZEN寺で修行する
  21. バックギャモンの世界チャンピオンになる
  22. 貨物船に乗って『ロード・ジム』を読む
  23. 阿片窟で一夜を過ごす
  24. コルレオーネ村に代わって、『ニュー・シネマパラダイス』村を訪ねる
  25. セラピーを受ける
  26. ブックショップを開く
  27. 娼婦と恋をする
  28. 画廊を経営する
  29. 世界のすべての国と地域へと旅をする
  30. 氷河のオンザロックを飲む
  31. ラジオの番組を持つ
  32. 砂漠の朝焼けを見る
  33. 刑務所に入る
  34. 離婚する
  35. 映画を製作する
  36. 男と恋をする
  37. 自分の家を持つ
  38. 親父より有名になる
  39. 子供を持つ
  40. ヌードモデルになる
  41. 半生を旅人として生きる
  42. 作家、画家、ロックスター、映画俳優たちと対談する
  43. 旅人を主人公にした小説を書く
  44. 100のリストの本を書く
  45. 人生の100のリスト
  46. これからの人生の100のリスト
  47. 文庫版あとがき
(目次から抜粋)
この本は、昨年半年ほど時間をかけて読んでいた。そして、2009年新年の1冊目の書評はこれしかないと思っていた。それほどこの本は新年に読む価値がある。そう、人生はいかようにも面白くもなるということが示されている。続きを読む


December 10, 2008

わが家の母はビョーキです

わが家の母はビョーキです
わが家の母はビョーキです

キーワード:
 中村ユキ、統合失調症、コミックエッセイ、闘病記
漫画家である著者の母が統合失調症になってしまい、統合失調症の闘病記が描かれているコミックエッセイ。以下のような目次となっている。
  1. はじめに
  2. PART 1 はじめに
  3. PART 1 発病から20年 まちがいだらけの不安な日々
  4. PART 2 社会とのとながり 回復の兆し
  5. PART 3 私の結婚と新生活
  6. おわりに
(目次から抜粋)
自分の中学からの友人であるサンマーク出版の編集者、綿谷氏(力を抜くなら肩からで)から献本御礼。基本的に献本は受け付けないが、これは例外。そして、このエントリは、決して、献本を受けたから、手がけた編集者が古くからの友人だったから多くの人に読んで欲しい、というわけではなく、本当に痛々しいほど共感したから熱く書く。

この本は、今日、通院中の待ち時間を利用して読んだ。自分もまた病んでいる身として、自分にしか伝えられない想いがあると思ったので書く。また、綿谷氏が熱くこの本を多くの人に読んで欲しいと語っていた理由がよくわかった。

著者の母は27歳のとき(著者が4歳のとき)に統合失調症という脳の病気を発症し、それから紆余曲折を経て、ある程度回復する現在までの闘病記が漫画で示されている。漫画の絵柄はやわらかめで読みやすいが、その内容はあまりにも痛々しく、著者の不安、絶望、孤独感が多く示されていている。ところどころで共感しすぎて本当に涙が出てきそうだった。

統合失調症を患っている著者の母は、月に1,2回豹変することがあり、まるで何かに取り付かれたように独り言を言ったり、幻聴を聞くようになり、ひどいときは包丁を持って娘である著者に襲いかかったりする。それに対して父はパチンコ、競馬などのギャンブルにはまっており、母のことは知らん振り。娘である著者は、本当に小学生の幼い頃から、自立を強いられ、母に代わって治療費などのお金の管理、豹変中の母の面倒を見てこられたようだ。それらは本当に過酷、失望感一杯で、漫画では少し面白おかしく描かれているけど、現実ではとても笑っていられなかっただろうと思う。母をここまで面倒見ながら自暴自棄にならず、母がある程度普通の生活を送れるようになるまでの20年以上の歳月を想像すると、著者は本当にすごい方だと思った。

以下に、特にこの本で印象的だった部分を示す。クリックで若干拡大。
存在しない平安
※画像アップについては承諾済み
特にこのシーンが印象的だった。『消えたいね』という、この言葉はあまりにも重く心に突き刺さる。

ここで統合失調症について簡単に示しておこうと思う。統合失調症は、もともと精神分裂病と言われていて、昔は発症すると廃人になるとか言われていたようだ。しかし、実際は脳の機能障害による病気で、躁うつ病と並んで代表的な精神疾患らしい。その発症割合は、100人に1人というもので、誰にでも発症しうるものらしい。統合失調症を発症すると、以下のような症状が現れるようだ
  1. 現実を正確に判断する能力が低下する
  2. 感情や意欲のコントロールができなくなる
  3. 適切な対人関係を保つことが困難になる
  4. 外からの刺激に迅速かつ正確に対応できなくなる
    (pp.49)
詳しくは、以下のサイトを参考にしてくれると嬉しい。この病気は抗精神病薬などを飲むことで、治療が可能なようだ。そして、それは早期治療ほど早期回復につながり、仕事をしたり、安定した社会生活が送れるようになるようだ。さらに、著者の長い闘病体験から、『わが家のトーシツライフ10カ条!!』が以下のように示されている。
  1. 困ったときはまわりに相談
  2. ドクターや関係先とは情報を共有
  3. クスリはかかさずに飲む
  4. 疲れる前に休む
  5. なるべくひとりでいない(支援センターに通う)
  6. 病気の知識を更新しよう
  7. 家族各々が自分の楽しみを持つ
  8. 家族同士の距離感を守る
  9. 毎日会話をしよう
  10. 思いやりと共感と感謝
    (pp.162)
これらが重要なようだ。闘病体験者であるからこそ、示せる内容だと思った。

著者の旦那さんもいい人だなぁと思った。楽観主義で、著者の精神的な支えになっておられる。やはりこういう病気になったときには、家族などの精神的な支えが重要なんだなぁと思った。それが端的に表されているのが最後の2ページにある。その著者の想いを以下に抜粋。
クスリも病気への 基本的な対応も 大切だけど
「思いやり」と「共感」が プラスされると最強だ

気づくまでに 本当に 長い 時間が かかったけど

これからは 家族一緒に のんびり楽しく 
トーシツライフ できるといい・・・

「失敗」と「反省」を くり返しながら 
「涙」と「笑顔」で 生きてみようと思う
(pp.160-161)
これを読んで、本当に自分も闘病して生きていく勇気を得た。

ここまで共感できたのは、自分もまたそれなりに病んでいるから。自分は腎臓病を患っていて、腎機能が常人の半分しかない。今日も、定期通院で、血液検査と検尿をしてきた。毎回通院時の血液検査に怯えている。今日は、ほんの少し良くなっていた。医者には完治しねぇとか宣言されているけど、なんとかいっぱいいっぱいで生きている。この本に示されているような統合失調症とは病気は違うけど、病んでいる人、またはその支えになっている人の気持ちが痛いほど分かってしまう。だから、この本は共感しまくりで、どうしても、多くの人に伝えておきたいと思って熱く書いた。

この本を読んで、病んでいるとき、辛いときはまわりの助けや理解が本当に重要なんだなぁと思った。『辛いときは辛いとまわりの人に言ってもいいんだよ』、と言ってもらった気がした。

ということで、自分の腎臓病ライフが知りたい人は、以下のgdgdブログを見るというのもあり。やはり、どこかで自分のことを理解してくれる人がほしいと思うから、こっちの書評ブログで取り上げてみた。とはいっても、こっちの書評ブログほどの価値はまったくないよ。RSSリーダーに登録してみるも価値もない。本当に自分専用の私生活の記録でしかないので。

ブログ、セミナー仲間である、大森さん、TMstarさんも同じように共感され、広く知って読んでもらいたいと書かれている。統合失調症という病気などぜんぜん知らなかった。この本で、多くのことを学べた。そして、1人でも多くの人が統合失調症という病気を理解してほしいと思うので、ぜひ手にとって読んでみて欲しい。



わが家の母はビョーキです
わが家の母はビョーキです

読むべき人:
  • 統合失調症について知りたい人
  • 自分の周りに統合失調症を患っている人
  • 闘病生活をしていて、生きていく勇気を得たい人
Amazon.co.jpで『統合失調症』の関連書籍を見る

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October 31, 2008

やがて消えゆく我が身なら

やがて消えゆく我が身なら (角川ソフィア文庫 372)
やがて消えゆく我が身なら

キーワード:
 池田清彦、処世術、人生哲学、生物学、虫取り
生物学者によってマイノリティーの視点から人生哲学が示されている本。この本は、雑誌本の旅人で2002年4月から、2004年10月までに30回連載したエッセイがまとめられたものである。そのため、この本で出てくる話題は、その当時の社会事象が多く出てくる。

30章全て列挙すると冗長になるので、特に面白かったタイトルを列挙しておく。
  • 人は死ぬ
  • 人生を流れる時間
  • がん検診は受けない
  • 自殺をしたくなったら
  • 病気は待ってくれない
  • 老いらくの恋
  • 今日一日の楽しみ
  • 明るく滅びるということ
  • 身も蓋もない話
あとがきにこの本の意図が示されているので、その部分を抜粋。
 というわけで、八方塞がりの中でとりあえず、少しでも元気を出そうと思って書いたのが、本書に収められたエッセイ郡である。
 でも読み返してみると、愚痴、負け惜しみ、ごまめの歯ぎしり、といったものばかりだなあ。昔、革命を夢みた青年が、棺桶に片足をつっ込むような歳になって、負け惜しみを言って無理に元気を出しているという風情である。情けねぇけど、まあ仕方ないか。
(pp.245-246)
こんな感じで、割と極端な主張も出てくる。

特になるほどというか、共感を得た部分を恣意的に抜粋しておく。

まずは『病気は待ってくれない』という章から。著者は、生物学者であり、趣味が虫取りでもあるので、沖縄に虫取りに行っていたようだ。そのときは連日徹夜であり、東京に帰ってきてから体がおかしくなったようだ。そして、病院の検査結果に一喜一憂し、健康体を取り戻すために金と時間を費やしていたときに、運転していた車ごと崖から落ちて死にかけたらしい。そして著者、健康を待っているつもりでも、実は病気を待っているのではないかと気づいたらしい。さらに、いつも体のことを気にしていて、生きる目的が病気を治すことといった感じの人が回りに多いことに気づいたようだ。以下その部分に続くところを抜粋。
 数年間、健康のことばかり気にしていて、それで完全健康体になって、体のことは気にかけずに後はずっと楽しく生きられるというのであれば、とてもラッキーであろう。しかし大抵はそうはならずに、体の調子が完璧になることは決してなく、いつももっと健康になったらいいのにと考えているうちに、重い病になっていたというのがオチであろう。その時になってはじめて、自分は健康を待っているつもりでも実は病気を待っており、病気になった今、病気は私を待っていてはくれずどんどん進行してしまうことに気づくことになる。
(中略)
 もう少し体の調子が良くなったら、もう少しお金ができたら、もう少し暇になったら。多くの人はそう思って、自分にとって最も大事なこともやらないで、時間だけはどんどん過ぎてゆくのである。しかし、もしかしたら、体の調子はこれ以上良くならず、お金は決して増えず、暇にもならず、気づいたときは不知の病を宣告されているかもしれないではないか。
 健康はもちろんあたなを待っていてはくれないだろうし、病気でさえ待っていてくれるとは限らないのだ。人はどんな時でも、体の調子などウジウジと考えずに今一番大事だと思うことをすべきなのである。
(pp.84-86)
この記述を読めただけでも、この本を買った甲斐があった。これもうかなり共感できた。自分もすでに医者から完治はないだろうといわれている病を患っているので、『病気は自分を待ってくれるわけではない』というのがとても身にしみる。だから、著者の示すように、『人はどんな時でも、体の調子などウジウジと考えずに今一番大事だと思うことをすべきなのである。』というところにとても勇気づけられた。まぁ、そもそも今一番大事なことって何だっけ?ということも考えなければならないけど。

もう一箇所面白いと思った部分を抜粋。『老いらくの恋』から。
 遺伝子を残すためという社会生物学的な見地から「老いらくの恋」を説明するのは、所詮は無理な気がするねえ。ならばなぜ、オッサンは女を追いかけるのか。答えは「楽しいから」に決まっている。バカバカしいと言うなかれ。人間の脳には、非合理的なことを楽しいと感じる経路があるらしいのだ。問題はそれを発見してしまうか、それとも生涯発見しないで見過ごしてしまうかということだ。
 「老いらくの恋」は本人はともかく、はたから見れば滑稽意外のなにものでもない。教授が女子学生にラブレターを送ったり、社長が新入社員の女の子に惚れたりするのは、おバカの極みであろう。そういうアホなことが本人にとってなぜ楽しいのか。それは社会的な規範からの大いなる逸脱だからである。そこで脳は普段やらないことをやっているのである。
(pp.108)
なるほどなぁと思った。

著者の主張は、どう考えてもマイノリティーの主張で、世間一般からは受け入れられないものが多い。しかし、マイノリティーに属する自分としては、妙に納得できたり、共感できたり、生きていくことそのものへの勇気付けみたいなものを得ることができた。とはいえ、それは言いすぎだろとか、微妙な主張もあるが。

このようなエッセイは、自分の視野を広げるという点でとても役に立つ。それ以上に、何か強く共感できる部分があれば、それだけでがんばって生きていける。

著者の本は他にも以下がお薦め。
やがて消えゆく我が身なら (角川ソフィア文庫 372)
やがて消えゆく我が身なら

読むべき人:
  • 生物学者の主張に関心がある人
  • 虫取りが好きな人
  • 不知の病を患っている人
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October 20, 2008

検索バカ

検索バカ (朝日新書 140)
検索バカ

キーワード:
 藤原智美、検索、ショートカット思考、クウキ、考える
芥川賞作家によって、検索などによるショートカット思考が批判されている本。以下のような目次となっている。
  1. 1章 検索バカは、何を失くしたか
  2. 2章 クウキに支配される日常
  3. 3章 「やさしさ」と「暴走」の時代
  4. 4章 不安定な「場」としての家庭、教室
  5. 5章 「予定調和」はいつ誕生したか
  6. 6章 同調圧力が独自の「思考」と「行動」を奪う
  7. 7章 世間から露骨へ
  8. 8章 失われゆく「対話」と「議論」
  9. 9章 身体性なき言葉は、貧弱になる
  10. 10章 沈黙の力
  11. 終章 生きることは考えること
(目次から抜粋)
なんとなく本屋でふらふらと新書コーナーを見ていたら、この『検索バカ』というタイトルが目に飛び込んできた。あぁ、これは自分のことが書いてあるのかなと思って買って読んでみた。Google、Wikipediaがないとネットサーフィンのクオリティが著しく低下してしまうと思うほど、検索依存体質なので。

昨今では、Web2.0のような技術革新でGoogleなどの検索エンジンがなくてはならないものになっている。そして、その検索エンジンを使いこなすことで、自分で考えることをせずに答えにたどり着いたりするような傾向になっている。また、答えの安易なコピペなどから「クウキ読みの日常」という、日々の生活で「クウキを読め」という圧力が増えてきているようだ。それが、あらゆる分野のランキング、人気度を気にさせるようにし、人々は、売れている本、人気の店を検索で手に入れようとしている。そのような状況で、同調を求める「クウキ読みの日常」を打破するには、自分で「考えること」しかない、ということが示されているのがこの本である。

小説家による安易なショートカット思考批判であるので、Web2.0や検索エンジンの内側、技術批判などが示されているのではなく、あくまで人間系の内面に焦点を当てている。なので、取り上げられている話題は、技術的なことではなく、世の中で起こった殺人事件のニュースやCM、著者のテレビ出演でもらったクレーム、著者の若い頃の実体験といったことが示されている。

タイトルにつられて読んでみた。最初はいいことが書いてあると思って読み進めていくと、自分の読解力不足もあるが、いまいち論旨が分かりにくくなっていき、自分の求めていたものが何もないので、はずれ本かなと思っていたが、最後に重要なことが書いてあった。なので、この本ははずれ本ではなく、当たり本だった。

最後の重要な部分の前に、1章の『「この本には結論がない」という感想が増えている』というタイトルのものがなるほどと思った。それによると、ショートカット思考による本の読み方では、「この本には結論がない」というものが増えてきているようだ。それは、解決策を求めていることに他ならず、1冊の本で自分の問題が解決すると思い込んでいる人が多いとある。それが全体的な幻想として蔓延しているようだ。その現象に対して、著者は以下のように示している。
 自力で考えようとせず、解決方法を他者にたより、しかもいかに早く到達するかということに目がいって、その過程をないがしろにする。本からヒントを得て、あるいはそれが出発点になって、自分で考えるという過程をショートカットする。一種の思考放棄です。 
 自分で考えるのではなく、解決策を探す、これをパソコン用語的に翻訳すると「検索する」になります。
 思考をスルーして検索するか、答えをだれかに求めるということばかりに気をくばる。そんな「考えない人」「自分をサボっている人」が増えました。サボっている人は、答えを与えてくれると信じた人には、きわめて厳しい要求をつきつけます。それが満たされないと、怒りを感じたりします。
(pp.23-24)
これは自戒の意味を込めて、思考放棄にならないようにしようと思った。このような読書は、ショウペンハウエル(読書について 他二篇 (岩波文庫))に言わせれば、『読書は他人にものを考えてもらうことである。』ということだろう(参考:ショウペンハウエル 『読書について』)。Amazonのレビューを見ていても、思考放棄をしている人が中にはいるなぁと思うこともある。さすがに、技術本とか正確な情報、間違いのない情報が書かれていないとダメなもので、解決策や正しいことが書いてないと、厳しい要求を突きつけたくなるが。

この本で一番重要なのは、一番最後にあって、そこから一部抜粋。まずは『人は、窮すれば窮するほど考える』という部分から。
 悩み、苦しみ「考えること」はいわばひとつの治療行為といっていいかもしれません。苦しんだり、悩んだりしているとき、人がひたすら考えるのは、そのことを私たちが無意識に知っているからでしょう。
 ではなぜ私たちは「考える」ことで「悩み」「苦しみ」から逃れられる、と思うのでしょう。私は「考える」ということが、自分の言葉を探りあてる営みだからだ、と思います。
 人によっては、自己の閉じられた思考のなかに、悩み、苦しみを解消するということもあるかもしれません。
(pp.218)
この部分が自分にとって、一番重要だと思った。この書評ブログは、苦悩の変遷を綴っているようなもので、自分は本から得た知見を基に「考える」ということを積み重ねてきたのだと思った。自分の書評ブログのコンセプト、核になる考えだと思った。これは書評500冊を達成する前に、一度振り返ってこの書評ブログのガイドラインとして示しておこうと思う。

もう一箇所重要な部分があったので、そこも抜粋。『自分の言葉、考えをつかみとる』という部分。
 私はこの本の中で、人々が自分の思考をショートカットして、他者に解決策や結論をゆだねる傾向を批判的に指摘しました。
 理由は自分の思考、考えをスルーして簡単に手に入れた言葉は、けっきょくその人を救うことも、助けることもない、と思うからです。
 「どうしたら、自分で考えられるか?」
 そう問われたとき、私には満足させられるだけのノウハウはありません。
 ただいえることは、
 「どうしたら考えられるかを、考えることから始めるしかない」
 ということです。
(pp.219-220)
だから、「考える」ということを放棄しない限り、自分はこの書評ブログを続けていくだろう。

書店で何気なく買った本ほど、意外なものがある。これもその本だった。著者の考えから、『良い本ほど答えや解決策が直接載っていなくて、自分で考えさせるような内容になっている』と言えるのではないかなと思った。この本もそれに当たると思った。保存決定本。

検索依存体質の人は一度読んだほうがいいと思う。特に本を読んでダメだしばかりしている人にはいいと思う。

読むべき人:
  • 『ググる』ということに依存している人
  • 本を読んでダメだしばかりしている人
  • 「考える」ということを考えてみたい人
Amazon.co.jpで『藤原智美』の他の本を見る

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October 08, 2008

脳あるヒト 心ある人

脳あるヒト 心ある人 (扶桑社新書 32) (扶桑社新書 32)
脳あるヒト 心ある人

キーワード:
 養老孟司 / 角田光代、リレー、書簡、独り言、連歌
養老孟司氏と角田光代氏による、特にテーマを設定せずにお互いに綴りあったリレーエッセイ。目次項目が90個近くあるので、自分が特に面白いと思ったもののタイトルを示しておくことにする。
  • 美味しいって何だろう
  • 頭だけで「生きて」いるから
  • 「知らない」を選べる自由
  • 「知る」とは自分が変わること
  • 言葉になる以前のもの
  • 男の人は女をだます?
  • できること、できないこと
  • ふつうって何だろう
  • 美味しい仕事
  • 「仕事」は何のためにある?
  • 自分の才能がどこになるか
  • 才能とは苦にならないこと
  • 無性に「好き」な気持ち
このエッセイは、産経新聞に連載されていたもので、特にテーマを設定せずに、養老氏が書いたエッセイに対して角田氏がその内容に続けてエッセイを書き、さらに角田氏のものを参考に養老氏が書きたいことを書いているというような内容となっている。なので、さまざまなテーマや話題が出てきて面白かった。

養老氏は解剖学者の話から理系的で、趣味の虫取りの話や社会情勢や世間の話が多いのに対して、角田氏は、小説家という立場から小説の話、日常生活の買い物や好きな食べ物、母親との関係など文系的な話題が多い。その二人の書簡のように続くエッセイというものは、初めて読んだ形式なので、面白いなぁと思った。もちろん、すべてがなるほどと思ったりするわけでもなく、へー、そうなんだーと単純な感想しか出ないものもあるし、まったく興味もないものもある。

特に自分がなるほどと思ったのは、養老氏の角田氏へ宛てた『「知る」とは自分がかわること』というものの最後の部分。
 何かを知ること、変わるためには、それが一番いい方法なのである。だから学問をするので、何かを学ぶというのも、ここまで述べた知るというのと、同じ意味のことである。自分を変えない知識には、あまり意味はない。それを昔から役に立たない知識、ムダな勉強といった。逆に言えば、学ぶなら自分が変わるまで学びなさい、ということである。学んでも相変わらず同じ世界に住んでいるなら、学んだことになってない。そういう人は、いくらでもいる。どうもそんな気がしてならないのだが。
(pp.29)
これは特に重要だなと思った。このように書評ブログをやっていて、しっかり変わっているのだろうか?確かに大きくは変わっていないと思う。本質的な部分は。しかし、1冊の本で少しずつ、自分のあまり気づかないところで内面が変わっていっているのだと思う。そして、ある程度の期間が経ち、ある時点の昔と今を断片的に見たとき、成長が実感できているのだと思う。少なくとも、この書評ブログを始める前と今では大きな違いかなぁと思った。後は、読んでしっかり行動して、意図的に自分を変えるということも必要だろう。

角田氏のもので、なるほどと思ったのは、『才能とは苦にならないこと』というもの。
 才能とは何だろうと考えると、苦にならないことだと思う。抜きん出た特殊な力のことではなく、どれだけ長い時間そのことと向き合えるかということだと思う。七歳の時小説家になりたいと願った私にとって、読むことも書くこともまったく苦ではなかった。だから小説家になったのだと思う。夢を実現したかのようにたまに人は言ってくれるが、七歳から読むこと書くことばかり飽きずにやっていれば、誰だってなれるはずだ。
(pp.174-175)
この才能の定義は、なるほどと思った。続けられることが才能というのであれば、この書評ブログも自分の才能によるものということになる。飽きずにもう3年目くらいになるし、自分も読むこと書くことはまったく飽きずに一日中、一年中できる。だから、文筆家業を本気で考えたほうがいいのかなぁと思ったりもする。

もう一箇所養老氏の『「仕事」は何のためにある?』が勉強になった。曰く、仕事は「自分のため」にやるものではなく、自分のためにやっていても成功はしない。仕事は、「世の中にとって必要だから存在している」のであり、人のためにやるべきなのだという主張。そして、本当に仕事をするには、世間を知る必要があり、世間を作っているのは人なのだから、人を知る必要があるとあった。これは自分の仕事感を変えてくれるような内容だと思った。たまに何のために、誰のために仕事をしているのかわからなくなってしまうので。

また、成功するには人を知る必要があるとあったので、やはり文学作品やこのようなエッセイを読むのは重要だなぁと思った。

1項目2ページの構成で読みやすいものとなっている。気分転換に少しずつ読めばいいと思う。

養老氏は虫取りのブログをやっているようだ。また書きすぎた・・・。遅刻する!!

読むべき人:
  • エッセイが好きな人
  • 日常生活での気づきを得たい人
  • 虫取りが好きな人
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October 05, 2008

理解という名の愛がほしい


理解という名の愛がほしい―おとなの小論文教室。II

キーワード:
 山田ズーニー、小論文、理解、気づき、愛
フリーライターの著者が日々感じていることを綴ったエッセイ。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 連鎖
    1. Lesson 1 連鎖
    2. Lesson 2 生きる実感
    3. Lesson 3 「おわび」の時間
    4. Lesson 4 続「おわび」の時間
    5. Lesson 5 「通じ合う」という問題解決
    6. Lesson 6 正直のレベルをあげる
    7. Lesson 7 理解の言葉を伝えて
    8. Lesson 8 哀しいうそ
    9. Lesson 9 「お願い」の肝
    10. Lesson 10 ブレイクスルーの思考法
  2. 第2章 本当のことが言えてますか?
    1. Lesson 11 毒
    2. Lesson 12 話をしていておもしろい人
    3. Lesson 13 なぜか饒舌になるとき
    4. Lesson 14 声に宿るもの
    5. Lesson 15 ゴールから架かる橋
    6. Lesson 16 もっと抽象度の高いところで人は選ぶ
  3. 第3章 人とつながる力
    1. Lesson 17 表現者の味方
    2. Lesson 18 スランプをのり切る―表現者の味方2
    3. Lesson 19 言えなかった「ひと言」
    4. Lesson 20 連鎖2 母の哀しみ
    5. Lesson 21 コンテンツLOVE―連鎖3
    6. Lesson 22 再会―連鎖4
    7. Lesson 23 「おとな」というシステ―連鎖5
    8. Lesson 24 独立感覚
(目次から抜粋)
著者は、『ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。』でコラムを連載している人で、この本はその連載が収録されたものとなっている。

なんとなく書店のビジネス書エリアにおいてあったので、タイトルと装丁に惹かれて何も深く考えずに買ってみた。読んでみると、普段の生活であまり気づかなかったことが書いてあったので、読んでよかったと思った。恣意的に内容を引用し、それについての自分の意見、感想を示すことにする。

まずは、Lesson2の『生きる実感』から。著者が若い人と話していると、生きている実感薄いので、生きている実感が欲しいとよく聞くようだ。そんな話について、著者なりの考えが以下のように示されている。
 若い人に伝えなくてはいけないのは、体中が熱く、気持ちが昂揚する「歓びの一瞬」のことではなく。

 自分の無意味感から逃れつつ、
 空気圧にじっと耐えて、
 昨日と同じ今日を、また、同じ凡庸な朝を生きる覚悟、
 それをうんざりしても、毎日繰り返し続けていることこそが、「生きる実感」である。

 ということなのではないだろうか?
 (中略)
 もっとも虚無が押し寄せ、何にも起きない日常におしつぶされそうになっていた、あの時間こそ、もっとも自分は生きていたと思う。あれが、命を燃やすということではなかったろうか?

 あたなにとって「生きる実感」とはなんだろう?
(pp.22-24)
このLessonの全文はここ(『生きる実感』)で読めるが、自分はこの部分が特に印象に残った。自分の無意味さをかみ締めながらループしている日常が、生きている実感ということのようだ。

ただ、無意味さを実感する毎日のループ途中には苦しくて苦しくこんなのは嫌だと叫びたくもなる。そのときに、これが生きている実感だよと言われたとしても、きっと納得できないだろうなぁと思う。著者のように考えられるのは、無意味な毎日を抜け出し、何かを見出した境地に至ることができたからではないかなぁと思う。自分はまだそんな境地には程遠い。自分自身も『生きる実感とは何か?』と考えることがある。今のような日々の繰り返しで、本質的に生きていると言えるのか?とたまに思い悩むこともある。けれど、このような日常にも価値があるという考えは新鮮で、心にとどめておきたいと思った。

もう一箇所印象に残ったものがある。Lesson21の『コンテンツLOVE―連鎖3』の冒頭。
「ほんとうの愛を与えられたことがなければ、
 人をほんとうに愛すこともできない」
(pp.186)
全文はここ(『連鎖3』)。

自分の場合は、著者と同じように『YES』だと思う。ここではあんまり深くそのことについては書かないが、自分の知りえないものについては与えようもないのだろうなと思う。著者の主張に共感できた。

この小論文形式の著者のエッセイは、著者の日常生活での気づきや感じたことが率直に示されている。そんな考えもあるのかとか、激しく同意!!と思えるようなものもある。この本の全文は、すべて著者のホームページ『ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。』に載っているので、興味のあるタイトルだけ読んでみるとよいと思う。今まで著者のことやこのホームページの存在を知らなかったけど、興味深いことが多く書いてあるので、この本は読んでよかったなぁと思った。

また、もっと著者の本を読んでみたいと思った。

自分がエッセイを読む理由は、内面の充実を図るため。さすがに毎日読むことはないけど、成功本やビジネス書の合間に読むと、気づきが多く得られる気がする。

読むべき人:
  • 山田ズーニーが好きな人
  • 日常生活のちょっとした考えや気づきに触れてみたい人
  • 空虚な日々を過ごして生きている実感に乏しい人
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August 10, 2008

他力本願―仕事で負けない7つの力


他力本願―仕事で負けない7つの力

キーワード:
 押井守、映画論、自伝、仕事論、スカイ・クロラ
映画監督、押井守氏の『スカイ・クロラ(押井守監督最新作 映画「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」公式サイト)』を制作するために使った7つの力が示されている本。以下のような目次となっている。
  1. プロローグ なぜ「今」、この映画を監督するのか?
  2. 第1章 対話力―「企画会議」でしゃべり倒して、作品の世界観を創り上げる。
  3. 第2章 妄想力―「ロケハン」でリアルな風景を肉体に刻み、画面の中に空気を生み出す。
  4. 第3章 構築力―肉体と小道具の細部までの設定が、「キャラクター」の性格と人生を描く。
  5. 第4章 意識力―偶然は起こらないアニメーション。すべて意図的に「演出」する。
  6. 第5章 提示力―「音響」は雄弁に、作品の本質を語る。
  7. 第6章 同胞力―「音楽」が映像と融合した時、作品はより輝く。
  8. 第7章 選択力―悩み抜いた果てに出会った、運命的な「声」。
  9. エピローグ 「痛み」だらけの人生だった。
(目次から抜粋)
この本は、一見仕事で使えるビジネス書のようなタイトルだが、実際は押井守氏による映画論、自伝といった内容となっている。これは映画好き、押井作品のファンにはたまらない内容だなと思う。同時期に出版された『凡人として生きるということ』が即効性のある主張が多く示されているのに対して、こちらはどちらかというと遅効性の主張が多く示されているような気がした。それだけに、なぜこのようなタイトルになってしまったのか?という疑問がわいてくる。もっと言い当て妙なタイトルがあったのではないかとも思った。

7つの力というのは目次にあるようなもので、映画を作るためにこのような力を使ったようだ。『凡人として生きるということ』では若干しか示されていなかった『スカイ・クロラ』についての言及が、この本では製作過程を通して多く示されている。『スカイ・クロラ』の監督を引き受ける経緯、『こもり』と称して旅館にこもりっきりになってスタッフと延々企画について議論する話、アニメ作品であるのにロケハンを慣行し、さらにその土地の風景写真をどっさり買い込むという話など。他には、声優の選び方、シーン一つ一つに必ず根拠示す、最強の敵『ティーチャー』が姿を現さない理由といった映画製作の話が多く示されている。そのため、この本は、どちらかというと、『スカイ・クロラ』を見る前に読む本ではなく、見た後に読むべき本だと思った。

線を引く部分がありまくりだったので、ポイントを絞って列挙するというのではなく、本当になるほどなと思った考えなどの部分を引用しておく。プロローグの『仕事の本質とは何か』という部分から。
 さて、ここで一つ、読者に問いかけをしてみたい。それは、「映画とは何か」ということである。「そんなの分かりきっていると」と言う人も多いだろう。だが「映画とは何か」という一見簡単そうに見える定義を、本質まで切り込んで考えていくことは、実はそれほど簡単なことではない。世に映画監督と呼ばれている人でも、そこをきちんと理解しないまま、何となく映画を撮っている人が多いように僕には思える。
 僕は何事においても、常に本質的に物事を考えるように努力している。なぜなら、いつもそのように物事を考えるようにしないと、どんどん仕事が本質から離れてしまい、いつの間にか自分が何をしているのか、本当は何をしたいのか、が分からなくなってしまうからだ。
 それはきっと映画の仕事だけではなく、どんな仕事にも当てはまることだろう。世の中では多くの人が実に様々な仕事をしているが、結局は本質を見極めながら仕事をする人と、そうでない人の二種類に分けられる。そして、本質を見極めた人だけが仕事にイノベーションをもたらすことができる。なぜなら本質を知らない人には、革新すべき点を見出せるはずないからだ。
(pp.17-18)
これは自分の仕事にも当てはまることだなと思った。SE、プログラマの仕事の本質は、ただシステム構築をするということではなく、『そのシステムによって顧客に利益をもたらすことができる』ということだと思う。だから、作ればいいってものではないということだと思う。そういうこうことは、このような本を読んだりして、自分の場合はどうだろうか?ということを振り返らない限り、なかなか分からないと思う。

3章の最後から、押井氏のアニメーション監督の思想が現れている部分。
 全てのシーンには意味があり、すべてのカットには根拠がある。僕が、一時期、映画の中ではアニメーションがすべての上位に君臨すると言ったのは、そういう意味である。
(pp.94)
これは、もう少し解説すれば、アニメというのは普通の実写映画と違ってキャラクターも風景、背景などもすべて0から作り上げなければならないということに由来する。だからアニメ映画というのは自由であり、アニメーション監督には全能感が許されると示されている。ここはなるほどなぁ、と思った。アニメ作品に対する見方が結構変えられたような気もする。

もう一箇所気になった部分をプロローグから抜粋。
 アニメーションで映画を撮る、ということはそれ程、難しいことなのだ。だからこそ、特にアニメーションで映画を撮る時は、そこに映画を撮った人間のどうしようもない思いとか、身悶えするような苦悩の中から磨き上げた表現とか、そんなものが必ず必要になる。
(pp.22)
エピローグでは、著者の子ども時代から映画監督になるまでの経緯が詳細に述べられている。そこでは、最初の監督映画『うる星やつら オンリーユー(ノーカット版)【劇場版】』は大失敗に終わったということや、何が失敗だったかといった原因分析まで示されている。そういう経緯から、このようなことが示されているのだと思う。

『スカイ・クロラ』についてかなり詳細に示されているので、『スカイ・クロラ』を見ていないと、正直話についていけないかもしれない。逆に、『スカイ・クロラ』をさらに楽しむにはこの本は必須だと思う。最初に『スカイ・クロラ』を見たときに、どうしても違和感というか、消化不良感みたいなのが残った。どういう意図でこのような作品を作ったのかが、いまいちつかみかけていたから。だから、『スカイ・クロラ』を10倍楽しむには、以下の手順を踏むというのが良いと思う。
  1. 凡人として生きるということ』を読む
  2. 『スカイ・クロラ』を映画館で鑑賞する
  3. 本書『他力本願―仕事で負けない7つの力』を読む
  4. 原作小説『スカイ・クロラ (中公文庫)』を読む
  5. 再度、『スカイ・クロラ』をDVDなどで鑑賞する
このプロセスを経ると、シーンの一つ一つの意図がしっかり分かり、奥の深い作品として鑑賞できるのだと思う。自分はまだ2の段階までしか至っていないので、次は、原作小説を読む必要がある。どうも原作と映画の結末は違っていて、押井氏は原作の結末に納得できなかったとあったので、とても気になる。

この本は、映画好き、アニメ好き、押井作品好きには絶対良い内容の本だと思う。本当にお薦め。また、自分は『うる星やつら』とか『機動警察パトレイバー 劇場版』はまだほとんど見たことがないので、チェックしよう。

この本で、400冊目の書評となる。ちょっとした節目が五つ星評価の本で少し嬉しいと思った。

読むべき人:
  • 押井守作品が好きな人
  • 『スカイ・クロラ』を見て違和感を覚えた人
  • 映画監督になりたい人
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August 06, 2008

凡人として生きるということ


凡人として生きるということ

キーワード:
 押井守、哲学、人生論、凡人、スカイ・クロラ
アニメ、実写映画監督、押井守(Wikipedia)氏のろくでもない世界を理解するためのヒントが示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 オヤジ論―オヤジになることは愉しい
  2. 第2章 自由論―不自由は愉しい
  3. 第3章 勝敗論―「勝負」は諦めたときに負けが決まる
  4. 第4章 セックスと文明論―性欲が強い人は子育てがうまい
  5. 第5章 コミュニケーション論―引きこもってもいいじゃないか
  6. 第6章 オタク論―アキハバラが経済を動かす
  7. 第7章 格差論―いい加減に生きよう
(目次から抜粋)
この本は、最近読んだ新書の中で抜群に面白かった。単に勉強になるというだけでなく、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、『機動警察パトレイバー the Movie』、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』、『イノセンス』などを手がけてきた、押井守の考え方がとてもよく示されている。このエントリでは、その押井語録を損なわないように、引用ベースで内容を紹介しておく。

まず総括的なまとめが、本の裏のカバーに示されているので、それを抜粋。
世の中は95%の凡人と5%の支配層で構成されている。が、5%のために世の中はあるわけではない。平凡な人々の日々の営みが社会であり経済なのだ。しかし、その社会には支配層が流す「若さこそ価値がある」「友情は無欲なものだ」といったさまざまな“嘘”が“常識”としてまかり通っている。嘘を見抜けるかどうかで僕たちは自由な凡人にも不自由な凡人にもなる。自由な凡人人生が最も幸福で刺激的だと知る、押井哲学の真髄。
(カバーの裏から抜粋)
結構まっとうなことが示されている。世の中を理想だけで語るのではなく、現実を直視しながら、この世界を理解し、どのように生きるべきかということを特に若者に示している気がした。では、自分が特になるほどと思った部分をいくつか引用しておく。『世間にはびこるデマゴギー!』という節タイトルから。
 だから、僕が若者に言えるのは、「今の自分は何者でもないし、平凡な人間なのだ」とまずは気がつくことが重要だということだ。本来の意味の可能性はむしろ、そう気づいたところから始まる。映画専門学校を出れば映画監督になれるかもしれないといった漠然とした幻想ではなく、本当に自分がやりたいことを見据え、そのために今自分がやるべきことは何かを見定めることから、やり直すべきなのだ。
(pp.26)
これは、第一章のオヤジ論の若さそのものに価値があると世間はデマゴギーを流すが、若さそのものに価値はないという価値観からこれが示されている。これはなるほどなと思った。自分が今やるべきことを考えるべきだなと。

第二章の自由論の『他者を選び取り、受け入れることが人生』から。
 つまり、人生とは常に何かを選択し続けることであり、そうすることで初めて豊かさを増していくものであって、選択から逃げているうちは、何も始まらないのだ。このことは後の章でも見方を変えて論じることになると思うが、要は選択する、つまり外部のモノを自分の内部に取り込むことを拒絶してはダメだということだ。
 他者をいつまでも排除し、自分の殻の中だけに閉じこもっていては、本当の自由を得られないことはすでに述べた。結果的に結婚していようがしていまいが、そんなことはどうでもいいことだ。ただ、「いつだって結婚くらいはしてやる」「他人の人生を背負い込むことぐらいはできる」という気概を持って生きていかなければならないということなのだ。
(pp.63)
ここは自分の内面に深く残る部分だなと思った。自分自身の生き方に、どうしても選択を保留し、逃げている部分があるなと思った。そして、外部のものをかなり拒絶いているなと。それでは結局、不自由するということなので、もっと受け入れて他人の人生を背負い込む覚悟を持つ必要があるなと思った。

第三章の勝敗論の『失敗も挫折もない人生は面白くない』から。
だとしたら、失敗を恐れるのはばかげているし、失敗を恐れて手数を出さず、みすみす成功の確率を下げてしまうのは本当に愚かだとしか言いようがない。
 いつかきっと素敵な恋愛が向こうからやってくる。初めて出会った相手と、お互い見た瞬間にガビーンと電気が走って、結ばれるかもしれない。そう信じて、指をくわえて待っているだけの人間は、生きることを保留しているだけの人間だ。その人生には失敗も挫折もない。その代わり、生きているともいえない。
 人生は映画みたいなものだ。もちろん失敗も挫折もある。それを避けては通れない。それどころか、失敗や挫折そのものが人生の醍醐味とも言えるのだ。
 何も波乱の起きない退屈な映画を見たいだろうか。エンディングは分からない。ハッピーエンドに終わるとも限らない。でも、どんな結末を迎えるにしても、何もせず、すべて保留した生き方より、はるかにそれは豊かな人生といえるだろう。
(pp.86-87)
ここがこの本で一番印象に残った。自分の生き方は、本質的に生きていないのと同じかなと思った。常にリスク回避のために保留し続けていた気がする。失敗は恐ろしいと思う。でも失敗慣れしていけばいいのかなと思った。人生は映画みたいなもの、とは映画監督らしい考え方だなと思った。

第五章のコミュニケーション論の最後から。
 逆に、話す必要もない相手とは話さない。僕は別にお友達が欲しいわけじゃないからだ。友人なんてそんなもの、と思ってみれば、人間関係であれやこれやと悩むこともバカらしくなってくるはずだ。
 だから、若者は早く外の世界へ出て、仕事でも見つけ、必要に応じて仲間を作ればいいと、僕は思っている。ただ、そばにいてダラダラと一緒に過ごすだけではない仲間がきっと見つかるはずだ。 
 損得勘定で動く自分を責めてはいけない。しょせん人間は、損得でしか動けないものだ。無償の友情とか、そんな幻想に振り回されてはいけない。
 そうすれば、この世界はもう少し生きやすくなる。
(pp.134)
人脈本には損得勘定はダメだとあるが、押井氏の考え方は違うようだ。まぁ、表面的には露骨な損得勘定を出さなければいいのだと思う。また、無償の友情は幻想であるというのは、監督作品に多く描写していると示されていた。

他にも引用したい部分はたくさんあるが、この辺で。

本当に全うな考え方だなと思った。そして自分自身の失敗経験などから今の世界を生きる若者にアドバイスをしているような内容となっている。それらはなるほどなと思うことが多かった。

最近公開された『スカイ・クロラ(押井守監督最新作 映画「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」公式サイト)』についても、少し言及されている。簡単に言えば、若さそのものに価値はないのだから、若いまま大人になれないまま生き続けなければならない苦悩などを表現しているとあった。この本を読んでいると、どうしても『スカイ・クロラ』を見なければいけない気がしてきた。だから、読了した昨日見てきた。この本に示されているようなことが描写されていた。ハッピーエンドではなく、考えさせられる映画だと思った。音楽と戦闘シーンがよかった。ちなみに、エンドロール後もシーンが続くので、それを見逃さないように。あと、原作小説、『スカイ・クロラ』も読みたくなった。

この世界をよりよく生きるための押井哲学が満載なので、特に若い人は読んだほうがよいと思う。

読むべき人:
  • 押井守監督作品が好きな人
  • 失敗を恐れて何も行動できない人
  • スカイ・クロラを見た人、見に行く人
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August 01, 2008

小説以外


小説以外

キーワード:
 恩田陸、エッセイ、記録、悪戦苦闘、読書
小説家による本に関するエッセイがまとめられた本。目次は以下のようになっている・・・・とすべて列挙できないくらい多い。1つのエッセイが大体2,3ページで、この本は400ページ以上もあるので。ということで、自分が気になったもの、面白かったもののタイトルを列挙することにする。
  • 百組の「ロミオとジュリエット」
  • 憂鬱な音楽
  • 本格推理小説家への道
  • ・・・・・・AND MUCH, MUCH MORE
  • 風景小説法―車窓からの風景は私にとって最良のネタである
  • 時間を忘れさせてくれる文庫ベスト5
  • 読めないことがつらかった
  • 「六番目の小夜子」に寄せて
  • 正しいビール飲みと本格ミステリ作家について
  • そしてみんなSFになったあとは・・・・
  • 赤ワインと豚汁
  • 「町が持つ記憶」の魅力
  • 本を読む以外の時間は・・・・
  • 旅する読書
  • 記憶の図書館
  • 次の十年
  • 読書の時間
  • タイトルの付け方
  • オニオングラタン
  • 月世界
  • 自分の葬式に流してもらいたい歌謡曲
  • 続編の陥穽
  • アメリカ人の文学キング
  • 青春はいつだって暗号である
  • 憧れの職業
このエッセイを読んでいると、小説化である著者がどういう人かということがとてもよくわかる。簡単にまとめてしまえば、小中学校から転校を繰り返しており、自分で物語を書くのが好きで、大学時代は乱読しまくり、OL時代は忙しすぎて体を壊したりし、そのストレス時に小説を書いて二束のわらじを履くことになり、その後専業作家となる。しかし、書いているときは苦痛以外の何者でもなく、読みたい本がどんどんたまっていてストレスを感じ、本屋にいって面白い本を見つけるが、自分の本は誰か別の人が書いたものだという程度の認識でしかなく、自分が小説家であるという実感もないようだ。そんなことが多く示されていて面白かった。

特に小説家の視点からどういう風に作品が書かれていくのかということや、どのような作品を読んできたのかということがよくわかって面白かった。著者はアガサ・クリスティなどのミステリや推理小説、またSF小説なども好んで読むようだ。そういった作品にかなり影響を受けているということが多く示されている。それらの作品タイトルが多く出てくるので、ブックガイドのような役割も果たしてくれる。

1つだけ特に印象に残ったエッセイがある。それは『読書の時間』というもの。短いものなので、まるまる引用しておく。
 読書とは、突き詰めていくと、孤独の喜びだと思う。人は誰しも孤独だし、人は独りでは生きていけない。矛盾しているけれど、どちらも本当である。書物というのは、この矛盾がそのまま形になったメディアだと思う。読書という行為は孤独を強いるけれども、独りではなしえない。本を開いた瞬間から、そこには送り手と受け手がいて、最後のページまで双方の共同作業が続いていくからである。本は与えられても、読書は与えられない。読書は限りなく能動的で、創造的な作業だからだ。自分で本を選び、ページを開き、文字を追って頭の中に世界を構築し、その世界に対する評価を自分で決めなければならない。それは、群れることに慣れた頭には少々つらい。しかし、読書が素晴らしいのはそこから先だ。独りで本と向き合い、自分が何者か考え始めた時から、読者は世界と繋がることができる。孤独であるということは、誰とでも出会えるということなのだ。
(pp.244)
このページはまるまる線を引いた。それほど印象的だった。この部分を読めただけでもこの本を買う価値はあったと思う。


著者の作品は『ライオンハート』しか読んだことがない。このエッセイを読んで、他にも気になってきたので、読んでみることにする。

文庫版のあとがきには、小説家の書くエッセイには以下の4つのタイプがあると示されている。
  1. 小説と同じくらい面白い
  2. 小説は面白いのにエッセイは面白くない
  3. 小説よりもエッセイのほうが面白い
  4. 小説もエッセイも面白くない
1が望ましいとあるが、この本は4でないことを祈るとあった。自分は著者の作品はそこまで読んでいないから評価できないが、少なくとも3であることは確実だ。

1つのエッセイが割りと短いので、毎日に生活の中で気分転換するときに読むと良いと思う。電車の中とか、何かの待ち時間とか。そういう短い時間をきっと良質なものにしてくれると思う。

読むべき人:
  • 『恩田陸』の作品が好きな人
  • 読書、特に小説を読むのが好きな人
  • 小説家は何を考えているのか知りたい人
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July 17, 2008

幸せになる力


幸せになる力

キーワード:
 清水義範、幸せ、力、方法、大人
小説家によって、幸せになる方法が示されている本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 勉強ができれば幸せなのか
  2. 第2章 勝ち組になろうと考えるな
  3. 第3章 みには値打ちがちゃんとある
  4. 第4章 必要なのは幸せになる力だ
  5. 第5章 人は自信が持てた時に優しくなれる
  6. 第6章 世の中はきみの敵ではない
  7. 第7章 親をすてるために成長するのだ
(目次から抜粋)
この本の第1の想定読者は小学6年生くらいか中学生くらいで、その次に高校生、大学生、さらにそれらの親となっている。そしてこの本では、全てのことに勝っていて何不自由しない状態を目指すのではなく、まあそれなりにおもしろい人生だなと思えるようになるための方法が示されている。

著者の考えによれば、幸せになるには幸せになる力を持っていなくていけないとある。その力が以下の5つとして示されている。
  1. 自己肯定感から持てる自信。
  2. 人の役に立つよろこびから出てくる意欲。
  3. 自分を正確に理解してこそ持てる希望。
  4. 社会を理解していってみがく想像力。
  5. 苦境から自分を守るための回避力。
    (pp.115)
こういう力を身につけていれば、まず間違いなく幸せになれるようだ。この全部を持つことはなかなか大変だけど、このうちの1つか2つでも持っていれば、人生はかなり生きやすくなるようだ。

特に印象に残った部分を2つだけ引用。1つは、社会のとの関係についての部分。
 そして、こういう力をきみがちゃんと持っているならば、世の中で出てたじろぐことは何もないはずだ。もう、きみにとって世の中は敵ではなくなっているはずだ。
 幸せになる、ということは、実は社会との関係をうまくつける、ということなんだよ。
 社会、つまりの世の中と言っても同じだけれど、その中で個人のきみが生きていって、生きにくくない、というのが幸せってものなんだ。
 だから、幸せになる力を持っていたら、世の中は少しもこわくないところなのさ。
(pp.117)
そのため、幸せになるための5つの力は、社会人になる前に身につけておく必要があると思う。社会に出ることがとても恐ろしいことのように思えて仕方なかった大学生時代の自分に読ませてやりたい。

もう1ヶ所は、幸せになる方法っていうのが、結局のところちゃんと大人になるってことだと示されている部分。
 大人には子どもにはない力がある。人生を切りひらいていく力だ。そういう力を、ちゃんと持っていれば、人生にはこわいものはないってことなんだよ。何があったって、うまく生きていける。
 うん、そうなんだ。そういう力をちゃんと持って、能力のある大人になってみせること。時間を後ろへはさかのぼれない人間には、それしか幸せになる力はないんだよ。
 成長することをおそれてはいけない。
 成長することは実は、ものすごい人生のお楽しみにつながっているんだから。
 私がきみたちに伝えたいことは、結局はそれなんだよ。
 もうきみは、幸せを半分くらい手に入れたようなもんだよ。すごいことじゃないか。
(pp.138-139)
前は成長することに何の意味があるのか!?と自問自答していたが、今ならこの意味がよくわかる気がする。成長すると、自分ができること、行動範囲が広がってお楽しみが増えるということだと思う。RPGでいうと、レベルが上がって、特殊スキルを身につけられたり、金も入ってきて高い装備を買えたり、様々な人脈から船や飛空挺を手に入れて違う世界に行けるというようなことだと思う。成長を実感できれば、幸せだと思えるのは確かかなと思った。ただ、それを実感できるまで苦しいときもあるけどね。

小学生から読めるような内容となっているので、漢字は少なく、1ページの文字数も多くない。ところどころにイラストも入っており、著者が語りかけるような文体なので、かなり分かりやすい内容となっている。ページ数も多くないので、普通の速度で読んでも、60分前後で読めると思われる。

幸せってなんだっけ?と考えたい人にはヒントがたくさん詰まっていると思われる。対象読者は小学生からだが、誰が読んでも得られるものはあると思う。

やはりちくまプリマー新書は良書が多い。こうなったらすべて読んでみるか!?

読むべき人:
  • 幸せになりたい小学6年生の人
  • 勉強ができないと悩む中学生の人
  • 自分の進路を考えたい高校生、大学生の人
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July 12, 2008

男の器量


男の器量

キーワード:
 川北義則、お金、生き金、人生論、自己投資
お金に関するエッセイで、お金の使い方が学べる本。以下のような目次となっている。
  1. 第1章 「使いどころ」を知る
  2. 第2章 「夢の器」を大きくする
  3. 第3章 「男の器量」が試される
  4. 第4章 「生き方」のバランスをとる
  5. 第5章 「買う」のか、「借りる」のか
(目次から抜粋)
著者は雑誌記者、新聞社を経て出版プロデューサーをしている人らしい。そんな著者によって、お金に関する人生論が示されている。

著者自身70歳を超える人なので、古い考え方が多く、自分には合わないことが多く書いてあるのかなと思いつつも何となく買ってみたが、結構線を引く部分が多く、説教くさいこともあまり書いてなかった。以下自分がなるほどと思った部分を列挙。
  • お金の使い方で人の未来は決まる
  • 生き金と死に金を分ける基準は、「自分が楽しめるかどうか」
  • 大きな買い物などでお金の使い方に迷ったら、「それにお金を使ったら、(あなたは幸せになれますか? | あたなにとって最良の選択ですか?)」を自問する
  • ホテルは予算が許すなら、やはり一流とされるところに泊まったほうが、断然旅は心豊かになる
  • 人生には一見、無駄金に見える授業料という名の生き金もあると知るべき
  • お金は自分に投資するのがいちばん生きるので、自己投資に勝る生き金はない
  • 学習は身銭を切らないと身が入らない
  • お金は、「自分のしたい何か、欲しい何か」を手に入れるための手段であって、目的のない貯蓄は、読みもしない本をせっせと買い集めるのと同じくらいバカげている
  • 人間の魅力は、一言で言えば、その人だけが語れるオリジナルな言葉を持っているかどうか
  • お金を知的な財産(知識や経験、スキル)に置き換え、自分をもっともっと深堀すると、人が集まってくるよい仕入れのできる人間になれる
  • 人間的な深いつきあいを望むなら、損得勘定で人を見るな
  • 友だちをなくしたくなかったら、友人との間でお金の貸し借りはしないほうがいい
  • 行きつけの飲み屋のママさん曰く、「身銭を上手に切れる男は、たいてい出世するわね。会社のお金でしか飲み食いできない男はダメよ」
  • 20代は貯めてばかりでは、自分が磨けないので、この時期に自己投資しないと、つまらない人間になってしまう
一番なるほどと激しく線を引いた部分を一箇所抜粋。『人生を変えたかったら』という節タイトルから。
 昨日と同じ今日を繰り返していたのでは、人生は何も変わらない。本気で何かをしたいなら、人は昨日までとは違う今日を生きないといけない。
 人生を変えたかったら、自分を変えるしかない。
 生き方を変える努力をすべきなのだ。
 そういう努力をしないで、「お金がないから、貯蓄ができない、やりたいことができない」などと寝ぼけたことを言っている人間は、所詮、何もする気がないのである。
(pp.158-159)
耳が痛い言葉だ。でも、そうならないための、少しずつ自己変革をする必要がある。少なくとも、できない理由を多く挙げるよりも、できる理由を捻出するほうがはるかに健全でエキサイティングな生き方だと思うので、そうしていきたい。

いろいろな成功本とか成功哲学、人生論を読んでみると、お金の使い方というのはとても重要なことだと教えてくれる。特に、自分に投資するのが一番割がいいので、若い時期にこそすべきだと、多くの本で示されている。なので、これはもう自分の中で疑いようもない真理である、と思い込むことにして、信じてやってみることにする。その軌跡がこの書評ブログということにもなる。

この本は、一般論を語っているというよりも、著者の人生経験や実体験が多く示されている。著者の会社員時代の友人や社員の人間関係や、著者の出版の仕事に関する話なども示されている。そのような著者にしか語れないエピソードが載っている本ほど、自分の中では評価が高くなる。

著者は結構古い感じの男気のようなものを感じさせる人だと思った。デートで女性と割り勘はありえず、男が全部払わなければダメだとか、美人で性格のいい女性を知らないのは、阿呆だとか、なるほどと思う部分もある。

この手の本は、説教くさくなりがちで、読む前はどうしても偏見が入ってしまう。そのため、著者の年代や仕事などの偏見を取り除いて素直に読めば得るものが多い。逆に、色眼鏡を通して読むと、得るものが少ないばかりか、読了後感はよろしくないだろう。この本は、偏見があっても、必ずなるほどと思う部分があると思うが。

お金の賢い使い方を学ぶには良い本だと思った。

読むべき人:
  • 成功したい人
  • 男の人生論が好きな人
  • デートで割り勘ばかりの人
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